上手に眠れば元気になれる・・・ オーダー枕とベッドの快眠ひろば

寝具の商品情報から正しい使い方まで。健康的に上手に眠る(科学的?)サイト。ふとん屋の爺の「寝言戯言独り言・趣味」の話。

朝食を作った。

2009-09-30 08:35:28 | 爺の趣味の世界

 朝食作りが趣味という訳ではない。

 今日は休みだ。久しぶりに、爺(私)が朝食を作った。

             

 ご飯は昨夜の残りを「チン」した。ヨーグルトに、缶詰の「みかん・もも・パイナップル」を入れたもの。具だくさんの味噌汁。そして、豆の煮物、以上だ。

 つまり、作ったと言えるのは「具だくさんの味噌汁」だけだ。

 今日の具は、豚の細切れ・生しいたけ・大根・人参・ネギ、そして茗荷もあった。具は全6種だ。味噌は赤だしで「だし」は既製品で一袋・・・半分でよいがいつも全量入れる。その代り、味噌はやや少なめにしているつもりだ。

 

 また、昔話ですみません。 子供たちが(中学?)高校生の頃まで、爺は形だけの「亭主関白」で、料理は作らなかった。娘(婆)は「お父さんは(あんたは)私たちが居ないと飢え死にするね」とよく言った。「お父さんの料理の腕前を知らんな?一度作ってやろうか?」といつも言う。「口ばっかり、ハイハイ、いつかお願いします。」と馬鹿にした口調で言われていた。

 ある時、作る機会があった。爺の作る朝食の味噌汁は学生時代から「豚汁」のように具だくさんであった。冷蔵庫にあるものを適当に入れるのが爺流味噌汁だ。豚肉(肉ならなんでも良かった、トリもあれば、牛もあった)の他には、しいたけ・なめこ・えのき・大根・人参・ネギ(時には玉ねぎ)豆腐・わかめ・あげ・里芋・ジャガイモなどなど、時にはキャベツやタケノコが入ることもあった。サツマイモはあまり好きではない。だから、味噌汁には絶対入れなかった。 嫌いという訳ではないが、納豆も入れなかった。(納豆という言葉は知っていたが、納豆を食べたのは大学生の時が初めてであった。つまり、納豆はご飯の上に乗せて食べるものと思っていたからだ。)

  婆と長女はごちゃごちゃ味噌汁が否らしい。次女は肉(脂身)が大嫌いだ。数回爺が朝食を作ったら「もう作らなくっていいよ」となった。もちろん、それからは娘も婆も「飢え死」という言葉は口にしなくなった。

 

 爺が初めて料理を作ったのは小学5年生も終わりの時だ。カレーライスだった。母親が店で忙しいと夕食は8時9時ということも偶にあった。名古屋に仕入れで出かけ帰りが遅くなる時は、弟たちもしぶしぶ爺のつくる晩御飯を食べていた。食えないよりマシだから。

 ある時、うどんを作った。つゆを作るに、みりんを入れようとしたら見つからず、母が日本酒で代用したのを思い出し入れた。母が帰って来たら、顔を赤らめた弟たちは「酔っ払った、酔っ払った」とふざけるように言い寄った。酒の量が多かったようだ。みんなで、大笑いした。

 カレーやうどんの他には、お好み焼き・白醤油にみりんを入れての「お吸い物」・茶碗蒸し(これは上手くいかなかった)も作った。近年は回鍋肉・麻婆豆腐・青椒肉絲・酢豚などは冷凍半製品があるので、作るのは簡単だ。7~8年前はよく作った(と言ってもそれぞれ2~3回ほどだが)。便利な世の中になった。食品の袋の裏の説明通りにつくれば、大方上手い料理ができる。

 かって料理は時間がかかるものだった。中学生の冬は、爺がご飯を炊く係りのようになったこともある。釜で炊いた。隣が木型工場であったから、木くずがいっぱいあった。当時爺は毎朝4時に起きて2時間勉強し、6時からお湯とご飯焚きをするのが日課であった。釜は右と左2個である。左でお湯を沸かし、右でご飯を炊くのだ。「はじめチョロチョロ中パッパ」というのも、その頃覚えた。飯炊き女ならぬ男になれるなぁと思った。

 小さな店ではあったが、両親は忙しかった。覚えようとした訳ではないが、失敗しながら自然に覚えた料理の腕前だ。自分で考え、自分で動く。そんな貧乏育ちだから今でもチャレンジ精神は少しだけ残っている。悲しいかな、体が言うことを聞かないだけだ。

 

  料理の腕前を披露したら逆に、一人で留守番の時とて、娘も婆も食材は買っておくが「賄い」は何もせず出かけるようになった。腕前を見せたことは失敗だったようだ。・・・・

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Watakeiの最高の宣伝マン

2009-09-29 15:23:06 | 敷きふとん

      

 (肩腰らくらく)オーダー快眠敷きを、3週間程前に納品ご使用中の奥様がいらっしゃいました。

 快眠ひろばを展開している金沢のおふとん屋さんを紹介して」と。「残念ながら石川県はまだ一軒もありません。どうしたんですか?」

 「綿桂さんであの(オーダー)敷きを作ってから、すごっく良く寝れるし、腰がすっごく楽なんだわ。金沢のおばあちゃん(お母さん)に奨めたら買いたいということになったの。」「北陸では福井に一軒だけあります。」と、福井のふとん屋(ネムネム)さんを紹介しましたが、・・・

 「えぇ・・・。それでも一時間半ぐらいかかるね・・・。あまり歩けなくなったから・・・。もう少し元気なら碧南まで来るといいんだが・・・。測定しなければいけないからね・・。」

 お母さんになんとか買ってあげたいという気持ちでいっぱいのようです。

 

 Watakeiオリジナルのダウンピロー

その少し前、長崎県雲仙市からお電話を頂きました

 「450gのダウンピローを送って下さい」

 詳しい住所などお聞きすると、ネットですでに2個(400g?)購入されていた方です。入院中のお父さんに、以前購入したダウンピローを使わせたら大変気に入られ「綿桂さんの枕、綿桂さんの枕、と寝言みたいに言うんです。」 そうおっしゃって、病院から電話下さったようです。

