すべては愛する宗像のため

福岡県宗像市在住、井上正文のブログです。

第2エリア理事長会議in飯塚

2006年05月20日 | 青年会議所の活動
18日、飯塚で開催された第2エリア理事長会議に出席しました。
宗像JCからは田中直前(「直前」とは昨年度の理事長)と堀専務の3名で参加。

第2エリアというのは飯塚JC直方JC田川JC宗像JCの4つの青年会議所で構成される地域のことを指します。

ちなみに第1エリアは北九州JC豊前JCひびきJC美夜古JC
第3エリアが福岡JC甘木朝倉JCつくしJC糸島JC
第4エリアは久留米JCみいJC筑後JC浮羽JC八女JC
第5エリアが大川JC大牟田JC柳川JC山門JC

福岡ブロック協議会内には5つのエリアがあり、全部で21の青年会議所があるのです。

理事長会議といっても、難しい議論をやるわけではなく、理事長同士親密に交流する楽しい会合です。
今回は第1エリアの北九州JC久岡理事長も見えられ、一晩中でも語り合っていたいほど中身の濃い会合でした。
久岡理事長によると第1エリアではエリア会議をやっていないとのことで、次回は第1・2合同エリア会議を田川でやろうということになりました(田川JC尾崎理事長よろしくお願いします)。

開催地の青年会議所が幹事役となって素晴らしい設営をしてくださり、会場や料理なども楽しみの一つです。


(写真は鯛の酒蒸し。お店は小料理「ひこざ」飯塚市飯塚1-30 電話0948-22-5297)

エリア会議のことは直方JC松村理事長と飯塚JC林田理事長それぞれのブログでも紹介されております。

林田理事長はじめ飯塚JCの皆さん、本当にありがとうございました。

ポジションをめぐる闘い

2006年05月18日 | 仲間たち・交遊録
昨日はあいにくの雨で野球の練習は延期になりました。

今、宗像JCでは野球チームのポジションをめぐる闘いが始まっています。

以前、このブログに書いたように、グラウンドではJCの役職も年齢も関係無く、実力が全てなのです。
もちろん、野球がうまくても練習に来ないと試合には出られません。

宗像JCにおける野球の趣旨は「楽しく交流しよう」ということですが、やるからには真剣に、出るからには勝つことも大事なことです。

私が入会した当時は、ユニフォームもろくに揃ってなく、アパッチ野球軍のようでしたが、今年は道具にもこだわっています。

さて、今日も公式練習の予定ですが、私と堀専務と田中直前は飯塚に参ります。
青年会議所の第2エリア理事長会議が開催されるからです。

天気のことが心配ですが、皆さん頑張ってください。

愉快な仲間たち

2006年05月17日 | 仲間たち・交遊録
13日浮羽青年会議所の懇親会にも参加し、林田浩暢直前理事長や林田幸司エリア長と昨年の話で盛り上がり、帰り路、何故か太宰府インターを降りて、つくし青年会議所の吉村副理事長と合流して5名で熱く語り合いました。
一応、九州地区会員大会(つくし青年会議所主管)の現地調査も兼ねておりました。
高野君には、検査入院から退院してすぐにもかかわらず、車の運転も含め本当に感謝しております。

14日、商工会青年部の多田宗史君の披露宴に出席、会場は宗像JC・OB高島先輩の割烹旅館華杏弥太楼でした。
多田君のお父様は宗像JCのOBでもあり、披露宴には歴代の理事長や先輩方も出席されておりました。



前の晩にお邪魔した浮羽青年会議所歴代理事長の本田先輩も見えられていて、多田君とは従兄弟で、宗像JCの藤原誠君とも従兄弟同士ということでさらに驚きました。

この日は宗像市市長選挙の告示日でしたが、立候補は谷井博美氏のみで、選挙(投票)は無くなりました。21日の選挙会を経て正式に市長が決定するそうです。

15日夕方、古賀室長(宗像JC野球部GM)から電話で「理事長、ピッチングの練習!」と呼び出しがかかり、急いで玄海中のグラウンドに駆けつけました。



中学の野球部に混ざっての非公式練習でしたが、戸波副理事長と中村洋一室長(宗像JC野球部監督)のアドバイスのお陰で、幾分、球も早くなったような気がします。この日の練習には堀専務(宗像JC野球部名誉GM)と柳浦委員長・山下副委員長も参加されました。

練習後は小林先輩のお店活魚村海彦でミーティングです。そこへFUNKYCREWの荒井かおりさん達も加わり、戸波副理事長の国民宿舎ひびきのスタッフの皆さんも合流して、さらに楽しく盛り上がりました。

