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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

大雪注意報の妻女山へ。静かで美しいモノクロームの世界(妻女山里山通信)

2022-02-10 | アウトドア・ネイチャーフォト
 10日、長野県は上田地域、佐久地域、諏訪地域、県南部に大雪警報が出ました。長野市は大雪注意報。降雪の中、妻女山へ。積雪が20センチになると最低地上高が高い私の車でも登れなくなるので、昼前に。その前に雪掻きをしましたが、上雪なので湿雪。非常に重くて疲れます。東京では凍った路面で転ぶ映像が流れますが、ビブラムソールではだめです。「靴につけるスパイク」で検索してください。楽天やアマゾンなどで1000円以下で買えます

 戊辰戦争以降の戦没者を祀った妻女山松代招魂社。積雪は深いところで10センチぐらい。同じ長野市でもここは南部。北の善光寺付近では倍以上の積雪になりますが、今回は上雪なので上田や佐久、諏訪の方が大雪になっています。

 駐車場の奥から。雪は牡丹雪ではなく粒が小さいのですが、粉雪(パウダースノー)ではありません。湿雪は車に積もると厄介です。長野県の条例では、車の屋根に雪をのせたまま走るのは県条例違反です。後ろに落ちると後続車の事故の恐れ。ブレーキで前に落ちるとフロントグラスの視界がなくなります。スキー帰りの首都圏ナンバーの車に見られますが、非常に危険です。雪を落とすスキージつきスクレーパーや、脱出用スコップとボロ毛布とか必須です。

 林道を登ってみました。静かで美しいモノクロームの世界。

 林道には動物の足跡はありません。風がないので寒くはありません。フリース二枚の上に防水のパーカーを着てきたので、歩くと少し暑いほど。

 枝が描くモノクロームの自然の絵画。

 林道入口。これから3月にかけて降る雪は湿雪なので、大雪になると落枝や倒木が発生します。毎年4月、妻女山里山デザイン・プロジェクトはその処理に追われます。

 展望台下に足跡。新雪は足跡がはっきりしないので同定が難しい。雪の日に歩き回るのはニホンカモシカぐらいなので、その子供かもしれません。アニマルトラッキングは、雪が降り止んだ翌日の晴れた日が最適です。

 妻女山展望台から眼下に国道403号。視界は1キロもありません。長野市中心街はもちろん、松代や篠ノ井市街も全く見えません。幹線道路に積雪はありませんが、シャーベット状で滑りやすい。スピードの出しすぎは禁物です。車間距離は速度にもよりますが、通常の2、3倍は空ける必要があります。早朝に濡れた路面はブラックミラーバーンになりますが、スタッドレスでもかなり危険です。圧雪の道は、スノーモードとか低速モードで走るべきです。下りは必ずシフトダウンしてエンジンブレーキを使って。スタッドレスでも、大雪の時はチェーンや非金属チェーンがないと通行できない場合もあります。国道事務所やネクスコのサイトで確認を。

 展望台後ろの善光寺地震の罹災横死供養塔。前の記事の写真と比べると違いが分かります。

 長居は無用なので下ります。右後方の斎場山さえ見えなくなりました。雪は深夜まで降り続きそうです。2014年の大豪雪の様にはならないと思いますが、上雪は雪に慣れていない地域に降るので心配です。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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貝母の群生地がある陣場平から堂平大塚古墳へ。春を探しながらのんびりと。愛読者と嬉しい邂逅。山座同定(妻女山里山通信)

2022-02-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 10日は上雪で関東地方から長野県は中南部が大雪になりそうです。前日は、本当かなと思うほど穏やかな晴天。まず妻女山展望台へ。今回は陣場平からログハウスへと2時間ほどの短い山歩きでした。スパイク付き長靴は、ホッカイロを入れても冷たいので、今回はインナーがフカフカのスノーブーツで。これが正解でした。

 妻女山展望台から北西の眺め。今回は山座同定を入れてみました。晴れてはいるのですが、里山の上には濃い灰色の雲が。虫倉山、茶臼山は拙書でも紹介しています。虫倉山は神城断層地震で山頂が4割崩壊してしまいましたが、登って非常に面白い里山です。また歴史の山です。信毎に、白馬岳は「しろうまだけ」か「はくばだけ」かという記事が。国土地理院はしろうまだけ、白馬村でははくばだけと読んでいます。その成り立ちを記します。
 明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作るために白馬村に訪れた時、この山々には確固たる山名がありませんでした。岳山(たけやま)とか西山とか適当に呼んでいたそうです。そんな馬鹿な話があるかと役人に怒られて、長老が集まって必死に考えて命名。雪型の代かき馬からとって代馬岳、貝杓子に似ているので貝杓子岳、長いので貝を取って杓子岳、尖っているので槍ヶ岳、しかし槍ヶ岳、鹿島槍と既にあるので駄目だと言われて白馬鑓ヶ岳と命名。代馬岳は、実際の地図では白馬岳となっていましたが、村人達は長い間その事実を知らなかったそうです。(出典:『北アルプス白馬ものがたり』石沢 清著)そんなわけで、元がしろうまだけなので、国土地理院はしろうまだけ。白馬村は、しろうまむらって言いにくいですね。よってはくばむらなのではくばだけ。山名は、山の反対側で呼び名が違うことはよくあります。拙書でも他の山で書いていますが、山名が時代によって変わっていくことはよくあることなのです。呼び方が複数あっても少しもオカシクはないのです。

 北の眺め、飯縄山は山頂が雲に隠れていますが、雪は降っていません。雲は手前です。富士ノ塔山は、山頂直下まで車で登れます。手前に見える白い崖は、裾花凝灰岩。この山際に活断層が走っていて、江戸時代の善光寺地震の時に動いて甚大な被害を出しました。飯縄権現については拙書でも、謙信や信玄とからめて詳しく記しています。

 北東の眺め。拙書でも紹介の高社山。親しみを込めてたかやしろと呼びます。その美しい山容から高井富士とも。松代大橋のたもとにある松操山典厩寺は、歴史マニアにはおすすめ。曹洞宗の寺院ですが、東洋一の大きさといわれる閻魔大王の像があります。また、川中島の戦いで討ち死にした武田信繁の墓があります。境内には、信繁の首を洗ったという「首清め井戸」や、甲越弔魂碑、武田・上杉両雄の一騎討ちの碑などもありますが、川中島合戦記念館はぜひ訪れて欲しい。展示されているものは、念持仏や血染めのかたびらなど全て本物です。拝観料は200円。
武田典厩信繁の墓と全国随一の大きさの閻魔大王像がある典厩寺探訪(妻女山里山通信):歴史マニア必見!とりあえず左の文をクリックして内容をご覧になってください。驚きます。

 妻女山(旧赤坂山)展望台後ろにある善光寺地震〔弘化4年(1847)〕の罹災横死供養塔で、善光寺平を見渡す場所にあります。ちょうど善光寺の御開帳で賑わっていたこともあり、死者総数は8600人余り。新潟の高田から長野、松本まで広範囲に甚大な被害をもたらしました。石碑は嘉永二年(1849)建立。文字は松代長国寺住職、圭白師。なぜ善光寺から遠くここに供養塔があるかというと、松代藩はここが古代からの神聖な斎場(いつきなるば)であったことを知っていたからと町史には記されています。

 駐車場から歩いて登ります。6番目のカーブの上。崖のずっと上に陣場平があります。ここの地名は野毛壇(のげだん・のけだん)といいます。野毛は崖という意味で、壇はその下が平らな雛壇の様になっているからです。陣場平は、周囲が急峻な崖や急斜面なので、陣を構えるのにも最適な場所だったのでしょう。

 長坂峠の先に謙信の本陣と伝わる斎場山(旧妻女山)。古代科野のクニの円墳です。向こうの谷に細い雪形がありますが、長坂峠から土口集落へ下る古道の跡です。昭和40年ぐらいまでは、谷の上半分が桑畑で、下半分が梅園などでした。一度下ってみたことがありますが、現在は荒れ果てています。今年はウスタビガの黄緑色の繭が全く見られません。そういう年もあります。

 貝母の群生地がある陣場平へ。陣場平は日当たりも悪くはないのですが、なぜか雪解けが遅いのです。菱形基線測点の周りだけ先に解けます。地温が低いのでしょうか。不思議です。2月下旬には、残雪を押しのけて貝母が芽吹くと思います。右向こうに見える山塊は、松代の東にある奇妙山。

(左)陣場平の西側の日当たりの良い斜面にひとつだけ山蕗が出ていました。(右)苔むした丸太の上に動物の糞。「テンの高糞」といい石とか切り株とかの上にします。これは柿の種が混じっていますね。ホンドテン(貂、黄鼬)は、妻女山山系にいて出会ったこともあるのですが、極めて稀です。冬のテンは顔は真っ白ですが、体毛が黄色でとても美しい。似たイタチの糞はもう少し細めです。雑食で、鳥を襲ったり、爬虫類や昆虫、果実も食べます。三重県の伊賀地方では「狐七化け、狸八化け、貂九化け」といい、テンはキツネやタヌキを上回る変化能力を持つという伝承があるそうです。

 堂平大塚古墳の脇にある友人のログハウスで休憩。今回もルイボスティー。こちら側を東山(旧埴科郡)といい、向こうを西山(旧更級郡)といいます。起伏の緩やかな里山が犀川まで続き、あちこちに集落があります。ポツンと一軒家もありますね。西山大豆や野沢菜が有名です。

 左(南)に目を向けると篠山。麓にある長谷観音からゴルフ場経由で篠山山頂直下まで車で登れます。ブログでも2回ほど記事にしましたが、見晴らしもよくツツジと紅葉が綺麗です。私はやりませんが、信州のゴルフ場は安くて街から近いので結構賑わっています。

 ログハウスの左奥が古墳。南面の斜面とその向かいの斜面に福寿草が咲いています。まだ咲き始めで、夏期が長いので3月に入っても咲き続けます。まだ蕾のものが多いので、見頃はこれからです。私有地につき立入禁止とありますが、古墳や福寿草を見るだけなら大丈夫です。

(左)春のパラボラアンテナ福寿草。(右)タラの芽はまだ固いまま。

(左)梅の花芽もまだ固いですね。(右)杉の木にキヅタ(木蔦)。冬でも緑なのでナツヅタに対してフユヅタと呼ばれます。アイビーですね。「蔦の絡まるチャペルで〜」ペギー葉山って古いですね(笑)。舞台になったのは、青山学院のベリーホール内の「チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂」。そういえば昔、青学の図書館の検索システムのマニュアルのデザインをしました。似ているものにツタウルシがあるのですが、これに触れると本当に酷い目に遭います。信州の里山には普通にあるので、画像検索をして完全に覚えてください。

(左)苔の同定は難しい。カサゴケ(傘苔)でしょうか。苔のテラリウムやってみようかしら。(右)冬でもツツジの葉は青々としています。これは確か純白の大きな花を咲かせるリュウキュウツツジだった様な。この後、陣場平分岐に戻って天城山(てしろやま)に登ってきたK夫妻と邂逅。拙書の読者でブログもご覧いただいているそう。古墳に行ったけれど福寿草が見つからなかったというので場所をお教えしました。しばらく話して私は下山。

(左)左がコナラで右がクヌギ。妻女山山系はほとんどがクヌギです。どんぐりは、コナラが細く、クヌギが丸いのです。(右)柊(ヒイラギ)。モクセイ科モクセイ属に分類される常緑小高木の1種で、別名は鬼の目突き。古くから「家の庭の、表鬼門(北東)には柊を、裏鬼門(南西)には南天を植えると良い」との言い伝えがあります。欧米でも、キリストを邪悪なものから守ったとして魔除けのために使うそうです。