 非常にソフトなんです。でも、しっかりと反発力があります。実を言うと今回は「枕」として使用するのではなく、背当てクッションとして使われるようです。使い方は皆さんのご自由です。

 商品や使い方はいろいろであっても、使って気持ち良いと思って戴き、さらにそれらが、家族・友人へと広まっていく。枕にせよ、オーダー敷きにせよ、使って良かったと思って戴けた方が、実は「Watakeiの最高の宣伝マン」ですね。ありがとうございます。

 

   

 間もなく、昨年ダンクリニックをお買上戴いた方が、妹さんを連れてお越しになられます。商品があれば、その場で持ち帰りたいとお電話いただきました。尾張の国からです(碧南は三河の国)。

 

 そうです! Watakeiの宣伝マンが、今日も日本中で活躍しています。そしてその宣伝マンの期待を裏切らないように、毎日「良かったよ」という言葉を戴くためにも、頑張ります。

ありがとうございます。

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伊勢湾台風の思い出・・・商いの原点

2009-09-26 07:19:49 | 爺の寝言戯言独り言・・・昔話

 それは恐怖の夜でした。爺が小学4年生の時でした。

 爺が育った所は、名鉄碧南駅まで300m程の距離で、旧地名を「海老取」と言い、また、駅のある地名は「塩取場」だったと記憶している。そんなもともと海抜0m地帯といえるような地区であった。台風が来るたびに床下浸水を被っていた。それ以前にも大きな台風が来た時は、床上浸水も幾度となく経験していた。

 大型台風が来ると言うので、10坪にも満たない売り場ではあったが、爺の母は生地や商品をショウケースの上に積み上げた。また、奥が製綿工場であったので、200kg前後あったろう原綿や40kg程度のスカッチ綿などを少しでも高い位置にと、爺の父は移動させていた。畳もすべて上げた。

 当時の家は二階建てとはいえ、以前、地震で倒壊した経緯から、天井の低いとても大人が立って歩けるような代物ではなかった。屋根裏といったほうが正しいだろう。普段、そんな屋根裏部屋は一旦外にでるように、二階の物干し場を通って行き来していた。もう、外からは行けない。屋内からは窓(巾150㎝・高さ90㎝ぐらい)が一つ、唯一の出入り口だった。普段は製綿した綿の倉庫である。

 夕刻からすごい風雨であった。直に床下浸水となった。たぶん9時10時ごろからだろう。床上浸水のになった。思った以上に水の入る勢いが凄かったようだ。ショーケースの下段の商品はケースの上に置いたが、中段の商品もこのままでは水没しそうだった。さらに高い所へ商品を避難させなければならなかった。

 爺の父は、爺を肩車し、屋内から行ける唯一の窓からその屋根裏部屋に上がるように言った。父が投げる商品を二階で受け取るのだ。次から次と投げられる商品を必死に受け取った。家は倒れんばかりに揺れた。懐中電灯だけの明かりであった。その時の恐怖感は今でも鮮明に覚えている。(後日、母が流石にお兄ちゃんやと誉めてくれた。嬉しかった)

 綿ぼこりを抜く開閉できる1.8m角ほどの天窓もあった。強風で飛びそうだった。父はロープに摑まりながら、母から受け取ったロープでさらにしっかりと結わえていた。二階にいたはずの1年生の弟が、恐怖で母を求めて泣きながら降りてきた。すでに床上浸水。何度も床下浸水を経験しているから、床下を早く乾かすために床板が簡単に取れるようになっていた。弟は流れた床板のところで「ドボン!」。溺れた。

 父は母と僕らにもういいから、(唯一両親の新婚時代に増築した一間)二階に上がれと言った。

 翌朝見ると、綿入れ作業場は床上1m以上。売り場は1.5mは完全に水没していただろう。ショーケースの上の商品はショーケースごと浮き、倒れていた。当然商品は水の中。水没した商品を1週間ほど両親と従業員とで洗った。タダ同然で売った。当時はまだ、物の無い時代、許されたのだろう。

 

 実はこの伊勢湾台風は、綿桂に幸運をもたらしてくれた。多額の保険金が下りた訳ではない。金銭的には大被害だ。

 この後、市(県)から、被災者に配るふとんの発注があった。市(県)内の全ふとん屋にだ。予算は決められていた。その範囲内で納品することになった。爺の父はもちろん喜んで納品した。ただ、商売人ではなかった。大災害の後は往々に商品の相場は上がるものだ。次に仕入れる価格は当然高くなる。だが、過去に仕入れた値段に一定の利益を乗せただけだ。今(次回入荷)の価格でなく、過去(入荷済み)の価格で計算した。結果、綿桂のふとんが品質で一番良くなった。嘘だと思うが、ある被災者の方が市役所に行って「俺には綿桂の作ったふとんをくれ(欲しい)」と言ったとか。

 この話は母から数回聞いた。市内でも最も小さなふとん屋であったが、お陰でその後は商いも順調に発展し、二年後には工場を新築移転し、また、店舗も台風から8年後に新築できた。両親は戦後すぐ結婚したが、借地からのスタートであった。貧乏を絵にかいたようであった。祖母の葬式も借金をして出したと聞いている。そんな状態を伊勢湾台風は吹き飛ばしてくれたのかもしれない。

 石油ショックの時、ある石油販売会社の社長が「千歳一隅のチャンス」とばかりに(相場に従って)値上げをして一時的に儲けた。後日消費者や系列のガソリンスタンドの反発を買い、会社もおかしくなり退陣したニュースを見た。

 

 伊勢湾台風の事件は、我が家の「家訓」である。

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中心性頚椎損傷とオーダー枕

2009-09-23 08:20:10 | まくら

 中心性頚椎損傷

 初めて聞く病気(症状)でした。公園を散歩中に転倒され、打ちどころが悪く「中心性頚椎損傷」になられたそうです。手を付く事も出来ず顔面からバッタリと、砂場であったのですが、顔だけが縁石にもろに当たり、歯も折れ顔面血だらけに、それ以上に首が強く曲がって(骨折寸前?)しまったそうです。その直前まで、元気で働いてみえた方です。