FUNKYCREWさんはMCとダンスのユニットで、代表の荒井さんにはJCのイベントの司会でもお世話になっております。先日“つんく♂”氏と婚約された出光加奈子さん(宗像市出身)は荒井さんの妹分です。そんな荒井さんの秘蔵っ子が水田めぐみさん。水田さんはテレビリポーターとしても現在ご活躍中ですが、この日、ご本人にお会いしてすっかりファンになりました。皆さんもどうぞ水田さんを応援してください。

水田めぐみさん出演番組
TVQすすめ!福岡おたすけ隊」毎週日曜 PM 9:48~ PM 10:48~

今日・明日も宗像JCは野球練習の予定です。

災害発生時、JCの役割は

2006年05月16日 | 災害ボランティア
13日、浮羽青年会議所さんの例会に突然お邪魔しました。例会事業が「災害発生時、JCとしてなにができるのか?」という災害ボランティアに関する内容でしたし、講師は松藤直前ブロ長ということで、喜び勇んで参ったしだいです。
松藤直前からは「何で来とうと~!た・ま・が・っ・た!」と大笑いされました。
鑓水理事長には余計な気を遣わせてしまい、ちょっと反省しています。

昼過ぎに、福岡ブロック会員拡大支援委員長の戸波委員長宗像JCでは副理事長)から「浮羽JCさんの例会行きますけど、理事長どうですか?」とお誘いを受け、松井君・高野君と4名で向かいました。

浮羽JCさんの例会には私達だけでなく、福岡ブロック協議会渕上副会長向江委員長、佐賀ブロックの伊万里青年会議所からもお二方、そして松藤直前ブロ長のセクレタリー役で甘木・朝倉青年会議所の中野君もお見えでした。

せっかくですから松藤直前の講演内容を紹介します。


浮羽青年会議所5月例会「災害発生時、JCとしてなにができるのか?」(講師:松藤敏彦氏)

災害とは地震や風水害のことを指します。2005年度福岡ブロックの会長をさせていただいた時、福岡県災害ボランティア連絡会の会長を経験しました。福岡県の西方沖地震は2005年の3月20日に発生、実はこの日、日本JCの総会が東京であっていました。10時53分(地震発生時)は総会会場の六本木ヒルズにおりました。携帯に(奥様から)メールが入ってきました。「地震が発生したけど大丈夫」というメールで、東京で地震が起きたけど大丈夫?という意味かと思い、「大丈夫」と返事しましたが、そうじゃなくて「福岡で地震が起きたけど私(奥様)は大丈夫です」ということだったのです。そういう勘違いをするほど、まさか福岡で地震が起きるとは思いませんでした。地震に関して何も情報が入って来ませんので、運営専務(私、井上です)に電話しましたが、通じません(災害発生時、電話が通じなくなります)。それでパソコンを開いて情報収集しました。

玄界島の住民の方々約700名は福岡市の九電記念体育館に避難されました。県知事の要請で自衛隊が迅速に九電記念体育館まで島民の方を運ばれたそうです。

福岡JCの宮崎理事長(当時)は、東京からすぐに福岡に戻られました。私(松藤講師)は総会に出席された理事長さん方に地震についての情報をお伝えしました。夕方、福岡に戻り、翌21日に九電記念体育館(避難所)に行きました。そこで情報を集めながら自分の車でも実際に廻って調べました。

 

福岡県社会福祉協議会は九電記念体育館にいち早く災害ボランティアセンターを立ち上げました。福岡県の社会福祉協議会はセンターを立ち上げるノウハウを持っていました。新潟や福井の災害に行かれていましたし事前に研修もされていました。ですから非常に対応が早かったです。実は福岡市の災害ボランティアセンターがなかなか立ち上がらないので、県が勝手に立ち上げたそうです。福岡市は政令指定都市ですから、福岡県と福岡市は同じ力を持っているのです。

地震発生当日の内に玄界島の方々は九電記念体育館に避難されていましたが、福岡JCの宮崎理事長(当時)は、その日に九電記念体育館に行かれ、福岡市の災害本部の方に「何か足りないものはないですか?」と聞かれたそうです。すると福岡市の担当者からは「すべてあります。大丈夫です」と言われたそうです。そういうことなら大丈夫なのかなと思い、一応、帰る前に体育館の中を観られたそうです。すると避難所で休まれている方には毛布しか無かったのでした。ご老人や小さな子どもさんもおられましたが、体育館の板間で寝るのは大変だろうと、宮崎理事長は、その日の内に布団を差し入れされました。こういうことはJCだからできるのかなと思います。何故なら、先輩の布団屋さんに「とにかく布団を入れて!」という話がすぐにできる。それから2週間後には畳も入りました。

 

避難所の救援物資はとにかくいっぱい来ます。ガンガン来ます。ですから「何か足りないものはありますか?」と行政の方に聞いたら、足りていますと答えられます。ですけど避難所の住民の方に聞くと「あれが足りない。これが欲しい」という話が出るのです。例えば、インスタントのうどんが欲しいとか、そばが食べたいとか、爪楊枝が欲しいとか、読む本が欲しいとか、そういう情報を集めて物資を入れたりしていました。

