ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

佐野洋子 100万回生きたねこ 講談社

2016-07-09 14:22:49 | エッセイ

 これ、よく見ると、表紙のねこの絵が妙に可愛らしい。3ページ目の絵も、またさらに可愛らしい。

 最近の猫ブームは、どうもあまり気にいらない。そもそも、犬にしろ猫にしろ、動物を飼おうなどという気持ちが少しも湧かないので、ま、関心がないということではある。あえて、気に入らない、などと否定的な言辞を吐く必要もない。写真集がよく出ているようだ。動物としての猫、というよりも、妙に擬人化され、愛玩され過ぎているネコ。

 1977年初版のこの作品は、絵本として高名な作品である。世の中に、この絵本を所蔵しない図書館は恐らく一つもない、というくらいのものである。もちろん、日本においては、という限定つきの話。

 もはや40年前か。最近の猫ブームとはなんの関わりもない。いや、逆に言って、現在の猫ブームを準備した最重要の要素のひとつではあるのだろう。

 表紙の見返しに載る著者近影を見ると、ヘルメットを被ってつなぎの作業服めいたライダースーツというのだろうか、着用して、バイクにまたがっている。相当に活動的な女性のようである。

 谷川俊太郎の3番目か4番目の奥さんで、割とすぐ離婚したはず。

 書き出しはこうである。2ページ目。右の3ページ目の可愛らしい立ち姿の絵に対する言葉として。

 人間のいたずらっ子が、たまたま多少叱られたかどうかというところでじっと黙って親を見つめているような構図。擬人化されたねこに他ならない。

 

 「100万年も しなない ねこが いました。

  100万回も しんで, 100万回も生きたのです。」

 

 ここは、さらっと読み飛ばせばなんということもない。100万という言葉を繰り返し使った言葉遊びである。

 しかし、ちょっと立ち止まって考えると、算数的な疑問がわく。

 このねこは最初に生まれて、この絵本の現在まで、通算すると100万年×100万回の、10億年生きてきたということなのだろうか?

 あるいは、平均1年づつ生きて、都合100万年生きているということなのだろうか?

 そういう疑問を持ってこの本を読んでいくと、実はどこにも解答が書いていない。

 非常に不親切な本である。

 算数が得意なことを人生の最重要事項に掲げる人々にとっては、ストレスでしかない。

 なんてね。ここは、100万年にしろ100万回にしろ、また、勝手にこちらが計算して算出した10億年にしろ、人間の一生、とか、ねこの一生とかに比べて、途方もない大きな数字である、ということのみに意味があるのであって、計算してどうこうなど忖度すべき個所ではない。

 だから、ちょっとした矛盾かもしれないような疑問点など気にしないで読み飛ばすのが正しい読み方である。(つまり、あなたが読んだような普通の読み方で正解だ、ということ。)

 前半の、100万回も繰り返し生きて死んだという部分と、後半の、運命の伴侶と添い遂げて涅槃に往生したという部分との対比がこの絵本の肝なのだろうが、仏教的な輪廻転生と解脱の話だ、といえばその通りである。

 そういう仏教的な知識があることが、この絵本を堪能するに邪魔であるなどということはひとつもない。

 しかし、逆にその知識がなくては、この絵本の魅力にたどり着けない、などということも、一切ない。

 先日、本吉図書館の哲学カフェ、今年度第一回の素材として、この絵本を取り上げた。司書のおすすめがあった。有名な絵本であり、異存はなかった。

 読んでみると、第1回目にふさわしい本だったな、と改めて思えた。何より、男性も含めて、小さいころから好きで親しんで読んできた、という参加者が多かった。

 何か、不思議な魅力に満ちた絵本である。

 2ページ目の続きはこうである。

 

 「りっぱなとらねこでした。

 100万人の 人が, そのねこをかわいがり, 100万人の人が, そのねこがしんだとき なきました。

 ねこは, 1回も なきませんでした。」

 

 私の思ったことは、このねこは、実は、作者佐野洋子に他ならないんだろうな、と。

 ところで、哲学カフェの最後のところで、前半と後半と、どっちが好きですか、と参加者に問いかけてみた。なんとなく、聞いてみたくなった。

 女性は、ほとんどが後半、と答えた。私を含む男性は、前半との答えが多かった。

 じゃ、前半はどんなお話しで、後半はどんな展開なの?と聞きたくなるところではあるだろうが、それは、絵本自体を手に取ってお確かめください。その不思議な魅力を確かめてください。

 身近な書店とか、図書館に足を運べば、すぐに手に取れます。

 いま、手元にある本吉図書館の一冊は、2010年の第100刷。これも不思議な巡り合わせ。

 よく見たら、家の本棚、にも一冊並んでいた。昭和58年の第18刷だった。


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