 救急車で病院に運ばれましたが、その間全て鮮明に覚えていたそうです。自分では手を動かそう、足を動かそうとしても、全く命令が届かず、どうなっているんだと叫びたかったし、頭はクリアであったから凄い恐怖感が有ったそうです。

 医者からは、肢体は全く動かないので、寝たきりになると家族に説明があったそうです。でも、ご主人は懸命にリハビリされました。杖を突きながらも、自分の意思通りに手足を動かして、車から店内まで約50mを歩いてみえました。

 

 オーバーに申せば今回そんな重篤なお客様でした。周りで支えながら計測させて戴きました。

          

 このような方は、計測した通りに枕を作ると、全く合いません。ここは、1,300人程の計測をした経験から、爺の頭の中で若干修正して作りました。

 「おぉ!良いねェ」そう言われながらも、爺としては少し不満でした。説明をしながら不満な所を少し指摘させて戴くと、「あぁ・・ほんとだ。こちらの方がいいなぁ」。修正させて戴いて再度試し寝をして戴きました。

 ご本人は、納得されたようです。でも、もう少しさらに修正させて戴きました。「ん~ン、本当に良いねェ!これでOK!だよ。」 爺としても妥協せず、全神経を集中させてお作りしました。

 さらに、ベッドの話になり、ご主人に合った硬さのマットで、枕共々試し寝をしていただきました。日本ベッドのシルキーマットです。寝具を販売する者としては、枕と敷きは夫婦の関係とよく言います。残念ながら、枕と一緒に敷き(ベッド)ふとんを購入される方は少数です。でも今回、病気をして1年半、枕・敷き(ベッド)の硬さがぴったりしたと大変喜んで戴けたのは、爺としても嬉しいものです。一人ひとりに合った枕と敷き(ベッド)は快眠を云々・・・ではなく「幸せをもたらす」と(オーバーな表現ですが)言えますね。

 昔、こんなキャッチコピーがありました。「寝室(寝具)を大切にする奥さまは幸せです」

 

 枕と敷き(今回はベッド)とがぴったりその方にフィットすれば、そんな重篤な方でも喜んで戴けるんですね。爺としても喜びとやりがいのある接客でした。なお、奥さまも相当な「枕持ち」で「お店にあるより、私の方がたくさん有るわよ」と。もちろん奥様も測定し、ぴったりの枕を作らせて戴き、ベッド共々ペアでお買上戴きました。

 その場で、友達・知人に  されてました。「ベッド要らない?」と、今お使いのベッドの引き取り手を探して・・・(それほど古くはないので、このまま処分するのは・・・。)

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おくりびと・・・人は死んだらどこへ行く。

2009-09-22 06:53:52 | 心の世界・死後の世界・・・神社仏閣

 映画館で見たいと思いつつも、貧乏暇なしで、見る機会を失していた「おくりびと」が、TVで放映された。

 日本人の死生観が良く描かれた映画だと、感動しつつ見ました。

               

 「死」というものに対して、日本人はどうしても忌嫌うところがある。「死は汚らわしい」ものだというのは、イザナギ・イザナミの二神の話がその発端であると思う。

 夫婦である二神はとても仲が良かった。だが、イザナミは今流に言えば、産後の経過が悪く死んでしまった。イザナギは愛する妻イザナミに逢いたいと、黄泉国(よみのくに)まで逢いに行く。が、見てはいけないというイザナミとの約束を破って、明かりを点け見てしまった。そこには腐敗してウジにたかられ、見るもおぞましきイザナミの姿があった。醜態を見られ怒り狂ったイザナミを必死に振り切って、イザナギは、黄泉の国からこの世に帰った。 (よみがえるの語源だそうだ)。

 昔は、火葬(持統天皇が日本初と言われている)などという風習は無かった。あだしの(化野)の念仏寺は元々京都の人たちの風葬の地であった。また、平安時代末期には、鴨川の河原に死体を置き、火葬にする人も増えたが、骨になるのを待ったそうだ。戦乱の時・疫病が流行った時などは、その死臭は京都の町を覆ったと言われる。

 「払いたまえ、清めたまえと・・・」神道では祝詞を奏上するように、汚いものは水に流す・・・元に戻す的考えが日本人には染みついているようだ。ゴミは川に流せば終わりという考えには、日本人ならではの感覚が底流にあると言える。だからと言って下水口に煙草を隠すように捨てる行為、いわんや車からタバコを道に投げるなどの行為は決して許されるものではない。

 奈良平安の昔は、正式な僧侶は国家公務員の如くであった。満足な収入のない正式な僧侶に成れない者が、金を稼ぐ意味もあって葬儀の手伝いなどをした。それが葬式仏教の出発点ともいえる。

 そんな歴史的経過から、葬儀に立ち会う職業の者をさげすむようになってしまったようだ。

 

  爺も父と母をすでに送った。死は避けて通れない。葬送という行事は誰もが経験することではある。だが、喪主という立場上、火葬場での火入れのスイッチを押すという行為は躊躇した。手のひらを見ながら、一瞬ではあるが今もって指に力が入らなかったことを思い出す。

 一般家庭で人が死ぬ事は少なくなった。病院から葬儀場へ。余計に「片付け仕事」のように葬儀が行われる感がある。仕方ないことだろう。

 

  順番で行くと次は爺の葬儀となる。何年後かは判らない。数年前「千の風になって」という歌が流行った。葬儀などしなくて良いという人も増えているようだ。爺もそう思っている。だが、残った子供たちが社会的に許されるかどうかを考えた時、「葬儀は行え。但し最低の予算で。死後戒名も特別なものは全く要らん。」と言ってある。

 

  死することを楽しみにしようと思っている。だが難しい。死の直前恐怖感に襲われるかもしれない。

 綾小路きみまろ師匠は、言っている。

 「あの世(天国だったかも)はとってもいいところです。何故って?未だかってあの世から舞い戻った人は誰一人いないんです。きっと良い所なんでしょう。」

 恐怖感を募って、お布施を集めることばかりしている新興宗教より、また、訳の解らない説教をする坊さんよりも、すごい言葉だと思っている。・・・きみまろ教の信者第1号の誕生である。

