秋の連休初日は、次男と山梨県大月市と上野原市の境にある「奈良倉山」へ。今年は暖かいせいか紅葉の色づきはもうひとつですが、その分目にやさしく秋色の山行を楽しむことができました。前日の雨のお陰か粘菌も撮れたのは幸運でした。
今回のテーマは、5月1日に見つけた長作から奈良倉山への登りで、地形図にある破線とほぼ同じと思われる踏み跡を見つけたので、それを辿ってみようというものです。おそらく地形図の道はほとんど消えて無くなっているでしょうが、この山の地形は何度も登って頭に描けているので大丈夫ということでのチャレンジです。
どこかの記事で、最近の中高年の登山者は地図を持たない、あるいは読めない人が非常に多くなったということが書かれていましたが、特に登山道がしっかりせず、作業道や獣道も多く交錯する低山では、地形図の持参とそれを読みとる読解力が必須になってきます。だれがどういう意図でしたか分からない印だけを頼りに登るような登山は慎まなければならないと思っています。
今回のポイントは、右にトラバースして緩い尾根の高みにきたら、迷わず左へ直登するということでした。去年の4月10日に長男と下って唐突に無くなり迷った作業道の位置が分かっているので、そこまで辿りつければ後はいつも通りのコースを登るだけになります。実際辿ってみると思い通りの地形とコースでした。
奈良倉山から佐野峠への林道歩きでは、十文字峠から佐野峠に至る古道の痕跡がないかと森に入ってみたりしました。佐野峠手前の小ピークには大きな栗の木があるのですが、この尾根で初めて熊棚があるのを見ました。今年はドングリとブナが不作のようなので、栗の木を探していつもより広範囲にエサを探す必要があるのかもしれません。麓の集落には、だれも採らない鈴生りの柿の実が見られましたが、冬眠前の熊が食べに来るのではと危惧します。
旧佐野峠道は、登山地図にも描かれていませんが、地形図には破線が描かれています。現在は1170m峰北西面に巻き道があり、なおかつ道は地形図のように飯尾側ではなく長作側に下りています。しかも鶴川には粗末な丸太の橋があるのですが、ちょっと増水するだけで流されてしまい、大雨の後などは渡れない可能性もあります。そうなると1170m峰の手前まで戻って坪山から飯尾に下りなければなりません。今回はいつもよりわずかに増水していたので裸足になって川の中を渡ることになりました。それを一番楽しんだのは、ほかでもない息子でした。
巻き道の先には、最近伐採されヒノキの苗木が植えられたばかりの開けたところがあるのですが、そこからは今回登った奈良倉山の長い尾根と三頭山、その間の鶴峠の向こうには雲取山と眼下の深い谷という胸のすくような絶景が見られます。ヒノキの苗木が大きくなると見られなくなる景色ですから、楽しめるのもあと10年あるかないかでしょう。
旧佐野峠道は、地形図では本来1170m峰の頂上から飯尾側に下りる、七保と飯尾を結ぶ古道だったようですが、車社会になり更に松姫峠が完成してからは通る人もなくなったのでしょう。古道は、牛馬をひいて歩く道だったために急勾配の斜面でもジグザグに道は作られ、ある程度幅も広くこう配も緩やかに作られていました。道もいきものですから使われなければ、やがて遠い歴史の中に消えてしまいます。紅葉の昔道をたどりながらそんなことに思いをはせた一日でした。
◉奈良倉山-旧佐野峠道のフォトルポ
今回のテーマは、5月1日に見つけた長作から奈良倉山への登りで、地形図にある破線とほぼ同じと思われる踏み跡を見つけたので、それを辿ってみようというものです。おそらく地形図の道はほとんど消えて無くなっているでしょうが、この山の地形は何度も登って頭に描けているので大丈夫ということでのチャレンジです。
どこかの記事で、最近の中高年の登山者は地図を持たない、あるいは読めない人が非常に多くなったということが書かれていましたが、特に登山道がしっかりせず、作業道や獣道も多く交錯する低山では、地形図の持参とそれを読みとる読解力が必須になってきます。だれがどういう意図でしたか分からない印だけを頼りに登るような登山は慎まなければならないと思っています。