JCの皆さんには、ボランティアスタッフの送迎をお願いしました。これも会議の中で「誰もする人がいない」というので、JCがやろう!となったのです。
被災者の中学生を学校に送迎したり、体調の悪い方を病院まで連れて行ったりもJCがしました。こういうことは、本当は行政がすべきことですが、目の前で困っている人がいたらやらないわけにはいかないです。被災者の送迎は市がタクシーチケットを配るようになりました。

福岡市の中央区、大名のマンションの中とかはグチャグチャになっていました。マンションとか家の中には行政は入れません。家の中の掃除なんてできないのです。でも独り住まいのご老人とか、子どもが小さいとか、また、当時福岡ブロック協議会の副会長をされていた堀内恭彦副会長(福岡JC)の弁護士事務所とかも大変なことになっていました。部屋の中の片付けは男性の方がいればできるでしょうが、できない方もいらっしゃいました。そういう仕事を災害ボランティアでやりました。JCはそのボランティアの送迎をやったのです。

 

九電記念体育館に避難されていた玄界島の方々の仮設住宅への引っ越し作業もJCと行政職員でやりました。この仕事はJCに指名されました。何故かというと、引っ越しは「私物」を運ぶのです。その中には貴重品もありますし大切な物を運ぶのです。それを運ぶのは、やっぱりJCしかいないねということだったのです。

災害ボランティアの役割もいろいろありますが、特に期待されているのは「お金」です。実は日本JCで災害基金を持っております。災害が起きると会頭の権限でお金が降りてきます。それとJCは全国的なネットワークがありますので、全国からお金を集めることができるのです。これはヒモ付きのお金ではありません。センターの運営や被災者で一番困っている人に優先的に使うことのできるお金なのです。日本赤十字が集める「義援金」は配当委員会で被災者の皆様に均等に配分しないといけない。しかも配分されるのは、ずっと後になります。ですから「義援金」でなく、「支援金」を集められるJCに期待をされています。

物資にしてもそうです。先程の布団もそうですが、JCのネットワークでいろんな物資を調達したり、差し入れを頂きました。

ボランティアセンターの運営要員もJCはできます。何故ならJCは窮地にたった時に、判断し対応できる人材を抱えています。会社の経営者が多いということもありますし、JCの事業等でトラブった時に、いち早く対応するという経験を持っているのです。そういうことで災害ボランティア・コーディネートもできると思います。

情報収集もJCはいろんな所にネットワークを持っています。ホームページや掲示板などのベースも持っていますし、情報収集も得意なところです。

昨年、福岡JCでは震災対策組織を立ち上げました。JCは組織で動くのが得意です。福岡JCさんで、被災者の方をお風呂に送迎したり、子ども達の遊び場として、周辺の学校の運動場を開放させたりしました。また母の日にカーネーションをプレゼントされたり、「元気バイふくおか」キャンペーンを博多どんたく等でPRしたり、また仮設住宅にもマットレスや布団を贈られたりしました。

志賀島や西浦の方々も被災されていました。しかし志賀島や西浦地区は自主防災意識が高く、外部からのボランティアを必要とされなかったのです。それはそれで立派なことで、住民の方々が自分達で助け合って自律することが本当なのです。災害ボランティアは自律のお手伝いなわけです。それと日常生活を取り戻すまでの一定期間だけ、災害ボランティアは動くのだ。この二つのことが鉄則なのです。

災害ボランティア連絡会は2004年の10月29日に設立されました。福岡県で災害が発生したら、すぐに活動を開始します。そして連絡会の会長は、毎年、JCの福岡ブロック協議会会長がしております。日頃の活動としては研修会やシミュレーションなどを行っております。防災士の養成も500名を目標にやっていきます。県の防災訓練も昨年は飯塚市で、今年は福津市で実施します。

今後は福岡県の各地に社会福祉協議会を窓口に災害ボランティア連絡会が立ち上がってくると思いますが、JCの皆さんは是非、この連絡会に入ってください、っていうか連絡会を仕切ってください。

本日のお題目「災害発生時、JCとしてなにができるのか?」ですが、「全国ネットワークのJCは何でもできる!」というのが結論です。「何か、そんなオチかい!」って言われそうですが、「何をしなければいけないのか?」は発生してみないと分からないのです。

西方沖地震の時は、避難所を行政が仕切りました。炊き出しなんかも自衛隊がすべてやりました。私達は行政がやることはやりません。行政ができないことをやりましょうということです。

 

災害ボランティアコーディネートができるようなスキルも、JCで取り組んでくれればと思います。

災害発生前にできることがあります。

「自助」、自分のことは自分で守るということ。災害発生時には電話は通じなくなります。非常時の連絡手段に携帯メールやホームページの掲示板などを活用できるよう用意しておいてください。それと寝室にタンスがある人は、置く位置を考えてください。