 駐車場に戻って、林道倉科坂線に入ったところから東方の松代方面の眺め。象山の先にある離山は、江戸時代は登ると城内が見えるため庶民は登山禁止でした。山頂には懸造りの離山神社が鎮座します。戦国時代は清野氏の支配下にありました。清野正衡は入道して徳寿軒といい鞍骨城を築き、後永正年間(1510頃)同城の鬼門除けに離山神祉を創建したといわれています。お諏訪さんが祀られています。奇妙山は、拙書では清滝の上に登って崖下を延々とトラバースする変態コースも載せています。さて、明日は上雪なので善光寺平は大雪にはならないと思いますが、2014年の大豪雪も上雪でした。70センチは積もりました。油断はしないようにしたいと思います。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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上杉謙信の陣城跡、陣場平から斎場山経由で土口将軍塚古墳へ。猪のヌタ場。春はどこ?(妻女山里山通信)

2022-02-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 土日は大寒波が来るというので、晴れの金曜日に妻女山へ。前回忘れてひどい目に遭ったので靴下につけるホッカイロを。猪狩りの猟師が登っていないので天城山(てしろやま)林道を歩いてみました。ログハウスで休憩の後は、久しぶりに土口将軍塚古墳へ。立春なので、春の兆しを見つけに登ったのですが。

 堂平大塚古墳の丘に咲く福寿草も先週よりずいぶんと増えていました。幸福と長寿を表す野草ですが、キンポウゲ科のかなり強い毒草です。薬草ですが、民間薬として使える様なものではありません。誤食して死亡例もあります。貝母やカタクリと同じく、典型的なスプリング・エフェメラル(春の妖精・春の儚い命)です。

(左)妻女山駐車場から右の林道を登ります。入り口に妻女山里山デザイン・プロジェクトが設置した登山ノートがあります。向こうに大日如来の石像。(右)1番目のカーブ。カーブは曲がった先が急傾斜です。それを知らないと酷い目に遭います。下りはセカンドかファーストに落としてエンジンブレーキも使って。フットブレーキだとABSが効いて危険なことも。切っておくことも必要。凍結していたらスパイクアタッチメントは必須。

(左)2番目のカーブ。下は岩盤。(右)3番目のカーブ。処理された倒木。

(左)4番目のカーブは、中央が深くV字にえぐれているのでそこを避けます。(右)5番目のカーブ。

(左)最後の6番目のカーブ。ここもえぐれています。見た目以上に傾斜がきつく日陰で凍結しているので要注意です。この先で、つがいのヤマドリが私に気づいて逃げていきました。ヤマドリは信州黄金軍鶏と同じかそれより美味です。販売禁止なので、知り合いの猟師からもらうしかありません。ただ養殖もされているので買うことは可能ですが、野生のものとの味の違いは知りません。天然記念物のニホンカモシカも、実は獣害駆除で長野県では年間700頭ぐらい狩られていてほとんどが東京の高級料亭やレストランに送られています。(右)長坂峠に着きました。歩いても10〜15分ぐらいです。正面は斎場山。左へ陣場平へ向かいます。400mほど。

 上杉謙信の陣城跡、陣場平。入り口の雪がない西向きの斜面で貝母(編笠百合)の新芽を探しましたが、まだ出ていません。立ち枯れの木が何本かあるので、春の作業で伐倒しようと思います。里山保全は、行政はしてくれません。我々の様な者達が各地でほそぼそと保全作業をボランティアで行っていてなんとか保たれているのです。

 天城山への林道のピークから見下ろす陣場平。芽吹き前の今だけ見られる風景です。かなり広いことが分かります。川中島の戦いの際に、上杉軍が七棟の陣小屋を建てたと伝わる場所です。ここからなら武田軍がいた海津城は丸見えです。

 林道を登って松代方面。左下に上信越自動車道の松代PA。手前の国道403号からも入れるので、昼食に訪れる人が多い。下りの盛り蕎麦とろろ飯セット、上りの真田とろろ六文そばセットがおすすめです。上りでは産直の野菜も買えます。白いビルは、ロイヤルホテル長野。他には泉質が素晴らしい松代荘がおすすめ。布袋屋というゲストハウスも人気です。

(左)天城山や鞍骨山への登山道との分岐。私は右の林道へ。動物の足跡がたくさん。(右)狸の足跡。重なっているので何度も通っている様です。

 林道を歩きましたが何もないので戻ってログハウスへ下ります。右に堂平大塚古墳。ここでルイボスティーを飲みながらまったりと休憩しました。北面に山があるので寒風もなく穏やかです。暖冬ならもうオオイヌノフグリも咲いているのですが。梅の花芽もまだ小さく固いまま。山蕗の芽吹きももう少しかかるでしょう。

 古墳の丘に咲く福寿草のアップ。パラボラアンテナの様に熱を集めます。蜜はないのですが、多量の花粉で昆虫を集めます。花言葉は「幸せを招く・永久の幸福」など。

(左)立ち枯れの山桑にキクラゲがたくさん。それも高級なアラゲキクラゲ。小さいので春まで待ちます。キクラゲとトマトの卵炒めは、中華料理の定番で大好きでよく作ります。キクラゲは、食物繊維がゴボウの3倍。ビタミンDの量は、食品の中でもトップクラス。ビタミンB2、カルシウム、マグネシウムも豊富な優良食品です。(右)ヤブソテツ。これはニホンカモシカが食べます。一種類のものをたくさんは食べませんが、非常に多くの種類の植物を食べます。それが氷河期から生き残ってこられた理由なのでしょう。

(左)林道を戻って長坂峠から斎場山へ。最初上杉謙信が本陣としたと伝わる古代科野のクニの古墳です。(右)その尾根の西には旗塚と呼ばれる塚が7基あります。古墳時代後の、県司や郡司の墳墓と思われます。

 御陵願平(龍眼平)にある猪のヌタ場。たくさんの足跡があります。猟犬に追われた猪が火照った体を冷やすために来ることも。ただ氷が厚すぎて割れないので水浴びはできませんね。溶けている部分で水は飲めます。周囲には泥だらけの体を擦り付けた木がたくさん見られます。猪も優良なジビエですが、知り合いの猟師によると、美味しいのは年末までの30-40キロぐらいのメス。年を越したものや100キロの巨獣は美味くないと。ログハウスのKさんが存命の時は、猪や鹿などのジビエを揃えてバーベキューを盛大に行ったものです。

 更に西へ長尾根を進み、ここから標高差80mほど下ります。このルートは、拙書の斎場山のページで詳しい地図や説明を載せています。赤松やクヌギの倒木がいくつもありました。向こうに見えるのは篠山、高雄山、三峯山。この道は、ノイバラやヤマガシュウなどの棘植物が多いので、剪定バサミで切りながら進みます。

 土口将軍塚古墳の前方部。前方後円墳です。森将軍塚古墳が、初代科野國造の墳墓とすれば、これはそれ以降の科野のクニの王の墓なのでしょう。墓穴は二基だそうですが夫婦でしょうか。

 前方部の上から後円部を見たところ。倒木で古墳が傷むことはないでしょうけど、景観を損ないますね。

 後円部から前方部を見たところ。向こうに斎場山が見えます。ここは、古代科野のクニの聖地だったのです。

 土口将軍塚古墳の説明。現在は埴科(はにしな)古墳群として国指定史跡になっています。埴科古墳群とは、森将軍塚古墳、有明山将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、土口将軍塚古墳です。周辺には斎場山(妻女山)古墳・坂山古墳・堂平古墳群・笹崎山古墳・北山古墳など数多くの古墳が残されています。これらの古墳群は4世紀末 - 6世紀初頭の築造と推定されています。更埴市というのは、現在の千曲市のことで、戸倉町、上山田町と合併して2003年に千曲市になりました。 8行目の文字が欠けていますが、葺石(ふきいし)で、古墳の表面が石で葺かれていたということです。葺石古墳は、古墳時代前期と中期に見られ、後期には見られなくなります。

 長坂峠に戻りました。北の善光寺平の長め。北東からの寒風が吹き始めました。ログハウスは無風3度で暖かかったのですが、ここからは北面を下るので激寒です。気温はマイナス3度ほど。体感気温はマイナス10度ぐらいです。寒さで膝が痛くなりました。立春なんですが、週末は大寒気が入るそうで、積雪もありそうです。遅い昼は、昨夜の残りの塩鮭と冬野菜のクリーム煮を卵おじやにして、夜はうどんの入った茶碗蒸し、小田巻蒸しを作って暖まりました。3時間半ほどの山行で、6回救急車のサイレンを聞きました。いくらなんでも多すぎませんか。葉がないので麓の音が非常によく聞こえます。週末は白銀の世界になるでしょう。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
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上杉謙信の陣城跡、貝母の群生地がある陣場平へ。福寿草が咲く堂平大塚古墳(妻女山里山通信)

2022-01-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
 週末の善光寺平は晴れました。久しぶりに妻女山へ。高速をくぐった先の謙信槍尻の泉のカーブが鬼門なので見に行くと、誰かが滑り止めに土を撒いてくれていました。猪狩りの猟師たちでしょうか。ありがたいですね。ここの危険性を分かっている方です。おかげで車で招魂社奥の駐車場まで登ることができました。土を撒いたのは、トラックが止まっていますが、左の林道で作業をしている人達がしてくれた様です。伐採や、灌木の掘り出し作業をしていました。

 妻女山の駐車場。スパイク付きの長靴に履き替えて、ここから歩きます。猟師の轍もあって、車で登れないことはないのですが、やはり相当気を使いますし運動不足解消もあります。

 6番目のカーブ。ここも結構難関なのです。以前、山仲間のKさんとMさんが、二台のバックホー付きブルドーザーで除雪をしたのですが、凍結したこのカーブで登れなくなり、もう一台のバックホーで押し上げてやっと登れたことがありました。実はこのカーブの場所には、浅い場所に水脈があって年中湿っているのです。それが凍結するともうどうにもなりません。

 アニマルトラッキング。左は副蹄が見えるので猪。右は梅の花の様な足跡で狸です。狸はあちこち寄り道するので足跡がグニャグニャ曲がっています。狐はほぼ真っすぐ歩きます。

 長坂峠。日当たりが良いので雪は溶けています。右が斎場山(旧妻女山)。山頂は古墳なので丸く平ら。上杉謙信が最初に本陣としたと伝わっています。

 左へ陣場平へ向かいます。眼下に土口の集落。三滝川の向こうは雨宮の集落。向こうの長い尾根は、五里ヶ峯から一重山まで続く五一山脈の先端。蹄ケ崎といいます。手前に北陸新幹線の高架が見えます。その向こうの里山は、桑原から姨捨辺り。篠ノ井線や長野自動車道が中腹を通っています。

 陣場平へのほぼ平坦な林道。御天上というところです。右の太い山桜は立ち枯れして危険なので、数年前に妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーで伐採しました。立ち枯れの伐採は、伐採の振動で落枝があったりして大変危険です。この右下に根本の直径が80センチぐらいあるクヌギの巨樹があったのですが、数年前に突然崩れるようになくなってしまいました。現在は、その周囲のクヌギが枯れています。ナラ枯れ病ではないかと危惧しています。
ナラ枯れ被害対策マニュアル─被害対策の体制づくりから実行まで(林野庁補助事業)

 その向こう側左のギャップは、妻女山里山デザイン・プロジェクトが最初に伐採した森です。伐採前は、ダンコウバイとカラコギカエデで真っ暗な森でした。伐採してギャップを作ったことで、訪れる鳥や昆虫が増えました。ただ帰化植物が侵入してきたので、毎年除草をしていますが、完全に駆除はできていません。
その作業記録は、MORIMORIKIDS Nature Photograph Gallery の一番下の「妻女山SDP」の1〜15をクリックしてください。16以降は、このブログで紹介しています。

