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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 夏 四月 舎利会

2019年04月28日 | 日本古典文学-夏

醍醐の舎利会に花のちるをみてよめる 珍海法師母
けふも猶おしみやせまし法の為ちらす花そとおもひなさすは
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

舎利会をこなひ侍けるついてに、蓮を 後京極摂政前太政大臣
此世より蓮の糸にむすほゝれ西に心のひく我身哉
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

(寛弘四年四月)十日、丙子。
明日の天台舎利会について、蔵人頭たち(藤原実成・源頼定)が聞きに来た。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

四月になれば、賀茂の祭とて世騒ぎたるに、又山の座主、山の舎利を女のえ拜(おが)み給はぬ事いといと口惜しとて、舎利会せんとて、舎利はまづくだし奉り給へれば、世中の人びと拜み奉る。祭はてゝ、四月廿日余りに舎利会せさせ給。法興院より祇陀林といふ寺に渡し奉らり給程の有様を日頃いみじうとゝのへのゝしりて、小一条院、入道殿などの御桟敷をはじめ、さるべき殿ばらの御桟敷ども、いといみじく造りのゝしりたり。まづその御桟敷の有様ぞいみじき見物(みもの)なる。その日になりぬれば、三百余人の僧の、梵音・錫杖の音などさまざまいみじくめでたく装束きとゝのへて、御輿二つをさきにたて奉りて、定者左右よりいみじくおかしげにて歩み続きたるに、御輿につきたる物ども、頭には兜(かぶと)といふものをして、いろいろのおどろおどろしういみじき唐錦どもを著(き)て、持ち奉れり。楽人・舞人、えもいはぬ■(くさかんむり+廾)の顔すがた(かをかたち)にて、左右にわかれたる僧達に続きたり。御輿のおはします法興院より祇陀林までの道の程、いみじき宝の植木どもをおほし竝(な)めたるに、空より色々の花降り紛(まが)ひたるに、銀(しろがね)・黄金(こがね)の香炉に、さまざまの香をたきて薫じ合せたる程、えもいはずめでたし。祇陀林におはしまして、御前の庭を、たゞかの極楽浄土の如くにみがき、玉を敷けりと見ゆるに、こゝらの■(くさかんむり+廾)舞人どもに、例の童べのえもいはずさまざま装束たる、舞ひたり。この楽の■(くさかんむり+廾)達の金・銀・瑠璃の笙や、琵琶や、簫(さう)の笛、篳篥など吹き合せたるは、この世の事とゆめに覚えず、たゞ浄土と思なされて、えもいはずあはれに尊くかなし。事ども果てぬる際(きは)に、被(かづけ)物、入道殿御桟敷より、様ざま残りなくせさせ給へるに、山の座主の御心掟(おきて)も、様ざまめでたくいろいろにせさ給へり。(略)
(栄花物語~岩波・日本古典文学大系新装版)

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古典の季節表現 夏 四月中旬

2019年04月15日 | 日本古典文学-夏

 同三年四月十二日、飛香舎にて藤花宴ありけり。右大臣・左衛門督・左兵衛督候給。和歌糸竹の興などはてゝ、女御、御おくり物ありけり。先皇の勤子内親王にたまひける筝譜三巻、貞保親王のもちゐたりける笛・螺鈿筝などをぞたてまつり給ける。件(くだんの)筝、奇香あるよし、李部王記し給たるとかや。いかなるにほひにてか侍けむ。ゆかしき事也。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

 大斎院と申は、村上の御門の御女也。其時小野宮右大臣、大納言にて、まつりの上卿にて、本院に参て、客殿上殿につかんとせられけるを、「申べき事あり。まづ是へ」と仰せられければ、御前へ参られたるに、御簾のうちに茵(しとね)しきて、女房つたへ仰られける、「中宮より色々の扇をたまはせたりつる。つかひ少将雅通也。女房とゞめつれ共、ひきはなちてにげぬ。ねたき事なり。いかゞすべき。この事いひあはせんとてなん」と仰られければ、大将申されける、「明日の形見下にて参たらんとき、今日の禄を給ふべきなり。中宮よりの御桧扇とりいでゝ、みせたまひけり。女房取つたふ」とて、御簾にかほをかくして、身はあらはにいでゝなんありける。そのふるまひたよりありて、艶に見えけり。
 かへさの日、雅通ものみんとて、知足院の辺にありける所へ、斎院のさむらひ、御ふみ、禄をもちてきて、車になげいれて、馬をはせてかへりにけり。興ある事になん、時の人申ける。少将用意なきよし、人々いひけり。
(「續古事談」おうふう)

