中国語になんとなく興味を持ったのは三十数年前で、NHKラジオ講座を聞き始めたのです。一般にテキストの売り上げも四,五,六月と順次落ちるようですが、ご多分に洩れず私も二,三ヶ月で止めてしまいました。次の年も同様でした。言い訳になりますが、当時は仕事も交代制で録音機能も無く常には聞けない・6畳一間の社宅・一歳の子供二人の環境では無理だった・・・・これは、定年退職したら絶対にやろうと決めておりました。 ただ、放送開始冒頭に女性中国人講師の「現在 开始学习(開始学習)中文!」だけはずっと憶えており中国人に時折接したときは「馬鹿の一つ覚え」で使ってみると案外伝わったので満更でもないと意欲がわきました。
時は流れ、晴れて退職となり、退職金・年金で何とか生活できるので、中国語丸もいざ出帆となりました。中国語講座に、図書館通い、関連書の購入等準備万端・順風満帆でした。だがしかし、出帆から既に五年、実質は七、八ヶ月位のものでしょうが、あわれこの舟も難破寸前です。止めるのも止められず、せめて日常会話位は「モノ」のにしょうと迫りくる認知症・欠けていく集中力とに七転八倒しながら荒波にもまれております。
北京・西安・三峡下り・桂林・九寨沟(溝)などを駆け足ツアーで生の中国語を耳で聞いてきました。話してきたとはとても言えません。 万里の長城で母親が2才位の子の後ろから「ZOU ZOU(歩)」と言っているが聞きとれました。これは「早く歩け」と言っている意味であれば「ZOU ZAO(早)」であったかも(こんな場面ではどっちでしょうかネ、なにしろ耳がいいもので)。これでもう十分に十万円をかけて来た、行った(来?去?)価値があったと自己満足しています。
感心させられたことがあります、それは中国人の現地ガイドの流暢な日本語です。最初のツアーのころは、聞いていて肩の凝るような上手くないガイドもいましたが、最近のガイドは日本人よりも上手で、案内の内容も132mとか、1967年とか正確に発音していました。。どこで、どのように勉強したのかと聞くと(日本語で)、日本には行ったことがないが、猛勉強でガイドの資格を取ったようです。高給が魅力でもあるのでしょうが。上達する要諦は、生活が係っているか、否かでしょうか、やる気の問題でしょうか、生活も係っていないし、やる気もあるような無いような、ボケ防止の頭の体操・パズルを解くようなものではない、もっともっと緊張感が必要なのでしょうが。
心に残るあるガイドの助言・・万事开头难(開頭難)・・何事も始めは難しい・・・・・・万事大吉・・めでたしめでたしという訳にもいかず 我思う 始めも 中間も 終わりも 大変だ 人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し 急ぐべからず(徳川家康) ・・・・・・・・・ そうもいかない 先が無い ・・・・・
学問に王道なし ただ努力あるのみ たとえ道は遠くても(これ中国語で何と言うの)这是什么说汉语?