 正面の丘が陣場平。入り口は、すぐ先を左へ50mほど登るのがひとつ。もうひとつは、林道をS字に登ると「堂平大塚古墳」の大きな標識と、左に「陣場平 貝母群生地」の標識があります。そこから小道を50mほどで陣場平に出ます。貝母は、4月10日頃から20日頃が見頃になります。開花情報は、このブログでアップしていきます。4月の茶花なので茶道を嗜んでいる方はご存知だろうと思います。俯いて咲く慎ましやかな花ですが、群生するとそれは見事です。これだけの群生地は、日本でここだけです。

 左は副蹄らしきものが見えるので小さめの猪か。右はニホンカモシカかなと思ったのですが、副蹄ぽいものが見えなくもない。雪が溶けて分かりにくくなっています。

 菱形基線測点越しに見る陣場平。昨年の7月にメンバーで周囲の球根を掘り出して中央に植える作業を何度もしました。球根は種と違って大きなものは翌年に花を咲かせるので、どれぐらい増えるか楽しみです。このブログを見て、またローカルのマスコミでも紹介されたので来られる方も増えました。コロナの前は、富山、新潟、東京などからも。日本の里山でこれだけの貝母の群生地はここだけです。4月にはコロナが沈静化していることを祈ります。友人の信頼できる医師のアドバイスに従って、ノーベル賞を取った北里大学の大村教授が開発した治験が完全に済んでいるイベルメクチンをネットで購入し、ドラッグストアでナザールスプレーを購入。亜鉛も。出かける時は必ず使用。政府やマスコミを信じていたら生き残れません。そういう時代です。
妻女山陣馬平の貝母を発見してからの保全活動の歴史。今年も満開です(妻女山里山通信):たったひとりで初めた里山保全活動は3年続きました。そして、見ていたKさんが参加。高校時代の仲間も参加してくれました。そしてここまでするのに12年。その歴史です。そしてそれは今後も続きます。ただこの保全活動は全て自費で行っています。今後、どうすべきかの過渡期に来ています。NPOにすると補助とかありますが縛りもあります。クラウドファウンディングも考えています。それにも援助してくれた方達に応える責任があります。里山保全は、行政の補助なども含めて非常に難しい局面にあるのです。今後、仲間達と相談してどう将来に繋げていくか熟慮したいと思います。

 東を見ると松代方面。ロイヤルホテル長野のビルが見えます。松代城(海津城)は、その右手前。上杉軍もこの様な風景を見ていたのでしょう。右手前の枝の山は、倒木や落枝の処理をしたものです。春に毎年行う山仕事です。

 北を見ると、眼下に千曲川。この冬枯れの時期にだけ見られる景色です。サッカーの試合がある日には、対岸のスタジアムからチャントがここまで聞こえます。松本山雅、長野パルセイロ共にJ2に上がって欲しいものです。信州ダービーは、やはりJ2やJ1で見たいですね。

 陣場平の北西の隅に一基だけある積石塚古墳。ここが上杉軍の陣城となる前は、もっとたくさんの古墳があったのではないでしょうか。上杉謙信槍尻の泉の上にも三基の積石塚古墳があったそうですが、桑畑のために壊されました。全国では、積石塚古墳は1%ぐらいですが、信州では25%もあるのです。ツングース系の騎馬民族である高句麗の人々が、唐に滅ぼされて豪族が大量に来日し帰化したのです。篠ノ井は、高句麗の前部秋足が篠井性を下賜されたもので、それが篠山や篠ノ井の元となりました。茶臼山近くに篠井神社があります。高句麗の人々は、埼玉や東京など関東にも移住し、狛川や狛江市の地名で残っています。かなりの数の高句麗人が帰化したのでしょう。

 林道へ戻ります。左へ登ると天城山(てしろやま)経由で鞍骨城跡へ。象山へループコースもあります。健脚なら鏡台山へも。拙書の地形図を合わせると、鏡台山、五里ヶ峯と森将軍塚古墳で20キロのループコースが組めます。右下へ下ると300mで堂平大塚古墳。

 堂平大塚古墳入り口。私有地につき立入禁止とありますが、古墳の見学なら大丈夫です。マナーを守って見学してください。左奥にログハウスがあります。妻女山里山デザイン・プロジェクトの作業の昼はバーベキューで使わせてもらっています。晴れていれば、北アルプスの仁科三山が見えます。

 横穴式の堂平大塚古墳。

 古墳入り口。松城群発地震で多少壊れましたが、その後修復作業もされた様です。

 古墳内部。重機もないのにどうやってこの巨大な岩を天井に乗せたのだろうと思います。高度な技術を持った渡来人がいたのでしょう。

 古墳の丘に咲き始めた福寿草。大寒が過ぎたばかりですが、自然は春の訪れを敏感に感じ取っている様です。

 古墳から西の展望。眼下に千曲川。北陸新幹線の向こうに長野自動車道。北アルプスは稜線が見えません。

 国道403号の妻女山入り口。北向きなので、高速のトンネルをくぐった先は圧雪と凍結した路面です。必ず路面状況を確認してから登ってください。毎年JAFの世話になる車が何台もいます。左上が妻女山展望台。歩いても10分もかかりません。今回の大失敗は、靴下に貼るホッカイロを入れてこなかったこと。体は動くと温かいのですが、足先が異常に寒い。凍りそうです。そんなわけで、帰りはほぼ走って下りました。慌てて温泉へ。今回は戸倉上山田の観世温泉。エメラルドグリーンのぬるいお湯が極楽でした。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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千曲市倉科の三滝へ氷爆の撮影に。アニマルトラッキングも(妻女山里山通信)

2022-01-22 | アウトドア・ネイチャーフォト
 大寒過ぎた週末は、最低気温がマイナス9度。起きたら寝室が1度。リビングは0度でした。暖房を入れてもすぐには暖まりません。パソコンはドライヤーで温めてから起動しました。天気はピーカンで北アルプスがくっきり。これは久しぶりに三滝の凍結が見られるかもしれないと出かけました。途中高速下のカーブで自損事故の車。警察が来ていました。その前後が雪がないので油断して40キロ超えで突っ込んでスピンしたのでしょう。高速下のカーブは、日陰で凍結していました。
 三滝へは林道が冬季閉鎖なので手前に駐車して雪道を登ります。途中軽トラが、猪狩りの猟師たちが入っているとのこと。三滝とは反対の山域なので大丈夫と教えてもらいました。三滝までは1.5キロぐらい。雪道を登ります。

 三滝の一の滝。先に来て撮影していた男性と邂逅。なんでも朝9時から来ているそうです。もう午後1時近く。粘りましたね。私は寒いのでとっとと帰ります。氷瀑は暖冬の時はできません。また、その年の気温の変化や降雪の具合で変わります。つまり同じ氷瀑は二つとないのです。拙書の鏡台山のページには、2010年の氷瀑の写真を載せています。今年は、降雪がありましたが、まずまずの氷爆でした。
 三滝は、明治の埴科郡誌に、「三瀧川は倉科村の三瀧山船ケ入に発源し御姫山より発する草山沢を合わせ倉科村を流るること一里三町にして沢山川に合す 三瀧一の瀧二の瀧三の瀧三階瀑布あり又南沢に樽瀧あり」とあります。鏡台山を水源とする三滝(みたき)は、一の滝(下段)・二の滝(中段)・三の滝(上段)で構成され、延長20mで、848mの周回遊歩道があります。地理的には、上部から数えますが観光的には下から一、二、三と。
 明治の倉科村誌には、「二の滝、高四丈三尺、幅一丈七尺、是に龍の劍摺石と唱うる石ありて、自然の穴七ツあり、俗に摺鉢と称す」とあります。川底に落ちた小石が川の流れで回転しながら川底に穴を開けた「おう穴」があったのでしょう。今は不明ですが、一の滝へのすぐ上に平らな場所があり、そこだと思われます。昔、幻の県道を造る際に、ダイナマイトの爆破で岩が崩れて埋まってしまった様です。岩をどけたら、県の天然記念物になるでしょう。
「三瀧山岩の苔間に住ながら思ひくらせし瀧の水かな」(西行) 
 此歌里俗の口碑にして、確乎たらず。(倉科村誌)


 一の滝の上部。

 一の滝の下部。

 部分。昼ですが、気温はマイナス4度ぐらいです。

 かなり長い氷柱(つらら)もできています。つららの裏側には水の流れ。

 氷はかなり硬い。

 滝壺辺りは球状の氷が。肉眼で見る氷は、こんな青くありません。カメラがそう撮るのです。補正はできますが、あえてこのままアップしています。

 これは往路のカットですが、先にスノーシューで足跡をつけてくれたので歩きやすくて助かりました。積雪は深いところで20センチぐらい。途中で鳥を撮影に来た男性と邂逅。見たのはシジュウカラぐらいかな。鏡台山の山頂近くまで登ると、アトリの群れやウソなどと出会えるかも知れません。

 途中でアニマルトラッキング。左は副蹄があるので猪。右はないのでニホンカモシカ。猪は、三滝上の右上の谷から餌を探しに下りてきたのでしょう。以前、知り合いの猟師にそこに塒(ねぐら)があると聞いたことがあります。

 谷の先に、戸隠連峰の西岳が見えました。

 日が差して、樹冠から粉雪が落ちてきます。キラキラと輝いてダイヤモンドダストの様です。

 千曲川越しに北アルプスの左に爺ヶ岳、右に鹿島槍ヶ岳。

 左に戸隠連峰の高妻山(戸隠富士)。右に飯縄山。

信州の千曲市のあんずの里倉科にある三滝へ氷瀑の撮影に(妻女山里山通信):2018年2月上旬の三滝氷結。今年とはまったく景色が異なります。2010年の氷結も見られます。ぜひ御覧ください。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
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雪景色の善光寺平。妻女山へ登ってみました。黒大豆きな粉入お好み焼き・小田巻蒸し。我が家の祖先が真田幸村の影武者だった(妻女山里山通信)

2022-01-14 | アウトドア・ネイチャーフォト
 1月13日から14日朝にかけて大雪になりました。善光寺平は、豪雪地帯ではないので北の長野市中心街で20センチ、南部の妻女山で10センチぐらいの積雪でした。13日の夕方に一回、14日の朝に1回雪掻きをしました。朝はパウダースノーで楽でしたが、13日はベタ雪でもの凄く大変でした。これが同じ雪かと思うほど。

 妻女山展望台は思ったより雪が多かったので近くにある四阿へ。茶臼山方面の眺め。茶臼山はもう少し右ですが雪雲に隠れて見えませんでした。気温はマイナス2度。下の国道403号は、溶けているところもありますが、シャーベット状だったり凸凹で走りにくいところもあります。速度は40キロが限界。場所によっては30キロ以下にしないとならないところも。止まる時は、セカンドにシフトダウンしてエンジンブレーキを効かせて充分に速度を落としてからブレーキを踏むと安全です。あるいはポンピングブレーキで。畑の道や堤防の道は除雪されていません。13日の午後3時から14日正午までに長野県では、182件の交通事故があったそうです。急発進、急ブレーキ、急ハンドルは厳禁です。スピードは控えめに。車間を開けて。

 パウダースノーなので枝が折れたりは少なかった様です。2月下旬や3月の雪は湿雪なので、落枝や倒木が毎年発生します。それの処理が4月初めの山仕事になります。

 戊辰戦争以降の戦没者を祀る妻女山松代招魂社。瓦に六文銭。戊辰戦争の会津戦争は、信州人同士の戦だったという歴史の悲劇です。上杉景勝の会津転封で、善光寺平の土豪達は家族家来が全て会津に移りました。加えて徳川家光の時代に、伊那高遠藩の保科正之が家光の腹違いの弟と判明し会津に転封。また信州人が行きました。この時、我が一族のものが同行し、後に豪商となって会津藩を支えました。会津は信州人が造った町ともいえるのです。そして、そのずっと前の戦国時代。我が一族の祖先の一人に林太郎左衛門という武士がいました。彼は真田昌幸に使え50人の家来を抱えていたといいます。その子の一人に林源次郎寛高がいました。大阪夏の陣のことです。彼は真田信繁(幸村)の影武者のひとりとして討ち死にしたそうです。その後、生き残った7人で林村を作ったという伝説が残っています。それがどこか分かりません。もしかしたら松本の林城下の林集落でしょうか。我が家の祖先は林采女といい、妻女山の一角に天正10年3月10日没という墓が残っています。真田に使えるためにこの地に来たのでしょうか。

