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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

仁王会(にんわうゑ)

2024年02月23日 | 日本古典文学-人事

季仁王会と呼ばれるもの:毎年春(2月か3月)と秋(8月か9月)に実施された。

(寛弘二年二月)二十五日、癸卯。
(略)仁王会が行なわれた。内裏から大極殿に着して、午剋に仁王会を始めた。申剋に内裏に参って、内裏の行香(ぎょうごう)を奉仕した。あらかじめ諸司に命じて、大極殿の東西の軒廊(こんろう)に床子(しょうじ)を立てさせて、僧が集会する際の座とした。前師藤原朝臣(藤原伊周)の座次を、大臣の下、大納言の上に列するということを、外記(惟宗)行利に命じて宣旨を下させた。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(治承四年七月)十六日。天晴る。炎旱、旬に渉る。法勝寺如説仁王会に参ず。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

 


友船・共船・伴船(ともぶね)

2022年07月16日 | 日本古典文学-人事

みなとかは-ほのかにしらむ-かすみより-こゑのみいつる-あまのともふね
(建仁元年十首和歌~日文研HPより)

春霞飾磨の海をこめつればおぼつかなしや海人の友舟
(堀河院百首和歌~「和歌文学大系15」)

なにはかた-なみもかすみも-ひとつにて-そらにきえゆく-おきのともふね 
(延文百首_経教~日文研HPより)

建保名所百首歌に 前中納言定家 
もしほ火の/明石の沖の/友舟も/行かたゝとる/秋の夕きり 
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

あかつきの-うらのともふね-こきわかれ-きりにやたとる-しかのあまひと 
(三十番歌合_頓阿判~日文研HPより)

さのみやは-まちわたるへき-ともふねの-やすらふほとに-いつるつきかな 
(為忠家後度百首_親隆~日文研HPより)

 渡月 寂能 
淀河のよとまぬ月の渡し守わたるせはやきあまの友舟
(宝治百首~日文研HPより)

 平高業
後れじと人も旅にや出でぬらん
波のよるゆく月の友舟
(菟玖波集~バージニア大学HPより)

みなと川苫(とま)に雪葺(ふ)く友舟はむやひつゝこそ夜(よ)をあかしけれ
(山家集~「西行全歌集」岩波文庫)

 舟中雪
あるる日の湊入りくる友舟はかす限なき雪のとまふき
(草根集~日文研HPより)

ふりまかふ-ゆきをへたてて-いてつれと-くもまにきゆる-あまのともふね
(拾遺愚草~日文研HPより)

平宗宣朝臣すゝめ侍ける住吉社卅首歌に、海路 前大納言為世 
今朝はみな/真帆にそかくる/追風の/吹一かたに/出るとも舟 
(続千載和歌集~~国文学研究資料館HPより)

うなはらやなきたる浪のうへとほみあまたこきゆくおきのとも舟
(三十番歌合_伝後伏見院筆~日文研HPより)

なみこしに-やへのしほちを-みわたせは-あまのともふね-かすそきえゆく 
(広田社歌合~日文研HPより)

あけぬれは-おきのともふね-さをさして-こころこころに-こきかへるなり
(二十番歌合_乾元二年~延慶元年~日文研HPより)

ともふねを-おのかいへちに-よひわひて-くれゆくいその-あまのもしほひ
(院当座歌合_正治二年十月一日~日文研HPより)

次の日のまた朝、蜑共船に乗つれ、遥はるかの沖に出て見れば、(略)
(源平盛衰記・北条上洛尋平孫附髑髏尼御前事~バージニア大学HPより)


割れ舟・破れ舟、片割舟(かたわれぶね)

2022年07月14日 | 日本古典文学-人事

つかさめしにもりてなけき侍ける比、女のもとにつかはしける 中納言基長
われ舟の/しつみぬる身の/かなしきは/渚によする/浪さへそなき
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

つきもせぬ-なみたのかはの-われふねの-あふせなきさに-くちやはてなむ
(夫木和歌抄~日文研HPより)

寄船恋 院御製
浦かくれ/入江にすつる/われ舟の/われそくたけて/人は恋しき
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

