「自分に返ってくる」
上の子の友達が言ったこの言葉は・・まさに魂のしくみです。
自分が出したものは自分に返る
これは・・波動の働きでいうと・・
{出したものはフィードバックする}です。
カルマ=課題は自分が決めたもの・自分が出したもの。
目の前に起こる事は、、自分が原因。
しょっちゅう此処で書いていますが・・
これに関わる記述を抜粋してみます。
飯田史彦先生の著書は、霊能についての研究を書いたものではありません。
本山先生とは、リンクした部分もありますが、違います。
飯田先生も霊体験はあるようですが、霊能を科学的に証明?しようとする本山先生とは・・スタンスが違います。
過去世療法や、前世の記憶(を持つ子供)、臨死体験者の話・・等のデータを元に{魂のしくみ}を分かりよく分析した。。
というのが私の解釈です。
しくみを、順を追ってわかりよく書いておられますが・・
ここでは、先日から度々書いている「自分に返る」という地獄思想?に関係すると思われる部分を、転記させて頂きます。
飯田先生の著書より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いわゆる「地獄」という世界が存在するわけではありませんが、死後に、各人にとっての地獄があるとすれば、それは、反省のために自分自身の人生を振り返る瞬間の心の状態のことです。
指導役の意識体たちは、今終えてきたばかりの人生を回顧するようにうながし、目の前でパノラマのように、その一生のビジョンを見せてくれます。そのビジョンを見ながら、終えてきた人生における後悔や罪悪感、自責の念が、心の底から沸き上がってくるのです。
被験者達(過去世療法の被験者)は、人生を回顧するこの瞬間を思い出しながら、催眠状態のままで、みるも無残なほど苦悩し、悲痛の涙にくれるそうです。
なぜなら、終えてきた人生で他人に与えた苦しみが、あたかも自分がその苦しみを受けるかのように身に染みるからです。
(一部略)
この人生を再現するビデオテープのようなビジョンから、意識体としての私達は、何ひとつ漏らさないように全ての意味をくみ取り、厳しく自己分析を進めていきます。
この時になって、私達ははじめて、自分が間違った選択をして幸福を棒に振ったこと、他人を傷つけてしまった時のこと、命に関わる危険の間際にあって助かった時のことなどを ようやく理解していくのです。
(これに関わる例(催眠状態で過去世に戻った人の)を、数例挙げて説明。
・・略します)
中間生に戻って終えてきた人生を見せられ、後悔をすることは、一種の地獄を体験することと同じである。自分のおかした罪が、いい訳も理由づけも全て剥ぎ取られて、生々しく醜い姿をさらけ出すからだ。
(中略)
このように、基本的に「人生は自己評価である」ということが、実は重要な意味を持っています。
これは・・「人生は自分で計画するものであり、人生で出会う様々な試験問題を出題するのは自分自身である」というしくみがあるからこそ、その採点、評価も自分で行うべきなのだということになるからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうでしょう?
