mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

上海旅行~①地下鉄&ホテル周辺

2010-10-09 20:00:55 | 旅行

初めての上海です。

飛行機は上海に降り立ちましたが、すぐに地下鉄に乗りホテルへ直行します。
上海空港ってどんな?外に出ないので分かりません。

その後の移動も全て地下鉄でしたから、車窓から上海の街並みを味わう事はできませんでした。

 【地下鉄】
 
駅にはこのような切符自動販売機がありましたが、お札は汚いものは通りません。
中国で出回っているお札は殆ど皺しわなので、コインを準備しておく必要があります。
切符はプラスチック製で、絵柄は色々あります。

 
やはり、ここでも厳重な手荷物チェックがあります。

  
駅は殆どが二重扉ですが、中にはまだ二重になっていない駅もみうけられました。
車内はとても広くて綺麗!

  
空港から2号線に乗り、途中で8号線に乗り換えてホテルに到着です。
私たちの部屋は616号室。 6階から眺めると付近はとても緑が多く見られました。
部屋の様子はいつもとあまり変わりませんが、部屋が二部屋続きでした。
いつもよりは少々高めだなと思っていたのです。・・・国慶節休暇の時期なの空き部屋も少ないのでしかないでしょう。

お昼を回っていましたので、荷物を置いて食事がてら周辺の観光に出かけました。
この辺は旧日本租界だったらしです。
 

自転車やバイクに乗っている人が多く、路上駐車もこんな状態です。

 
近くには大きなレストランはなさそうです。 
仕方なく、取りあえずこの「天香斉食府」に入りました。

左はワンタンのスープ? 岩海苔のようなものが食感が良く美味しかったです。
右は茄子と挽肉のようなものを甘辛く炒めたものをご飯の上にかけてあります。
いつも、料理の名前を控えておこうと思うのですが、いつも、忘れてしまいます。

店構えにしてはまあまあのお味で、しかも二品で12元(150円位)です。
いつも思うのです。もう少し器や盛り付けを考えると、もっとおいしく感じるのでしょうが・・・。


少し大きな通りに出ました。

路地にはこの様に看板が掲げられてあります。
日本でいう、「~横町」とでも言うのでしょうか?

魯迅旧居
魯迅は日本にも所縁のある人物です。
近くに亡くなるまで住んでいた住居があるらしいと探しました。


昔ながらの街並みのまま残っていて皆同じように見え、なかなか見つかりません。


見つけました! 「私たちで平安な住宅街を作りましょう!(意訳)」と言う赤い横断幕に目を取られて下の看板に気付かないところでした。

 
魯迅はこの奥にある4階建ての住居で亡くなりました。
部屋は亡くなった時の儘に残されています。
時計まで亡くなった時間で止まっています。
因みに息子さんは80歳代で北京でご健在だと伺いました。

日本語のできる男性が案内をして下さり、詳しく説明を伺うことが出来ました。
最後に「私の日本語はどうだったでしょうか?」と、尋ねられるので「とてもお上手でよく分かりました。」
「何処で日本語を学ばれましたか?」と、お聞きすると、「独学です。私は方言に興味がありますので、何か一つ教えて下さい。」と言われました。

「よか!」は「良いね」。「よかよ!」は「構いませんよ」と、教えてあげました。
そして、京都弁「おこしやす!」や、大阪弁を少々交えながら楽しい立ち話になりました。
中国人は本当に熱心に勉強される方が多いのです。


この辺りの住居は皆このような「小区」になっていて入口には扉がついています。
玄関先には鉢植えなどが置かれていて昔の日本の長屋のようです。


この辺りの洗濯物の干し方です。
今迄どこでも見られなかった光景です。
多分、ヨーロッパのアパートでこのような干し方をしていたような気がしますが。




【おまけの話】
路上でこの様に“上海蟹”が売られていました。
恥ずかしながら私は今まで上海蟹なるものを食べたことがなかったので、もっと大きな高級そうなカニだと思っていました。

夫は少々知識があって、上海蟹は川蟹なので小振りなのだと説明してくれました。
最近、上海蟹は穫れなくなって値段も高騰気味と聞きました。
この蟹はいくらくらいだったのでしょう!? 聞いて見ればよかった!

 

 

 

次は「豫園」に行きます。