堀川院御時、百首歌奉りける時、述懐の歌によみてたてまつりける 源俊頼朝臣
もかみ河/瀬ゝの岩かと/わきかへり/思ふこゝろは/おほかれと/(略)/なきさなる/かたはれ舟の/うつもれて/ひく人もなき/なけきすと/浪のたちゐに/あふけとも/(略)
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

たのむxき-そのことのはも-なきさなる-かたわれふねの-われそこかるる
(文保百首_経継~日文研HPより)


捨て舟、捨て小舟(をぶね)

2022年07月13日 | 日本古典文学-人事

わたつうみの涙のあわとうく袖やよるべもしらぬ海人の捨舟
(内裏百番歌合_建保四年~「新編国歌大観5」)

よるへなき-ひとのこころの-あらいそに-おもひくたくる-あまのすてふね
(延文百首_尊胤~日文研HPより)

こひすてふ-わかみはあまの-すてふねよ-うきぬしつみぬ-ものおもふころ
(沙玉集~日文研HPより)

にこりえの-こひちにわれは-しつみつつ-こきすてられし-あまのすてふね
(安嘉門院四条五百首_阿仏~日文研HPより)

 寄舟恋
いつまてとたか捨舟の浅き江に朽ちぬうらみを猶残すらん
(草根集~日文研HPより)

あふことは-なきさによする-すてふねの-うらみなからに-くちやはてなむ
(延文百首_公清~日文研HPより)

ふるかはに-かたふきをれる-すてふねの-うかふかたなく-くちやはてなむ
(新撰和歌六帖_信実~日文研HPより)

宝治二年百首歌に、浦船 常盤井入道前太政大臣
さそはるゝ/波のゆきゝに/年もへぬ/あまのなかせる/浦の捨舟
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

いかにせむ-かせしくなみの-しまかくれ-よにすてふねの-よるへなきみは
(文保百首_覚助~日文研HPより)

うきみよに-たちこそめくれ-すてふねの-ひくひともなしと-なにうらみけむ
(白河殿七百首~日文研HPより)

題しらす藤原頼景
夕塩の/さすにまかせて/湊江の/あしまにうかふ/あまのすて舟
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

(たいしらす) 津守国夏
みこもりの/古江の浪に/朽はてゝ/しほたにさゝぬ/あまの捨舟
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

 月前舟
浦ち行く月をのせしは昔にてわれて洲にゐる浜の捨舟
(草根集~日文研HPより)

 救濟法師
ふりぬるやかたに秋もしられず
主もなき浦の捨舟月のせて
(菟玖波集~バージニア大学HPより)

今は心もみたれ髪のいふにもあまる恋草はつむともつきぬ七車の又めくりあふ事もやといたらぬくまもなくまとひありきてもとむれとひとりこかるゝすて舟のさほさしていつことをしゆるよすかもなけれはむなしく立かへりけるか
(鳥部山物語~バージニア大学HPより)

まほならぬ-あしまかくれの-すてをふね-こかれわふとも-ひとはしらしな
(沙玉集~日文研HPより)

うき世を物にたとふれば、岸の額(ひたひ)の根無草(ねなしぐさ)、入江の水に捨て小舟(をぶね)、波にひかれて行方(ゆくゑ)なく、(略)
(横笛草紙~岩波文庫「御伽草子・下」)

大納言殿泪を押へて宣けるは、「我身かく引人もなき捨小舟の如く、深罪に沈みぬるに付ても、たゞならぬ御事とやらん承りしかば、(略)
(太平記・十三「北山殿謀叛事」~WIKISOURCEより)


小弓

2022年02月19日 | 日本古典文学-人事

てんじやう人などまいりて小弓いなどするにたいふ 
  けふよりはねの日の松とあづさゆみ。もろやにちよをかけてひかなん。かへしわすれにけり
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