 だれも登っていなかったので自分のつけた轍をたどります。右上が斎場山(旧妻女山で、上杉謙信の本陣跡)。中央のたるみが長坂峠。この雪の前に雨が降って凍ったので、カーブなどは雪の下が氷です。セカンドに落としてゆっくりと下りました。

 千曲市の温泉へ。拙書でも紹介している御姫山と右奥に大嵐山(杉山)。右手前の尾根は、これも載せている大峯山。左手前は鷲尾城跡のある鷲尾山を登ると倉科将軍塚古墳を経て鞍骨城跡へ。これも載せています。麓に見えるのは大日堂。松代藩初代藩主の真田信之の次女泰子姫が如来を祀るお堂として寛文13年(1673)に建立したもの。下の小さな園地には万葉歌碑があります。
「人皆の 言(こと)は絶ゆとも 埴科(はにしな)の 石井(いしゐ)の手児(てご)が 言(こと)な絶えそね」詠人知らず
(世の中のすべての人の言い伝えが忘れられても、埴科の石井の美しい乙女の言い伝えはどうか絶やさないで欲しい。:石井は倉科の古名。現在のここの地名の石杭も石井と関連があると思われます。手児とは手児奈(てこな)といい、『万葉集』のなかで、山部赤人や高橋虫麻呂によって詠まれた悲劇の女性。リンクはウィキペディア)


(左)お好み焼きですが、違うのはホームラン粉に長芋に加えて黒大豆のきな粉をかなり入れていることです。色が濃いのはそのためです。ほかはキャベツ、豚バラ肉、紅生姜、炒り粉、鰹出汁、鶏ガラスープの素、ホタテパウダー、本味醂、青海苔にソースとマヨネーズ。コクのある香ばしい味で後引の旨さです。(右)苧環蒸し(小田巻蒸し)。大阪の船場の昔の高級料理です。卵は贅沢品でしたから。わかりやすく言うとうどん入の茶碗蒸し。うどんは幻の小麦イガチクオレゴンで手打ちしました。卵は3つ鰹と昆布出汁で。具は蒲鉾、自家栽培の椎茸、小松菜、長ネギです。実は学生の頃から密かに作って食べていた私の大好物。ちょっと蒸し時間が長すぎてすが入ってしまったのはご愛嬌。正月に次男が長崎のアゴの白出汁を持ってきてくれたのですが、それならもっと上品な味になるでしょうね。焼きアゴを使えば自分で白出汁を作ることもできます。
小田巻蒸しのオリジナルレシピ:在京時代に妻が作ってくれたズワイガニを使った贅沢レシピです。ウニで中華味とか牡蠣でもいいですね

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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茶臼山の北アルプス展望台へスノーハイキング。仁科三山・白馬三山。北アルプスの圧巻の大パノラマ(妻女山里山通信)

2022-01-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 2022年1月8日の善光寺平は、雲ひとつ無いドピーカンの晴天。運動不足解消を兼ねて茶臼山の北アルプス展望台へスノーハイキングをしました。二つ前の妻女山展望台からの大パノラマの記事の写真より、5キロ北アルプスに近く、乾燥していて空気がクリアだったので大迫力の望遠カットが撮影できました。
 我が家は元旦の夜は、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを鑑賞するのが習わしだったけれど、今年は見そびれてしまったので再放送で視聴しながらブログ記事を書いています。ダニエル・バレンボイムの指揮で。やっと新年が来た気がします。

 茶臼山(729.9m)の旗塚コースは、拙書の中でも最も短く標高差のないもので、幼児でも登れる散歩コースです。それでも積雪が10センチ以上となると里山でもそれなりの用意が必要です。今回はスパイク付きの長靴で登りました。北アルプス展望台までは、信里小学校の校門を右折してすぐの駐車場から約20分。標高差はわずか60mです。展望所からは上のカットの様な大パノラマが望めます。左から仁科三山の鹿島槍ヶ岳、最も右に白馬岳。眼下には里山の原風景といえる風景が広がります。

 仁科三山。左から爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳。

 その右に白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳。この三山の命名については、妻女山展望台からの記事に詳しく記しています。笑ってしまうような内容です。以下のキャプションも前回の記事と重複するものもあります。

 白馬三山の手前に虫倉山。拙書でも載せていますが、2014年の神城断層地震で山頂の4割が崩壊してしまいました。更にクラックが入っていて、次に大きな地震があればまた崩壊してしまうかもしれません。中腹には旧中条村(現長野市)の小さな集落があちこちに点在します。米、西山大豆、野沢菜などが名産です。

 北アルプスを左(南)から紹介していきます。左に蓮華岳(2799m)、右奥に針ノ木岳(2821m)。蓮華岳と針ノ木岳の間にあるのが針ノ木峠(2536m)。非常に険しい山岳地帯ですが、古くは信濃国と越中国を結ぶルートの要衝だった歴史ある峠です。一番右の頂きはスバリ岳(2752m)。

 爺ヶ岳(2670m)。栂山・栂谷ノ峯・後立山・五六ヶ岳・爺岳・爺子岳とたくさんの別称があります。南峰と本峰の間の白沢の上部には、春に種蒔きをする老爺の雪形が見られ、山名の由来となりました。雷鳥も生息します。

 鹿島槍ヶ岳(2889m)。山頂の右手の陰になっている谷には、平家の落人が隠れたというカクネ里があり、上部の雪渓は2018年に長野県初の氷河であると認定されました。ここ茶臼山からの直線距離は、約33キロです。

 春に武田菱の雪形が現れることで有名な五竜岳(2814m)。このカットでは、山頂の右下に見えています。旧字体では五龍嶽。名称は武田の領地であった御菱(ごりよう)から。右の小ピークは白岳。

 唐松岳(2696m)。別名は上犬ヶ嶽。八方尾根から唐松に向かうルートは上り下りにリフトとゴンドラを利用でき、標高1800m付近まで上がることができます。山頂までの標高差も800mなので北アルプス入門の山として人気があります。

 左にWに切れ込んだ不帰ノ嶮(かえらずのけん)。右の天狗ノ頭。この命名のエピソードも二つ前の妻女山展望台の記事で。

 左から白馬鑓ヶ岳(2903.11m)、杓子岳(2812m)。

 白馬岳(2932.24m)。右へ長い尾根をたどると、朝日岳などを経て栂海新道は、親不知の日本海へと続いています。フォッサマグナの成り立ちと深い関係があります。糸魚川市のフォッサマグナミュージアムは必見です。この望遠カットを見た妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーのひとりから、腕がいいのかなカメラがいいのかなとメール。腕はともかく、カメラとレンズが凄いのです。ボディはOlympus OM-D E-M1 Mark III。望遠レンズは、M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO。非常に評価の高い望遠ズームです。これに2倍のテレコンバーターを付けています。35ミリ換算で、600mmになります。そして驚いていただきたいのは、これらのカットの撮影には三脚は使っていません。すべて手持ち撮影です。オリンパスの手ブレ補正の凄さが分かっていただけると思います。加えて天気や空気の乾燥度など好条件が重なった結果です。
私がOLYMPUSを使い続ける理由。たかが写真されど写真(妻女山里山通信)

 その右手前にある里山は拙書でも紹介の虫倉山(1378m)。そこで虫というのは古代は蛇(龍)のことであるとか、松代藩の領地で尊崇されていたということを記しています。旧中条村の方たちが「むしくら」という非常に詳しい研究書を出されていて、拙書の記述の際も参考にさせていただきました。本では不動滝に生息するハコネサンショウウオの写真も載せています。

 撮影を終えて戻ります。樹上から落雪。ダイヤモンドダストの様にキラキラと輝いて美しい。鳥のさえずりはわずか。ヤマガラが一羽、カケスが一羽いて威嚇されました。

 茶臼山の南峰。地滑りで崩壊する前は、ここに北峰とほぼ同じ高さの山があったのです。伝承では山城の跡や古墳があったというものがあります。

 駐車場に戻って南方の眺め。坂城、上田方面が見えます。茶臼山は山頂近くまで集落があります。ここから見る善光寺平の夜景は素晴らしい。長野県は、移住希望で何年も全国一位ですが、この絶景を毎日見られると思うと住みたくなる気持ちは分かります。蓼科山(2530.7m)は、別名を諏訪富士とか女神山(めのかみやま)といわれます。富士山と八ヶ岳の背比べの話は有名ですが、女神の富士山に叩かれて低くなってしまった男神の妹が蓼科山なのだそうです。

 林檎畑の向こうに善光寺平と根子岳と四阿山。積雪はそれほど多くないですね。眼下に長野オリンピックの会場になったスタジアム。右奥は松代の市街地。氷点下ですが、歩くとわずかに汗ばむほど。温泉へ向かいました。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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初詣は会津比売神社。妻女山奥の貝母の群生地・謙信の陣城跡の陣場平へ。アニマルトラッキング。雪道走行に必須なもの(妻女山里山通信)

2022-01-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 1月6日(木)。関東南部は降雪模様。東京が雪に弱いのは、在京38年の経験で熟知しています。殆どの車はスタッドレスさえ履いていません。住んでいた調布市の長い坂では交通事故が頻発しました。小さかった息子達は国分寺崖線の急斜面を利用してソリを楽しんでいましたが。私は駅まで行って、これは無理だと帰宅したこともあります。信州では積雪30センチぐらいでも普段通りですが、東京は10センチでも交通は麻痺します。冬期は信州のスキー場や温泉に訪れる人が多いのですが、スタッドレスだけでは不十分です。非常用脱出のためにチェーンかスパイクアタッチメントを携行してください。非金属チェーンなどで売られています。5000〜10000円位で前輪二つが買えます。装着したら時速40キロが上限。できれば30キロ以下で。写真は私のスパイクアタッチメント。北欧製で3つでひとつのタイヤ。2セットあります。万が一の場合は、これかチェーンがないと脱出できません。加えて雪掻きスコップ、手袋、氷溶解スプレー、暖房カイロや防寒具か毛布に非常食などが必要です。そして、車の屋根に雪を積んだまま走るのは非常に危険です。長野県条例に違反で検挙されることも。ブレーキでフロントグラスに落ちると視界が無くなります。後ろに落ちると事故を誘発することも。絶対にしてはいけません。

 2022年1月5日の善光寺平は、やはり晴天。私が主宰する妻女山里山デザイン・プロジェクトで貝母(編笠百合)の保護活動をしている妻女山奥の陣場平へ登りました。猪狩りの猟師の轍があったので、一瞬車でと思いましたがそれでは運動不足解消にならないと徒歩で登りました。約1時間半の山歩きですが、いい運動になりました。