「共助」、各地域の自主防災組織を確立してください。地域コミュニティ、特に隣近所のお付き合いは大切です。

「災害に強いまちづくり」が「明るい豊かなまちづくり」であるのです。

素晴らしい講演でした。さすがは松藤直前ブロ長、随所で笑いを取りながら、ご経験に基づいたリアルな災害ボランティアセンターの実情をお話しいただき、大変勉強になりました。
私は昨年、運営専務をやらせていただきましたが、ブロ長は本当に大変だったと思います。それと現場で采配をふるうブロ長を見て、すごい方だなとあらためて尊敬したものです。

松藤ブロ長から「JCの皆さん、東京に行く時は地震に備えておきましょう」とのことでした。

浮羽青年会議所の鑓水理事長、災害ボランティアへの取り組みを始めた理事長同士、これからも共に頑張りましょう!!

災害ボランティアセンター体験

2006年05月15日 | 災害ボランティア
9日の5月公開型例会は、災害ボランティアコーディネーターの第一人者である伊永 勉(これながつとむ)氏をお招きし、災害ボランティアセンターの立ち上げを体験しました。
まずは、伊永 勉先生の講演内容を紹介します。

県や市町村・日本赤十字や社会福祉協議会さんが主催されてのことではなく、JC(青年会議所)の皆さんが発案されて地域住民の皆さん、行政などの公的機関にも声を掛けて、災害ボランティアのシミュレーションをしてみようというのは非常に嬉しいですし、これが全国に広がる一つの例になってほしいと期待しています。

今日のテーマはボランティアセンターを実際に立ち上げてみようということです。皆さん自身がセンター運営側になり、あるいはボランティアスタッフになり、そして被災者にもなってみるという体験をされて、どう調整をしていくかを学びます。私(伊永氏)はこれまで世界各地で30数回の災害ボランティアを経験しましたが、日本人の底力はすごいです。他人が困っているのを見過ごせない国民性があるのです。

災害ボランティアは例外なく誰でもできます。幼稚園の子であろうが老人の方であろうができます。災害ボランティアは「労力」を提供するか、「物」を出すか「お金」を出すか、「情報」や「知恵」を出すかです。災害ボランティアに参加できませんという方はいません。特に主婦の方の力は大きくて、女子大生が10人かかっても、主婦が一人いればできます。(主婦は)子育ての経験があり、炊飯の経験があり、掃除も洗濯もできる。お年寄りがいらっしゃる家庭では介護の苦労もなれている。これは立派な被災者への支援です。ですから普段から自分は何をできるのかを意識しておいてください。皆さんが日常で経験されていることを災害時に活かしてください。

さて、これから実際に災害ボランティアセンターを立ち上げるのですが、ボランティア未経験の方がバラバラに個人で来られる場合と組織で来られる場合があります。一方、被災者は何でも要求します。しかし役所には限界があります、やりたくともできないことがあるのが役所の仕事です。「公平平等」という原則に基づいて、特定の人のために勝手に税金を使えません。本当は役所の皆さんも目の前で困っている人がいたら助けたいのです。だけどできない。では誰ができるのかと言えば民間しかないのです。災害ボランティアセンターは民間の組織です。公平平等ではなく、最もその人にとって助かるということを優先的にできるのです。そのためには被災者の要求に応えられる「人・物・場所・情報」をいかに集めておくか、要するに災害ボランティアセンターは一つの事業所の経営です。ですから事業所を経営するという感覚でセンターを運営してください。

リーダーとコーディネーターは違います。リーダーはカリスマ的になって結構です。命令して結構です。自信もってやってください。その代わり失敗したら腹切ってくださいよ。それとリーダーになった以上は途中で辞めないでください。指揮官である以上は辞めたは許されません。覚悟を決めてリーダーになってください。

コーディネーターは客観的にクールに現場を采配してください。一度に10個の要求が来たら、それを全部叶える方法を考えてください。100個・200個の課題をどうすればクリアできるか、してあげるのでなく、クリアする方法を考えるのがコーディネーターの仕事です。そして一番大切なのはボランティアの安全を頭に置いてください。ボランティアが怪我をしたり死亡したりすることもあります。例えば災害ボランティアセンターのリーダーは自賠責保険に3億円入ります。私(伊永氏)自身が運営している時も死亡者が出ました。

JC(青年会議所)の皆さんは規模の大小はありますが、事業所の経営に携わっている方が多いと思います。経営者感覚で災害ボランティアセンターを運営し、色々なチャレンジをしてください。

この後、全員をABCの3チームに分け、災害ボランティアセンターの運営に携わる役割と、ボランティアや被災者になる役割と、その様子を見学する役割の3つをそれぞれ順番に経験しました。

