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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

堤幸彦監督 「悼む人」 そして、熊谷育美による主題歌「旅路」のこと

2015-02-02 19:45:16 | エッセイ

 今日、気仙沼市上田中の愛耕幼稚園の教会で、映画「悼む人」の試写会を観てきた。

 主演の高良健吾、石田ゆり子、そして堤監督、司会、というかゲストに、気仙沼出身の生島ヒロシ先輩、そして、主題歌を歌う熊谷育美。あ、そうそう、原作者の天童荒太。

 天童荒太はこの「悼む人」で直木賞を受賞した小説家。何か先入観で、もっとずっとワイルドな人物と思い込んでいた。さる賞をとったがさつで粗雑そうにも見える作家と混同していたのかもしれない。どこかで俳優の古田新太を思い浮かべていたとかいうわけでもないだろうが、もう少しがたいが良くて押しが良くて、エネルギッシュで、とか勝手にイメージを作っていた。

 どちらにしろ、著書は一冊も読んだことがなかったので、ここらはたわごとに過ぎないので、読み飛ばして下さい。

 ご本人は、静かな語り口で上品で温厚で、インテリジェントがおのずからにじみ出る方であった。高良健吾演じる主人公「静人」そのままというか、余計なことは語らずにそこに佇んでいる、というような。風貌は、加藤雅也をもっとジェントルでマイルドにした感じ、といえばいいか。いい男である。

 さて、この映画はエンタティメントではない。喜劇ではない。(かといって悲劇でもない。全体に悲しみに満ちている、悲しみが通奏低音である、というような映画ではあるが。)

 常々「映画とワインについては語らない」と公言している割に、こないだも小林監督の「ぎりぎりの女たち」のことを書いたばかりではあるが、堤監督のも、例によってそんなに見ていないし、前のやはり育美ちゃんがテーマ曲として「グッバイ・マイラブ」を歌った「くちづけ」も観ていなくて、それは、けっこう重いテーマだったとは聞いているのだが、その前までは、堤監督のは、ほとんどコメディタッチ、笑える作品が多かったのではないかと推測する。

 私が、エキストラでちらっと映ったか映らなかったかの「自虐の詩」なんかも、シリアスではなかった。

 この映画「悼む人」は、堤監督が、ようやく撮った本音の映画、なのではないか、と思った。テーマは、人間の死、それと生き残ったものの生、である。

 重い、まじめな映画。そうだな、笑うシーンはひとつもない。

 世のなかに、死も生もありふれている。

 震災でたくさんのひとが死んだが、震災がなくても、毎日多くのひとが死んでいる。テロでも、戦争でも、交通事故でも、病気でも、ひとは死んでいく。

 そして、毎日多くの子どもが生まれる。

 死ぬことも生きることも、ありふれた日常茶飯事である。

 ちょうど夕べ、モンテーニュのエセー(宮下志朗訳)第5分冊のことを書いて、ブログにアップしたばかりだった。冒頭が、第2部第13章他人の死について判断すること。なんというか、こういう偶然というか、奇遇というか、めぐり合わせ。

 何度も書いていることだが、わたしの父親は、2011年3月3日に亡くなって、8日に葬式を終えた。そのあと、11日がやってきた。天童荒太氏の父上は、阪神淡路の大震災の数日後にお亡くなりになられたのだという。個人の家庭での出来事が、社会的な大事件の直後にやってきた。小さな市井の日常的な死と、震災による大規模な死が折り重なるようにやってきた。そのことが、この小説を書くきっかけであった、と今日、舞台あいさつで、天童氏は語られた。なんということだろうか。

 堤監督の前作の「くちづけ」でも、最後、父親による子殺しが描かれたのだという。今回もまた人が死に、殺され、死にそうになり、助けられ、一方で、新しい命が生まれる。

 このひとも、なにか、重いものを抱えて生きているのではないか?

 堤監督は舞台あいさつで、ひとことだけ、「20代の頃、最初の妻を病気で亡くした」と語った。そのことは、それだけで、それ以上長く語ることはなかった。だから、それ以外に、何かだれかの死について思いをもっているのかどうかは分からない。でも、「最初の妻を亡くした」、そのことは相当に重い出来事であることは間違いない。

 「妻を亡くした」、そのことは何だったのか、どんな意味を持つことなのか、その後ずっと長く、問いかけ続ける。

 それはこんな意味なんだよ、こういうことのためにひとは死んだんだよ、そんな意味は、たぶん、ついに見つけることができない。だれにもできない。分かりやすい意味なんかはきっとない。でも、ずっと、その問いをかかえ続ける。生きている限り、忘れない。

 もちろん、どうしてという原因は分かる。そういうことではない意味、死ぬことの意義である。何のために、どんな意味でどんな意義をもって死んだのか、そんなことは決して分からない。

 分からなくとも、残された人間が生きている限り、忘れない。覚えている。それが悼むということなのだろう。

 そんなことなんだろうな。

 この映画、ひとは死ぬし、暴力もある。しかし、観つづけることがひとつも苦痛でなかった。なにか大きな赦しのようなものがある。癒しのようなものがある。被災地の人間は、妻を失い、子を失ったものがたくさんいる、実際今日も、そういう方が何人もいらっしゃった。そして、上映の後、思いを語られた。重い事実を語られた。しかし、そこに、ひとつの浄化のようなものがあった、とは語っていいと思う。

 ラストに、熊谷育美の主題歌「旅路」が流れる。この映画のテーマが、そのまま歌になり、情感を大きく加増(クレッシェンド)しながら大団円に向う。

 育美ちゃんは、原作を読み、脚本を読み、撮影も見学しながら、曲を作り詞を書いたという。映画の世界を最後に締めくくる構えの大きな世界を、歌で表現しえたものと思う。天童氏の小説、堤監督の映画の世界を、彼女はきちんと読みとりえた。彼女は、ここで見事に成長した。

 

  「私の祈りが水平線に重なるまで」

 

 「旅路」のなかのこのことばは、いまの気仙沼にとって、津波のあとの気仙沼にとって、確かな未来を指し示すことばだと思う。とても重要なことば、大切なことばとなるだろう。この一行を書きえた熊谷育美を私は誇りに思う。

 なお、この映画を成立させた高良健吾、石田ゆり子、椎名桔平、大竹しのぶら俳優たち(たまたま名前を並べなかったひとも含め)のことを語らないのは、私としての紙面の都合みたいなことであって、他に充分にその存在を語る方がいるはずである。

 ところで、もう一言だけ、高良健吾は27歳だそうである。27歳の若者は、ひとつも生産的なことをしなくともよい、個人的な祈りを祈り続ければよい、そうして生きていけばよい、そうして生き延びていける。それで良い。そう思えた。いやこれはもちろん、映画の主人公「静人」のことである。


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