 人の小弓合しけるに
射る弓の矢かずまさりになりゆくはわがひく方のつよきなりけり
(桂宮本肥後集~「平安朝歌合大成3」

十五日に院の小弓はじまりていでんなどのゝしる。まへしりへわきてさうぞけば、そのこと大夫によりとかうものす。その日になりてかんだちめあまた「ことしやむごとなかりけり、こゆみおもひあなづりてねんぜざりけるを、いかならんとおもひたればさいそにいでゝもろやしつ、つぎつぎあまたのかずこのやになんさしてかちぬる」などのゝ しる。さて又二三日すぎて大夫「のちのもろやはかなしかりしかな」などあればまして我も。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 なかの十日のほどにこの人々かたわきて小弓のことせんとす。かたみにいているとぞしさわぐ。しりへのかたのかぎりこゝにあつまりてなす日女房にかけ物こひたればさるべき物やたちまちにおぼえざりけむわびざれに青きかみをやなぎのえだにむすびつけたり。
山風のまづこそふけばこの春のやなぎのいとはしりへにぞよる
かへし口々したれどわするゝほどおしはからなむ。ひとつはかくぞある。
かずかずにきみかたよりてひくなれば柳のまゆも今ぞひらくる
つごもりがたにせんとさだむるほどに、よの中にいかなるとがまさりたりけむ、てんけの人々ながるゝとのゝしることいできてまぎれにけり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

右近大将道綱家に、人々小弓いてあそひける時、まかり侍らて申つかはしける 贈法印慈応 
あつさ弓いてもかひなき身にしあれはけふのまとゐにはつれぬるかな 
返し 道命法師 
あつさゆみ君しまとゐにたくはねはともはなれたる心ちこそすれ 
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

公実卿のもとにまかりたりけるに侍らさりけれは、出居にをきたりける小弓をとりて、さふらひにこれはおろしつとふれていてにけり、かの卿帰りて弓をたつねけれは、時房まうてきてとりつと申けれは、おとろきて、院の御弓そとくかへせといひにつかはしたりけれは、御弓につけてつかはしける歌 藤原時房 
あつさ弓さこそはそりの高からめはるほともなくいつるへしやは 
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

(長治二年二月)十三日、早旦殿下入宇治給、今日是依故大殿(藤原師実)御忌日也、入夜還給云々、《『小弓興』》後聞、今日候院北面人々相分有小弓合興、講筵了後於北御所北壷方御覧、左右方念人・射手皆布衣、〈装束如花云々、〉射手、〈略〉三度、左多勝、懸物檀紙十帖、従御前被下、籌刺〈左、上野守季安(藤原)、右、上野前司邦宗(藤原)、〉的付、〈左、伊賀守孝清(藤原)、右、散位隆忠(藤原)、〉左方頭伊予守国明(藤原)朝臣、右方頭尾張守長実(藤原)朝臣、兼日七八日以前駒取、不論君達・諸大夫、只候北面人許者、講筵了後参入公卿七八人許有召、小弓合間候御前、〈内大臣以下云々、〉令舞童龍王・納蘇利、八幡童云々、有参音声、
(中右記~東京大学史料編纂所データベース・古記録フルテキストデータベースより)

 長暦二年三月十七日、殿上人十余人野宮へ参りたりけるに、御殿東庭に畳を敷(しき)て、小弓の会(ゑ)ありけり。又蹴鞠もありけり。夕に及(および)て膳をすゝめられけるあひだ、簾中より管絃の御調度を出されたりければ。即(すなはち)糸竹・雑芸の興もありけり。又和歌も有けるとかや。昔はかく期(ご)せざる事も、やさしく面白き事、常の事なりけり。いみじかりける世なり。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

