曲水宴の心を 権中納言家賢
めくりあふ今日はやよひのみかは水名になかれたる花の杯
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
勝境既に寂絶にして、雅趣も亦無窮にあり。花を折る梅苑の側、醴を酌む碧瀾の中。
(懐風藻~岩波・日本古典文学大系)
錦巌飛曝激き、春岫曄桃開く。流水の急きことを憚れず、唯盞の遅く来ることを恨むらくのみ。
(懐風藻~岩波・日本古典文学大系)
石(いし)に礙(さは)つて遅(おそ)く来(きた)れば心(こころ)窃(ひそ)かに待つ
流(りう)に牽(ひ)かれて遄(はや)く過(す)ぐれば手(て)先(ま)づ遮(さいき)る
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)
面白や山水に、盃(さかづき)を浮べては、流(りう)に牽(ひ)かるる曲水の、手まづ遮(さへぎ)る袖触れて(略)
(謡曲・安宅~小学館・日本古典文学全集)
曲水に浮ぶ鸚鵡は石に礙(さは)りて遅くとも、手にまづ取りて夜もすがら(略)
(謡曲・養老~小学館・日本古典文学全集)
もものはなうかふこころにまちそみるあうむのつきのいしにさはるを
(正治後度百首~日文研HPより)
三月三日曲水宴といふことは六条殿にて。この殿せさせ給ときこえ侍き。から人のみきはになみゐて。あうむのさかつきうかへて。もゝの花の宴とてすることを。東三条にて。御堂のおとゝせさせ給き。そのふるきあとを尋させ給なるへし。
(今鏡~国文学研究資料館HPより)
からひともけふをまつらしもものはなかけゆくみつになかすさかつき
(新撰和歌六帖~日文研HPより)
曲水宴をよめる 中納言家持
から人の船をうかへて遊てふけふそ我せこ花かつらせよ
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
さかつきのなかれにつけてからひとのふなのりすなるけふをしそおもふ
もものはなえたさしかはすかけなれはなみにまかせむけふのさかつき
(六百番歌合~日文研HPより)
めくりくるやよひもひさしみちとせになるてふもものはなのさかつき
(夫木抄~日文研HPより)
みちとせのかすにもめくれはるをへてたえぬやよひのはなのさかつき
(新撰和歌六帖~日文研HPより)
春の暮月(ぼげつ)、月(つき)の三朝(さんてう)、天(てん)花(はな)に酔(ゑ)へり、桃李(たうり)盛(さか)んなるなり。我が后(きみ)一日(いちじつ)の沢(たく)、万機(ばんき)の余(あまり)、曲水(こくすい)遥(はる)かなりといへども、遺塵(ゐぢん)絶えんたりといへども、巴(は)字(じ)を書いて地勢(ちせい)を知(し)り、魏文(ぎぶん)を思(おも)うて風流(ふりう)を翫(もてあそ)ぶ。蓋(けだ)し志(こころざし)の之(ゆ)くところ、謹(つつし)んで小序(せうじよ)を上(たてまつ)る。
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)
三日 春酣(たけはな)にして曲水(くゐよくすい)を思ふ
彼(か)の蒼(さう)い 温克にして花に催(もよほ)さる
煙霞(えんか)遠近(ゑんきん) 同戸(どうこ)なるべし
桃李(たうり)浅深(せんじむ) 勧盃(くゑんぱい)に似(に)たり
酔(ゑ)ひに乗ずる和音(くわおむ) 風の口緩(ゆる)ぶ
憂へを鎖(け)す晩景(ばんけい) 月の眉開(ひら)く
(菅家文草~岩波・日本古典文学大系)
水は巴(は)字を成(な)す初の三日(さんじつ)
源(みなもと)は周年(しうねん)より起(おこ)つて後(のち)幾ばくの霜ぞ
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)
(寛弘四年三月)三日、庚子。