今回のポイントは、右にトラバースして緩い尾根の高みにきたら、迷わず左へ直登するということでした。去年の4月10日に長男と下って唐突に無くなり迷った作業道の位置が分かっているので、そこまで辿りつければ後はいつも通りのコースを登るだけになります。実際辿ってみると思い通りの地形とコースでした。
奈良倉山から佐野峠への林道歩きでは、十文字峠から佐野峠に至る古道の痕跡がないかと森に入ってみたりしました。佐野峠手前の小ピークには大きな栗の木があるのですが、この尾根で初めて熊棚があるのを見ました。今年はドングリとブナが不作のようなので、栗の木を探していつもより広範囲にエサを探す必要があるのかもしれません。麓の集落には、だれも採らない鈴生りの柿の実が見られましたが、冬眠前の熊が食べに来るのではと危惧します。
旧佐野峠道は、登山地図にも描かれていませんが、地形図には破線が描かれています。現在は1170m峰北西面に巻き道があり、なおかつ道は地形図のように飯尾側ではなく長作側に下りています。しかも鶴川には粗末な丸太の橋があるのですが、ちょっと増水するだけで流されてしまい、大雨の後などは渡れない可能性もあります。そうなると1170m峰の手前まで戻って坪山から飯尾に下りなければなりません。今回はいつもよりわずかに増水していたので裸足になって川の中を渡ることになりました。それを一番楽しんだのは、ほかでもない息子でした。
巻き道の先には、最近伐採されヒノキの苗木が植えられたばかりの開けたところがあるのですが、そこからは今回登った奈良倉山の長い尾根と三頭山、その間の鶴峠の向こうには雲取山と眼下の深い谷という胸のすくような絶景が見られます。ヒノキの苗木が大きくなると見られなくなる景色ですから、楽しめるのもあと10年あるかないかでしょう。
旧佐野峠道は、地形図では本来1170m峰の頂上から飯尾側に下りる、七保と飯尾を結ぶ古道だったようですが、車社会になり更に松姫峠が完成してからは通る人もなくなったのでしょう。古道は、牛馬をひいて歩く道だったために急勾配の斜面でもジグザグに道は作られ、ある程度幅も広くこう配も緩やかに作られていました。道もいきものですから使われなければ、やがて遠い歴史の中に消えてしまいます。紅葉の昔道をたどりながらそんなことに思いをはせた一日でした。
◉奈良倉山-旧佐野峠道のフォトルポ
きのこ狩りに行くならもっと別な山があったのですが、今回は新ルート探索に重きを置いて登りました。
林道建設の談合が発覚しましたが、見えない山奥でけっこうめちゃくちゃなことをしているのも事実です。
案内看板も一時のブームでつけたものの、担当者が代わると、もう前のことは分からないという感じで放置されるのでしょう。
そちらでも確か市が無断で個人の山に林道を造ったという酷い例がありましたね。林道が出来て貴重な植物が絶滅したり、不法投棄が増えたりと、いいことばかりではないですからね。
ところで今年こんなにキノコが採れると、来年の反動がこわいですね。まあ、こんなに採れれば数年はがまんできますかね(笑)。
どうやらそのまま竹ノ向へ下ってしまう感じでした。佐野峠からはるか下の谷間で下って沢フキを採ってきた七保の人に遇って話を聞いたこともあります。落人の里だったりしてか、なかなかとっつきにくい人たちが多いので、向こうから話しかけられることはまずありませんが、こちらから話しかけると結構快く話してくれます。
十文字峠から鶴峠の登山道と交差するところまでは、歩く人がいるみたいですね。でもその先や峠から佐野峠方面は、必要ないですから自然に廃れてしまったのでしょうね。
今年は、熊も冬眠前のエサを探すのに必死のようですね。くれぐれも注意してくださいね。
ぜひご覧ください!
http://41.tok2.com/capino/morimorikids/index.html