 とはいえ、生きてる限り毎日を充実させたい。社会に役立ちたい。きれい事に聞こえ、虫唾が走るかもしれないが、家族みんなで、「良い寝具を商うことのできる今の自分」を幸せだと思う。

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タカラジェンヌがオーダー枕を・・・

2009-09-21 05:09:49 | まくら

 オーダー枕を作りに、173cmのメチャ綺麗なそしてプロポーションの良い女性がいらっしゃいました。

 コンサルティングシートを記入して戴き、コンピューターにデータを入力しました。その時、職業欄を拝見したら「俳優」とありました。住所は宝塚市とあり、「ひょっとして・・・?」と思い、一緒に来られた弟さんに聞きました。「お姉さん?タカラジェンヌ?」いともあっさり「そうだよ」。

 実は弟さんは、3年ほど前にオーダー枕を購入して戴いてました。調子が良いんで、「姉貴もどう」と勧めて戴き、今回弟さんたちと4人でご来店下さった訳です。彼女・お姉さんは、東京公演の帰り、休暇も兼ねて東海市の実家に立ち寄られたそうです。

 測定の時から「凄い装置ね」と感心されてましたが、さらに、試し寝をしたら「すごく良いわぁ!」と先ほど以上に感心されたようでハイテンションでおっしゃって戴きました。

 今回のように「ご縁」によって「快眠ひろば」が、家族の紹介・友達の紹介と、その輪が広がっていくことは実に嬉しいものです。

 

 

 さて、彼女の立ち振る舞いのスマートさ、また姿勢の良さに感心しながら、接客させて戴きました。その彼女の芸名は「春風弥里」(はるかぜ みさと) 宙組の男役の若手トップスターだそうです。そんな有名人が愛知県東海市出身で、弟さんがWatakeiのオーダー枕のファンであったとは2度びっくりでした。(写真は撮らせて戴きましたが、ブログに載せて良いかを聞きそびれてしまった。というわけで、証拠写真は許可が戴けるまでお預けです)

 お帰りの時、「宝塚 宙組をよろしく」とにっこり言われ、鼻の下をのばしたアホ面をした爺がそこに立ってました。 一刹那あと、我に帰った爺は、間抜け面を立て直し(?)「ありがとうございました。また、調節は無料ですから、いつでもどうぞ」と申し上げました。昨日はなんとなく嬉しい日となったことは言うまでもありません。

              

 タカラジェンヌという職業も結構ハードのようです。睡眠はそんな彼女らにとっては、本当に大切です。「清く、正しく、美しく」そのためにも良い睡眠は絶対です。頑張ってください。

 

 オッと!肝心なことをもう一つ。   

 弟さんが「枕が少し高くなったみたい・・・」と言われたんです。「太った?」とお聞きすると「うん、太った

 太るということは、体重が増えた分 体が重たくなって、体が埋もれます。だが、太っても痩せても頭の重さはそんなに変わらないんです。体が沈んだ分、相対的に高く感じるんですね。弟さんは「また、持ってくるから直して」と言って帰られました。「もちろん何時でもどうぞ!」と。

 ベッドや敷きふとんを換えたりすると、体の沈み具合が違ってきます。平均3㎏ほど体重に変化が起きると枕の高さに違和感を訴えられる方が出てきます。オーダー枕は何時でも無料調整です。

 体に合った最適寝具で  ください。

 

 

 ああ~・・ぐっすり寝たー!!

お医者様も使ってる「快眠ひろば」のオーダー枕

 

 

愛知県内でベッドをお探しなら、Watakeiまで! コイル系・ノンコイル系、比較試し寝ができます。

    ホームページはこちらです → 

 

    睡眠・早寝早起き - 健康ブログ村 

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上海視察旅行・・・おまけ

2009-09-17 22:01:41 | 心の世界・死後の世界・・・神社仏閣

 中国はまた、仏教の国でもある。日本にいろんな宗派があるが、そのほとんどは中国に原型があるようだ。仏教には数知れぬ経典がある。中国で創作された経典も多くある。「お施餓鬼」という風習は、盂蘭盆経からきているが、インドではなく、中国で書かれた御経らしい。ここで、仏教談義をするつもりはない。今回は工場視察が主たる目的であったから、ゆっくり仏教遺跡を観ることはできなかった。いつか第一線を退いたら、中国の仏教遺跡の旅もしてみたいものだ。最後に息抜きとして、観光地を訪れた。

 上海という都会は、日本で言うならば横浜のようにその歴史は新しい。アヘン戦争後に開港し、急速に発展した。

 それに対して、蘇州市は歴史の町である。駆け足で寒山寺拙攻園を見た。

     「天に天堂(極楽浄土)あり、地に蘇杭あり」

と言われるように、昔から風光明媚な土地であるようだ。北京から京杭大運河(中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河)によって蘇州・杭州までが結ばれたように、水の都と言える都市のようだ。ようだと言うのは、数時間の滞在では十分に解らなかったからだ。

  寒山寺前の運河  九賽溝などは別だが、水はどこへ行っても濁っているようだ

  寒山寺の本尊  釈迦如来と言われているが、阿弥陀如来ではないかと思った。禅宗のお寺では、釈迦如来が本尊となることが一般的だが・・・。また、寒山・拾得の二聖人のお寺だ。日本では除夜の鐘で有名らしい。(爺は知らなかった)

   有名な(この詩も知らなかった)漢詩の石碑。 同じこの漢詩の石碑が境内には多数あった。大きさも書家も異なるようだ。内容は以下のようだ。

 楓橋夜泊 (中唐の詩人張継の七言絶句)

      月落烏鳴霜満天   江楓漁火対愁眠    姑蘇城外寒山寺    夜半鐘声到客船

 科挙の試験に失敗した作者が、失意のうちに故郷に帰るべく客船に乗った時の詩らしい。

 

  「天に天堂(極楽浄土)あり、地に蘇杭あり」。その蘇州に来て拙攻園など名園を見ないわけにはいかないらしい。中国きっての名園だ。が、爺には良さが良く解らなかった。園内にある奇石に、どうやら価値があるようだ。水郷の街ゆえ、周りに山が無い。その為に、奇石をたくさん持つことは金持ちの印らしい。感覚の違いと言えばそれまでだが、爺としては栗林公園や兼六園の方が親しみが持てる。京都大徳寺塔頭 大仙院の庭の方が落ち着く。(やっぱり日本人かなぁ)