 まず初詣に会津比売(あいづひめ)神社へ。私が子供の頃は、春秋の祭には参道に出店が並びお小遣いを握りしめてでかけたものです。会津比売神社は諏訪社系の神社なんですが、御柱はありません。全国でたった一社という非常に珍しい神社です。会津は福島の会津と関係があります。
 崇神天皇10年9月9日、崇神天皇の伯父大彦命(おおひこのみこと)を北陸道へ、その子武淳川別命(たけぬなかわ わけのみこと)を東海道へ遣わせた。日本海側を進んだ大彦命は越後から東に折れ、太平洋側を進んだ武淳川別命は南奥から西に折れた。二人の出会った所を相津(會津、会津)という。『日本書紀』
 相津と想定される会津坂下町青津。能登南部からの移住者を想定される弥生時代終末期の男壇遺跡・宮東遺跡があり、亀ヶ森古墳等がある。(会津学研究会サイトより引用)
 この会津と、会津比売命の関係やいかに・・。大彦命は東征の後で、長野市篠ノ井の茶臼山動物園の下の長者窪という所に住み、薨去したと伝えられています。彼の功績を讃えて父出速雄命は娘に会津比売とつけたのではないでしょうか。
 この会津比売神社の祭神、会津比売命(會津比賣命)ですが、東北の大震災以降、知られるようになった貞観地震の記述がある『日本三代実録』貞観8(866)年6月甲戌朔条(最初の行)に、「授信濃國-無位-會津比賣神 從四位下」と出てきます。官位のない会津比売命に従四位下の位を授けますよということです。かなり高い位を授かっています。
 その理由なんですが、会津比売は、諏訪大社の祭神、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)の子、出速雄命(いずはやおのみこと・伊豆早雄)の子といわれているからなのです。しかも、神武天皇の子、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫といわれる、大和王権より初代科野(信濃)国造に任ぜられた武五百建命(たけいおたつのみこと)[古事記]の室(妻)といわれているからなのです。
■科野国造 武五百建命(たけいおたつのみこと)と妻 会津比売命(あいづひめのみこと)の家系図(諸説あり)
 神武天皇--神八井耳命--武宇都彦命--武速前命--敷桁彦命--武五百建命--健稲背
           大国主命--建御名方富命--出速雄命--会津比売命(出速姫神)

 つまり、出雲系の出速雄命一族は、娘の会津比売命が、天皇系(大和系)の科野国造 武五百建命と結婚したことにより、官位を授与され、後に諏訪に戻って大祝(おおほうり)家となったわけです。貞観年間に、無位となっていた出速雄命、会津比売命の官位授与を申請したのは、当時の埴科郡の大領であった金刺舎人正長といわれています。金刺氏は諏訪系統の流れで、貞観4年(862)に、埴科郡大領外従7位金刺舎人正長とあります。『日本三代実録』[信濃史料] 無位にあった自分の先祖の復権をすべく申請したということでしょう。古代科野国は、出雲系と大和系が結ばれてできたといえるのです。

(左)会津比売神社(會津比賣神社)はいわゆる式外社(しきげしゃ・『延喜式』神名帳に記載の無い神社)ですが、「国史現在社」です。「国史現在社」とは、式外社ですが、『六国史』にその名前が見られる神社のことを、特に国史現在社(国史見在社とも)と呼びます(広義には式内社であるものも含む)。『六国史』とは、『日本書紀』、『続日本紀』、『日本後紀』、『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』をいいます。
(右)拝殿の中の額には、「大明無私照」の文字。大明には私照なく、至公には私親なし。 太陽は、私心をもって選ぶことなく万物を照らし、真に公平なものは、私情によって人を選んで親しむということはないという张蕴古《大宝箴》の古代中国の格言です。大明無私照、至公無私親といいます。

(左)林道を登ります。積雪は5〜10センチほど。コゲラのドラミングが響きます。雪がなくても知っていないと車では登れない林道ですが、積雪があるとずっと難易度が上がります。(右)長坂峠。前方に斎場山(旧妻女山)。陣場平は左へ300mほど。

 その長坂峠からの南西の眺め。拙書でも紹介の三峯山(1131.4m)。ここから見ると3つの峰があるのが分かります。山頂は麻績村が経営する小さなスキー場があります。市街地から近いので小さな子供がいるファミリーにおすすめです。

 少し歩いて眼下は土口集落。その向こうに川中島の戦いで有名な雨の宮の渡しがあります。奥に伸びる里山の尾根は、五里ヶ峯から伸びる尾根の先端で一重山。少し前に紹介した森将軍塚の前方後円墳や長野県立歴史館、古墳館があります。ぜひ訪れて欲しい博物館です。

 積雪期にはアニマルトラッキングが楽しめます。左は副蹄がはっきり分かるのでイノシシです。足の大きさから40キロ前後の個体と思われます。右は、3つの足跡。これは野うさぎでしょう。

 猟師の轍は天城山(てしろやま)方面へ。左下に歩くと陣場平。右の林道を300mほど下ると堂平大塚古墳。4月17日(日)の松代夢空間主催の「妻女山 花と歴史のハイキング」では、私がインタープリターをします。お申し込みは夢空間へ。

 陣場平へ向かう小道にタヌキの足跡。雪の無い季節にここを歩いているので道跡が見えなくなっても覚えていて歩くのです。

 陣場平。貝母は3月上旬には雪の下から芽生えます。それが好きと訪れる方もいます。昨年はメンバーと周囲の球根を掘り起こして、真ん中の貝母がない部分に植えました。この春にどれだけ増えるか楽しみです。

 陣場平の北東の隅にある昭和時代の地理の重要な文化遺産の菱形基線測点。ハイキングのインタープリターでも必ず説明しています。これを探していて、貝母を発見したのです。

 比較すると分かりやすいでしょうか。左が副蹄がはっきりしているのでイノシシ。右は副蹄が見えないのと蹄の間に雪があり、なおかつイノシシは下りていかない様な急斜面を下って行ったのでニホンカモシカかと。以前の記事でアップしましたが、寒立といって雪の中で反芻するために立って休んでいるニホンカモシカを見ることがあります。

 長坂峠手前から見る斎場山。

 長坂峠に戻って斎場山を目指します。長坂峠からは数分。途中から見る左に陣場平、右に天城山(てしろやま)。右手前の枯葉はヤマコウバシ。クスノキ科クロモジ属なので、枝を折るといい香りがします。新葉が出るまでこのままなので、真冬でも目立ちます。落ちないので、受験のお守りにも使われます。

 斎場山(旧妻女山:512.8m)。古代科野のクニの首長の墳墓です。第四次川中島の戦いでは、上杉謙信が最初に本陣とした場所として伝わっています。現在は赤松が繁茂して松代城(海津城)方面は見えませんが、当時は丸見えだったでしょう。

 そこから西へ100mほど下ると御陵願平。イノシシのヌタ場があります。珍しい誰も訪れていません。猪狩りの猟犬に追われて命からがら火照った体を冷やしに氷を割って入った跡も何度か見ています。右は泥浴びしたイノシシが体を擦り付けた跡。これをたどっていくとイノシシの棲みかにたどり着きます。

 長坂峠からの善光寺平。幹線道路には雪はありません。ただ日陰の道や集落の日陰の道は凍結しています。雪がなくてもミラーバーンになっているところがあります。下る途中に猪狩りの車が4台登ってきました。先に2台登っている人達の仲間でしょう。いやはや今日は猪の厄日だった様です。下から猟犬で追い上げて上で待ち伏せて仕留めます。ただ、横に逃げてしまったりそう容易いことではありません。知り合いの猟師も高齢で止めました。女性や若い人も増えてはいますが、お金もかかるし危険だし、ただ農作物の被害は甚大だしと、非常に困難な問題を抱えています。根本にあるのは里山の放置と無関心。東京などの大都市に住んでいる人達にも無関係のことではないのです。里山が崩壊すると大都市も滅びるのです。それを知ってほしい。妻女山里山デザイン・プロジェクトは、微力ながらそれを改善するために活動しています。

 妻女山駐車場の奥にある妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーが安置した大日如来の石像。多くのいわれがあってここに安置されました。建築関係のメンバーが覆屋を作ってくれました。後ろでは椎茸の原木栽培を行っています。

 前の記事で妻女山展望台からのパノラマはたくさんアップしたので、今回は展望台後ろにある四阿からの北アルプスと茶臼山をアップします。週末まではなんとか晴れの日が続きそうな信州です。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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YAMABOKUワイルドスノーパークのゲレンデからの絶景。北信五岳と日本海(妻女山里山通信)

2021-12-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
 29日は朝からこれ以上ないほど晴れ上がった長野市です。息子達は、高山村のYAMABOKUワイルドスノーパークでスキー。その次男がツイッターにあげた写真があまりに素晴らしいので、彼の了解を得て掲載します。

 YAMABOKUワイルドスノーパークのゲレンデからの絶景。撮影地の標高は1600m少しだと思います。北信五岳がきれいに見えています。そして右手の信越トレイルの向こうには日本海。なんだ海無し県というけれど長野県にも海があるじゃんと思ってしまいます。まあ、多くの信州人は上越や糸魚川の海は信州のものと思っていますけどね。北信五岳は「まみくとい」と覚えます。斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯綱です。真上の空は、プルシャンブルー。もう宇宙の色です。

(左)温泉の帰りに妻女山展望台へ。403号から高速のトンネルをくぐって右へ登ると。(右)すぐに上杉謙信槍尻の泉のカーブですが、ここが曲者なのです。見た目以上に急で、一度溶けて凍結するとスタッドレスでは登れません。毎年、何台もの車がスタックしています。特に3月の春先が最も危険です。ここに限らず信州の山道には、地元の人だけが知っている危険箇所があります。

 北東を見ると、拙書にも載せている高社山。地元ではたかやしろと言います。あの山の向こう側は木島平村で、豪雪地帯です。ホワイトリングが光っています。その右奥にはエムウェーブも見えています。右の黄緑色の橋は、松代と長野を結ぶ松代大橋。

 東を見ると松代の城下町。左に奇妙山。右奥に白い根子岳と右に四阿山(あずまやさん)。正面の山の麓の傾斜地は東条で春は満開のあんずの花で楽しませてくれます。明日と明後日大晦日でこの風景も白銀の世界になるでしょう。

 北を見ると千曲川の向こうに川中島。冬期長野オリンピックの開閉会式の会場となったスタジアムやサッカー場があります。右の大きな山塊は飯縄山。左は雪雲に煙る戸隠富士の高妻山。手前左の里山は、富士ノ塔山。山頂は山城跡があります。山頂直下まで車で行けます。麓には裾花凝灰岩の白い崖が見えます。この麓に沿って活断層があり、善光寺地震の時はそれが動きました。

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妻女山初雪で初積雪。上杉謙信と貝母の陣場平へ。妻女山展望台からの雪景色(妻女山里山通信)

2021-12-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
 17日金曜日の雨は夜更け過ぎから雪に変わりました。長野県の北部には警報級の豪雪警報が出ました。こんなことはひと冬に数回ですからそれなりの警戒と準備は必要です。ただ、大寒波の時は、長野市南部以南は大雪にはなりません。なるのは上雪(かみゆき)といって千曲川上流部で大雪になる時です。2014年の大豪雪がそれです。幸い今回は、上信越自動車道も国道18号も通行止めにはならなかった様です。豪雪にスタッドレスだけでは不安です。必ずチェーンも携行を。雪かき・スキージ・融雪剤・ワイパー洗浄液・懐中電灯・手袋・防寒具・非常食・スマホ。情報収集を。車の屋根に雪を積んでの走行は長野県条例違反です。後ろに落ちて後続車の事故を誘発する恐れ、ブレーキでフロントグラスに落ちて視界がなくなる恐れ。必ず落としてください。

 開けて18日の土曜日。午前中に妻女山へ行ってみました。積雪は3センチほど。吹き溜まりでも6センチぐらいです。妻女山の駐車場に車を止めて徒歩で陣場平まで登ってみました。気温はマイナス3度。長野市の中心街は19センチの積雪だったそうです。南部の松代は3センチ程度。たった十数キロの差でこれだけの積雪量の違いがあります。犀川を越え、千曲川を越える度に積雪量が変わります。

 落葉した山桜やダンコウバイ、ハリギリやネムノキに積雪。一服の絵画のようなモノクロームの美しい世界。

 雪上がりにはアニマルトラッキングができます。歩いた後に少し雪が降ったので少し分かりにくいのですが、左はおそらく狐(きつね)。タヌキだとあちこちに寄って曲がるのですが、キツネの足跡は直線的でタヌキより縦長です。右は少し大きなニホンカモシカの足跡。イノシシは副蹄(ふくてい)という小さな跡がつくので区別できます。

