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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

貝母の群生地がある陣場平から堂平大塚古墳へ。春を探しながらのんびりと。愛読者と嬉しい邂逅。山座同定(妻女山里山通信)

2022-02-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 10日は上雪で関東地方から長野県は中南部が大雪になりそうです。前日は、本当かなと思うほど穏やかな晴天。まず妻女山展望台へ。今回は陣場平からログハウスへと2時間ほどの短い山歩きでした。スパイク付き長靴は、ホッカイロを入れても冷たいので、今回はインナーがフカフカのスノーブーツで。これが正解でした。

 妻女山展望台から北西の眺め。今回は山座同定を入れてみました。晴れてはいるのですが、里山の上には濃い灰色の雲が。虫倉山、茶臼山は拙書でも紹介しています。虫倉山は神城断層地震で山頂が4割崩壊してしまいましたが、登って非常に面白い里山です。また歴史の山です。信毎に、白馬岳は「しろうまだけ」か「はくばだけ」かという記事が。国土地理院はしろうまだけ、白馬村でははくばだけと読んでいます。その成り立ちを記します。
 明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作るために白馬村に訪れた時、この山々には確固たる山名がありませんでした。岳山(たけやま)とか西山とか適当に呼んでいたそうです。そんな馬鹿な話があるかと役人に怒られて、長老が集まって必死に考えて命名。雪型の代かき馬からとって代馬岳、貝杓子に似ているので貝杓子岳、長いので貝を取って杓子岳、尖っているので槍ヶ岳、しかし槍ヶ岳、鹿島槍と既にあるので駄目だと言われて白馬鑓ヶ岳と命名。代馬岳は、実際の地図では白馬岳となっていましたが、村人達は長い間その事実を知らなかったそうです。(出典:『北アルプス白馬ものがたり』石沢 清著)そんなわけで、元がしろうまだけなので、国土地理院はしろうまだけ。白馬村は、しろうまむらって言いにくいですね。よってはくばむらなのではくばだけ。山名は、山の反対側で呼び名が違うことはよくあります。拙書でも他の山で書いていますが、山名が時代によって変わっていくことはよくあることなのです。呼び方が複数あっても少しもオカシクはないのです。

 北の眺め、飯縄山は山頂が雲に隠れていますが、雪は降っていません。雲は手前です。富士ノ塔山は、山頂直下まで車で登れます。手前に見える白い崖は、裾花凝灰岩。この山際に活断層が走っていて、江戸時代の善光寺地震の時に動いて甚大な被害を出しました。飯縄権現については拙書でも、謙信や信玄とからめて詳しく記しています。

 北東の眺め。拙書でも紹介の高社山。親しみを込めてたかやしろと呼びます。その美しい山容から高井富士とも。松代大橋のたもとにある松操山典厩寺は、歴史マニアにはおすすめ。曹洞宗の寺院ですが、東洋一の大きさといわれる閻魔大王の像があります。また、川中島の戦いで討ち死にした武田信繁の墓があります。境内には、信繁の首を洗ったという「首清め井戸」や、甲越弔魂碑、武田・上杉両雄の一騎討ちの碑などもありますが、川中島合戦記念館はぜひ訪れて欲しい。展示されているものは、念持仏や血染めのかたびらなど全て本物です。拝観料は200円。
武田典厩信繁の墓と全国随一の大きさの閻魔大王像がある典厩寺探訪(妻女山里山通信):歴史マニア必見!とりあえず左の文をクリックして内容をご覧になってください。驚きます。

 妻女山(旧赤坂山)展望台後ろにある善光寺地震〔弘化4年(1847)〕の罹災横死供養塔で、善光寺平を見渡す場所にあります。ちょうど善光寺の御開帳で賑わっていたこともあり、死者総数は8600人余り。新潟の高田から長野、松本まで広範囲に甚大な被害をもたらしました。石碑は嘉永二年(1849)建立。文字は松代長国寺住職、圭白師。なぜ善光寺から遠くここに供養塔があるかというと、松代藩はここが古代からの神聖な斎場(いつきなるば)であったことを知っていたからと町史には記されています。

 駐車場から歩いて登ります。6番目のカーブの上。崖のずっと上に陣場平があります。ここの地名は野毛壇(のげだん・のけだん)といいます。野毛は崖という意味で、壇はその下が平らな雛壇の様になっているからです。陣場平は、周囲が急峻な崖や急斜面なので、陣を構えるのにも最適な場所だったのでしょう。

 長坂峠の先に謙信の本陣と伝わる斎場山(旧妻女山)。古代科野のクニの円墳です。向こうの谷に細い雪形がありますが、長坂峠から土口集落へ下る古道の跡です。昭和40年ぐらいまでは、谷の上半分が桑畑で、下半分が梅園などでした。一度下ってみたことがありますが、現在は荒れ果てています。今年はウスタビガの黄緑色の繭が全く見られません。そういう年もあります。

