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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 春 二月中旬

2017年02月19日 | 日本古典文学-春

(弘仁三年二月)辛丑(十二日) 天皇が神泉苑に行幸して、花樹を観覧した。文人に命じて詩を作らせ、身分に応じて綿を下賜した。花宴の節は今回が起源である。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

白き紙に、
 「中道を隔つるほどはなけれども心乱るる今朝のあは雪」
 梅に付けたまへり。
(略)やがて見出だして、端近くおはします。白き御衣どもを着たまひて、花をまさぐりたまひつつ、「友待つ雪」のほのかに残れる上に、うち散り添ふ空を眺めたまへり。鴬の若やかに、近き紅梅の末にうち鳴きなるを、
 「袖こそ匂へ」
 と花をひき隠して、御簾押し上げて眺めたまへるさま、夢にも、かかる人の親にて、重き位と見えたまはず、若うなまめかしき御さまなり。
(源氏物語・若菜上~バージニア大学HPより)

とみのこうぢどの内裏になりて、ひろ御所のつまの紅梅さかりなりし比、月のおぼろなる夜、たれとはなくて、しろきうすやうにかきてむすびつけられたりし、
色もかもかさねて匂へ梅の花こゝのへになる宿のしるしに
この御返事は、院の御所へ申すべしとおほせられしかば、辨内侍、
いろも香もさこそ重ねて匂ふらめ九重になるやどの梅がえ
こうたうの内侍どのゝつぼねは、女院の御所なりけるほど、宰相どのと申す人のつぼねにてありける。その人のもとより、「むめやさかりなるらん。」とたづねたる返事に、勾當内侍にかはりて、辨内侍、
色もかもなれし人をやしのぶ覽みせばや梅の花の盛りを
返事、宰相殿にかはりて、權大納言、
ながめはやなれこし梅の花のかも今九重に色はそふ覽
このうたども、「太政大臣殿〔實氏〕きかせ給ひて、『さしもゆゝしき「色もかも」の御秀歌にかよひて、「いろもかも」とあるわろし。又御返事も、「こゝのへになる」といみじくつゞけられたるに、「いまこゝのへ」とよみたる、たゞしかるべからず。ともにおつなり。』とおほせらるゝ。」ときゝしめんぼくなさ、をかしくて、辨内侍、
匂ひなき色を重ねて梅のはなつらくも人にとがめられぬる
(弁内侍日記~群書類從18)

  十一日、右馬頭などともなひて、初午とて稲荷社など拝みたてまつりて、木幡の奥、いくてといふ所の梅を見侍る路すがら、短尺懐(ふところ)に入て歌詠みしに、野径霞
野辺遠き霞にまじり行人の袖より袖に梅が香ぞする
(草根集~「和歌文学大系66」明治書院)

十二日ゆきだち風にたぐひてちりまがふ。むま時許よりあめになりてしづかにふりくらすまゝにしたがひて世中あはれげなり。(略)十七日あめのどやかにふるにかたふたがりたりとおもふこともあり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 きさらきの中の十日あまり花をこそなとまつころに風さむく空かきくらしてはては雪ふりいてゝひめもすふゝきなとこしちにいふらむもおほうにやとなかめ暮したるにとなりわたらひしめたる宗春法師のくれもかゝる空を心あらんわかきものなと尋とふらん又した待もすらんたとたはふれて申をくるとて
ふりかくす雪の心をうらみてもしたにや君か花を待らん
 と申をくりたる返事につけて
春さむみ花はこゝろもかけぬよにふりくる雪そ情かほなる
(源孝範集~群書類従15)

宮は、東山の春を見給へられんとて、中納言の山の井へ、まゐらせ給へり。二月のなかば過ぎ行くほどなりければ、いづれの山の端にも、棚引きわたる霞の間より、初花のこぼれ出でて、裾野の浅緑より、見越さるるこそ、春の色はひとかたならね。
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

 十日かもへまうづ。しのびてもろともにといふ人あれば「なにかは」とてまうでたり。いつもめづらしき心ちするところなれば今日も心のばゆる心ちあらたまるべしなどするもかうしひけるはとみゆらん。さきのとほり北野にものすればさはべにものつむをむなわらはべなどもあり。うちつけにゑぐつむかとおもへばもすそおもひやられけり。船岡うちめぐりなどするもいとをかし。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

二月十日、春日の臨時祭に立つ。このきはしめたる事なれば、おもしろく嬉しくて、酉のはじめに梨原に著きぬ。子にもやなりぬらむの程にぞ、宮にまゐる。更けたる月の木の間より見えて、庭火のかげ、神(かん)さびたる笛の音(ね)、拍子の音(おと)もすごく、舞人の立ち舞ふけしき、光を神もいかにと、面白くめでたし。
君が世にかかるひかりの色そふる神のこころもおもひ知られて
事果てぬれば、梨原へかへりぬ。序にちと入湯などして、京へ參り著きぬ。
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

きさらきのなかはの比、八十の賀し侍るついてに、釈教の心を 蓮生法師
法の道あとふむかひはなけれとも我も八十の春にあひぬる 
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
蓮生法師八十賀し侍けるによみてつかはしける 前右兵衛督為教
ふりにける八十の後をかそへても残るよはひの末そ久しき
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

二月も十餘日になりぬ。きくところに十夜なんかよへるとちぐさに人はいふ。つれづれとあるほどに彼岸にいりぬれば「なほあるよりは精進せん」とてうはむしろたゞのむしろのきよきにしきかへさすればちりはらひなどするをみるにもかやうのことは思ひかけざりし物をなどおもへばいみじうて
うちはらふちりのみつもるさむしろもなげくかずにはしかじとぞ思ふ
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 御修法(しゆほふ)の心ぎたなさも、御心のうちわびしきに、六日と申しし夜は、二月(きさらぎ)の十八日にて侍りしに、広御所(ひろごしよ)の前の紅梅、常の年よりも色もにほひもなべてならぬを御覧ぜられて、ふくるまでありしほどに、後夜果つる音すれば、(略)
(とはずがたり~講談社学術文庫)

(治承四年二月)十四日。天晴る。明月片雲無し。庭梅盛んに開く。芬芳四散す。家中人無く、一身徘徊す。夜深く寝所に帰る。燈、髣髴として猶寝に付くの心無し。更に南の方に出で、梅花を見るの間、忽ち炎上の由を聞く。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(正治二年二月)十一日。天晴る。夕に雨降る。夜に入りて甚雨。巳の時許りに、女房小児等を相具し、三条坊門に行き向ふ。下し置きて、大炊殿に参ず。申の時許りに退出す。坊門に行き向ひ、昏、廬に帰る。夜に入り、召し有りと雖も、風雨深泥、術無きの間、所労の由を申して参ぜず。後に聞く、別当拝賀。申し継ぐため長兼参入す。伺候するの間、忽ち詩を賦せらると云々。題に云ふ、雨中花柳に対す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(承元二年二月)十七日。天晴る。早旦に御狩。人々の衣装、善を尽し美を尽す。留守。申の時、還りおはします。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄元年二月)十五日。天晴れ、風烈し。(略)今日、思ふ所有りて夕陽を拝す。西日山に入り、東に月初めて昇る。桜の早花一両開き、梅花未だ落ちず。春の風景自然(おのづから)感を催す。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)