スンゴいご無沙汰でございます~
ほうほうのていで・・生きてます。
いつかは鉄活できるのだとボンヤリ考えてましたけど、まさか再開が関西本線になるとは
ツユにも思っておりませんでしたわ~
既にDD51など走ってはおりませんが、DF200とあればそらぁ行かないわけにいきません。
しかし気を付けねばならない敵はウィルスと暑さ・・
朝早く出てすぐに戻れば問題なかろう~って、極力人混みを避ける方向で立案。
レンタカーにしようかとも思いましたが、そんなに撮影対象があるわけでもないし、
涼める電車移動としました。電車の良いところは時間通りだしウトウトできるし、アレは良き心持ちです。
計画は貨物と四日市あすなろう鉄道の二面作戦。私にとって四日市は第二の故郷です。
小1の夏に始まって中一の夏までの7年連続、夏休みは四日市に強制疎開をしておりました。
夏休みに入ると母親に連れられて0系に乗って近鉄特急に乗って四日市へ。この地は親戚の兄ちゃん達がワンサカおります。
母親は私を届けるとすぐさまトンボ返り。大体30日間は送り込まれてました。
面白いことに親戚は同年代がいなくても一年ごとにきれいに揃っていたことです。その数15人。8割が男。母親の兄弟も多いから
その次代も倍になっていたと言うワケで、今では考えられないですけど昔はこれが当たり前でした。
毎年遊んでもらった地、四日市。思い出を巡る旅ではありませんが、近鉄内部線=四日市あすなろう鉄道 は撮っておきたかったです。
で、一発目は無人駅長島。木曽川と揖斐川に挟まれた駅ですが、近鉄と寄り添うような配置でどちらにも乗れる好都合な配置です。
しかし殺人的な暑さだ・・・冷たい水を買って頭からかけると覚醒できます。大体これで正気を保てますね。
DF200なんて北海道以来だな・・ホントに来るのかしらね・・
↑力行ポイントなんですね~♪
ディーゼルの煙はいいです!消音改造しててもハラに響く轟音は隠せませんね。
あまりの暑さにギブアップ。富田浜へ移ります。
↑隣の富田行き
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2020.8.9 DF200貨物列車(関西本線)【猛暑日】
2089レはお盆でウヤでした
この後四日市まで行きます。
JR四日市駅、42年前寝台特急紀伊に乗って帰宅するために、午前0時前に親戚のオバさんに送ってもらった所です。
今も忘れもしない0:04発、DD51に牽かれた14系6両の人生初寝台特急。出発前の興奮とか感激など無くて、コワイ思い出の駅です。
中一の夏、深夜の四日市駅・・この駅天井がものスゴく高くて、物音の反響が不気味でオバさんは帰っちゃうし、列車が
来るまでの30分間はもう恐ろしくて、跨線橋の階段はスゲー高いし、跨線橋なげーし!
列車に乗ってドアが閉まるまで恐怖の時間でした。まだ深夜がコワイ年齢だったのでしょうね。
さて、そんな思い出の国鉄四日市駅。まだ面影あるのでしょうか~ってホーム降りて跨線橋の階段上ってると、やっぱり
フラッシュバック。そこに13歳の自分を見た気さえしましたよ。なげぇ跨線橋。急でやたら段数の多い階段。
改札抜けるとクソ高い天井の駅舎・・42年間変わってない!!
この42年間。振り返ってみたくもありませんが、42年前に頑張っていたであろう自分がここを通って、翌日もなんか頑張って
いたんだろうと思うと、じゃあもう少しやってみるかとも思ったりできました。今現在また変な病気にかかってて、随分
メゲておりましたけどモノは考えよう、ちょっと開き直ってみるのも案外いいような気もします。
↑雰囲気は国鉄のまんまです。
四日市駅は、JRと近鉄では圧倒的に近鉄の勝利です。もう栄えかたも段違い。人の数が違います。
これはもう仕方ない。で、バスで近鉄四日市駅へバス旅3分。210円。
やっと撮りに来れた~近鉄内部(うつべ)線、ではなくて四日市あすなろう鉄道。
夏は前面窓を全開にして運転していたのを覚えてます。終点に車両基地があって、運転台に座らせてもらったのは
もうそういう時代背景です。
西日野と内部の分岐駅である日永(ひなが)駅で撮影しました。ここが一番電車の本数が多いんです。
冷房も効いて快適な車内でした。
しかしナローゲージ、トコトコとおもちゃみたいな電車が今も現役とは奇跡のような存在です。
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2020.8.9四日市あすなろう鉄道(日永駅)
帰路はやっぱり国鉄~JRにしました。ディーゼル快速みえにも乗ってみたいし!
ちょっと遅くなってしまいました。終えてみたら久々なので結構やらかしてましたね。
こういう撮影紀行を終えるともう次の対象を考えているところが中毒症状?
お次は鈴虫が鳴くちょっとヒンヤリした季節が良いなぁ~
それより体調を元に戻さねばなりません。結構イタんでまして治るのやら・・
次回は未定です。また行ける時出ます。
1973年には二度ほど「紀伊」のお世話になっています。と言っても下り列車ですが...
明け方車窓から見る四日市の工場群は、光り煌めくお城のようで、煙突の先端では炎が揺らめき、黒い空に白い煙が立ち上る様は、不気味な美しさがありました。良く覚えています。
ご視聴&コメント ありがとうございます。
貨物列車は荷物があったりなかったり、長い短いなど、来て初めて え~!どうしよう~って毎度思ってしまいます。難しいです。
もしや4101レ時代の紀伊にご乗車でしたかっ!あの銀河1号併結の・・(驚)
確かEF58+10系であったと思います。さすが佐倉さま、なんとレアな列車にご乗車を~!
四日市はご存じの通りコンビナートです。夜間照明は確かに戦艦を思わせる妖美さをかもし出していると思います。塩浜にも親戚がおり、夜釣りに行った時、コンビナートの照明が夜空を照らしてとにかくなんかのエネルギーを感じたことは今も記憶しております。最近は「工場夜景」と言うのでしょうか、バルブを駆使してとんでもなく綺麗な写真を撮られるかたがおりますね。四日市は宝石箱のような場所であったのかもしれないです。
「加太越え」の撮影でしたか・・佐倉さまのBlogでも何度か拝見しました。当時私は小学生でして、亀山から先へは一度だけ、急行紀州なるディーゼルで大阪へ連れて行かれた覚えがうっすらあります。雨天の中延々と寂しい風景が続いていても、時折SLが止まっていたのを見るのが楽しかったです。肉眼撮影でした~