 貝母の群生地がある陣場平へ。陣場平は日当たりも悪くはないのですが、なぜか雪解けが遅いのです。菱形基線測点の周りだけ先に解けます。地温が低いのでしょうか。不思議です。2月下旬には、残雪を押しのけて貝母が芽吹くと思います。右向こうに見える山塊は、松代の東にある奇妙山。

(左)陣場平の西側の日当たりの良い斜面にひとつだけ山蕗が出ていました。(右)苔むした丸太の上に動物の糞。「テンの高糞」といい石とか切り株とかの上にします。これは柿の種が混じっていますね。ホンドテン(貂、黄鼬)は、妻女山山系にいて出会ったこともあるのですが、極めて稀です。冬のテンは顔は真っ白ですが、体毛が黄色でとても美しい。似たイタチの糞はもう少し細めです。雑食で、鳥を襲ったり、爬虫類や昆虫、果実も食べます。三重県の伊賀地方では「狐七化け、狸八化け、貂九化け」といい、テンはキツネやタヌキを上回る変化能力を持つという伝承があるそうです。

 堂平大塚古墳の脇にある友人のログハウスで休憩。今回もルイボスティー。こちら側を東山(旧埴科郡)といい、向こうを西山(旧更級郡)といいます。起伏の緩やかな里山が犀川まで続き、あちこちに集落があります。ポツンと一軒家もありますね。西山大豆や野沢菜が有名です。

 左(南)に目を向けると篠山。麓にある長谷観音からゴルフ場経由で篠山山頂直下まで車で登れます。ブログでも2回ほど記事にしましたが、見晴らしもよくツツジと紅葉が綺麗です。私はやりませんが、信州のゴルフ場は安くて街から近いので結構賑わっています。

 ログハウスの左奥が古墳。南面の斜面とその向かいの斜面に福寿草が咲いています。まだ咲き始めで、夏期が長いので3月に入っても咲き続けます。まだ蕾のものが多いので、見頃はこれからです。私有地につき立入禁止とありますが、古墳や福寿草を見るだけなら大丈夫です。

(左)春のパラボラアンテナ福寿草。(右)タラの芽はまだ固いまま。

(左)梅の花芽もまだ固いですね。(右)杉の木にキヅタ(木蔦)。冬でも緑なのでナツヅタに対してフユヅタと呼ばれます。アイビーですね。「蔦の絡まるチャペルで〜」ペギー葉山って古いですね(笑)。舞台になったのは、青山学院のベリーホール内の「チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂」。そういえば昔、青学の図書館の検索システムのマニュアルのデザインをしました。似ているものにツタウルシがあるのですが、これに触れると本当に酷い目に遭います。信州の里山には普通にあるので、画像検索をして完全に覚えてください。

(左)苔の同定は難しい。カサゴケ(傘苔)でしょうか。苔のテラリウムやってみようかしら。(右)冬でもツツジの葉は青々としています。これは確か純白の大きな花を咲かせるリュウキュウツツジだった様な。この後、陣場平分岐に戻って天城山(てしろやま)に登ってきたK夫妻と邂逅。拙書の読者でブログもご覧いただいているそう。古墳に行ったけれど福寿草が見つからなかったというので場所をお教えしました。しばらく話して私は下山。

(左)左がコナラで右がクヌギ。妻女山山系はほとんどがクヌギです。どんぐりは、コナラが細く、クヌギが丸いのです。(右)柊(ヒイラギ)。モクセイ科モクセイ属に分類される常緑小高木の1種で、別名は鬼の目突き。古くから「家の庭の、表鬼門(北東)には柊を、裏鬼門(南西)には南天を植えると良い」との言い伝えがあります。欧米でも、キリストを邪悪なものから守ったとして魔除けのために使うそうです。

 駐車場に戻って、林道倉科坂線に入ったところから東方の松代方面の眺め。象山の先にある離山は、江戸時代は登ると城内が見えるため庶民は登山禁止でした。山頂には懸造りの離山神社が鎮座します。戦国時代は清野氏の支配下にありました。清野正衡は入道して徳寿軒といい鞍骨城を築き、後永正年間(1510頃)同城の鬼門除けに離山神祉を創建したといわれています。お諏訪さんが祀られています。奇妙山は、拙書では清滝の上に登って崖下を延々とトラバースする変態コースも載せています。さて、明日は上雪なので善光寺平は大雪にはならないと思いますが、2014年の大豪雪も上雪でした。70センチは積もりました。油断はしないようにしたいと思います。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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