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ふたりの「豊俊」・・・

2012-08-28 06:58:27 | 心の世界・死後の世界・・・神社仏閣

 私には二人の「豊俊」がいた。

 一人は父「角谷豊俊」であり、もう一人は叔父(母の弟)「土谷豊俊」である。

 母の兄弟は12人であり、母は4番目(長女)、叔父は10番目(6男)である。何故、同じ「豊俊」という名なのかを小学生のころに母に聞いたことがある。父と母は「またいとこ」である。

 父が12~3歳の時に叔父「豊俊」は生まれた。父は秀才で且つ親孝行であったらしい。小学校卒業時に、校長から表彰状と副賞として座机を貰った。その座机は私が小学4年生まで使った覚えがある。そんな父「豊俊」に与かって叔父「豊俊」という名が付けられたそうだ。

 叔父「豊俊」は父とは全く正反対なような性格であった。思った事はすぐ行動し、挙句に「口の悪さ」では、天下一品であった。

母は35歳ごろから糖尿病であった。口癖のように「60(歳)まで生きれん(生きてはいない)」と。そんな母(65歳頃か)に「姉ちゃん、60まで生きれんというが、いつまで生きとるん」・・・・・これだけ聞くと酷いと思われるが腹の中は「姉ちゃん、これなら80・90(歳)まで行けるぞ。」という、叔父ならではの応援であった。

叔母さんとはお見合いと聞いた。お見合いの後数日後、返事が来ないと叔母さんのところへ行って「嫌なら嫌とさっさと言ってくれ」と。叔父ならではの最大級の求婚だった。

口は悪いが腹は無い。一旦信用されると叔父も裏切ることの無いように一所懸命努力した。雑な口の利き方からは想像が出来ないが、美的センスは母の兄弟の中では一番であった。絵を書かせてもピカイチだった。趣味もプロの庭師以上で、直接山へ行って木を選び、岩を選び、配置も自分で決め、素晴らしい庭を作ってしまった。盆栽も若いころからしていた。その盆栽の一つを「400万円で売ってくれ」と業者に言われたが、にべもなく断ったそうだ。仕事は綺麗に正確であった。裸一貫叔母さんと二人鉄工所を始め、一所懸命働いた。受注先からは絶大な信用を戴き、それはひとり息子に引き継がれている。

 そんな叔父「豊俊」が眠りについた。72歳、私より10歳年上であった。「淋しい葬式は嫌だ。甥姪もみんな呼んでくれ。」親戚・兄弟が集まると会話の中心にいつもいた叔父らしい通夜・葬儀であった。

 

 

 

 

 

 

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