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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

上杉謙信の陣城跡、陣場平から斎場山経由で土口将軍塚古墳へ。猪のヌタ場。春はどこ?(妻女山里山通信)

2022-02-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 土日は大寒波が来るというので、晴れの金曜日に妻女山へ。前回忘れてひどい目に遭ったので靴下につけるホッカイロを。猪狩りの猟師が登っていないので天城山(てしろやま)林道を歩いてみました。ログハウスで休憩の後は、久しぶりに土口将軍塚古墳へ。立春なので、春の兆しを見つけに登ったのですが。

 堂平大塚古墳の丘に咲く福寿草も先週よりずいぶんと増えていました。幸福と長寿を表す野草ですが、キンポウゲ科のかなり強い毒草です。薬草ですが、民間薬として使える様なものではありません。誤食して死亡例もあります。貝母やカタクリと同じく、典型的なスプリング・エフェメラル(春の妖精・春の儚い命)です。

(左)妻女山駐車場から右の林道を登ります。入り口に妻女山里山デザイン・プロジェクトが設置した登山ノートがあります。向こうに大日如来の石像。(右)1番目のカーブ。カーブは曲がった先が急傾斜です。それを知らないと酷い目に遭います。下りはセカンドかファーストに落としてエンジンブレーキも使って。フットブレーキだとABSが効いて危険なことも。切っておくことも必要。凍結していたらスパイクアタッチメントは必須。

(左)2番目のカーブ。下は岩盤。(右)3番目のカーブ。処理された倒木。

(左)4番目のカーブは、中央が深くV字にえぐれているのでそこを避けます。(右)5番目のカーブ。

(左)最後の6番目のカーブ。ここもえぐれています。見た目以上に傾斜がきつく日陰で凍結しているので要注意です。この先で、つがいのヤマドリが私に気づいて逃げていきました。ヤマドリは信州黄金軍鶏と同じかそれより美味です。販売禁止なので、知り合いの猟師からもらうしかありません。ただ養殖もされているので買うことは可能ですが、野生のものとの味の違いは知りません。天然記念物のニホンカモシカも、実は獣害駆除で長野県では年間700頭ぐらい狩られていてほとんどが東京の高級料亭やレストランに送られています。(右)長坂峠に着きました。歩いても10〜15分ぐらいです。正面は斎場山。左へ陣場平へ向かいます。400mほど。

 上杉謙信の陣城跡、陣場平。入り口の雪がない西向きの斜面で貝母(編笠百合)の新芽を探しましたが、まだ出ていません。立ち枯れの木が何本かあるので、春の作業で伐倒しようと思います。里山保全は、行政はしてくれません。我々の様な者達が各地でほそぼそと保全作業をボランティアで行っていてなんとか保たれているのです。

 天城山への林道のピークから見下ろす陣場平。芽吹き前の今だけ見られる風景です。かなり広いことが分かります。川中島の戦いの際に、上杉軍が七棟の陣小屋を建てたと伝わる場所です。ここからなら武田軍がいた海津城は丸見えです。

 林道を登って松代方面。左下に上信越自動車道の松代PA。手前の国道403号からも入れるので、昼食に訪れる人が多い。下りの盛り蕎麦とろろ飯セット、上りの真田とろろ六文そばセットがおすすめです。上りでは産直の野菜も買えます。白いビルは、ロイヤルホテル長野。他には泉質が素晴らしい松代荘がおすすめ。布袋屋というゲストハウスも人気です。

(左)天城山や鞍骨山への登山道との分岐。私は右の林道へ。動物の足跡がたくさん。(右)狸の足跡。重なっているので何度も通っている様です。

 林道を歩きましたが何もないので戻ってログハウスへ下ります。右に堂平大塚古墳。ここでルイボスティーを飲みながらまったりと休憩しました。北面に山があるので寒風もなく穏やかです。暖冬ならもうオオイヌノフグリも咲いているのですが。梅の花芽もまだ小さく固いまま。山蕗の芽吹きももう少しかかるでしょう。