 最終日には、上海の豫園と周辺の豫園商城に立ち寄った。帰りの飛行機に間に合うように朝8時半開門と同時に入れるように行った。豫園と豫園商城とをわずか1時間半程度という駆け足観光となった。

   拙攻園と同じく奇石がごろごろといった感じだ

 豫園商城   珍しいのぞきからくり

 さながら、浅草の門前のようだと言った方があったが、その通りだ。

 

 視察の駆け足であったが、中国という国はやはりいろんな面で大きい。中国製ということをバカにしてはいけない。今回視察した工場は中国でもトップの工場だ。だが、レベルの低い工場も五万と有るらしい。中国製といえども、品質の確かなものをお客様に代わってしっかり吟味してお届けすることが、小売店であるWatakeiの使命でもある。

 改めて、(宣誓!)皆様に良い眠りを提供できるよう最大限努力します。 

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上海旅行(4)

2009-09-16 06:22:43 | 工場見学

 2日目 

 2つ目の視察工場は蘇州にありました。上海からおよそ1時間半のところです。6時起床、6時半から朝食、朝7時40分ロビー集合、45分バスは出発しました。

       

     工場敷地内            キルトマシーン(2人一組です)            仕上げ縫製現場

 

       

  1枚1枚縫い目をチェック      ハの字になった検針機。4台通過させます      食堂(1階)と寮

 

  印の方が社長さんです。40代後半の若い方です。

 工場見学先立って、社長さんと懇談しました。大学を卒業後日本でずっと働き、中国に戻ってキルト中心の現会社を設立されたそうです。

 経営方針をお話下さいました。(一部だけ紹介します)

 当工場で生産する商品は100%日本向けです。品質に対する厳しさは世界一と言えます。中国国内や欧州向けは甘いです。だが、それらと一緒に生産するといつの間にか管理が甘くなり、品質が落ちます。 また、金融決済の正確さも大事です。日本は確実に決済されます(確実に利益を取る)。

 「大胆にして細心。堅実な商い」をし、経営のなんたるかを知った方でしたね。私なんか未だに経営者としては未熟者だと反省させられました。

 身長は180cmほどあったでしょうか。がっちりした体格でした。学生時代はサッカーのゴールキーパーをされ、名の通った選手だったそうです。いわゆるベンチャー企業を立ち上げた訳です。私たちと懇談中も流暢な日本語でお答え頂きました。秘書らしき女性も本当に日本語が上手く、日本人以上に日本的おもてなしを受けました。当然、彼女は日本人?ここは日本の工場?そんな錯覚を覚えました。

  Watakeiも、もっともっと、「お客様を大切に」しなければならないと、反省の一日でもありました。

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上海旅行(3)

2009-09-15 05:38:18 | 工場見学

 西川リビングの協力工場を見学しました。

 

  

 作業現場を見学するにあたり、外部からの汚れを持ち込まないように、靴の上からビニールの袋を履き、帽子を被った参加者達です。

  検反機です。

 生地に汚れや織りキズなどが無いかを調べます。日本なら1台に1人ですが、中国では1台に2人ずつ4つの目で見ます。さらに生地の流れる速度は日本の約2/3とゆっくりです。

  裁断・縫製の現場。

 縫製だけでも50人前後の若い人達です。

 (↓部分が縫えて無い。解り易いように不良品デモにて)

 縫い上がった羽毛布団の側生地に空気のみを吹き込みます。縫い忘れなど縫製不良があるかどうかを、調べます 

  折れた針の管理BOOK

寝具にとっての最大の脅威は縫い針です。

 たくさんの縫い子さんがいます。当然針が折れることはあります。縫い子さんは折れた針を持って「針交換窓口」で交換して貰います。折れた針は全てBOOKに張り付けられ、作業現場にある針の総本数は、常時把握されてました。

 

 「中国製」とあれば、どことなく品質に心配なところがあるものです。だが、今回の視察で、「中国製」に対する認識も一部変えざるを得ませんでした。縫製現場は日本以上に厳しく管理されていると思われました。西川リビングの羽毛ふとんの一部はこんな厳しい縫製工場で縫われ、側の状態で日本に入り、日本で羽毛の吹き込みが行われるそうです。

 案内して戴いた中国スタッフに質問しました。「同じ人が朝から晩まで同じ作業では不満がでませんか?日によって、あるいは時間によって違う作業をした方が良いのでは?」「彼女たちは皆プロです。プロの自覚を持って仕事をしてます。縫製は縫製のプロです。検品は検品のプロが行います。」と。

  複雑な縫い工程も、手際よく作業していました

そう言えば、私たちを3日間案内してくれたバスの運転手さんもすごい「プロ」意識があったですね。お菓子をいかがと薦めても要らないと言ってました。左右のサイドミラーは1分間に20~30回は見ていたようです。首が盛んに左右前後に動いてました。あの、凄まじい上海の交通事情をみれば、一瞬の気の緩みも許されません。同じ運転手と言ってもバスの運転手さんは免許が難しいそうです。

  道路ではありません。工場の敷地内です。

   広くて、衛生的な、そしてプロ意識に溢れた工場見学でした。

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上海旅行(2)

2009-09-14 05:20:02 | 旅・・・海外ホテル事情

 上海のホテルは上海宝隆美爵酒店(Grand mercure baolong)でした。パンフレットには「豪華風格・豪華体験・豪華舒造」と書いてあった。(中国略字なので間違っているかも)

          見た目は豪華ですが・・・

 ★★★★★ということでしたが、私の評価としては★★以下ですね。

 

