上手に眠れば元気になれる・・・ オーダー枕とベッドの快眠ひろば

寝具の商品情報から正しい使い方まで。健康的に上手に眠る(科学的?)サイト。ふとん屋の爺の「寝言戯言独り言・趣味」の話。

丹後という国

2014-06-24 00:09:02 | 心の世界・死後の世界・・・神社仏閣

 京都府は山城・丹波(一部?は大阪府や兵庫県)・丹後の三ヵ国で成り立っている。丹後から連想できるのは、丹後ちりめんと天橋立ぐらいだった。丹後の国はそれまであまり興味がなかったが、今回旅してみて神話的にも歴史的にも結構面白いところでした。

 宿で仲居さんからお話を聞いた中で、最も興味が湧いたのは「元伊勢」という「地」(呼び方)であった。元伊勢が丹後には二か所ある。天橋立の籠神社と酒呑童子の大江山にある。丹後は京都府、若さは福井県。ところが丹後と若狭はお隣であり、海上交通で往来すれば、山向こうの丹波より極めて近いと思われる。丹後と若狭は神が常に宿る地ともいわれる。写真からは消えているが、右手の山を越えたところが舞鶴であり、その先は三方五湖へと続く。福井と京都と別れているが、古代人の感覚では、丹後と若狭は一体のように思える。

 以前、伊勢神宮は何故伊勢なのか。継体天皇の出身といわれる若狭ではいけなかったのか・・・と書いたことがあった。

 天橋立というのは丹後国風土記では、イザナギの命が天に通うために作った梯子であり、「天の橋立」といったが、命が寝ている間に倒れて現在の姿になったとされている。

 確かに自然が作った景色だが、「神」を感じるような景色だ。この日は曇り空、空と海との境が分かりにくい。見様によっては「天に続く道」に見える。古代人の発想は面白い。逆さに見ると、確かに天に通ずる梯子にみえる・・・。

 

 これからいうことも全くの爺の戯言である、

 伊勢に神宮が造営されたのは、第21代雄略天皇の時代に天照大御神の神託によって丹後から遷座したとされている。26代継体天皇は若狭出身と言われている。ところで、継体帝はどのように大和に入ったのだろう。若狭から琵琶湖そして山城・大和の国へのルートではなく、若狭から丹後丹波そして摂津大和へと入ったのかも、ひょっとしたら丹後丹波から播磨そして淡路島へ、その後大和に入ったのかもしれない。神話で初めて生まれた島が淡路島というのも、何やら意味深なところだ。

 古事記(奈良時代712年(和銅5年)・日本書紀(奈良時代養老4年(720年)・風土記(奈良時代)はすべて奈良時代の作である。天武天皇・持統天皇の意向でもって後の作であるから、解釈も読み手の勝手でも良いような気がする。

 大海人皇子(後の天武天皇40代)が壬申の乱での勝利は、伊勢・尾張の豪族の力があったからだと爺は思っている。梅原猛氏の書のなかに、確か尾張の海部と丹後の海部氏とはつながりがあると書かれていたような気がする。また古代、熱田神宮の目の前は海だったハズだ。さらに尾張は物部の流れを汲むとも言われる。大化の改新は蘇我氏から物部へと力関係のバランスを図ったのかもしれない。だが、単純に揺り戻しでは駄目であるから、新興勢力として中臣(藤原)家が要ったのだろうか。

 元伊勢には、もともと伊勢神宮の原型があったのだろう。継体帝が若狭から丹後、天橋立に至り、ついに大和に入り即位したとすれば、天橋立付近に神宮があってもおかしくはない。

 大海人皇子は、天照大神に壬申の乱の勝利祈願をした時、勝利の暁には大きな社を伊勢の地に建てると約束したという話もあるそうだが、時系列的に見れば、全くつじつまが合わない。つまり、壬申の乱の論功によって、今の伊勢神宮ができたとすれば、面白いかも知れないが、空想もいい加減にせよと言われるだろう。

 以上の話は、完全な爺の作り事である。そして、古代天皇家の系譜を見ると、26代継体天皇は、それまでの天皇とは少し違うような気がする。今上天皇から見れば、竹田 恒泰氏より関係が薄いと言えるかもしれない。そんな継体帝の皇位継承は、正当なものだったんだろうか。歴史を楽しむには、勝手な空想も許してもらえるのでは・・・・。

 

 

