一年生、二年生、三年年生・・・の顔をみていると、何時の間にか、自分のその頃に入ってしまう。
当然時代の経済状況も大きく違うが、暫しである。感慨深いものがある。それにしても、全てが貧しかった。最悪の藁草履(わらじ)がチラツク、ズック靴は4、5年生の頃からか。
昨年の1年生の時は、殆んど母親に付き添ってもらって登校していた女の子、若干情緒不安定だったのか、2年生になったら一人で行くのよ!・・最初は母親と一緒だったが、今では一年生の後について登校している。先輩意識が芽生えたのであろう。
4、5年位の男の子は、いつもグズラ、グズラと父母に校門近くまで嫌々の感じでようやく送り込まれる。今年はそんな光景が見られなくなった。登校班に入ってオシャベリをしながら通過して行った。
一年生の女の子が、母親に大通りの角まで送られてくる。そこまでは、腕を顔に当て、泣きじゃくってくる。親から離れて暫くすると、泣きやんで、普通の状態である。これが毎日の態様である。
勉強に来る、行くではなく、遊べる、友達と・・・が大きなウエイトを占めているのだろうであることは、今も昔も変わらないようである。
変わったのは、登校中、一言も会話をしないのが摩訶不思議である。中には、ふざけて傘を振り回したりしているのもいるが、例外である。
例外ないのが、水筒を下げている。摩訶不思議である。
当然時代の経済状況も大きく違うが、暫しである。感慨深いものがある。それにしても、全てが貧しかった。最悪の藁草履(わらじ)がチラツク、ズック靴は4、5年生の頃からか。
昨年の1年生の時は、殆んど母親に付き添ってもらって登校していた女の子、若干情緒不安定だったのか、2年生になったら一人で行くのよ!・・最初は母親と一緒だったが、今では一年生の後について登校している。先輩意識が芽生えたのであろう。
4、5年位の男の子は、いつもグズラ、グズラと父母に校門近くまで嫌々の感じでようやく送り込まれる。今年はそんな光景が見られなくなった。登校班に入ってオシャベリをしながら通過して行った。
一年生の女の子が、母親に大通りの角まで送られてくる。そこまでは、腕を顔に当て、泣きじゃくってくる。親から離れて暫くすると、泣きやんで、普通の状態である。これが毎日の態様である。
勉強に来る、行くではなく、遊べる、友達と・・・が大きなウエイトを占めているのだろうであることは、今も昔も変わらないようである。
変わったのは、登校中、一言も会話をしないのが摩訶不思議である。中には、ふざけて傘を振り回したりしているのもいるが、例外である。
例外ないのが、水筒を下げている。摩訶不思議である。