 陣場平と堂平大塚古墳、天城山(てしろやま)や鞍骨山(鞍骨城跡)への分岐。右下に下りると300m位で堂平大塚古墳。左へ登ると天城山を経て鞍骨城跡へ。さらに象山へ下ったり、南へ尾根を登ると鏡台山へ。

 振り返って陣場平入り口。ルリビタキ、シジュウカラ、ヒヨドリの鳴き声が。上空にはノスリが旋回しています。

 川中島の戦いで上杉謙信が陣城を築いたという陣場平。現在は我々妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーで貝母(編笠百合)の保護活動をしている場所です。貝母は雪の下ですが、3月には雪を押しのけて芽吹いてきます。見頃は年により変わりますが、4月の10日から20日頃です。全国の里山でこれだけの群生地はここだけです。初めて来た方は必ず歓声をあげます。満開の写真は、毎年4月に記事にしていますので、バックナンバーからご覧ください。

 菱形基線測点越しに見る陣場平。山桑、クマノミズキ、桐、オオヤマザクラ、カスミザクラ、クサギ、コムラサキ、ヤマツツジ、ガマズミ、コバノガマズミ、ミヤマウグイスカグラ、クロモジ、ネムノキ、山椒、クヌギ、ウワミズザクラなどが自生しています。

 戻って昔は松代藩の大名行列も越えたことがある東風超(こちごえ)から見る上杉謙信の本陣と伝わる斎場山。山頂は古代科野のクニの古墳(円墳)です。先のカーブは長坂峠。

 そのすぐ下からの北方の眺め。善光寺平(川中島)が一望できます。粉雪は止んで青空が見え始めました。戌の満水の大洪水の後、松代藩によって大規模な瀬直しがされた千曲川が緩いカーブを描いています。その前は、グニャングニャンに曲がっていました。だから千曲川なのです。

 林道を下ります。この大きく傾いた山桜は、数十年前の在京時代からいつ倒れるかなと思っていましたが、太い根が林道の下まで伸びていて頑強なのです。

 槐(えんじゅ)の枝。下る道すがら、デューク・ジョーダンの「フライト・トゥ・デンマーク」が脳内を流れました。

 檜に積もった雪。春先の湿雪ではないので、そう重くはないのですがそれでも垂れ下がっています。湿雪では枝が折れたりもします。

 落葉松林。この森は所有者によりまったく管理されていないので倒木が頻発し、我々の悩みの種です。

 妻女山松代招魂社。戊辰戦争以降の戦没者を祀る松代藩がつくった神社です。妻女山といいますが、本来の地名は赤坂山です。桜の名所で、桜の季節には近隣の小学生が遠足で訪れます。

 妻女山展望台から西の眺め。茶臼山が雪雲に隠れています。

 北方の眺め。眼下の赤坂橋の向こうに広がる森は、武田信玄が本陣としたと伝わる八幡原(はちまんぱら)。左奥の喉仏の様な里山は拙書でも紹介している上杉謙信の山城が残る髻山(もとどりやま)。

 東を見ると松代の城下。左に真田幸隆によって攻略された東条氏の尼厳城跡のある尼厳山(あまかざりやま)。右の大きな山塊はこれも清滝城跡(東山城跡)のある奇妙山。拙書ではその由来や歴史を記しています。手前は上信越自動車道と梢に隠れて松代パーキングエリア。こんな寒い日でも山登りをすると体は暖かいのですが、顔と手袋をしていても指先は冷たい。帰ってバンホーテンのココアを温めてウィスキーを少し入れて暖を取りました。夕方はマックス・フィールド・パリッシュの絵のような美しい夕焼けだったので明日は晴れるでしょう。
 と思ったら、一日中曇りで午前中と夕方は雪が降りました。なんと一日中零下の寒い日となりました。温泉で温まり、酒粕を入れた豚汁を作りました。信州豚に野菜は地物のゴボウ、地大根、白菜、人参、里芋、天然ヒラタケ、仲間と作った椎茸、長ネギ、味噌も仲間と大豆栽培から作った信州糀味噌です。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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冬枯れの陣場平へ。謙信の陣城跡で貴重な貝母の群生地。栽培椎茸で中華の角煮炊き込みご飯。妻女山展望台。金属探知機(妻女山里山通信)

2021-12-11 | アウトドア・ネイチャーフォト
 日曜日は温泉へ行く前に妻女山へ。新しく記事を起こすほどでもないので、前回の記事の上に載せます。

 妻女山展望台から北の飯縄山と戸隠連峰の眺め。積雪が少ないですね。飯縄山のスキー場には雪がまったくありません。菅平のスキー場もやっと一部が滑れる様になったそうです。なぜか年末なのに上雪(かみゆき:千曲川の上流部で降る雪)で湯の丸スキー場は賑わっているそうです。

 西の北アルプス。仁科三山は、爺ヶ岳は見えますが、右の鹿島槍ヶ岳は雪雲の中。さらに右の白馬三山は完全に雪雲の中です。完全に冬山ですが積雪量は少ないと思います。この善光寺平でも、早い年だと11月上旬には雪が舞い、下旬には一面真っ白になるぐらいの積雪があります。あの2014年の大豪雪の冬と似ていて、嫌な予感しかありません。

 今回妻女山に寄ったのは、金属探知機で戊辰戦争当時の鉄砲の弾を探すためでした。これは友人のフランス人が持っているフランス軍も使っている高価で超高性能のものに比べるとおもちゃですが、わりとちゃんと探せるのです。残念ながら今回は、埋まったワイヤーぐらいしか発見できませんでしたが、またやります。右上は、亡き父が掘り起こした銃弾です。松代藩が射撃練習に使ったもので、よく見ると複数の種類の銃が使われているのが分かります。アメリカの南北戦争の銃なども使われたのです。弾は発見できませんでしたが、バカでかい椎茸を見つけました。生乾して冷凍保存します。
********************************************
 晴れたので妻女山へ。今回は山仕事の道具や重い望遠レンズや三脚も持たないので、久しぶりに徒歩で登りました。折り畳みノコギリを持って落枝や邪魔な枝を切りながら登りました。誰にも遭わないだろうなと思ったら、数年前に急逝した友人で山仲間の偲ぶ会に同席した年配の方が車で下りてきました。ログハウスでしみじみしながら休憩した様です。時は容赦なく過ぎて行きます。

 妻女山里山デザイン・プロジェクトで保護活動をしている貝母(編笠百合)の群生地がある陣場平の入り口。陣場平の名称は、川中島の戦いの際に、ここが上杉謙信の陣城だったと伝わっているからです。

 菱形基線測点(りょうけいきせんそくてん)越しに見る陣場平。落葉して広く見えます。わずかに見える緑は、ロゼットで冬越しする植物です。シナノガキは甘い干し柿になっていて、落ちてくるのをタヌキが待っています。冬に来るアトリの群れはまだ観られません。ヒヨドリの甲高い鳴き声やシジュウカラなどの鳴き声が聞こえます。
 今年はメンバーと貝母の球根の移植をたくさんしたので、来春の開花が楽しみです。奈良時代に入ったと伝わる咳止めの薬草(毒草)ですが、里山でこれだけの群生地は、日本でここだけだと思います。貴重です。
◉「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
 これが貝母のことであるという説があります。薬用に持ち込まれたのが江戸時代なのでしょうか。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
 意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。

『甲陽軍鑑』の編者と言われる小幡景憲彩色の川中島合戦絵図。陣場平に陣小屋が七棟建てられた図が描かれています。かなり大雑把な絵ですが、それでも大体の地名は当てはめることができます。上杉軍は赤で、武田軍は白で描かれています。上杉謙信は、短い布陣でも必ず陣城を構築したといわれています。築城前には、「乱取り」といって麓の寺社や家屋を壊して建築材料や食料を得ていました。合戦後50年位に描かれた絵ですから、正確な描写は無理としても、大雑把な内容はかなり信憑性が高いかも知れません。小幡景憲の祖父虎盛と叔父光盛は、海津城で春日虎綱の副将を務めました。そういう経緯から景憲は『甲陽軍鑑』原本を入手しやすい立場にいたということでもあり、実際に合戦当時の話を聞いていたのではないかと思われます。この絵図は、東北大学狩野文庫に所蔵されているもので、以前に掲載の許可を得ているものです。

 以前仲間が伐採した太い山桜に生える苔と地衣類(ウメノキゴケ)。この中でも生存競争が起きているのです。近くには、木材腐朽菌のキノコも生えています。それが栄養を吸い付くすと、やがてこの朽木は土へと還って行きます。

 長坂峠(東風越)からの斎場山(旧妻女山)も落葉で全貌が見えるようになりました。山頂は川中島の戦いの際に上杉謙信が最初に本陣としたと伝わる場所ですが、古代科野国の古墳(円墳)です。

 その長坂峠から南方の眺め。中央は陣場平手前の檜林。右奥に霞むのは天城山(てしろやま)。そこから左へたどると清野氏の鞍骨城跡がある鞍骨山。少し前に記事にしています。ここから1時間ほどです。

 長坂峠の少し下から北の眺め。左に戸隠富士の異名をもつ高妻山。右に長野市民の山、飯縄山。眼下に善光寺平と千曲川。クリスマス寒波が来ると真っ白になるでしょう。

 緑鮮やかなリョウメンシダ。冬のニホンカモシカの大事な食料のひとつです。他にヤブソテツやミツバアケビなどの緑の葉も食べます。

 もう少し下って樹間から見えるのは陣場平山。市街地は篠ノ井。信州でも旧埴科郡と更級郡でした食べられない古代食、ねずみ大根などの辛味大根の絞り汁に信州味噌を溶いていただく「おしぼりうどん」が名物です。辛いだけでなく「あまもっくら」と言われる甘みが病みつきになる食べ方です。坂城や戸倉上山田温泉や篠ノ井、松代には、その名店があります。うどん通を名乗るならば、香川のうどんより遥かに古い絶対に食べなければいけない郷土料理です。

 妻女山デザイン・プロジェクトで原木栽培している椎茸。12月なのに何本か出ていました。冷凍して保存します。先日、新しいホダ木を伐採して記事にしました。来春に駒打ちします。手前に紫の実が。

 コムラサキ(小紫)の実です。鳥でしょうか、ついばんだ跡が見られます。でも美味しくないと止めたのでしょうか。人が食べても美味しくないです。

 その椎茸と、以前作った干し椎茸で出汁をとって豚の角煮の中華風炊き込みご飯を作りました。中華出汁に五香粉(ウーシャンフェン)と牡蠣ソースが決め手。馬鹿旨です。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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椎茸栽培のホダ木のためにクヌギを伐採したある冬の日と牡蠣の土手鍋(妻女山里山通信)

2021-12-04 | アウトドア・ネイチャーフォト
 久しぶりの妻女山里山デザイン・プロジェクトは、椎茸栽培のホダ木のためにクヌギを伐採しました。前もって選択しておいたクヌギを伐採したのですが、掛かり木になってしまい、そこそこ苦労しました。種駒の打ち込みは来春行います。

 気温は4度。天気はまずまずです。何より寒風がないのが嬉しい。強風の日の伐倒は非常に危険です。

 まず、邪魔になりそうな細い木を伐倒します。当然ですが、事前の細かな打ち合わせが非常に大事です。掛かり木になることを予想して念入りに打ち合わせをしました。安全第一です。

