ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

ごまんと・・・・

2008-11-30 10:59:39 | ここ何処?
 「ごまんとある」と言うことがある。数の多い様を大げさに言うことに使う。

 先日、叔母の墓参りで富士の裾野に行った。墓の区画が五万あるという。まだまだ増える予定であるそうで、目的の墓に辿り着くのにコンピューターで検索、ABC・・・区画、123・・abc・・ですと、地図も置いてある。そこまで管理事務所のマイクロバスが送ってくれる。

 五万は「ごまん」のことか何しろ壮観である。一戸に一区画としても増えていくことは間違いないが、ゆく先どうなるのだろうか。富士の裾野も墓でいっぱいになるだろう。

 「永久供養」の意味もよく分からないが、管理料などのお金は払っていかなければ撤去されるのかも・・

 親の供養なども時代が変われば、子孫は昔とは意識・観念が違ってきていると思う。法要などが遠方で行われる場合は、子供等は参列していないようだ。

 親が「行く必要がない。学校もあるし・・・」などと祖先を敬う意識も低下しているのも大きく影響しているのも事実である。

 日本人は、諸外国人に比べて宗教にあまり関心がないようである。「神様・仏様」稲尾様で、クリスマスにはジングルベル、バレンタインデーはチョコレートである。

 古来から神仏混淆であったのが、明治に入り仏教排撃運動、廃仏毀釈が起こったりした。無神論者も苦しい時の神頼みで「神仏に祈る」「神も仏もあるものか」である。

 またまた「篤姫」である。13代将軍家定と徳川家ご先祖様の位牌に礼拝するのが大奥での毎朝の日課であったようだ。徳川宗家でも続いているであろう・・・

 朝一、仏壇にお水、炊き立てのご飯を供えている家庭はまず見かけない。第一、仏壇がない・・旧家ではあるかも知れないが・・・・夜に硬くなったそのご飯を食べたこともあった。

 生きているうちに、腹一杯飲んで食って、ハイそれまでョ~~

 


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