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天橋立へ行ってきました。

2014-06-21 07:28:13 | 爺の寝言戯言独り言・・・旅

 言わずと知れた「日本三景」のひとつ、「天橋立」に行ってきました。これで「松島」「宮島」「天橋立」とすべてを観ることができました。

 お世話になったお宿は「玄妙庵」で、「活畫」というお部屋に連泊させて戴きました。ロビー・お部屋から、さらに展望風呂からの眺め・・・、すべて最高でした。料理も最高!そして、仲居さんがまた素晴らしい方で、地元ならではのお話も聞かせて戴き、いつもと違う時間が過ごせました。

 到着してすぐにロビーからの眺めに、何故か感動と達成感と、次(日本四景)が無いという一抹の寂しさが一瞬よぎりました。

 ロビーからの眺めです。

 部屋からの眺めです。

 中一日、のんびりと散歩。天橋立をゆっくり歩いて渡り、対岸の元伊勢神宮と言われる籠神社へ(3km余)。その後は眞名井神社へ、爺婆共に膝が痛く、普通1時間ほどのところをゆっくりとのんびり1時間半以上かけて歩きました。

眞名井神社

朝は10時前に宿を出て、ケーブルカーで笠松公園に上り、宮津市の市街地を眺め(?)ながら昼食(13時頃)しました。

対岸の笠松公園からの眺め  宿泊した宿。山の中腹にあります。ふだんなら、500m以上歩く事の無い婆が、よく歩けたと自分を褒めてました。

 元伊勢神宮・籠神社(このじんじゃ)

 伊根の舟屋を見ようと、元伊勢神社前から路線バスで港へ(約30分)。運転手と地元の若者が一人、ほぼ遊覧船の発着場まで二人はおしゃべり・・・。市の診療所を経由。バスが着いてから看護師さんがお年寄りを案内。私たちが伊根の遊覧船に乗りたいと知らせていたので、バスの運転手さんは「船の時間があるで早くしてや」と。看護師さんは「もう、会計が終わるで・・・。」 その間に「お客さんがいるで、ちょっと待ってや」 無線で船着場に連絡してました。日本の公共交通機関とは思えない、おおらかなのんびりしたバスの旅でした。 

 

伊根湾を取り囲むように、舟屋がひしめくように建ってます。大型化した船は舟屋に入れず、所々で外に係留されてました。時代の流れといったところですね。十数羽のカモメが遊覧船と一緒に飛び回ってます。

帰りは元伊勢神宮の籠神社まで、再び路線バス。天橋立を歩いて帰る元気はありません。船で朝の出発地まで。宿に電話をして迎えに来て戴き、のんびり楽しい一日が終わりました。

歩き徹せるかと心配しました。でも終日曇り空、途中雨がぱらつきましたが、かえって涼しく歩くことができ、お陰で夜は二人とも爆睡でした。

 

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ベトナムから伝わった雅楽

2014-06-15 12:48:37 | 爺の寝言戯言独り言・・・旅/海外

 W杯 日本-コートジボアール戦がはじまりました。前半1-0で優勢です。今日は暇な一日になるかな?後半戦が始まりました。主婦の皆さんはサッカーより洗濯?試合中ですが、リフォームの依頼の電話が3本入りました。試合が終わったら忙しくなるかな???

 

 ベトナム旅行から帰ってからすでに二か月以上にならんとしています。ゆっくり旅の思い出を・・・、そんな時間もなく日々仕事に追われています。一週間も休めば、やはり仕事に追われる。分かって旅したつもりですが・・・。

 旅の写真を見直していると、「これは?」という写真がありました。

 ちょうどミーソン遺跡を訪れた時、日本の雅楽が演舞される場面に遭遇しました。何故、雅楽が演じられるのかその理由はその時全く分かりませんでした。

 でも、なんとなく引っかかるものがあり、ネットで検索してみました。それは、とても貴重な幸運な時間を戴いたことが分かりました。

以下、毎日新聞の記事です。

雅楽:ベトナム里帰り 奈良へ伝承の「林邑楽」公演 南都楽所、あすフエで /奈良

毎日新聞 2014年04月12日 地方版

 雅楽の保存・伝承活動をしている南都楽所(がくそ)(会長、花山院弘匡・春日大社宮司)は、ベトナムから奈良へ伝えられ、東大寺(奈良市)の大仏開眼供養会(752年)で奉納された雅楽「林邑楽(りんゆうがく)」の里帰り公演に取り組む。春日大社で6日、出発前の最後の稽古(けいこ)や楽器、装束の荷造りがあった。

 花山院会長や笠置侃一楽頭(86)ら一行22人が、12日に奈良市を出発する。13日にフエ市内のベトナム宮廷芸術劇場で管弦「迦陵頻急(かりょうぴんのきゅう)」や舞楽「胡飲酒(こんじゅ)」など4曲を披露する。

