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古典の季節表現 三月中旬

2013年03月12日 | 日本古典文学-春

白妙に雲も霞も埋れて、雲も霞も埋れて、いづれ桜の木ずゑぞと、見渡せば八重一重、げに九重の春の空、四方の山並みおのづから、時ぞと見ゆる気色かな、時ぞと見ゆる気色かな。
(謡曲・田村~岩波・新日本古典文学大系「謡曲百番」)

十九日には鳥羽殿へ御幸とて、西八条を夜中に出させ給けり。比は三月半余(あまり)の事なれば、雲井の月は朧にて四方の山辺も霞こめ、越路を差て帰鴈、音絶々にぞ聞召。(略)暮行春の景なれば、梢の花色衰、宮の鶯音老たり。庭上草深して、宮中に人希也。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

彌生中の六日なれば、花は未名殘あり。楊梅桃李の梢こそ、折知顏に色々なれ。昔の主はなけれ共、春を忘れぬ花なれや。少將花の下に立寄て、
桃李不言春幾暮、煙霞無跡昔誰栖。
故郷の花の言ふ世なりせば、如何に昔の事を問まし。
此古き詩歌を口ずさみ給へば、康頼入道も折節哀に覺えて、墨染の袖をぞ濕しける。 暮る程とは待れけれ共、餘に名殘惜くて、夜更る迄こそ坐けれ。更行まゝに、荒たる 宿の習とて、古き軒の板間よりもる月影ぞ隈もなき。
(平家物語~バージニア大学HPより)

ワキ「げにげにこれこそ暇惜しけれ。こと心なき春の一時。
シテ「げに惜むべし。
ワキ「惜むべしや。
シテワキ二人「春宵一刻価千金。花に清香。月に影。
シテ「げに千金にも。かへしとは。今此時かや。
地「あらあら面白の地主の花の景色やな。桜の木の間に漏る月の。雪もふる夜嵐の。誘ふ花とつれて散るや心なるらん。
クセ「さぞな名にしおふ。花の都の春の空。げに時めける粧青楊の影緑にて。風のどかなる。音羽の瀧の白糸の。くり返しかへしても面白やありがたやな。地主権現の。花の色も異なり。
(謡曲・田村~謡曲三百五十番集)

日は既に暮れ果てて、朧げながら照り渡る彌生半(やよひなかば)の春の夜の月、天地を鎖す青紗の幕は、雲か烟か、將(は)た霞か、(略)
(瀧口入道~バージニア大学HPより)

田舎なる人のもとより、三月十余日のほどにいひやる
まづ来(こ)んといそぐ事こそかたからめ都の花の折を過ぐすな
(和泉式部続集~岩波文庫)

弥生の頃、「松陰の家の藤を御覧に御行幸(おほんみゆき)あるべし」と、かねて仰せ言ありければ、御設けし給へり。この源中納言は、五条わたり賀茂川の辺(ほと)りに、家造りして住み給へり。池をいと大きに掘らせて、川を堰き入れさせ、汀のかたに松を多く植ゑならべて、その陰を、おもしろく造りなし給ひければ、世の人、「松陰の中納言」と、言ひあへり。その松に藤のしなひの、世にためしなう長う咲きかかり、色ことなるがありけり。
 まだ、夜こめての行幸(みゆき)にてはありけれども、五条辺(あた)りにては東の山の端よりさし出づる日影の、玉の御輿に光をそへ、音楽の音(おと)は賀茂川の川風に誘はれて、思はぬかたまで聞こゆなるも、いといかめし。設けのために造り給ふ御殿は、いと高ければ、山々の霞の細う棚引ける、上より散れる花の雪かとおぼめくに、雁が音(ね)のうちつらねて、越路おぼえて行くなるも、いと小さう見ゆるものから、声のまたさなからぬこそ、数のほども思ひ知らるれ。ふもとの小田をかへす賤(しず)の男(を)の、とりどりなるを、御覧じはじめさせ給ひて、いとめづらかに思しやらせ給へり。
藤の陰には、いと大きなる石の、上は平らなるが、もとは島先へつい出だされて、波はひまなくうち寄するに、松の枝は日影をもらさぬまでにさしかはし、御簾をかけたらんやうに藤の咲きかかりたる所に、畳・褥をかさねて、仮の御座(おまし)をかまへ給へり。それに移らせ給ひて、花のしなひのびたるばかりに下がりて、波にうつろへる影を御覧じ給ひて、
 さざ波にうつろふ藤の影見れば枝にしられぬ春風ぞふく
(略)
次の日は、春宮の行啓にて、若き上達部・殿上人、あまた供奉し給へり。御池の舟に召されて、さまざまの御遊びありけり。暮れ過ぎて、二十日の夜の月、山の端(は)にさし出づるほどに、少将を召して、「心の松にかかりつる藤を、今宵見せなんや」と、のたまはすれば、とりあへぬ装ひを<いかが>とは、思しながら、対へおはして、「御前の御遊びこそ、おもしろく候(さぶら)ふなり。垣間見せさせ給へ」と、いざなひ出で給へり。高欄のもとに立たせ給へるに、おぼろならざる月のさしうつるに、桜襲の衣の色つややかなるに、御髪(ぐし)の柳の枝に露のこぼれかかりたるさまして、若木の梅の匂ひさへうちそひて見えさせ給へば、宮は耐へず思しめされて、御袖をとらへ給はんとし給へるに、うち驚きて還り給へり。(略)
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