土御門第で曲水(ごくすい)の宴を催した。東の渡殿の所から流れている川の東西に、草■(敦の下に土)(そうとん:腰掛のようなもの)と硯台を立てた。東対の南唐廂に公卿と殿上人の座、南廊の下に文人の座を設けた。(略)新中納言(藤原忠輔)と式部大輔(菅原輔正)の二人が、詩題を出した。式部大輔は、「流れに因って酒が泛(うか)ぶ」と出した。こちらを用いた。(略)羽觴(うしょう)が頻りに流れてきた。唐の儀式を移したものである。皆は詩を作った。夜に入って、上に昇った。右衛門督(藤原斉信)・左衛門督(藤原公任)・源中納言(源俊賢)・新中納言・勘解由長官(藤原有国)・左大弁(藤原行成)・式部大輔・源三位(源則忠)、殿上人や地下の文人が二十二人、参会した。
四日、辛丑。
詩ができあがった。流れの辺りに降りて清書した。流れの下に立った。草■(敦の下に土)を立て廻(めぐ)らせた。詩を披講した。池の南廊の楽所に数曲の声が有った。昨日、舞人は重ね装束を着した。今朝は位袍(いほう)を着した。講書(こうしょ)が終わった頃、被物を下賜した。納言に直衣と指貫、宰相に直衣、殿上人には或いは絹の褂(うちき)、或いは白い褂、地下の五位に単重(ひとえがさね)、殿上人の六位に袴、他は疋絹を下賜した。序は(大江)匡衡朝臣が作り、講師(こうじ)は(大江)以言であった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
仰せて云はく、「桃花の石帯(しゃくたい)〔丸鞆。花山院播磨守の帯なりと云々。紫裾濃の石なり〕」、件の帯を御覧ずる次(ついで)に、仰せて云はく、「この帯は奥(あう)あるものなり。常に用ゐるものには非ず。曲水宴(ごくすいのえん)に直衣の布袴に皆紅(みなぐれなゐ)の衣(きぬ)、同じき打衣(うちぎぬ)、えびぞめの織物の指貫などに用ゐるところなり」と。
(富家語~岩波・新古典文学大系32)
後京極良経曲水宴を催さんとし日到らずして薨逝の事
後京極は、詩歌の道に長ぜさせ給て、寛弘・寛治の昔の跡を尋て、建永元年三月に、京極殿にて、曲水宴をおこなはんとおぼしたちけり。巴字の潺緩をながし、住吉の松を引うゑなどして、さまざまに御いとなみありけるに、熊野山炎上のきこえありければ、三日に延(のべ)て、中の巳を用(もちゐ)られたる例もありとて、十二日とさだめられたりける程に、七日のよ、俄に失(うせ)させ給にける。人びとの秀句むなしく家々にのこりてこそ侍らめ。(略)
その御子の前内大臣大納言の時、卅首歌を人々によませて、撰定してつかはれける時、慈鎮和尚往時を思出給て、「寄水旧懐」によみ給ける、
思出(おもひいで)てねをのみぞなく行水(ゆくみづ)にかきし巴字(はのじ)の春のよの夢
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)
かきなかすはのしのみつはたえはててそらにのみみるはるのさかつき
おもひいててねをのみそなくゆくみつにかきしはのしのはるのよのゆめ
かきとめしはのしになみやむすふらむたえにしみちをとほりはてねは
(夫木抄~日文研HPより)
「あはれ、いみじくゆるぎ歩きつるものを。三月三日に、頭の辨柳のかづ らをせさせ、桃の花かざしにささせ、櫻腰にささせなどして、ありかせ給ひしをり、かかる目見んとは思ひかけけんや」とあはれがる。
(枕草子~バージニア大学HPより)
三月三日、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の今咲きはじむる。柳など、いとをかしきこそ更なれ。それもまだ、まゆにこもりたるこそをかしけれ。廣ごりたるはにくし。花も散りたる後はうたてぞ見ゆる。おもしろく咲きたる櫻を長く折りて、大なる花瓶にさしたるこそをかしけれ。櫻の直衣に、出袿して、客人にもあれ、御兄の公達にもあれ、そこ近くゐて物などうちいひたる、いとをかし。そのわたりに、鳥 蟲のひたひつきいと美しうて飛びありく、いとをかし。
(枕草子~バージニア大学HPより)
三月三日、廉義公のもとによみてつかはしける 紀時文
みちよへてなるてふ桃のすゑのよの花のさかりは君のみそ見む
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
曲水宴
仙人(やまびと)の桃のしづくやおちて世にくむさかづきの流れなるらむ
みやのうちはけふ杯のめぐり水すゑの流れをいざやくままし
(千々廼屋集~校註国歌大系19)