 また、フエ芸術大ではワークショップを開催。渡来したベトナム僧・仏哲ゆかりの旧チャンパ王国ミーソン遺跡(ダナン市)や、ASEAN文化芸術担当大臣会議文化芸術担当政府高官会合に合わせて開かれる芸術祭でも演奏する。

 笠置楽頭は「昨年9月に横浜能楽堂でベトナムの方々の演奏を拝見したが、我々とは随分違うものになっていた。大仏開眼から、一生懸命伝えてきた成果を披露させていただきたい」と話した。【松本博子】

 
 ベトナムという国はインドシナ三国と、ひとくくりに言われるが、歴史を聞けば隣国ラオス・カンボジアとは違うところが多い。調べると意外に日本と似る点も多い。
 
 雅楽は中国から伝わったものだが、仏教も中国から伝わったようだ。ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジアに伝わった仏教は上座部仏教(小乗仏教)だが、ベトナムの仏教は日本と同じく中国から伝わった大乗仏教だと聞く。
 
 同様に、雅楽も中国から伝わり発展したようだ。ベトナム雅楽の中からから日本に伝わった「林邑楽(りんゆうがく)」というのが有ったとは思いもよらぬところでした。その林邑楽はベトナムのチャンパ王国(192年 - 1832年)からベトナム僧・仏哲が伝え、時、東大寺(奈良市)の大仏開眼供養会(752年)で奉納された雅楽という事で、8世紀には伝わったと言う事です。
 
 そのベトナム雅楽が(盛んに)演じられていたチャンパ王国の中心・ミーソン遺跡で、約1250年余前に日本に伝えられた雅楽が2014年4月15日に里帰りした訳だが、その雅楽を鑑賞できるとは、奇跡のようにも思えるが、その価値観は爺には十分分からない。 そもそも、日本の雅楽自体を生で鑑賞したのは今回が初めてである。
 
 ベトナム僧・仏哲が故郷をでて日本にたどり着くまで何年もの時間を要したが、今ではハノイまで5時間弱、ハノイ~フエ間も飛行機で1時間ほど、さらにバスで1~2時間ほどでミーソン遺跡に着く。合計でも、8~9時間で着いてしまう。
 
 ベトナム中部は歴史があって、勉強していけばもっとおもしろかっただろう。遅ればせながら、写真を観返しながら、今ベトナムの旅を楽しんでいる。
 
 

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快眠ベッドのお届け車に店名とイラストが入りました。

2014-06-11 23:35:49 | ベッド&ベッドマット

 3月末、つまり消費税UP前ギリで、BED配送車がやってきました。ハイエースです。それまでは、ライトエースで配送してましたが、ダブルサイズを積み込むのが「やっと」でした。バックドアの開閉部分が大きくなり、少しですが積み込みは楽になりました。クイーンサイズも工夫して何とか乗せられそうです。

 今日、看板屋さんに依頼していた店名とイラストとが張り込められました。

 可愛い(?)イラストが張られてます。この車で、64歳の爺が朝晩通勤に使います。正直「恥ずかしい」です。

 

当初はこんな予定でしたが、若い者や孫たちの意見を聞いてみたら、ダサいと一蹴。

まあ、目立つことは良いことと、観念しました。これでBEDの配達をどんどんします! 老骨に鞭打って・・・。

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枕の高さと天使のオーバーレイとの関係

2014-06-09 07:56:18 | まくら

 天使のオーバーレイと枕との関係?

 2週間ほど前に、天使のオーバーレイを購入下さった女性が、今日さらにオーダー枕をとご来店下さいました。当初BEDマットを買い替えしたいと来店戴きましたが、残念ながら予算オーバーです。彼女の予算は5万円まで。日本ベッドのシルキーは13万円なので、もう少し我慢することになりました。

 でも、今のBEDマットは硬過ぎるようです。お話しを伺いながら、「天使のオーバーレイ」をお薦めしました。接触冷感が0.22とこれからの夏にも快適と、また、吸湿発散性がとても優れているので、ウレタン特有の背中の蒸れ感がほとんど無い事などをご説明しつつ、もちろん体験戴き納得戴きました。即購入お持ち帰り戴きました。

 その時オーダー枕も共に試し寝戴き、日に日に枕への思いが強くなり、恋に落ちるように(笑)オーダー枕が欲しくなったそうです。天使のオーバーレイだけでも快適ですが、さらにあの(オーダー)枕が、頭から離れず、お仕事がお休みの日、来店戴いた訳です。