 なかの十日のほどにこの人々かたわきて小弓のことせんとす。かたみにいているとぞしさわぐ。しりへのかたのかぎりこゝにあつまりてなす日女房にかけ物こひたればさるべき物やたちまちにおぼえざりけむわびざれに青きかみをやなぎのえだにむすびつけたり。
山風のまづこそふけばこの春のやなぎのいとはしりへにぞよる
かへし口々したれどわするゝほどおしはからなむ。ひとつはかくぞある。
かずかずにきみかたよりてひくなれば柳のまゆも今ぞひらくる
つごもりがたにせんとさだむるほどに、よの中にいかなるとがまさりたりけむ、てんけの人々ながるゝとのゝしることいできてまぎれにけり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

十五日に院の小弓はじまりていでんなどのゝしる。まへしりへわきてさうぞけば、そのこと大夫によりとかうものす。その日になりてかんだちめあまた「ことしやむごとなかりけり、こゆみおもひあなづりてねんぜざりけるを、いかならんとおもひたればさいそにいでゝもろやしつ、つぎつぎあまたのかずこのやになんさしてかちぬる」などのゝ しる。さて又二三日すぎて大夫「のちのもろやはかなしかりしかな」などあればまして我も。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

長暦二年三月野宮にて小弓の会の事
 長暦二年三月十七日、殿上人十余人野宮へ参りたりけるに、御殿東庭に畳を敷(しき)て、小弓の会(ゑ)ありけり。又蹴鞠もありけり。夕に及(および)て膳をすゝめられけるあひだ、簾中より管絃の御調度を出されたりければ。即(すなはち)糸竹・雑芸の興もありけり。又和歌も有けるとかや。昔はかく期(ご)せざる事も、やさしく面白き事、常の事なりけり。いみじかりける世なり。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

天永三年三月御賀の後宴に御遊の事
 天永三年三月十八日、御賀の後宴に、舞楽はてゝ御遊の時、中納言宗忠卿拍子・治部卿基綱琵琶・中納言中将筝・中将信通朝臣笛・少将宗能朝臣笙・伊通和琴・越後守敦兼篳篥。呂、安名尊・席田・鳥破。律、青柳・更衣・鷹子・万歳楽。主上催馬楽を付(つけ)うたはせ給(たまひ)ける、めづらしく目出(めでた)かりける事なり。仰(おほせ)によりて、さらに又更衣・鷹子数反ありける、興ありける事なり。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