地獄思想・・は存在する。
生前、自分が出したものを、死後、自分で見て自分で評価しなくてはいけない。
いい訳は・・できない。
裁く(評価する)のは・・閻魔大王ではなく・・
自分自身。
そして・・これから転記するのが、人間関係に関する因果応報
つまり・・カルマ=課題のしくみ?とも言える記述になります。
著書の続き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「人間関係の波及効果」あるいは「自業自得の原則」ともいうべきしくみについて、貴重な教訓を見せられたそうです。(ある被験者のビジョン)
「そこには 人を傷つけてばかりいた私の姿がありました。そして、私が傷つけた人たちが、今度は別の人たちを同じように傷つけている姿がありました。
この被験者の連鎖は、ドミノ倒しのように続いていって、また振り出しに戻るのです。そして最後のドミノは、向こうへ行ったかと思うと、また戻ってきます。
思わぬところで、思わぬ人を私は苦しめていました。心の痛みが、耐えられないほど大きくなっていきました。」
この証言は、人生という学びの機会を通じて、いわゆる因果応報の法則が働いていることを示しています。
つまり「自分が誰かを傷つけると、いつか必ず、自分も誰かから傷つけれ、逆に誰かを助けてあげると、いつか必ず、自分も誰かから助けてもらえる」という法則です。
必ずしも、同じ人から返ってくる訳ではなく、全然無関係の人から返ってくることも多いものの、それでも目に見えないところで深く繋がっています。
また 自分の言動がすぐに返ってくるわけでなく、もしかすると数年後、数十年後になるかもしれないものの、いつか必ず自分に跳ね返ってきます。
自分が行った「こと」が 宇宙の法則において管理されている。
困った時には自動的に貯金が引き出される一方で、借金はいつか厳しく取り立てられると説明することが出来るでしょう。
このようなしくみを理解すれば、正しく生きるための単純明快な方法が浮かび上がってきます。
「自分が出したものが返ってくるのだから、自分が返して欲しいものだけを出し、返して欲しくないものは出さないようにすればいいのだ」ということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに・・魂のしくみです。
この視点の・・一番の元になるのは、{人は生まれ変わる}という{輪廻転生}の視点。
今世限り・・
今だけ楽しければ、自分さえ良ければ・・
では、本当の意味での幸せはない。
肉体を持った本当の意味を知らなければ、こなせない。
人は死んだら終わりでなく、何度も生まれ変わり・・
肉体を持って学ぶ。
{課題}の評価?を、死後に見せられ、自己採点する。
それを元に、自分で計画して・・肉体を持つ。
記憶をなくして、一からやりなおす。
このような思想を・・信じるか否かは、賛否が分かれるところです。
けれど・・
これからのアセンションの時代を、生きていく上で、とても大切で、必要な視点だと思います。
スピリチュアルブームは・・そんな時代を予見している。
スピリチュアルは、面白おかしく取り上げるものではないと思います。
入り口は興味本位であっても、それだけで終わらせるのでなく・・
しくみとして知る。
このような視点を、出来るだけ生活の中で生かしていくことが、
本当の意味でのスピリチュアルだと・・
思うのです。
それが・・
必要な時代
だと・・
個人的に感じています。
上の子の友達が言ったこの言葉は・・まさに魂のしくみです。
自分が出したものは自分に返る
これは・・波動の働きでいうと・・
{出したものはフィードバックする}です。
カルマ=課題は自分が決めたもの・自分が出したもの。
目の前に起こる事は、、自分が原因。
しょっちゅう此処で書いていますが・・
これに関わる記述を抜粋してみます。
飯田史彦先生の著書は、霊能についての研究を書いたものではありません。
本山先生とは、リンクした部分もありますが、違います。
飯田先生も霊体験はあるようですが、霊能を科学的に証明?しようとする本山先生とは・・スタンスが違います。
過去世療法や、前世の記憶(を持つ子供)、臨死体験者の話・・等のデータを元に{魂のしくみ}を分かりよく分析した。。
というのが私の解釈です。
しくみを、順を追ってわかりよく書いておられますが・・
ここでは、先日から度々書いている「自分に返る」という地獄思想?に関係すると思われる部分を、転記させて頂きます。
飯田先生の著書より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いわゆる「地獄」という世界が存在するわけではありませんが、死後に、各人にとっての地獄があるとすれば、それは、反省のために自分自身の人生を振り返る瞬間の心の状態のことです。
指導役の意識体たちは、今終えてきたばかりの人生を回顧するようにうながし、目の前でパノラマのように、その一生のビジョンを見せてくれます。そのビジョンを見ながら、終えてきた人生における後悔や罪悪感、自責の念が、心の底から沸き上がってくるのです。
被験者達(過去世療法の被験者)は、人生を回顧するこの瞬間を思い出しながら、催眠状態のままで、みるも無残なほど苦悩し、悲痛の涙にくれるそうです。
なぜなら、終えてきた人生で他人に与えた苦しみが、あたかも自分がその苦しみを受けるかのように身に染みるからです。
(一部略)
この人生を再現するビデオテープのようなビジョンから、意識体としての私達は、何ひとつ漏らさないように全ての意味をくみ取り、厳しく自己分析を進めていきます。
この時になって、私達ははじめて、自分が間違った選択をして幸福を棒に振ったこと、他人を傷つけてしまった時のこと、命に関わる危険の間際にあって助かった時のことなどを ようやく理解していくのです。
(これに関わる例(催眠状態で過去世に戻った人の)を、数例挙げて説明。
・・略します)
中間生に戻って終えてきた人生を見せられ、後悔をすることは、一種の地獄を体験することと同じである。自分のおかした罪が、いい訳も理由づけも全て剥ぎ取られて、生々しく醜い姿をさらけ出すからだ。
(中略)
このように、基本的に「人生は自己評価である」ということが、実は重要な意味を持っています。
これは・・「人生は自分で計画するものであり、人生で出会う様々な試験問題を出題するのは自分自身である」というしくみがあるからこそ、その採点、評価も自分で行うべきなのだということになるからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうでしょう?