 理由は大きく「2つ」あります。

①部屋は快適では無かった。

 ベッドマットがメチャお粗末でした。

  側生地のたるみがはっきり解る

 コイルが手で触ってもはっきり解るほど詰め物がほとんど無い。鋼線の質が悪いのかメチャ硬くヘタリが出ていた。2日目の朝(1泊目)、目覚めた時には腰痛を覚えました。

 掛けふとん、ベッドパットはALL化繊綿&生地で、寝心地は悪い。ただし目に見える表面的には絹が多く使われていた。

 排水溝などの掃除がしっかり出来ていない。シャワーをして気付いたら、水があふれそうになり、慌ててシャワーを止めた。

 タオルが一人1枚しか付いていなかった。

 シャワートイレでは無かった。

 

②従業員教育ができていない。(日本のホテルに慣れているからそう思うのかも) 

 ホテルの玄関に着いた時、ホテルから誰一人荷物を取りに来なかった。気付かないなら未だしも、ボーイさんたちは見ていた。まるで他人事のように。フロントも「にこり」ともせず、お前らの来るようなホテルじゃないと言わんばかりな態度でした。

 4人で朝食バイキングをした。コーヒーを頼めば、3人は入れたが1人は忘れて行ってしまった。また、ソーサーに溢れるような入れ方。

 エレベーターに乗ったり、廊下ですれ違っても、社員誰一人挨拶も無い。また、客に道を譲る的行為は最後までなかった。

  繁華街に、ユニクロがあったので、ちょっと覗いた。店員の態度掛声などは日本と同じようであった。ということは、社員教育次第ということか・・・。

 

 中国というお国は、総じて食べ物は安いようだ。だが、建物は高いそうだ。一般労働者の給料は1,000元から1,500元(15,000円から22,500円)だが、普通のマンション価格は日本円で3,000万円から5,000万円。もちろん更に高価なマンションはある。

 建物などハード面が高級であれば良いということか、人件費が安いからか、日本人である私の感覚からは違和感がある。初めての中国だから尚更かも。

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上海視察(1)

2009-09-13 07:50:18 | 爺の寝言戯言独り言・・・旅/海外

 2泊3日の慌ただしくも充実した視察でした。

 自宅を出た時から、帰宅までの3日間のトータル歩数です。 飛行機・バスと乗ってる時間もかなりでしたが、よく歩きました。疲れました。普段が5,000から8,000歩/日です。最近では10,000歩を超える日はめったにありません。

 北京・天津・重慶そして上海は中央政府直轄市である。日々その街の姿は変化してます。・・・・・街中はいたる所で工事中でした。砂埃でまるでモヤがかかったようです。片道4車線の高速道路(自動車専用道路)も渋滞がひどい。

  割り込みは当たり前、車間距離など2~3mも空けたら即割込みです。車線変更も頻繁。事故が起きないのが不思議なくらいだ。上海市街地の昼間人口は、800万人とも1,000万人とも言われてます。絶対量が違います。東京の都市高も混みますが、さすが世界有数の都市上海ですね。

 これでもかと言わんばかりに、ビル(マンション)が乱立しているが、まだまだ不足しているのだろう。工事中の新しいマンションが、やはり目につく。来年の上海万博のスローガンもあちこちに掲げられ、道路工事も日本の比では無いですね。国体・制度が違うから、こんな街中でも道路がいとも簡単に作られるようです。(日本なら数十年はかかるでしょう)

  収容者数8万人の体育館と周辺。(車窓から)

  

  TV塔から、右へ目をやれば、奥に上海最高の森ビル(矢印下)   世界の金融センターとなってきた浦東新区

 

 こちらは上海一の繁華街からほんの少し離れた、古い町並みの地区です。家々は古いのですが、おしゃれなお店(レストラン・喫茶店)が並んでいます。原宿のように狭い路地ですが、おしゃれ感は青山といった感じです。

  

  両脇はおしゃれな高級レストラン・喫茶店            奥には広場があり、若い人たち・カップルでにぎわっていた

 エネルギッシュな街であり、国であることは間違いない。そこにはやはり「中華思想」が民族の中に綿々と流れている感がしました。

 工場見学とホテルチェックは続きとし、また、明日UPします。昨晩帰宅後は、疲れ果てました。

ブログを書こうとしましたが、寝てしまいました。

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枕と不眠・・・高齢者の不眠症

2009-09-10 00:42:05 | まくら

 「たけしの本当は怖い家庭の医学」  この番組を見ている方って、結構いらっしゃるんですね。(オーダー)枕を求めてご来店下さる方が、あの番組後増えました。

 接客中、試し寝をして戴き「寝返り」をお願いすると、何人かの方が、エジプトのファラオがごとくに、胸の前で両手を組んで横向きになられます。思わず吹き出しそうになりました。(お客様には大変失礼ですが、ぐっと我慢して・・・)

                                

 確かに測定する時は、手を肩に掛けて戴きます。 それは、横寝をする時に必要な肩巾を求めるためです。決して寝返りがし易いように、手をクロスしている訳ではありません。両手をクロスして寝る方はいません。 (と、思いますが・・・)   測定する意味やポイントを理解下さるお客様が多くなり、測定もさらにスムーズに行くようになりました。

 

  さて高齢者の不眠と枕の話です

 刈谷市からの78歳のお母様の話です。

  子供の頃(70年前?)に、母親が作った「そばの実」の枕が欲しいと来られました。そば殻では無く「そばの実」だそうです。ふとん屋を40数年やってますが、お恥ずかしいことながら、「そばの実」の枕は初耳でした。

 なにぶんスゴイ不眠症だと、ご本人は言われます。

 「枕は何十個とある。ふとん屋より沢山持っている。温熱の敷きふとんも持っている。冬だけ使っているけど寝られんのだ(意味のない間違った使い方をしてみえる)。九時十時に床に入るが、二時三時まで眠れん時もある。(入)眠剤を医者からもらってるが、どうしても寝れん時に(眠剤を)飲むことにしている。時には十一時ごろ眠れることもあるが、二時三時時ぐらいには目が覚めてしまう。もうそれからは寝れん!」と、 「昼寝はしますか?」「仕事・趣味は?」など、所々で質問しますが、およそ30分間独演会に近い状態でした。

 持病(ぜんそく・脳梗塞・高血圧など)についても、いろいろと細に入り聞きました。入眠障害・中途覚醒・早朝覚醒と、どうやら典型的な(老人性の)不眠症のようです。(医者ではありませんから診断はできませんが・・・)