 天使のオーバーレイを敷き、その上で調整をしました。「あぁ~、このまま寝ちゃいそう・・・。」と感激の言葉を戴きました。天使のオーバーレイがソフトな分、枕はより低めがお薦めです。測定値より、ほんの僅かですが低くしました。ドンピシャリ。

 これで、今夜から更に快眠間違い無しと言ったところです。

 もうひと方は、十日ほど前からのメールでの相談を受けていた東京のお客様です。もちろん来店は叶いません。その方、手術をされて、まだ数ケ月程度の方のようです。寝返りをする度に、傷口が痛み、目が覚めるそうです。ソフトなオーバーレイを購入したいとメールで相談戴きました。天使のオーバーレイを敷くことによって、痛みが軽減されると考えられました。

 ところが、メールの内容で爺が少し気になるところが2点有りました。一つは腰痛が有るそうです。二つ目の問題点として、どうやら枕の高さが有っていないようです。術後、枕を低くされたようです。仰臥時の高さは良かったのですが、側臥時の高さが低すぎたようです。お電話をしつつ、まずは、枕を再度見直して戴くことにしました。

 数日後、枕を少し変えたら、以前より寝られるようになったと言われました。そこで改めて天使のオーバーレイを購入戴きました。腰痛が有ると言うことでしたから、腰の部分にサポートパッドを一緒に使って戴くことにしました。

 メールで感想をおよせ戴きました。

 ・・・・・娘がバタバタと朝食を作る音で目が覚め、うるさいと思い時計を見たら
8時過ぎていたからビックリ。

(サポート)バーを入れた今朝までの間も前日同様夜中に起きる事無く熟睡出来ました。

いつも0時過ぎに寝ると決まって2時過ぎに起きていたので、
深い眠りが終わって寝返りを打つ瞬間に身体がマットと合わずに
痛みを感じて起きてしまっていたのかも知れません。

いずれにせよ、お陰様で快適な睡眠を送れるようになり綿桂さんには本当に感謝です。

 快適な睡眠環境は人によっていろいろです。特に敷き寝具と枕との関係は「夫唱婦随」だと、いままでも言ってました。枕を替えただけで問題が解決される方もいます。敷きを替えて良くなる方もいます。

 だが、多くの方は複合的に、敷きと枕とのバランスが崩れているようです。

 昨日は他にも、エアーウィーブも買った、トゥルースリーパーも使ったが、すっきりしない。枕が悪いかもしれないと来店戴いた方がお二人見えました。いずれのオーバーレイ的商品も単体で見れば、良い点がいっぱいあります。でも、合わなかった。

 敷きと枕とのバランスが、あなたの快眠を支えるのです【上手に眠れば元気になれる】です。

 実店舗にお越し戴き測定をするのが一番ですが、遠方の方はメール・電話でのご相談も承ります。ご相談はお気軽に。

 

 

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秋?初夏?・・・麦秋です。

2014-06-02 01:51:37 | 爺の寝言戯言独り言

 5月31日は決算日。弊社もお陰さまで、好決算のうちに終えることができました(たぶん)。といっても、消費税UP前の駆け込み需要のお陰・・・。さて今期はどうなるでしょう。老骨に鞭打って頑張ります。

 6月1日。店頭は若いもんが頑張ってます。ベッドの予約を4台戴いたようです。爺は配達係といったところ。安城へは日本ベッドのシルキーを、刈谷には Watakeiオリジナルのブレスエア入り羊毛敷き を配達に行ってきました。ふだんは、奥の事務所で仕事してます。爺の接客をご希望の方は、是非ご指名下さい。

 さて、配達の途中田畑を見渡せば、そこは初夏と秋とが同居しています。???

 手前は田植えが終わったところの田んぼ。そして、奥は刈入れ直前の麦畑。 今の時期を「麦秋」と言います。

 麦秋(ばくしゅう)とは、麦の穂が実り、収穫期を迎えた初夏の頃の季節のこと。・・・そう書かれています。本来、稲の収穫は「秋」。一方、麦の収穫時期であるこの季節をあえて収穫の「秋」になぞらえて「麦秋」と名づけられたそうです。四季のある日本ならではの季節表現ですね。

 そういえば、ベトナムでは二期作。田植えの行われている田んぼの横で、刈入れが行われていました。主食でもある米粉でできた「きしめん風のフォー」は、北部(ハノイ)・中部(フエ・ダナン・ホイアン)・南部(ホーチミン)で味が違いましたね。いずれのフォーも美味しかった。 

 この頃の楽しみは、婆と出かける「旅」。6月はどこへ行けるかな。元気に働いて、いい夢をみよう!

 

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