災害ボランティアセンターチームは、まったくの白紙の状態でセンターを立ち上げ、ボランティアと被災者役のチームは、要求カードを持ってセンターを訪れます。その要求カードにセンターは答えを出していくのです。

 
 

早速、班分けをして、センター長を決め、センター長の指示で各部署の責任者を決め、センターのレイアウトなども短時間で決めていきます。大切なのは瞬発力です。

私(井上)はC班に配属になり、センター長を志願しました。「理事長がセンター長やったらイカンやろ」という意見もありましたが、この経験が翌日の事業に多少なりとも活きたように思います。

伊永先生は初めにおっしゃられました。「今日のセンター運営は絶対、失敗すると思います。しかし失敗が今後の教訓、糧になります。どんどん失敗してください」と。

センター長を経験し学んだのは、リーダーが下す「決断」の重さです。そして決断は「絶対善」では無いということでした。

大切なのは目の前の現実に瞬発的に対応することです。そして、あらゆるケースを想定して先を読む力を鍛えておくことの大切さを学びました。

最後に9日の公開型例会にご出席くださいました各団体・行政・市民の皆様に感謝申し上げます。

<協力団体(順不同)>
宗像市社会福祉協議会・宗像市商工会・クリーンアップ宗像・玄海未来塾・ガールスカウト宗像支部・ボーイスカウト宗像支部・宗像少年の翼・宗像少年会議所・宗像市役所総務部総務課・福津市社会福祉協議会・福津市商工会・福津市役所市民部生活安全課・福津市役所地域生活部郷育推進課・古賀市社会福祉協議会・古賀市商工会・古賀市役所総務部総務課・福岡県総務部消防防災安全課・宗像ユリックス・社団法人日本青年会議所九州地区福岡ブロック協議会・福岡ブロックLOM支援委員会・福岡ブロック会員拡大支援委員会・宗像市、福津市、古賀市に在住の市民の皆様・宗像青年会議所シニアクラブ及びOBの皆様

一球入魂!

2006年05月13日 | 青年会議所の活動
ご覧の通り、野球モードです!(携帯からご覧の方はわからないと思いますが、ブログの背景を変えました)。
実は小学生の時は野球少年で、地元のソフトボールチームではピッチャーでしたし、リレーや剣道やテニスやフェンシングなど個人競技は得意で、日本舞踊も習っていましたので人前で何かをやるのは好きな性分でした(とは言っても戸波副理事長や椎名副理事長や中村洋一室長に比べたらレベルが違いすぎます・・・)。

なのに、先日の韓国・昌原青年会議所とのスポーツ対決ではボロボロ、一昨日の野球の練習でも古賀君(担当室長兼ゼネラルマネージャー)曰く「コントロールは良いけど、超極スロー」。
私としては本気モードなのに足がからまり、的場君には笑われ、「こんなはずでは」とがっくりです。
ですから中村洋一君のアドバイスに習って毎日トレーニングしています。

宗像JCはいろんな意味でスキルが高いので、理事長であっても野球においては「声出せ!」と怒られ、怠けていると古賀君に怒鳴られます。

JCメンバーでない方には何言っているの?と思われるかもしれませんが、とにかく今、宗像JCは野球にかけているのです。

昨日は正副理事長会議もありましたが、詳しいことは室長に聞いてください。

とりあえず6月例会は例会・懇親会も100%出席でやる!ということだけはお伝えしましょう。
それと例会事業は社会起業家育成特別会議主催のビジネスセミナーで、楽しみながら学べる内容です。

6月の例会は公開型でも公開例会でもありませんが、オブザーバー参加はOKなので知り合いや身内の方も連れて来てくださっても結構です。

先日の災害ボランティア例会や公開討論会の衝撃的!な事件の「真相」など、書きたいことはいろいろありますが、それはまた別の機会に。

ウォーミングアップ

2006年05月12日 | 青年会議所の活動
10日の夜は頭に血が上って眠れませんでした。決して感情的になっているのではなく、脳が噴火前の火山のような状態だったのです。

翌11日、朝8時40分に「公開討論会」に出席を予定してくださっていたパネリストにお詫びに行き、その後、久留米で開催される福岡ブロックの会議に向かいました。

夕方からは福津市の「なまずの郷」で野球の練習。
久々に体を動かしたお陰で、昨晩はぐっすり眠れました。

いくつか報告があります。
11日、午後2時過ぎに佐世保青年会議所の中村大介理事長が越本隆志君のジムを訪問されました。
あいにく、私は久留米での会議のため不在でしたので、堀専務が応対してくれました。
中村理事長は、前回の世界戦で大変お世話になった理事長さんです。
1月の京都会議・77LOM会員会議所会議で「越本隆志選手世界戦支援」のお願いをさせていただきましたが、一番最初に支援に動いてくださったのが中村理事長でした。