 「ぞばの実の枕は無い」と何度申し上げても、諦めて帰られるのかと思いきや、枕のことをいろいろとお聞きになられるのです。

 「測定させて戴かないと、どんな枕がよいか、どんな敷き(ベッド)が良いかは分からりません。」

 「パイプの枕は嫌いだ。そばの実の枕が欲しい」 「ですから、当店にはありませんから、信州に旅行してお求めください」  「ふにゃっとした柔らかい枕も買った。首が暑くて寝とれん」 「宇宙船のように、温度湿度が一定のところで寝るから良いんです。地上は季節があります。ましてや、高温多湿の日本の気候には合わないですよ」 「ふ~ン」  「竹の炭が入った枕も持っているけど、そばの実の枕はどこへ行けば有るかね」 「・・・・・

 そんなやりとり(?)をして、結局オーダー枕を作ることになりました。中材のパイプを決めるまで、さらに30~40分、やっとこ、試し寝にたどりつくまでに、小1時間です。 

 

 とどのつまりが、昔を思い出して「そばの実」の枕で寝ると、若いころのように熟睡できると思い、「そばの実」の枕が欲しくなったという訳です。

 残念ながら、高齢になると若い時のようには寝られません。眠りの質が変わってくるからです。ノンレム睡眠、特に徐波睡眠(深い眠り)が減って来ます。それに加えて、このお母さんの場合、入眠障害と早朝覚醒が高頻度に見られるようです。

 不眠の原因はと言えば、一言では言い表せないのですが、①毎日の生活リズムが不規則である ②何事にも、興味が薄れる ③体型の変化。 意外と体重の低下(つまり痩せること)など、また、いびきや呼吸停止が、不眠の原因になり易いようです。 

 枕を変えたからと、不眠が必ず解消できるものではありません。でも、いびきは枕の高さが最適化されるだけでも軽減されることは多々あります。

 このお母さんの場合、昼寝はしない。ところが処方された薬を、毎日飲んでいないために、入眠時間がバラついてしまいます。従って、日々の生活リズムが規則正しく刻まれていないことが、不眠の最大の理由のように思われます。

 逆説性不眠症も考えられます。「寝なければ、寝なければ」と、いわゆる「考えすぎ、思いこみ過ぎ」が、自分にプレッシャーをかけてしまい、結果不眠に落ち込んでいくことになります。

 どの枕も、私の頑固な不眠の前では同じだ、と言わんばかりです。

 「試し寝されましたが、如何ですか? 無理に買う必要はありません。考えて来てもらってイイですよ。」と言うと、 「いや、買う」と。

 

 12時少し前に来店され、お帰りになられたのは2時半過ぎでした。付いてきたお嫁さんも「お疲れ様でした」・・・。 私も腹がへりました。3時に約束のお客様がありましたので、昼食に有り付いたのは4時近くでした。

           

  今日から、上海へ行ってきます。  主に、上海近郊の西川の(協力)工場を2か所見学してきます。

 世界は中国を無視できません。  これからの世界経済は中国の動向によっては、また、嵐が吹き荒れるかもしれません。リーマンショックの比でないほどの嵐が・・・。

 上海万博ももうすぐです。中国4000年の歴史と13億余の民の国「中国」の一端をこの目で見てきます。「百聞は一見にしかず」

 

 

 ああ~・・ぐっすり寝たー!

 お医者様も使ってる「快眠ひろば」のオーダー枕

枕の調整会 開催中! ちょっとでも違和感があったら、気軽に調整しに来て下さい。

 

愛知県内でベッドをお探しなら、Watakeiまで! 

ベッドパッドはこちらから・・・ 

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睡眠学教育講座を受講(2)

2009-09-07 05:38:01 | 爺の趣味の世界

 8月の1日・2日に引き続き、9月5日・6日と滋賀医科大の睡眠学教育講座(上級)を受講してきました。試験を受け合格すれば「睡眠指導士(上級)」という資格が戴けます。

 初級・中級を飛ばし、いきなり上級挑戦はやはり無謀でした。 

 

 睡眠に関する科学的・医学的研究は、ここ数年で飛躍的に変わっているようです。

 滋賀医科大学睡眠学講座は、睡眠医療と関連領域の研究、教育を目的とした日本で初めての講座として、2004年4月1日に開設されました。(滋賀医大睡眠学講座HPより)

 そもそも、医学部で「睡眠学」講座が開かれるようになったのは、まだ最近の話のようです。だから、

 今現在の、日本の睡眠学の最先端の話を聞くことができた訳です。

 

 京大院の教授の講義では、映し出されるスライドは、医学論文からの引用が多く、横文字ばかりでチンプンカンプンでした。

 今講座の講師の先生方も日本を代表する睡眠関係のトップランナーばかりでした。受講した方は、医師・看護師・臨床検査技師・薬剤師などの医療関係者などが中心でした。

 一緒に受講した中に、8月の主幹宮崎教授のプライベートなパーティーで知り合った京大大学院医学研究科・博士課程で、遺伝子研究をしている彼がいました。その彼と昼食を共しました。その時、なぜこの講座を受講したのか聞くと「睡眠に関する遺伝子の研究をしてますが、睡眠の話をまとめて聞くことは、今まで無かった。体系的に勉強になりました」と言われた。

 負け惜しみで言う訳ではないが、そんな優秀な研究者と机を並べることができたのはいい経験でした。

 

 ふとん屋での日本初の「上級睡眠指導士」第1号は、難しいかも・・・。

 一応10月中下旬に合否の判定が来ます。0.00000000000000000000000001%の期待を持ちつつ待ちます。

 試験は1時間、問題は50問です。常識的な前半の問題をみて「思ったより簡単!楽勝か」と思いました。ところがどっこい、主に医学的専門部分の後半になると「手も足も出ません」。と言う訳で、半分は自信を持って解答しましたが、半分は自信ありません。だから0が25個並びました。

 合格は60点以上とか、一問2点で同一配点ならば、主に4択問題ですから、確率論で言うと、50点/4=12.5点となり、それを加算すれば、62.5点となります。。ひょっとしたら「合格」です。でも当てずっぽうだから、すべて外れることもあります。その時は50点以下も考えられます。

 「捕らぬ狸の皮算用」。2日も店を空けると、仕事が溜まります。今週後半は中国行きが待ってます。

 さあ、気持ちを切り替えて仕事しましょう。土日に不在であったため、店はお陰で忙しかったようです。枕の測定では、少しお待ちいただいた方もあったとか。ありがとうございました。

 後は「奇跡が起き、合格しますように!」と祈ります。(こんなときだけ神頼み?