うちのわかみやの御五十日。四月十よ日。その日のありさまいふにかたなし。一ほんのみやにようごどのゝにようばううちいだしわたしたり。日くれかゝるほどに。うへわたらせ給御ともに。かんたちめてんじやう人あまたさふらひ給。もとよりこの御かたにさふらひ給人びと。まちむかへまいらせおりさはぐほどもいとめでたし。うへの御ありさまさかりにものものしくおはします。廿七八ばかりにぞならせ給ふ。にようばうなでしこにこきうちたるををしいでわたしたり。この御とききぬのかずすくなく。くれなゐをきせさせ給はす。御前物かんたちめとりつゞきてまいり給。(略)
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

承元二年四月十三日壬子。天晴。時属清和。世楽静謐。
太上天皇機務の余閑に前大相国郁芳里第に臨幸し給ひて、蹴鞠の宴あり。盖是
(略)御服一具二重。をり物の御狩衣直衣。〈地白。竹桐のおりえだをあをき紫の糸にてをる。〉うす色の御さしぬき。もえぎの御うちぎ。すゞしの御単。おなじき御おほくち。御おび。御扇。ふせむれうの あか色の三重褁に。いろしろがねの鞠一丸をく。〈金をもてこれをぬりふすべ。まりをうつす。〉にしきの御したうづ一そく。〈紫地のにしき一反にてこれをつくる。〉ぬひめに伏ぐみあり。上わかかえでの うち枝に付て。是をあひそふ。以下の座おなじく ついがさねをすふ。公卿二本。殿上人一本。(略)
からあやのまり。〈山ぶき三白四。をのをのつくり花の枝につく。〉にしきのしたうづ。〈をのをの一反にて是をつくる。〉北面の衆行景のれう上におなじ。但あをはかまをもちゆ。(略)
此間。上中下の輩。皆悉く恩賜の装束を着してまりの庭にあひのぞむ。左馬権頭忠綱 まりを持てすゝみ出で 木の下にをく。次にあげ鞠のことあり。まづ下八人あげ鞠家綱。
(略)
次に又忠綱上料の御鞠〈燻。〉を持参す。宗長朝臣是をあぐ。二足の後御所に進上。于時清風ゆるく扇て。微雨まゝそゝぐ。数重の白妙ちりをやめ。一枝の紅梅梢にのこる。(略)
(承元御鞠記~群書類従19)

(承元二年四月)十三日。天陰る。微雨、時に灑ぐ。夜に入り甚雨。青侍等見物する者云ふ、日来風聞す。院御鞠の間、勝事と。今日大炊御門(大相国亭)に於て行はると云々。南庭に新屋を造りて御所となす。其の東に公卿の屋、殿上人の屋、北面・西面に至りて各々其の屋有り。風流過差、口の宣ぶる所にあらず。皆、金銀錦繍にあらざるは莫(な)し。鞠足の輩、給はる物、皆是れ金銀なり。按察召しに依りて参入す(成通卿の子息の古老に依り、其の座に接す)、言語の及ぶ所にあらず。入興の輩、定めて委しく注するか。又尋ね問ふべし。午始に御幸と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(安貞元年四月)十四日。朝天晴る。終夜風。昨今、蝉の声を聞く。
十五日。天晴れ、風吹く。明月片雲なし。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄二年四月)廿日。天晴る。午後に急雨、即ち休む。(略)未の時許りに、雨後郭公の初声(但し十余声に及び、頗る無念)。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

十三日 乙酉。若君南庭ニ出御シタマヒ、手鞠ノ御会有リ。又駿河三郎光村、筑後九郎知氏、伊賀左衛門太郎宗義、佐佐木八郎信朝競馬ニ騎ル、其ノ後各又相撲ノ勝負ヲ決スト〈云云〉。島津三郎兵衛忠義行事タリ)
(吾妻鏡【貞応二年四月十三日】条~国文学研究資料館HPより)

十七日。辛卯。霽。将軍家并ニ御台所武州ノ御亭ニ入御。彼ノ東ノ壷ノ卯ノ花瞿麦等ノ花盛ナリ。仍テ御連歌有リ。相模ノ三郎入道真昭、式部大夫〈政〉、式部大夫親行、大夫判官基綱、都筑ノ九郎経景等召シニ応ジテ参上ス。親行秀句ヲ献ズルヤノ間、直ニ御剣ヲ賜フ。暁更ニ及ンデ還御。六位ノ八人松明ヲ取ル。
(吾妻鏡【天福元年四月十七日】条~国文学研究資料館HPより)

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