monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

季節表現 九月九日

2017年09月09日 | 日本古典文学-秋

 「(略)浅草の観世音に、旧、九月九日、大抵十月の中旬(なかば)過ぎになりますが、その重陽の節(せつ)、菊の日に、菊供養というのがあります。仲見世、奥山、一帯に売ります。黄菊、白菊、みな小菊を、買っていらっしゃい、買っていらっしゃい、お花は五銭――あの、些(ち)と騒々しい呼声さえ、花の香(か)を伝えるほどです。あたりを静(しずか)に、圧(おさ)えるばかり菊の薫(かおり)で、これを手(て)ン手(で)に持って参って、本堂に備えますと、かわりの花を授(さずか)って帰りますね。のちに蔭干(かげぼし)にしたのを、菊枕、枕の中へ入れますと、諸病を払うというのです。
 (略)大震災の翌年奥山のある料理店(や)に一寸(ちょっと)した会合がありまして、それへ参りましたのが、ちょうどその日、菊の日に逢いました。もう仲見世へ向(むか)いますと、袖と裾と襟と、まだ日本髷が多いのです。あの辺、八分まで女たちで、行くのも、来るのも、残らず、菊の花を手にしている。折からでした、染模様になるよう、颯(さっ)と、むら雨(さめ)が降りました。紅梅焼(こうばいやき)と思うのが、ちらちらと、もみじの散るようで、通りかかった誰かの割(わり)鹿(か)の子(こ)の黄金(きん)の平打(ひらうち)に、白露がかかる景気の――その紅梅焼の店の前へ、お参(まいり)の帰りみち、通りがかりに、浅葱(あさぎ)の蛇目傘を、白い手で、菊を持添えながら、すっと穿(すぼ)めて、顔を上げた、ぞっとするような美人があります。珍らしい、面長な、それは歌麿の絵、といっていい媚(なま)めかしい中(うち)に、うっとりと上品な。……すぼめた傘は、雨が晴れたのではありません。群集で傘と傘が渋(しぶ)も紺も累(かさな)り合ったために、その細い肩にさえ、あがきが要(い)ったらしいので。……いずれも盛装した中に、無雑作な櫛巻で、黒繻子の半襟が、くっきりと白い頸脚(えりあし)に水際が立つのです。藍色がかった、おぶい半纏(ばんてん)に、朱鷺色(ときいろ)の、おぶい紐を、大きく結(ゆわ)えた、ほんの不断着(ふだんぎ)と云った姿。で、いま、傘をすぼめると、やりちがえに、白い手の菊を、背中の子供へさしあげました。横に刎(は)ねて、ずり下(おり)る子供の重みで、するりと半纏の襟が辷(すべ)ると、肩から着くずれがして、緋(ひ)を一文字に衝(つッ)と引いた、絖(ぬめ)のような肌が。」
 「ははあ――それは、大宇宙の間に、おなじ小さな花が二輪咲いたと思えば宜しい。」
  と、いう、宗参の眉が緊(しま)った。
 「鬢(びん)のはずれの頸脚(えりあし)から、すっと片乳(かたち)の上、雪の腕(かいな)のつけもとかけて、大きな花びら、ハアト形の白雪を見たんです。(略)
(泉鏡花「菊あはせ」~青空文庫より)