(*むりやうしゆゐんに。くわんはくとのの。みたう。たてさせたまへれは。くやうに。にようゐん。たかつかさとののうへ。わたらせたまふ。いちのみや。とののうへ。くしたてまつらせたまひて。わたらせたまふ。ちうくうも。いてさせたまふ。うちより。やかて。ひる。いてさせたまふ。さきさき。ふりにしことなれと。なほ。めてたきことになむ。かはさくら。みな。おりものなるか。うらうちたる。むつはかり。おんも。からきぬ。たてまつりておはします)御ありさまえもいはずめでたくみえさせ給。みこしのしりにはやがて三位さふらひ給。皆くれなゐのうちたるさくらのをりものゝうはぎに。そのおりえだをりたるふぢのをりもの。さくらもえぎのからきぬ。みなふたへもんにておりえだけさやかにをりたり。にようばうはさくらどもにもえぎのうちたる。やまぶきのふたへをりもの。うはぎふぢのからきぬ。もえぎのもにゑかきぬいものし。らてんしくちをきなど。めもあやにこころのゆきてなどいふうたを。かねのくのちいさきをつくりて。哥繪にてさくらのさきこぼれたるかたをかきたり。たまとつらぬけるあをやぎなど。いとおかし。またしつかひ(大系:しつらひ)のかたをして。帳臺からくしけひのおましのかたをしたる人もあり。はなのかゞみとなるみづはとて。いとおしけなる(*をかしけなる)かね(大系:鏡)をいけにをしたる人もあり。さらにさらにえいひつくすべくもあらずなん。はかまはみなうちくちをきたり。とのゝみやはにようばういろいろをみつゝにほはして。十五にくれなゐのうちたるもえぎのをりものゝうはぎなり。いみじうわたうすく。めもあやにけうらなり。これもいとめでたくめもをよばぬことゞもおほかり。みやのうへとのゝうへと。みところおはします。とのゝうへはしろき御そどもに。くれなゐのからあやをうへにたてまつれり。ひめみやのおまへには。さくらのにほひをみなをりものにて。くれなゐのうちたるふぢのをりものゝ御そ。もえぎの小褂たてまつりたるありさま。あてにめでたくいふかひなくみえさせ給。(略)
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

姫君は、藤がさねの七重衣(ななへぎぬ)に、ゑいその唐衣、桜の紅袴にほやかに着なし給へば、姿かかりまことにいつくしさたとへん方なし。
(文正さうし~岩波文庫「御伽草子・上」)

三月十九日家持之庄門槻樹下宴飲歌二首
山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつかざしたりけり
 右一首置始連長谷
我が背子が宿の山吹咲きてあらばやまず通はむいや年の端に
 右一首長谷攀花提壷到来 因是大伴宿祢家持作此歌和之
(万葉集~バージニア大学HPより)

(天暦元年三月)十五日壬寅。仁和寺桜花会。左大臣以下参会。
(日本紀略~新訂増補 国史大系11)

(天暦三年三月)十一日甲寅。定季御読経僧名。今日。太上皇於二条院有花宴。式部卿敦実親王。中務卿重明親王。左右大臣以下参候。式部大輔維時朝臣以下廿二人召文人。題云。落花乱舞衣。奏音楽。王卿賜禄有差。
(日本紀略~新訂増補 国史大系11)

(寛弘四年三月)二十日、丁巳。
(略)作文を行なった。題は、「林花は、落ちて舟に灑(そそ)ぐ」であった<風を韻とした。>。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘八年三月)十八日、辛卯。
雨が降った。内裏に参った。夜に入って、退出した。内裏において作文を行なった。題は、「鶯は老いて、谷に帰ろうとする」であった。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(建仁二年三月)十一日。天陰る。夜に入りて月明し。未の時許りに九条に参ず。盛時来たる。聊か云ひ付くる事等あり。即ち大臣殿に参ず。中将殿・少将殿参会し給ふ。程無く退下す。秉燭中将殿八条殿に還らしめ給ふと云々。仍て即ち彼の御所に参ず。今夜吉事あるべし(右衛門督聟取りなり。但し儀式無しと云々)。小時ありて出でしめ給ふ。蘇芳の狩衣(裏同じ色の薄色なり)、紫浮文の指貫、白き綾(御衣、単衣)、紅の下袴(布を入れず)。西の門に於て、八葉の新車に乗る。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(正治二年三月)十二日。天晴る。(略)中将殿、俄に詩の沙汰仰せらるるの間、退出する能はず。戌の時許りに各々書き出し了んぬ。読み上ぐ。題、山中の春景深し。題中に序を継ぐ。予、破題を書く。此の如き事、極めて見苦し。但し外人無し。仍て憖に供奉す。退出するの後、御所に参じて退下す。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建仁二年三月)十五日。(略)近日、桜花の盛りなり。今年、花甚だ遅し。梅二月の晦に及びて開く。遅梅、近日猶盛りなり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)