(寛治三年三月)《小弓合習礼儀〈左〉》四日、乙亥、天晴、酉剋参内、有殿上人々遊事、先令御覧 、小弓三人為限、右兵衛督雅俊(源)射事的皮双矢、次中将忠ー(実)的皮、次中将宗通(藤原)皮的、畢着殿上歟、居饗料歟、日入之後、参前斎宮(媞子内親王)歟、
裏書、御簾中摂政殿候給、又内大臣師ー(通)裏候歟、
殿上直衣也、或束帯也、
《小弓合内習》六日、丁丑、天晴、午刻参殿、参院、次参内、殿上人小弓合内々試見、右方事射手三人、先顕仲(源)皮、次的二人、不当的、的了殿上候、有遊事之、
《小弓合》廿六日、丁酉、天陰、未剋有小弓合事、
裏書、南面改御装束、東一間垂御簾、二三間巻之為御座、二間如昼御座敷之、母屋二間垂之、四間垂之、摂政殿座東又庇一間、敷円座四枚、西為上之、左大臣・右大臣、上達部大納言以下候簀子敷云々、付的【職】五位蔵人為房也、限三度懸物給、中将宗通下南階一拝、退出了、 小弓左右進上之、左為勝之、
(後二条師通記~東京大学史料編纂所データベース・古記録フルテキストデータベースより)

(応徳元年)四月《家小弓合》一日、庚午、平座如常、有蓮府小弓合事、射手装束玄冬装束也、従殿下不可改装束之由所被仰也、布衣也、有懸物、念人四位諸大夫等相分、依無拠所設庭中幄舎、有勝負舞、〈左秡〔祓〕頭、右納蘇利、右勝、〉
(後二条師通記~東京大学史料編纂所データベース・古記録フルテキストデータベースより)

(承徳三年/康和元年四月)四日、丙子、晴、六位并侍等有小弓合事、十番〈射手廿人也、〉縫殿允定長科射数的、〈五、〉左兵衛尉定道科的、〈五、〉懸物各以給之、
(後二条師通記~東京大学史料編纂所データベース・古記録フルテキストデータベースより)

 延長五年四月十日、弾正親王、内裏にて小弓の負態(まけわざ)せさせ給ける。酒肴などはてゝ、夕べになりて、清涼殿の東の廂にて、又小弓ありけり。前には弾正親王重明、後には三品親王・清貫民部卿、この外の人びとも仕まつりけり。女装束一重、かけ物に出されたりけるを、弾正親王宮とり給にけり。勝方の拝などありけりとかや。そのまけわざは、廿三日にこそし給けれ。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

 かくて、きさらぎの頃にや新院いらせおはしまして、ただ御さしむかひ、小弓をあそばして、「御まけあらば、御所の女房たちを上下みな見せたまへ。我まけまゐらせたらば又そのやうに」といふ事あり。この御所御まけあり。(略)
(問はず語り~岩波文庫)

(承元元年正月)卅日。天晴れ、雪飛ぶ。酉の時、雨雪。巳の時許りに参上す。申始許りに出でおはします。暫く御小弓。遅参の人々を召すの後、十番笠懸け。左方十人、先づ射る。次で、右方十人の射手。末座の矢、中る。仍て左負くる事、頗る興無し。仰せて云ふ、此の次又ねたみを射るべしと。即ち又、会を始め、之を結ばる。各々射る。一番左衛門督、二番左方、西北面の童部等。右忠信・有雅・頼平・忠清・信能・範茂・清親・仲隆。大相国・定輔卿・尊長僧都等五六人、小山の上に於て見物、念人と云々。雅縁・実教卿以下の殿上人、東の土庇に於て之を見る。夕に退下す。冷然たるに依り、帰参せず。今日博陸、御表と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄元年二月)八日。天晴る。午の時許りに中将来たる。昨日北山に参ず。近日、人毎に桜木を充てられ、前庭に栽ゑらると云々。人々物語るの中(長衡朝臣等の説)、一日の比(ころ)一上の亭に小弓を射る。負態の方雉一羽・酒一瓶、進すべき由頼次に示す(近習の物にあらず。只、召継の事に依り、後院より駈け入るか)。頼次、此の事思ひ得ざるの間、紅梅の大枝を剪り、雄の雉雌の雉各々十羽(小鳥の如くに之を付く)、大瓶に酒を入れて之を送る。納受し饗応すと云々。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建永元年九月)十三日。朝、小雨。天陰る。未後に晴る。参上す。出でおはしまし了りて退下す。酉の時に帰参す。庭に於て御小弓あり。雅縁僧正、御前に候す。十三夜、雲畳(たた)み、月黒し。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)