 山桜などを4本ほど伐倒しました。作業の邪魔になる棘のするどいヤマガシュウも剪定ばさみで切りました。

 いよいよクヌギの伐倒です。まず倒す方向に受け口を作ります。

 こんな感じで受け口ができました。

 iPhoneのアプリで水平を測ると、おおピッタリ水平です。

 「追いづる切り」という手法で伐採します。手前につるを残して、中央部を切ります。

 こんな状態です。左のつるを切ると倒れます。偏心の程度が著しい立木、または裂けやすい木の伐倒で安全のために用いる手法です。針葉樹はたいてい円錐形で重心が分かりやすいのですが、赤松や広葉樹は偏心の程度が激しく、重心が分からないものも多いのです。大型のグラップルがあれば掴んでおいて伐倒できるのですが、それを所持して動かせる山仲間のKさんは故人です。安全に切るためには、高度な伐採技術が必要です。

 はい、予想通り掛かり木になってしまいました。これをどう倒すかが腕の見せ所です。

 根本近くにロープをかけて引っ張りましたがビクともしません。そこでロープをかける位置を1.5m上に変更。樹を揺らすと見事に倒れました。やれやれです。

 1mごとに印をつけます。

 切り株はこんなです。これで枯れてしまうわけではありません。広葉樹なので、早ければ来春に蘖(ひこばえ)が出てきます。そして数十年後には同じ様な木になります。

 細めの枝もホダ木に使えます。なるべく無駄にしないように玉切りしていきます。

 1mごとに玉切りします。生木なので非常に重いのです。

 軽トラに積んで下山。栽培地に仮置しました。来春、駒打ちします。予定では1000駒。約2年で椎茸が出始めます。ちなみに私が着ている黄土色のフィールドジャケットはLLビーンのものなのですが、独身時代に買ったもので30数年前のものなんです。でも充分に着られます。本当に気に入っています。

 お待ちかねの昼餉は、牡蠣の土手鍋。味噌は仲間と作った自家製信州味噌。ネギと白菜も自家栽培もの。天然ムキタケからいい出汁が出ます。海の幸、牡蠣の旨味と森の天然キノコのマリアージュ。絶品です。出汁は普通は昆布出汁の様ですが、ムキタケが強いので炒り子出汁とカツオ出汁のブレンドに、私の手作りの塩麹を入れてコクと旨味を出しています。

 ノンアルコールビールでゆるゆると。いなり寿司やカクテキキムチも。リンゴと柿、木曽のカブも分けました。私は木曽カブを千枚漬けにします。残りはカブのクリームシチューに。

 土手鍋に太いうどんと、天然ヒラタケ、野沢菜の葉を入れて味噌煮込みうどんにしました。非常に野趣豊かな滋味あふれる煮込みうどんができました。体が温まります。信州人しかやらないみたいですが、春先の野沢菜漬けを天ぷらにするとおかずや酒のつまみに最高です。古漬けを油炒めして包んだおやきと福建風あんかけチャーハンも絶品です。野沢菜は、必ず「本漬け・食品添加物無添加」と書いてあるものを買ってください。

 午後になって曇り始めました。そろそろお開きです。温泉へ。

クヌギの伐採 その1


クヌギの伐採 その2


クヌギの伐採 その3



 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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ピーカンの妻女山展望台へ。鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳、蓮華岳、針ノ木岳、白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳、高妻山、飯縄山、根子岳、四阿山、高社山(妻女山里山通信)

2021-11-30 | アウトドア・ネイチャーフォト
 11月最後の日、朝カーテンを開けると北アルプスがくっきりと見えました。これは撮影に行くしかないと支度をして妻女山展望台に着いたのが10時半。お昼ごろになると稜線が雲で隠れてしまうのでギリギリの時間でした。気温は3度。今朝の最低気温は−3度と冷え込みました。慌てて出てきたので三脚を忘れてしまいましたが、手ブレ補正の抜群の機能を持つオリンパスですからなんとかなるでしょうと。

 鹿島槍ヶ岳(2,889m)。後立山連峰(飛騨山脈)の盟主といわれる名峰。山頂右(北側)の大きな谷は、平家の落人が隠れ住んだという「かくね里」。日本で4例目の氷河かもしれないと雪渓の調査がされましたが、2018年1月に、長野県初の氷河であると認定されました。かくね里の人々は、やがて大川沢を下り鹿島川の辺りに住み、それが今の鹿島集落とか。ただ、鹿島神社には807年(大同2年)には集落があった記述があるそうで、平家追討以前にすでに集落があったことになります。戦国時代の天文年間の大地震で鹿島槍が大崩壊し、麓が大被害を受けたため、地震の神様である鹿島神社を勧請したともいわれています。かくね里上部は、鹿島川最上流部の標高1800〜2200mにあり傾斜もきつく、雪崩や落石も多くとても人が住めるようなところではなさそうです。もし落人が住んでいたとしても、もっと下流の方かも知れません。

 その左(南)にそびえる爺ヶ岳(2,670m)。鹿島槍、五竜岳と共に仁科三山と呼ばれます。

 ずっと右にそびえる白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳(2,903m)、杓子岳(2,812m)、白馬岳(2,932m)。明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作るために白馬村に訪れた時、この山々には確固たる山名がありませんでした。岳山(たけやま)とか西山とか適当に呼んでいたそうです。そんな馬鹿な話があるかと役人に怒られて、長老が命名。
 雪形の代かき馬からとって代馬岳、貝杓子に似ているので貝杓子岳、長いので貝を取って杓子岳、尖っているので槍ヶ岳、しかし槍ヶ岳、鹿島槍とあるので駄目だと言われて白馬鑓ヶ岳と命名。西山にいる山の主で天狗の尾根、身の程を知らぬ者が天狗に近づこうとして帰れなくなったので不帰ノ岳と適当に命名して今に至ります。代馬岳は、実際の地図では白馬岳となっていましたが、村人達は長い間その事実を知らなかったそうです。(出典:『北アルプス白馬ものがたり』石沢 清著)

 白馬鑓ヶ岳と杓子岳。手前の里山は、茶臼山の登山口にある信里小学校と農協。この向こうには、山布施などの古い集落が点在します。西山地区といい西山大豆や野沢菜、おやきなどが有名です。

 白馬岳の雄姿。北は栂海新道をたどり、大昔にユーラシア大陸と引き離された親不知で日本海へと落ち込みます。手前の里山は、地滑りで崩壊した茶臼山の南峰です。

 妻女山展望台から北を見るとまず目に入るのが、戸隠富士と呼ばれる高妻山(2,353m)。手前は戸隠山の連峰。

 右手前に大きな山塊の飯縄山(1,917m)。拙書でも詳しく紹介していますが、山頂付近には飯縄権現を祀る飯縄神社があります。北信五岳のひとつで、長野市民の山。都民ならたいてい高尾山に登る様に、長野市民ならたいてい一度は登る山です。ちなみに高尾山薬王院は飯縄大権現を祀っています。飯縄権現は、古くから戦勝の神として信仰され、上杉謙信や武田信玄が信仰していたことでも知られています。多くの場合、神が烏天狗という形であることから、古くは秦(羽田・畑・本田・本多)氏の様に徐福伝説や古代ユダヤとの関係も考えられます。

 東方には、根子岳(2,207m)と四阿山(2,354m)。両山ともコースはもちろん、歴史や自然を拙書で詳しく書いていますが、四阿山は真田の修験の山で、山頂には麓の山家神社の奥宮が二つあります。麓の神社には、真田幸隆が奉納した奥宮の漆塗りの扉が現存します。菅平は、ここのところ全国最低気温を記録しています。

 北東を見ると、これも拙書で紹介している地元でたかやしろと呼ばれる高社山(1351.5m)。その美しい佇まいから別名を高井富士といいます。この山を境にこちら側の南側と、向こうの北側では積雪がまったく異なります。木島平や飯山は、日本有数の豪雪地帯です。冬期は手前に雪庇ができるので要注意。実際踏み抜いて死亡事故も起きています。拙書では、美しい花をたくさん紹介しています。

 週末に作業をする予定の陣場平へ。甲高い鳴き声のヒヨドリがたくさんいました。他にはメジロなども。残り少ないクマノミズキの実をついばんでいるのでしょうか。冬に山仕事をしていると、虫を求めてルリビタキが寄ってきます。

 堂平大塚古墳横の友人のログハウスで休憩。蓮華岳(2,799 m)右奥は針ノ木岳(2,821)。針ノ木峠(2,536m)は、古くから信州と越中を結ぶ立山詣者、杣人、商人、釣り人などの重要な道でした。

 下って妻女山松代招魂社へ。戊辰戦争以降の戦没者を祀っています。瓦には六文銭が。戊辰戦争の会津戦争は、信州人同士の戦だったという歴史の悲劇です。上杉景勝の会津転封で、善光寺平の土豪達は家族家来が全て会津に移りました。加えて徳川家光の時代に、伊那高遠藩の保科正之が家光の腹違いの弟と判明し会津に転封。また信州人が行きました。この時、我が一族のものが同行し、後に豪商となって会津藩を支えました。会津は信州人が造った町ともいえるのです。また、妻女山麓にある会津比売(あいづひめ)神社の祭神である会津比売命と、福島の会津は古代において深い関係があるのです。ハイキングのガイドでは、そんなこともお話ししました。そして会津戦争で会津若松城をメリケン砲で攻撃し白虎隊殲滅に加わったのが松代藩でした。戦はいつの世も悲劇しか生みません。
「戊辰戦争」の戦没者を祀る妻女山松代招魂社と松代藩の戦没者名簿(妻女山里山通信)

 妻女山展望台(411m)。ここは川中島八景のひとつ。妻女山秋月に挙げられています。あと七つは、茶臼山暮雪、猫ケ瀬落雁、千曲川帰帆、八幡原夕照、勘助塚夜雨、典厩寺晩鐘、海津城晴嵐。またここは、信州サンセットポイント百選に選ばれており、美しい夕焼けが見られます。
 現在はここが妻女山と呼ばれていますが、正しくは赤坂山です。上杉謙信が本陣としたと伝わる妻女山は、ここより100mほど高い本名を斎場山という山で、山頂は古代科野国の古墳(円墳)です。Googleマップでは、陣場平と斎場山について、私が写真を投稿しコメントも記しています。ぜひご覧ください。

 冬野菜が美味しい季節になりました。やはり霜が降りたものは甘さが違います。今回はオイルサーディンと白菜とのらぼう菜のパスタを作りました。のらぼう菜は江戸時代の初めにオランダから入ってきた菜の花の原種で、東京の西多摩地方で食べられていた野菜です。私は若い頃にあきる野市の養沢川にフライフィッシングに通っていた時に知りました。帰郷してから息子に種を送ってもらい栽培を始めました。亡き父が非常に気に入り採種して集落に配ったので、今では皆作っています。春先にとう立ちを折って食べますが、苦味がなく和洋中華すべてに合うので人気の野菜です。これのボンゴレビアンコとかオイスターソース炒めなどは絶品です。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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初冬の陣場平へ。緑のセリバオウレン、クマノミズキの珊瑚色の実、信濃柿、ハチノスタケ。妻女山展望台(妻女山里山通信)

2021-11-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 あちこちから降雪の便りが届き始めました。白馬ではけっこうな積雪があったようです。来週は仲間を集めて山仕事をするので、その下調べも兼ねて妻女山山系に登りました。林道は枯葉が降り積もって非常に滑りやすくなっています。スタッドレスは雪には有効ですが、積もった枯葉にはまったく効きません。特に舗装路に積もった枯葉のカーブは慎重に。雪ではシャーベット状態、ミラーバーンにブラックアイスバーンは信州では普通にあります。最も怖いのは、春先の溶けて氷結した路面に薄雪の状態。どんなスタッドレスも全く効きません。
 それと、県外からスキーなどに来た車に見られますが、車の屋根に雪を積んだまま走ること。これは法律違反であり非常に危険です。後ろに落ちると後続車が事故る可能性があり、責任を問われます。また、ブレーキ時にフロントグラスに落ちて視界がまったくなくなり事故る可能性。絶対にやってはいけません。スタッドレスはもちろん、雪かきスコップ、窓の雪を落とすスクレーパー、融雪スプレー、−30度対応のウィンドウウォッシャー液は常備を。私は深雪や凍結の林道の急斜面を登るためのスパイクアタッチメント(スウェーデン製:麓の公道は走れません)も積んでいます。冬期のイノシシ狩りのハンターは、スタッドレスの上にチェーンを履いて登ってきます。