地獄思想・・は存在する。
生前、自分が出したものを、死後、自分で見て自分で評価しなくてはいけない。
いい訳は・・できない。
裁く(評価する)のは・・閻魔大王ではなく・・
自分自身。
そして・・これから転記するのが、人間関係に関する因果応報
つまり・・カルマ=課題のしくみ?とも言える記述になります。
著書の続き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「人間関係の波及効果」あるいは「自業自得の原則」ともいうべきしくみについて、貴重な教訓を見せられたそうです。(ある被験者のビジョン)
「そこには 人を傷つけてばかりいた私の姿がありました。そして、私が傷つけた人たちが、今度は別の人たちを同じように傷つけている姿がありました。
この被験者の連鎖は、ドミノ倒しのように続いていって、また振り出しに戻るのです。そして最後のドミノは、向こうへ行ったかと思うと、また戻ってきます。
思わぬところで、思わぬ人を私は苦しめていました。心の痛みが、耐えられないほど大きくなっていきました。」
この証言は、人生という学びの機会を通じて、いわゆる因果応報の法則が働いていることを示しています。
つまり「自分が誰かを傷つけると、いつか必ず、自分も誰かから傷つけれ、逆に誰かを助けてあげると、いつか必ず、自分も誰かから助けてもらえる」という法則です。
必ずしも、同じ人から返ってくる訳ではなく、全然無関係の人から返ってくることも多いものの、それでも目に見えないところで深く繋がっています。
また 自分の言動がすぐに返ってくるわけでなく、もしかすると数年後、数十年後になるかもしれないものの、いつか必ず自分に跳ね返ってきます。
自分が行った「こと」が 宇宙の法則において管理されている。
困った時には自動的に貯金が引き出される一方で、借金はいつか厳しく取り立てられると説明することが出来るでしょう。
このようなしくみを理解すれば、正しく生きるための単純明快な方法が浮かび上がってきます。
「自分が出したものが返ってくるのだから、自分が返して欲しいものだけを出し、返して欲しくないものは出さないようにすればいいのだ」ということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに・・魂のしくみです。
この視点の・・一番の元になるのは、{人は生まれ変わる}という{輪廻転生}の視点。
今世限り・・
今だけ楽しければ、自分さえ良ければ・・
では、本当の意味での幸せはない。
肉体を持った本当の意味を知らなければ、こなせない。
人は死んだら終わりでなく、何度も生まれ変わり・・
肉体を持って学ぶ。
{課題}の評価?を、死後に見せられ、自己採点する。
それを元に、自分で計画して・・肉体を持つ。
記憶をなくして、一からやりなおす。
このような思想を・・信じるか否かは、賛否が分かれるところです。
けれど・・
これからのアセンションの時代を、生きていく上で、とても大切で、必要な視点だと思います。
スピリチュアルブームは・・そんな時代を予見している。
スピリチュアルは、面白おかしく取り上げるものではないと思います。
入り口は興味本位であっても、それだけで終わらせるのでなく・・
しくみとして知る。
このような視点を、出来るだけ生活の中で生かしていくことが、
本当の意味でのスピリチュアルだと・・
思うのです。
それが・・
必要な時代
だと・・
個人的に感じています。