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古典の季節表現 春 花宴(はなのえん)

2013年03月09日 | 日本古典文学-春

  如月の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせたまふ。后、春宮の御局、左右にして、参う上りたまふ。弘徽殿の女御、中宮のかくておはするを、をりふしごとにやすからず思せど、物見にはえ過ぐしたまはで、参りたまふ。
 日いとよく晴れて、空のけしき、鳥の声も、心地よげなるに、親王たち、上達部よりはじめて、その道のは皆、探韻たまはりて文つくりたまふ。宰相中将、「春といふ文字賜はれり」と、のたまふ声さへ、例の、人に異なり。(略)
 楽どもなどは、さらにもいはずととのへさせたまへり。やうやう入り日になるほど、春の鴬囀るといふ舞、いとおもしろく見ゆるに、源氏の御紅葉の賀の折、思し出でられて、春宮、かざしたまはせて、せちに責めのたまはするに、逃がれがたくて、立ちてのどかに袖返すところを一折れ、けしきばかり舞ひたまへるに、似るべきものなく見ゆ。左大臣、恨めしさも忘れて、涙落したまふ。
 「頭中将、いづら。遅し」
 とあれば、柳花苑といふ舞を、これは今すこし過ぐして、かかることもやと、心づかひやしけむ、いとおもしろければ、御衣賜はりて、いとめづらしきことに人思へり。上達部皆乱れて舞ひたまへど、夜に入りては、ことにけぢめも見えず。文など講ずるにも、源氏の君の御をば、講師もえ読みやらず、句ごとに誦じののしる。博士どもの心にも、いみじう思へり。
  夜いたう更けてなむ、事果てける。
(源氏物語・花宴~バージニア大学HPより)

(寛弘三年三月)四日、丙午。
昨夜から雨が降っていた。暁方、中宮が紫宸殿に移られた。辰剋に、天皇が渡御なされた。女房のための屯食(とんじき)を北廂の台に据えた。御衣懸(おんぞかけ)に夜の御衣を懸けた。紅の打衣(うちぎぬ)二重、同じ色の張衣(はりぎぬ)二重、白い張衣二重、御袴二腰、御直衣一領(りょう)であった。巳剋に、人々が参入した。公卿の饗宴を陣座(じんのざ)に儲け、殿上人の饗宴を殿上間(てんじょうのま)に儲けた。蔵人所の饗宴は本来の蔵人詰所に儲けた。太政官の上官の饗宴も外記局に儲けた。侍従の饗宴は東門の内に儲けた。南廊の六衛府の諸陣の所々に屯食を賜った。天皇の御前を奉った。沈香の木の懸盤(かけばん)六・銀の土器(かわらけ)・香染の打敷があった。殿上人が、南面(みなみおもて)からこの御前を供した。その後、右大臣(藤原顕光)を召して、我が家の女(源倫子)・子供(藤原頼通・藤原頼宗)・家司に爵級(しゃくきゅう)を賜った。(略)天皇は諸卿を御前に召し、次の仰せによって、文人たちを召された。雨は止んだのであるが、西廊の内に座を賜った。勘解由長官(藤原有国)に命じて、文人たちを召させた。文人たちが参着した後、天皇の仰せを承った。権中納言<(藤原)忠輔>が、題を献上した。「水を渡って落花が舞う」であった。奏聞(そうもん)の後、同じく権中納言が、韻字を付した。軽の字であった。(大江)匡衡朝臣を召して、題を賜い、序を献上すべきことを命じた。(略)二、三献の宴飲の後、船楽(ふながく)と音楽(おんがく)を発した。竜頭(りょうとう)・鷁首(げきしゅ)が数曲を演奏し、浪上を遊んだ。天皇の御前において船を留め、舞を奏すること、各二曲であった。この間、上下の文人たちは、詩を献上した。中宮、および親王の御方から、御膳を天皇に献った。中宮は懸盤六であった。打敷や銀の土器が有った。文台を取って、詩を披講し、書を講じた。序は宜しく作り出した。そこで天皇は、序の作者である(大江)挙周を蔵人に補(ほ)せられた。楽人(がくにん)を召した。公卿に禄物(ろくもつ)があった。上下の諸司(しょし)や諸衛(しょえい)にも、皆、賜禄(しろく)が有った。次に、私は御馬十疋を献上した。近衛府や馬寮(めりょう)にこの馬を下されたことは、駒牽(こまひき)の儀のようであった。次に、私は天皇に御贈物を献上した。次に一条院への遷幸(せんこう)があった。次に中宮も一条院に遷御された。東宮(居貞親王)もまた、枇杷殿にお移りになられた。擬文章生は、雨であったので召さなかった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