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画家の思いとお客の思い

2009-09-04 23:30:00 | 爺の寝言戯言独り言

 高校時代の同級生(井上四雄君)の案内で、愛知県美術館に「形象派展」を見に行った。力作に溢れた会場には、若い方から年配者まで愛好家たちが熱心に観ていた。

 婆と二人で行った。絵画などは好きで、先々週も京都・大阪のルーブル展へ行ったことはすでに書いた。行く理由は、もちろん名画を見ることが主であるが、別の理由が爺婆にはある。

 リビングと寝室に飾る「絵」が欲しいのだ

 この春から、デパート・美術館(複製画になる)の絵画売り場なども何度も覗いてはいる。が、コレ!っという絵にお目にかかれない。絵が気に入らない訳ではない。爺婆のリビングと寝室に似合う絵に遭遇してないのだ。

 絵の役割は時代と共に変化していると思う。今の絵画の目的は何だろう。文字の読めない人に聖書の内容を知らしめるための宗教画であったり、また、写真の無い時代は、それは事実を伝えたり、王侯貴族の威厳を示すための肖像画であったりしている。当然写実的である。

 ところが写真が発明されると、写実の部分は必要度が極めて小さくなった。風景画であったり静物画であったり、写実が必要なのは一部の絵画にのみとなった。 早春、美術大生の卒業制作展を見ると、前衛的なもの抽象的なものが実に多い。また、大作が多い。絵を絵として観れば、素晴らしい作品が実に多い。だが、爺婆のリビングや寝室に飾る作品が無いのだ。

 美術の世界にマーケティング的視点を取り入れるなどとは邪道と言われるかもしれない。だが、爺婆が探している一般家庭の「リビングや寝室」に飾ることのできる絵画が、もっとたくさん出てきても良い筈だ。4号程度から精々20号程度までで、トイレなら1号・2号でも、良いだろう。フェルメールの作品「レースを編む女」は、実に小さなかわいらしい絵だ。

 場所・季節によっては前衛的でも構わない。だが、色彩的に暗い絵は好まれないと思う。巧い絵に越したことはないが、「ほっとする絵」が欲しい。メルヘンな絵=ほっとする絵ではない。日本画の雰囲気や水墨画を連想させるようなそれでいて黒でない絵などあったら、それらは現在の(和モダンの)家屋に合うのではないかと思う。

 画家としては、大作に挑戦したいのは解る。だが、それらが前衛作品であったり抽象画であったりするのは構わないが、部屋に飾れる大きさで「ほっと」する絵であったりして欲しいものだ。

 絵を描く人には、それなりの絵があり、絵を見る人にはそれなりの理由がある。

 絵を描いて、収入を得るためには、人気の出る絵を描かねばならない。芸術として鑑賞しようとする絵であろうとするならば、描く人の思いだけで描けば良い。生活の中に、大衆の中に、絵を広めんとするような、そんな会派が生まれても良いのではなかろうか。

                      

 明日(5日)と明後日は、滋賀医大の睡眠学講座の後半戦だ。勉強しょう!

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たけしの本当は怖い家庭の医学

2009-09-02 06:53:44 | まくら

 昨夜、「たけしの本当は怖い家庭の医学」なる番組を見ました。

 株)山田朱織枕研究所の山田朱織女史(整形医)の枕についての話がありました。解説のお話(寝返りのし易い枕とは)は解り易い良い説明であったと思います。

 

 でも、ふとん屋の爺としては、少しばかり疑問(反論)がうまれました。

 ①仰向け寝と横向き寝の時の枕の高さが同じという前提・・・・・男性の場合肩幅は12~17㎝ぐらいあります。女性でも10~15㎝ぐらいあります。一方、立ち姿勢と寝姿勢では若干の違いはありますが、写真のお客様の仰向け時の高さは数センチです。彼女の身長は162㎝ぐらいです。

    

横向き時と仰向け時とでは、枕の高さに違いが出るのは当然だと思います。先生はその点をどうクリアされてるんでしょうか?

 

 ②敷き寝具の種類(固さ)を考慮せずに、枕の高さを決めるという前提・・・・・横寝をした時肩の部分の沈み込によって、高さは変わると思います。

  体重によっても沈み込む程度は違うハズです。硬いマットを好む方、柔らかいマットを好む方、また、体重が80㎏ある男性と40㎏の女性とではおのずと沈み込みが違ってきます。 そして、頭の形によるフィット感など、人それぞれです。

 本当に「枕道」は奥が深いです。

 

 山田朱織枕研究所のHPを見ました。

その中に、書かれてました。  当所の計測台にてジャストサイズで作成させていただきますが、ご自宅とは枕を取り巻く環境が異なる為に、お届けした枕が合わず、何らかのメンテナンスが必要な場合もございます。  と・・・1+1=2と言うように簡単には行かないようですね。

 ご計測料4,200円+枕代金18,900円=23,100円・・・・・結構高価ですね。快眠ひろばの「オーダー枕」は測定料込(無料)で、15,750円。しかもメンテナンス料も無料です。安すぎますね。

 

 全国にある「快眠ひろば」のお店から、あなたのお近くのお店を探して下さい。そして、気軽に測定にお越しください。

 もちろん、Watakeiにもどんどん来て下さい。1時間(未満)ほどで、出来上ります。そして、試し寝をしてから「買う・買わない」を決めてください。たとえお買い上げがなくても測定は無料です。間もなく、全国の愛用者が25,000人を超えます。あなたも是非ご愛用者の仲間入りをしませんか。

 

 

 

 

 

 

 ああ~・・ぐっすり寝たー!

 

 お医者様も使ってる「快眠ひろば」のオーダー枕

 

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