そんなこともあって、以前、佐世保青年会議所さんのHPを拝見しておりましたら、中村理事長のご挨拶の中で、越本隆志君と私のことを書いていてくださっていました。

皆さんもご存じかもしれませんが、中村理事長は2003年度九州地区大会in佐世保大会の大会実行委員長でした。
その年に私も九州地区に事務局次長で出向しておりましたので、中村理事長は、宗像JC支援、越本隆志選手の支援を真っ先に決めてくれたそうです。

思い返せば、佐世保大会は素晴らしい大会でした。
我々のLOMナイトにも山懸理事長・中村実行委員長(当時)がわざわざお見えになり、お礼と差し入れをしてくださいました。
宿泊先のホテルの部屋には「ようこそ佐世保へ」というメッセージが置かれていました。
LOMナイトで賑わった後の佐世保の繁華街を、深夜、佐世保JCのメンバーが掃除されておりました。

ホスピタリティとはこういうことなんだなぁと、とても印象に残りました。

昨日は中村理事長にお会いできなくて残念でしたが、またお会いした際は、理事長同士、いろんな話がしたいものです。

報告二つめ。
宗像ロータリークラブさんが今年で創立20周年を迎えられます。
本年度の会長は寺田先輩で、昨日お願いに見えられ高田副理事長に対応してもらいました、
20日(土)に記念講演と懇親会がありますので、皆さんのお知り合いにもお伝えください。
詳細は各委員長さんにお聞きしてください(チラシも500部、事務局にあります)。

最後に10日の件では、様々な方から励ましのお言葉をいただきました。
メンバーの皆さんには申しましたように、気を落とすことはありません。
我々はやるべきことをやったのですから、自信と誇りをもってください。

先日、麻生知事もおっしゃられたように、JCは勇気をもって正しいと信じたことは実行すべきです。
ギリギリまでチャレンジして、様々な課題や問題を乗り越えようとする気骨をもった青年の組織、それがJCです。

9日の「災害ボランティアネットワークの構築」で伊永先生もおっしゃられていました。
「JCでなければやれないことがある。JCはモチベーションもテンションも高いし、経営者感覚で状況判断と行動が早い」と。

4月の終わりから10日にかけて、テンション上がりっぱなしでしたが、今日から新たな夢に向かって、走り続けます。

公開討論会中止

2006年05月11日 | ローカル・マニフェスト推進運動
昨日開催を予定しておりました「ローカル・マニフェスト型公開討論会」は、パネリストのお一方が急遽出席を辞退されたため、中止とさせていただきました。
本討論会の主催者を代表し、皆様にお詫び申し上げます。

パネリストお一方だけであっても続行すべきではないのかというご意見もあったかもしれません。
17時の開場時間(討論会開始の1時間前)後のことであったならば、場内の皆様に事情を説明し、何らかの形で会を開催していたかと思います。

しかし、16時47分、開場13分前の出来事でした。
コーディネーターの神吉氏も到着され、会場内では準備・リハーサルも最終段階にあり、飯塚青年会議所の林田理事長、直方青年会議所の松村理事長はじめ飯塚JC・直方JCの大勢のメンバーも作業を手伝ってくださっており、あとはドアオープンを待つばかりでした。
しかし、そのドアは開かれることなく、本討論会を担当した松島委員長はじめメンバーは中止という事態の対応に追われることになりました。

討論会を楽しみにしてくださった市民の皆様には、ご期待に添うことが叶わず、申し訳なく思います。

そして、本討論会の趣旨にご賛同いただき、ご尽力くださいました皆様には、お詫び申し上げますとともに、発案・準備段階から当日の開催中止決定後に到るまで、数々のご厚情をいただきましたことに深謝申し上げます。

まずは、主催者を代表し、討論会中止の経緯を報告させていただきますと共に、あらためてお詫び申し上げます。

本日「公開討論会」

2006年05月10日 | ローカル・マニフェスト推進運動
本日午後6時(開場は午後5時)から宗像ユリックスで「宗像市ローカル・マニフェスト型公開討論会」を開催致します。
原田市長急逝にともなう市長選挙に向け、立候補予定されているお二方をパネリストとしてお招きし、宗像市の将来ビジョンや、現在抱えている課題についてお二方のお考えを広く市民の皆様に聞いていただき、宗像のニューリーダーを政策で選択していくという「新たな市民意識」を明確なものにしたいという想いで企画・準備致しました。

早朝6時45分から市内各駅で公開討論会のチラシ配りを行いました。



昨日の事業「災害ボランティアネットワークの構築」に続き、二日連続の主催事業開催にもかかわらず、メンバーが参加してくれました。
地道な活動でも参加してくれるメンバーは、気持ちで動いてくれる信頼できる仲間です。