さのみうちうちにはやとて、花の宴せさせ給ひけるに、松にはるかなるよはひをちぎる。といふ題にてかんだちめ束帯にて、殿よりはじめて、まゐり給ひけり。まづ御あそびありて、關白殿ことひき給ふ、はなぞのゝおとゞ、そのとき右大臣とてびはひき給ふ。中院の大納言さうのふえ、右衛門佐季兼にはかに殿上ゆるされて、ひちりきつかうまつりけり、拍子は中御門大納言宗忠、ふえは成通さねひらなどの程にやおはしけん。すゑなりの中將、わごんなどとぞきゝ侍りし。序は堀川の大納言師頼ぞかき給ひける。講師は左大弁さねみつ、御製のはたれにか侍りけん。つねの御哥どもは、あさゆふの事なりしに、つねの御製などきこえ侍りしに、めづらしくありがたき御哥ども、おほくきこえ侍りき。遠く山のはなをたづぬといふ事を、
たづねつる花のあたりに成りにけり匂ふにしるし春の山かぜ
などよませ給へりしは、よの末にありがたくとぞ人は申し侍りける。
(今鏡~六合館書店「今鏡読本」)

花のさかりに、月あかかりし夜を、たゞにやあかさんとて、権亮朗詠し、笛ふき、経正琵琶ひき、みすのうちにも琴かきあはせなど、おもしろくあそびしほどに、内より隆房の少将の文もちてまゐりたりしを、やがてよびて、さまざまの事どもつくして、のちには、昔今の物語りなどして、明け方までながめしに、花は散り散らずおなじにほひに、月もひとつにかすみあひつゝ、やうやうしらむ山ぎは、いつといひながら、いふかたなくおもしろかりしを、御返し給はりて、隆房いでしに、たゞにやはとて、扇のはしを折りて、かきてとらす。
かくまでのなさけ尽くさでおほかたに花と月とをたゞ見ましだに
少将かたはらいたきまで詠じずむじて、硯こひて、「この座なる人々なにともみなかけ」とて、わが扇にかく。
かたがたに忘らるまじき今宵をばたれも心に とゞめてを思へ
権の亮は、「歌もえよまぬ物はいかに」といはれしを、猶せめられて、
心とむな思ひ出でそといはんだに今宵をいかゞやすく忘れん
経正の朝臣
うれしくも今宵の友の数に入りてしのばれしのぶつまとなるべき
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

治承の比にや、月も花もさかりなる夜、例の此人々、皆具して遊びけるに、花は梢雪と見え、苔の上、池の上、みな白妙に降りしきて、物古りたる常盤木うちまじりたるしもおもしろく、月はおぼろ夜ながら、また曇らぬ光にて、いみじくえんある夜(よ)のさまなれば、大宮宰相中将、琵琶弾き、少将資盛、箏、泰通、維盛、笛、隆房、笙の笛吹きあはせて、常よりもおもしろきに、ふけはてて、暁方になる程に、隆房、維盛、雅賢など、朗詠、催馬楽、今様、とりどりに歌ひて、明くるなごりを惜しみつつ、(略)
(平家公達草紙~岩波文庫・建礼門院右京大夫集)

弘安七年三月十七日、これも嵯峨殿の御留守なりしに、御遊あり。御供に女房四人、男三人ぞ侍りし。對の御方、大納言殿、冷泉殿、御手水間の御簾卷きあげて、御所御琵琶、綾小路三位朗詠、伯少將笛、土御門少將琴、夜もすがら御遊どもあるに、いつもといひながら、帳屋の花の梢おもしろく、秋ならねども、身にしむばかり風もはげしき花のあたりは、げに行きても恨みまほしき心地して、覺束なきほどに、霞める月は、しく物なく覺えて、折からは、物の音も澄みのぼり面白きに、後も又忍ぶばかりの言葉を、御尋ありしに、面々にあらはすもをかし。定めなく晴れくもる村雨の空も、つくり出でたらむやうなり。「かこち顔なる」ともいひぬべう眺めたるに、三位、
晴れくもり花のひま洩るむらさめに
とあれば、うち紛れつゝ、つくる人もなければ、心の中に、
あやなく袖のぬるるものかは
とぞ覺えし。今宵は、げに春の宮居もかひある心地して、
月かげにいく春經てか花も見しこよひばかりのおもひ出ぞなき
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

屏風ゑに、三月花の宴する所をよめる 平兼盛
一とせに二たひもこぬ春なれはいとなくけふは花をこそみれ
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

天徳三年、内裏に花宴せさせ給けるに 九条右大臣
さくら花こよひかさしにさしなからかくてちとせの春をこそへめ
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

弘徽殿の前に植ゑられて侍りける桜の咲き初めたるに、宴せさせ給ひけるによみ侍りける 隠れ蓑の二のみこ
君が世ののどけき春に咲き初むる花の常磐(ときは)は今ぞ見るべき
(風葉和歌集~岩波文庫)