 妻女山里山デザイン・プロジェクトで貝母(編笠百合)の保護活動をしている陣場平。第四次川中島の戦いで、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたところと伝わる場所でもあります。完全に落葉すると樹間から海津城(松代城)が見えます。紅葉というより枯葉ですね。閑寂とした風景を突き破るように何か鳥の群れが樹冠で騒いでいたのですが、正体は分かりませんでした。冬の漂鳥や渡り鳥もそろそろ見られる頃です。
 毎年の4月の記事をご覧いただくと分かりますが、貝母が満開になると何百人もの方が花見に登って来ます。毎年メンバーで整備をして、球根を移植しているので群生地は少しずつですが広がっています。私が発見して保護活動をしていた頃と比べると数倍の面積になっています。来春を楽しみにしていてください。

 一角に我々が植えたセリバオウレンがあります。葉が緑色で艶艶しています。来春の3月中旬以降に花が咲きます。その頃に貝母が芽吹きます。ロゼットで冬越しする植物も散見されます。中央のクマノミズキもほとんど落葉しました。
可憐なセリバオウレン。北信濃の春を告げる花の群生地を探しに上杉謙信の山城がある髻山へ(妻女山里山通信):清楚で可憐です。動画も二本。

 足元にそのクマノミズキの実が落ちていました。これを見ると私が「森の珊瑚」という理由が分かると思います。一緒に落ちた実も、いずれ鳥や昆虫などに食べられてしまいます。

 信濃柿(豆柿)。渋柿ですが木になったまま甘い干し柿になります。雪が降る頃に落ちるとタヌキの大切な餌になるのです。雪の上にタヌキが歩き回った足跡があるので分かります。

 倒木にハチノスタケ。有毒ではありませんが食べられません。傘の裏が蜂の巣状です。数日前にかなり雨が降ったので、ムラサキシメジのシロにも行きましたが出ていませんでした。今年は結局2本採っただけ。例年なら100〜200本は採れます。フランスではピエブルーという高級キノコ。和風にも洋風にも合うとても美味しいキノコです。

 ヤマコウバシの木にからみつくミツバアケビ。冬になっても緑なので、ニホンカモシカの餌にもなります。ミツバアケビの実は大きく食用になります。
アケビのブルーチーズ入りミソバーグ:オリジナルレシピですが、東京のヌーベルキュイジーヌのレストランで食べたら3000円ぐらいしそうです。味噌風味にブルーチーズを合わせたところが、まさにミソです。ミソとブルーチーズのはんなりとしたコクのある香りが漂ってきて食欲をそそります。

 林道から陣場平への小道。オニグルミの木がたくさんあります。撮影機材や山仕事の道具を積んでここまで車で来ますが、オススメしません。林道が豪雨で激しくえぐれているので、車が傷つくか壊れます。私は何十回と登っているのでどこにタイヤを置けばいいか熟知しているのでなんとか登れるのです。

 その分岐から。左に登ると天城山(てしろやま)を経て鞍骨城跡のある鞍骨山へ約60分弱。右下に下ると5分弱で堂平大塚古墳。3つ前のブログで、その歴史や驚愕のエピソードを記しています。冬の日が作る樹木の影が美しい。

 堂平大塚古墳から西の眺め。篠山が見えます。山頂直下は、長野市の森林公園で車で行けて眺めもよく非常にいいところなのですが、人に出会ったことがありません。中腹にはウィーゴカントリークラブ、麓には長谷観音があります。麓に白く靄(もや)が見えます。気温は8度。

(左)堂平大塚古墳入り口の紅葉。(右)入り口の足元には紅葉の絨毯。

 長坂峠から北の眺め。落葉して千曲川や長野方面の山々も見えるようになりました。

 長坂峠のクヌギの黄葉。そのすぐ奥に斎場山(伝上杉謙信の本陣)がそびえます。日向と日陰では体感気温がまったく違います。冬を感じます。

 少し下って千曲川。対岸にAC長野パルセイロのホームスタジアムも見えます。

 妻女山駐車場から東の眺め。松代方面。左に大きな奇妙山。右奥に雲に隠れた根子岳と四阿山。畑では、降雨や降雪の前に剪定した枝や枯葉を燃やす作業があちこちで行われています。

 妻女山展望台から西方の眺め。茶臼山の右奥に神話の山、虫倉山。神城断層地震で山頂の4割が崩壊してしまいました。左奥には白馬三山が見えるのですが、ピーカンの日以外は雪雲がかかっていて見られません。白馬村では積雪もありました。五竜のスキー場はもう滑れる様です。在京の次男は胸を躍らせている様ですが、私はウィンタースポーツはやりません。子供の頃嫌というほどスキーやソリやスケートをしたせいでしょうか(笑)。小学校の頃は、冬は午前中は全て前の広い田んぼでスケート三昧でした。帰って友達と妻女山へスキーに。満月の夜は帰るのも忘れて滑りました。帰って怒られましたが。

 北方の眺め。飯縄山もやっと積雪がありました。冬の訪れは遅いのですが、12月から1月上旬は厳冬とか。気になるのは上雪が多いかもという予報。2014年の大豪雪を思い出します。あのときはブログでも記事にしていますが、本当に大変でした。今週末にはいよいよ長野市でも降雪がありそうです。どんな冬になるでしょう。

 妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと作った黒大豆が山のようにあります。とりあえずきな粉を作ったら馬鹿旨だったので、黒大豆100%のハンバーグを作ってみました。黒大豆を茹でて粒が残るくらいに潰し、玉葱のみじん切りを炒め、卵、パン粉、片栗粉を加えます。味付けはコンソメパウダー、ケイジャンスパイス、マジックソルト、コショウ。黒大豆の煮汁でご飯を炊きました。大豆ハンバーグ、これは予想以上に美味しいです。味付けを中華風、和風と変えてもいいでしょう。ヴィーガンではありませんが、これは癖になりそう。

 翌々日の日曜日の朝、斎場山に初冠雪がありました。標高513mなのでこの程度ですが、善光寺平を囲む800m以上の里山は真っ白です。日中は晴れたのでほとんど溶けましたが。あちこちのスキー場からはオープンの知らせが届いています。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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森の貴婦人ムラサキシメジ。採らずに我慢のキノコ狩り。亡き友人が植えたイロハモミジの鮮やかな紅葉(妻女山里山通信)

2021-11-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 用事を済ませて妻女山へ。前日はキノコ狩りをする気もなく温泉へ行く途中でジャージでキノコ狩りしてしまったので大量の引っ付き虫に好かれてしまいました。今日は完全武装で。妻女山の駐車場へ行くと既に4台の車が。天気もいいので鞍骨山へ向かったのでしょうか。まとまった雨がないので、地面から出るキノコは皆無です。

 眼下に上信越自動車道と松代パーキングエリア。上りと下りは歩いて行き来ができます。また国道403号からも利用できます。とろろご飯とか鬼かけ蕎麦とかリーズナブルで美味しい郷土料理がいただけます。雨が降っていないので千曲川の青が鮮やかです。

 数年ぶりに急斜面の獣道を歩いてみました。実はこのずっと上に林道があるのですが、それができる前は、ここが山道だったのです。しかし、人が歩かなくなると道は崩れ消滅します。現在はニホンカモシカが歩くだけ。途中に何箇所か糞場がありました。気を抜くと滑落必至な獣道です。体幹が鍛えられます。しかし、山はカラカラでキノコはなし。

 ダンコウバイの鮮やかな黄葉。Sさんに邂逅。80過ぎなんですが、山登りを欠かしません。妻女山里山デザイン・プロジェクトの活動のお手伝いもしてくれます。

 彼と別れて下っていくと右下の斜面に大きなキノコを発見。なんだろう?と下りてみました。最初はシロシメジかと思いました。しかし、採取して傘の裏を見ると、なんと森の貴婦人ムラサキシメジ(紫占地)。乾燥しているので白っぽくなってしまったのです。水に浸すと鮮やかな紫色になります。二つ採れました。美味しいだけでなく、カリウム、リン、マグネシウム、ナトリウム、カルシウムなどが含まれる栄養食品です。
 フランスでは、ピエ・ブルーといって高級キノコ。和風はもちろんバターやクリームとも相性のいい非常に美味しいキノコです。亡き父は、匂い松茸味しめじと言ってなといい、ムラサキシメジの吸い物が何より大好きでした。油味噌と和えておやきも美味です。今回は煮込みうどんにします。

 前日行ったムキタケとヒラタケの倒木へ藪を越えて向かいました。採らずに残してきた小さなムキタケです。

 採りたくなりますが我慢です。山はカラカラでキノコ狩りの人はいませんし、ここは藪のはるか奥なので、私以外は入らない場所です。

 ヒラタケもあります。雨が降らないとなかなか大きくなりませんが、朝に霧に包まれるのでその水分が命の源です。

 大きなヒラタケは、傘の裏に白いブツブツができます。ナミトモナガキノコバエが運ぶ線虫の一種によって生じるもので中に見えないほど小さな線虫がいますが、食べるのに問題はありません。いやなら爪でしごけば簡単に取れます。

 今回の収穫。手前の二つがムラサキシメジです。ムラサキシメジやシモフリシメジ、天然のエノキタケはこれからが里山ではシーズンですが。まとまった雨が降らないと出ません。ムラサキシメジはこれから道の駅で買えるかもしれません。選び方は、茶色の部分がないもの。そこは枯れ葉が張り付いていたところで、枯れ葉の香りが付いています。それがいいと言う人もいます。お好きな方を。紫色が鮮やかなものがいいですね。

 山歩きに疲れて、休憩のためにログハウスへ。今は亡き山仲間の友人Kさんが植えたイロハモミジが紅葉していました。この山を愛した彼を偲びながらのティータイム。蜂蜜を入れたチャイが最近のお気に入り。

 妻女山里山デザイン・プロジェクトで保護活動をしている貝母の群生地がある陣場平の入り口。オニグルミと信濃柿(豆柿)の木があります。

 下って松代藩が建立した妻女山松代招魂社。戊辰戦争以降の戦没者を祀っています。瓦には六文銭が。現在はここが妻女山と呼ばれていますが、正しくは赤坂山です。上杉謙信が本陣としたと伝わる妻女山は、ここより100mほど高い本名を斎場山といい、山頂は古代科野国の古墳(円墳)です。Googleマップでは、陣場平と斎場山について、私が写真を投稿しコメントも記しています。ぜひご覧ください。

 招魂社裏手のソメイヨシノか山桜の幹にナツヅタが絡みついて紅葉しています。フユヅタ(アイビー)は紅葉しません。

 妻女山展望台の裏にある四阿から見る色づき始めた茶臼山。茶臼山動物園では双子のレッサーパンダが生まれて大人気の様です。白馬三山は雲の中。手前の畑では長芋の収穫が行われています。とろろ100%のお好み焼きを作ろうと思います。

 映えない写真ですが、信州ハムの豚足を大根、ムキタケ、ヒラタケ、クリタケ、ハナイグチと中華煮に。上湯スープの素、牡蠣ソース、本味醂(あれば紹興酒)、醤油、五香粉、ニンニク、生姜でコトコト煮込みました。天然キノコは中華にも合うのです。横浜中華街でも味わうことができない、天然キノコの極上の旨味がつまった料理です。豚足はコラーゲンたっぷりで、ビタミンDやビタミンB12なども豊富に含まれています。
 ガラス鍋ですが、VISIONの鍋です。もう30年以上使っていると思います。中が見えるのと、火を止めてもしばらくグツグツ煮えているほど保温性が高いのです。非常に気に入っています。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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