あいにく天候は雨ですが、今日の公開討論会は社会的にも大変意義のあることですし、それだけに責任も大きいのです。

非常に多くの方々の御協力と御理解もあって、ここまで進めることができました。
後は、一人でも多くの市民の方に参加していただきたい、そして、討論会が無事に開催できることを祈るばかりです。

宗像市ローカル・マニフェスト型公開討論会
~宗像市の未来は私たち市民の判断で~

日 時:5月10日(水) 開場17:00 開会18:00 閉会20:30(予定)
会 場:宗像ユリックス・イベントホール
定 員:1200名
入場料:200円(必要経費に充当し、余剰金は宗像市福祉機関へ寄付致します)

パネリスト
・谷井博美氏(前宗像市助役)
・岩木久明氏(宗像市自由ヶ丘地区コミュニティ運営協議会会長)

コーディネーター
・神吉信之氏(ジャーナリスト)

主 催:社団法人宗像青年会議所

※ 当初パネリストとして予定しておりました村田維信氏(元宗像市職員)は、ご本人の事情(市長選立候補を断念)により討論会の出席を辞退されました。

10日の公開討論会

2006年05月09日 | ローカル・マニフェスト推進運動
明後日10日(水)の「宗像市ローカル・マニフェスト型公開討論会」についてお知らせします。
まず、「公開討論会」は日時・場所ともに予告通りに開催させていただきます。
ただし、事情により、パネリストに変更が出ました。

宗像市ローカル・マニフェスト型公開討論会
~宗像市の未来は私たち市民の判断で~

日 時:5月10日(水) 開場17:00 開会18:00 閉会20:30(予定)
会 場:宗像ユリックス・イベントホール
定 員:1200名
入場料:200円(必要経費に充当し、余剰金は宗像市福祉機関へ寄付致します)

パネリスト
・谷井博美氏(前宗像市助役)
・岩木久明氏(宗像市自由ヶ丘地区コミュニティ運営協議会会長)

コーディネーター
・神吉信之氏(ジャーナリスト)

主 催:社団法人宗像青年会議所

※当初パネリストとして予定しておりました村田維信氏(元宗像市職員)は、ご本人の事情により討論会の出席を辞退されました。
※上記の内容は、本日14時30分より記者会見を行い、あらためてマスコミ関係者に発表させていただきました。

本日例会!

2006年05月09日 | 災害ボランティア
今日は待ちに待った例会です。毎日のようにメンバーの皆さんには会っていますが、皆さん全員と会える例会は本当に楽しみです。

2月例会は宗像大社で「心の健康」と題した原口元秀師の講演、3月は田川で第2エリア合同例会&ブロック会長公式訪問、4月は宗像ユリックスで越本隆志選手のトークショー。
2月は公開型例会で4月は公開例会でした。

ちなみに「公開型」は普段の例会を一般公開する形態で、「公開例会」は地域の皆さんに参加してもらうことを前提とした例会、というように定義付けしています。

本日の5月例会は「災害ボランティアネットワークの構築」を公開型で開催します。
地域の各種団体や行政の方々、福岡ブロック協議会の皆さん、団体に所属していない方々もお越しいただけると伺っております。
宗像市の広報紙を見て、参加してくださる方もいらっしゃるそうです。

今回は「公開型例会」なので、セレモニーの部分も普段通り、きっちりやりますが、一般の方々がどう感じてくださるのか気になるところです。
最初は違和感を覚えることもあるでしょうが、JCが継承してきた「規律」と「様式」を理解していただければと願います。実は、メンバーの皆さんが当たり前のように捉えている「例会セレモニー」も、毎回少しずつ変化しています。

講師は関西から伊永勉(これながつとむ)氏をお招きし、災害ボランティアの実際の活動を体験学習します。

伊永勉氏は、平成7年の阪神・淡路大震災のとき、日本ボーイスカウト連盟から命を受け、現地で災害ボランティア活動を組織的に実践された、日本初のプロの災害ボランティアコーディネーターであり、現在の日本で最も災害ボランティアに熟知された第一人者です。
私のたっての願いもあり、伊永先生には懇親会にもお付き合いいただけるよう、地域力創造委員会の松島岩太委員長はじめ委員会メンバーが頑張ってくれました。

本当に1日だけではもったいない素晴らしい内容ですので、この機会・ご縁を最大に活かしてください。

災害時の対応だけでなく、平常時の備えや防災についても勉強できますので、JCとしてだけでなく、地域や職場や家庭にお伝えしていってほしいと切に願います。

例会開始時間はいつもより30分早めて開催しますので、メンバーの皆さんは遅れないようにしてください。

新入会員さんも、今回2名入会されます。

宗像JC・5月公開型例会『災害ボランティア・ネットワークの構築』

日時:平成18年5月9日(火)19:00~21:50
場所:宗像ユリックス/会議室1・2 宗像市久原400番地
内容:災害時のボランティアの役割について学習し、実際に災害が起きた場合の支援活動をシミュレーション形式で体験学習。
講師:伊永勉(これながつとむ)氏。/災害救援コーディネーター