 古墳の丘に咲く福寿草のアップ。パラボラアンテナの様に熱を集めます。蜜はないのですが、多量の花粉で昆虫を集めます。花言葉は「幸せを招く・永久の幸福」など。

(左)立ち枯れの山桑にキクラゲがたくさん。それも高級なアラゲキクラゲ。小さいので春まで待ちます。キクラゲとトマトの卵炒めは、中華料理の定番で大好きでよく作ります。キクラゲは、食物繊維がゴボウの3倍。ビタミンDの量は、食品の中でもトップクラス。ビタミンB2、カルシウム、マグネシウムも豊富な優良食品です。(右)ヤブソテツ。これはニホンカモシカが食べます。一種類のものをたくさんは食べませんが、非常に多くの種類の植物を食べます。それが氷河期から生き残ってこられた理由なのでしょう。

(左)林道を戻って長坂峠から斎場山へ。最初上杉謙信が本陣としたと伝わる古代科野のクニの古墳です。(右)その尾根の西には旗塚と呼ばれる塚が7基あります。古墳時代後の、県司や郡司の墳墓と思われます。

 御陵願平(龍眼平)にある猪のヌタ場。たくさんの足跡があります。猟犬に追われた猪が火照った体を冷やすために来ることも。ただ氷が厚すぎて割れないので水浴びはできませんね。溶けている部分で水は飲めます。周囲には泥だらけの体を擦り付けた木がたくさん見られます。猪も優良なジビエですが、知り合いの猟師によると、美味しいのは年末までの30-40キロぐらいのメス。年を越したものや100キロの巨獣は美味くないと。ログハウスのKさんが存命の時は、猪や鹿などのジビエを揃えてバーベキューを盛大に行ったものです。

 更に西へ長尾根を進み、ここから標高差80mほど下ります。このルートは、拙書の斎場山のページで詳しい地図や説明を載せています。赤松やクヌギの倒木がいくつもありました。向こうに見えるのは篠山、高雄山、三峯山。この道は、ノイバラやヤマガシュウなどの棘植物が多いので、剪定バサミで切りながら進みます。

 土口将軍塚古墳の前方部。前方後円墳です。森将軍塚古墳が、初代科野國造の墳墓とすれば、これはそれ以降の科野のクニの王の墓なのでしょう。墓穴は二基だそうですが夫婦でしょうか。

 前方部の上から後円部を見たところ。倒木で古墳が傷むことはないでしょうけど、景観を損ないますね。

 後円部から前方部を見たところ。向こうに斎場山が見えます。ここは、古代科野のクニの聖地だったのです。

 土口将軍塚古墳の説明。現在は埴科(はにしな)古墳群として国指定史跡になっています。埴科古墳群とは、森将軍塚古墳、有明山将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、土口将軍塚古墳です。周辺には斎場山(妻女山)古墳・坂山古墳・堂平古墳群・笹崎山古墳・北山古墳など数多くの古墳が残されています。これらの古墳群は4世紀末 - 6世紀初頭の築造と推定されています。更埴市というのは、現在の千曲市のことで、戸倉町、上山田町と合併して2003年に千曲市になりました。 8行目の文字が欠けていますが、葺石(ふきいし)で、古墳の表面が石で葺かれていたということです。葺石古墳は、古墳時代前期と中期に見られ、後期には見られなくなります。

 長坂峠に戻りました。北の善光寺平の長め。北東からの寒風が吹き始めました。ログハウスは無風3度で暖かかったのですが、ここからは北面を下るので激寒です。気温はマイナス3度ほど。体感気温はマイナス10度ぐらいです。寒さで膝が痛くなりました。立春なんですが、週末は大寒気が入るそうで、積雪もありそうです。遅い昼は、昨夜の残りの塩鮭と冬野菜のクリーム煮を卵おじやにして、夜はうどんの入った茶碗蒸し、小田巻蒸しを作って暖まりました。3時間半ほどの山行で、6回救急車のサイレンを聞きました。いくらなんでも多すぎませんか。葉がないので麓の音が非常によく聞こえます。週末は白銀の世界になるでしょう。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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