宗像市公開討論会について

2006年05月08日 | ローカル・マニフェスト推進運動
10日(水)開催の「宗像市ローカル・マニフェスト型公開討論会」についてお知らせ致します。
明日9日の14時30分に最終的な記者発表をさせていただきます。
その際には各パネリストのマニフェストもマスコミに公開させていただくよう計画しております。
当初の計画から変更も出ておりますが、混乱を避ける意味でも、明日の公式発表をお待ちくださいますようお願い致します。

社団法人 宗像青年会議所 理事長 井上正文

MADE IN KYUSHU「九州発銘品」

2006年05月06日 | 九州・福岡発!日本の偉人
土曜朝9時放送の「九州経済NOW」(TVQ)という番組があります。この番組の中で「九州発銘品~INVENTION~」という「九州で発明された銘品や隠れた逸品・商品」の開発秘話などを取り上げたコーナーがスタートしました。
その第1回目、4月22日放送分で「日本の国産自動車のルーツが九州・福岡にあった」ということが紹介されていました。

自動車生産の盛んな北部九州、この地域での車づくりの原点、それは大正時代にまでさかのぼります。
福岡県新宮町にある矢野特殊自動車。大型冷凍車やタンクローリーなど特殊な車輛の製造や販売では全国的に高いシェアを誇る企業。そのルーツは現社長・矢野羊祐氏の父親である創業者・矢野倖一氏が開発した一台の国産自動車にあります。
矢野倖一氏は少年時代、ある模型飛行機の大会に、ただ一人ガソリンエンジンを搭載した飛行機を出品。他はゴム動力のものばかり、見事最優秀賞に輝きます。
このことを知り、多いに感心したのが実業家の村上義太郎氏でした。
村上氏から「日本の国に合った自動車を造ろうではないか」と諭された倖一少年は自動車づくりの道に進みました。
試行錯誤を繰り返すこと3年半、輸入車を参考に様々な工夫が施されました。
「4人乗りの車は4人で持ち上げられる軽さでないとだめだ」と、今で言う軽量化のはしりで、和紙で車体をつくりアルミ板を外張りにし軽くしたそうです。
地方にも工業化の波が押し寄せていた大正5年(1916年)、その車は完成しました。矢野の「矢」にちなみアロー号(写真上)と名付けられました。
しかし、その後は資金的な事情もあり、止む無く自動車の開発を断念。それでも矢野倖一氏の「ものづくり」の情熱が途切れることはありませんでした。
ダンプカーや消防ポンプなど、あまりお金がかからないよう方向へと変え、特殊車メーカーとして出発したのです。

今、アロー号は現存する最も古い国産自動車として福岡市博物館に展示されています。

古きをたずねて、新しきを知る。矢野倖一氏が好きだった言葉「温故知新」。
自動車産業の集積が進み、年間生産台数が100万台を越える見通しとなった北部九州。
その原点はアロー号が築いてくれたのかもしれません。

日本の車づくりの原点が九州・福岡にあったとは・・・
素晴らしいことですね。

祈願

2006年05月04日 | 青年会議所の活動
宗像JCの安泰とメンバーの安全、5月例会「災害ボランティアネットワークの構築」と「宗像市ローカル・マニフェスト型公開討論会」の成功のため、宗像大社に祈願に参りました。

毎月の大社参拝が自分の中の決まり事になっていますが、お陰さまで今日の空のごとく、心が晴れたような気がしました。

災害ボランティア体験学習

2006年05月03日 | 災害ボランティア
宗像JC・地域力創造委員会では、災害時の実践的なボランティア活動に重きを置き、平時から災害時に対応できる地域防災ボランティア・ネットワークの構築に向けて、取り組みを進めております。

5月公開型例会『災害ボランティア・ネットワークの構築』では、宗像・古賀・福津地域の各種団体の方々と共に行う、地域に開かれた例会を目指します。

宗像JC・5月公開型例会『災害ボランティア・ネットワークの構築』

日 時:平成18年5月9日(火)19:00~21:50
場 所:宗像ユリックス会議室1・2 宗像市久原400番地
内 容:災害時のボランティアの役割について学習し、実際に災害が起きた場合の支援活動をシミュレーション形式で体験します。

講 師:災害救援コーディネーター 伊永 勉(これなが つとむ)氏
平成7年の阪神・淡路大震災に於いて、日本ボーイスカウト連盟現地救援隊長として参加。現在は、プロの災害救援コーディネーターとして活躍中。

入場無料です。ただしお席に限りがございますので、ご予約いただくか、お早めにお越しください。