28日(水)19時、宗像ユリックス・イベントホールで会場設営。
翌29日(木)は社団法人日本青年会議所九州地区協議会の植村敏満会長が福岡ブロックを訪問されます。
この地区長訪問を設営しているのが宗像JC。
記念事業として越本隆志君の講演も併せて開催します。
翌29日(木)は社団法人日本青年会議所九州地区協議会の植村敏満会長が福岡ブロックを訪問されます。
この地区長訪問を設営しているのが宗像JC。
記念事業として越本隆志君の講演も併せて開催します。
3月の公開討論会開催状況(写真は社団法人宗像青年会議所ホームページからの転載です)
4月の公開討論会開催状況
石川県消防防災WEB
http://www.bousai.pref.ishikawa.jp/top.asp
日本JC石川ブロック協議会地震関連掲示板
http://9125.teacup.com/ishikawabloc/bbs
日本JC石川ブロック協議会
http://www07.jaycee.or.jp/2007/hokushinetsu/ishikawa/
石川県ホームページ~災害ボランティア活動について~
http://www.pref.ishikawa.jp/kenmin/jishin.htm
石川県ホームページ
http://www.pref.ishikawa.jp/
越本隆志講演会「あきらめない心」夢を諦めない全ての方々へ・・・。
日時:平成19年3月29日(木)16:00~17:00
会場:宗像ユリックス・ハーモニーホール<入場無料>
主催:社団法人宗像青年会議所
なるほど、それにしても舞妓さんに芸妓さんの美しいこと。
舞妓さんは中学校を卒業してはってから、十六歳から二十歳すぎまでの女性のことを言います。
舞妓さんの特徴として、髪は地毛で結ってはります。
季節のかんざしをひと月ごとに変え、三月でしたら水仙とかになります。
お着物は振り袖で、肩縫い上げと袖上げをしてあります。
帯は七メートル弱で家紋がついていて、これは舞妓さんが所属している置屋さんの家紋です。
で、この家紋を見ると何処の所属の舞妓さんかなというのがわかるようになっております。
帯の真ん中に大きな「ぽっちり」という帯留めがしてはります。
これは代々やかたに伝わっている一番の宝物で、お衣装の中で一番高価な物になります。
今こういうのを作らはる職人さんがいはらへんさかいに、すごい大事なものになってます。
舞妓さんでも上級生と下級生に分かれまして、下級生は赤いお襟をしてはります。
で、段々地味になっていって芸妓さんになる準備をしてはります。
舞妓さんも二十歳を過ぎると、うちみたいに芸妓さんになります。
舞妓さんから芸妓さんになることを「襟変え」と言うのどすけども、これは舞妓さんの赤い襟から芸妓さんの白い襟へと変わるさかいに襟変えと言います。
芸妓になると装いはシックになります。
振り袖と違うてお袖も短くなって、頭も島田の鬘になります。
かんざしも櫛だけになります。
帯もお太鼓になります。
舞妓さん・芸妓さんの一日のスケジュールはというと、11時頃にお稽古に行って、お昼過ぎまでずっとお稽古をして、夕方になるとお仕度をさせてもらって、ちょっとご飯をいただいて6時位から宴会に行きます。
で、12時か1時まできばって、その後お化粧を落として寝て、朝はお稽古に行くというスケジュールになってます。
こういう出張(京都の茶屋を出てのお仕事を出張というそうです)に行くと男衆(おとこし)さん、男衆さんというのは、うちらのお衣装を着せてくれはる専門の方なのですけど、そういう方が付いてきはられんので、うちが舞妓さんの衣装を着せたりというようにお互いに着せ合いっこをします(この日は舞妓さん・芸妓さんの衣装のまま京都から新幹線で福岡まで来られたそうです)。
宗像青年会議所では「公開型例会:通常の例会を公開」「公開例会:一般の方々を対象にした例会」というように定義付けしております。そして今月の例会事業は会員拡大特別委員会(沖 祐一委員長)担当の「むなかたボランティアの輪」。
今月の理事長挨拶は前々回・前回のブログをご参照ください。理事長挨拶に続き、議事録作成人並びに署名人の指名・出向者報告・委員会報告・その他の報告。
通常はこの後に10分程度の休憩を挿んで、例会事業が始まるのですが、今回はご来賓を代表して福津市の池浦順文市長のご挨拶。
(写真上は2月にご結婚された越本隆志君へ理事長からお祝い)
池浦市長曰く「宗像JCは良い所が三つある。一つは礼儀正しいこと。二つ目は明朗なこと。三つ目は若い頃やんちゃだった人も更生して頑張っていること(笑)」なるほど・・・。
ご出席の皆様(順不同)今後も地域づくりという共通の目的のために、協力して頑張って参りましょう。
宮地嶽神社(禰宜・阿部信様、総務課・渋田雅史様、高橋慶弘様)、福津市長・池浦順文様、福津市(企画調整課・八尋正文様、中村礼和様、鵜根 崇様、郷育推進課・小澤和幸様、西村瑞紀様)、福津市観光協会(会長・高島亮一様、副会長・岩城俊郎様、沼田敏一様、上田則保様、上田清成様、花田伸二様、高田洋至様)、福津市商工会青年部長・谷 信芳様、宗像市子ども課・田端美保様、宗像ロータリークラブ(樋口博彦様、小林栄二様、石松健司様)、勝浦浜環境美化の会代表・日高 隆様、福津市地域婦人会会長・吉田典子様、つやざき千軒いきいき夢の会事務局長・山下征夫様、レスティブホース・石井様、福岡ドラッカーマネジメント研究会代表・時津 薫様、福津市子ども体験活動塾つやざきアンビシャス広場指導員・橋内京子様、大和お助け隊(隊長・山崎 豊様、事務局長・有働様、瓜生隆弘様、顧問・村上修一様)、むれあい会・森山紀美子様、遠賀信用金庫(津屋崎支店長・天野 諭様、中谷満俊様、三塩修二様、本田光明様)、むなかたひつじの会(副会長・荒木悠理様、事務局長・熊 智恵子様、事務局・花田佳菜子様、井手敦子様)。
また、(社)日本青年会議所九州地区福岡ブロック協議会・藤木智副会長とLOM支援委員会(川野 愛委員長)の皆さんはJCCSのPRで来訪されました。
2、エルトゥールル号遭難事件
1985年3月、イランの首都テヘランで孤立した日本人250名を救出したトルコ航空の飛行機。
その理由とは?・・・真実はそこからさらに100年前にあったのでした。
1890年、日本が開国をして間もない明治23年、アジアの一番西の国トルコから700名の使節団がエルトゥールル号という船でやって来ました。
アジアの一番東の国の日本と交流を結ぼうということで6月にやって来て、色んな交流や懇談会を終え3ヶ月後に友好の約束を取り付け、喜び勇んで日本を後にしたのです。
東京を船で出発したのが9月の半ば頃。
ところが船が静岡にさしかかったところで波の様子がおかしくなってきた。
これは台風だとすぐにピンときたそうです。
どうしようか、東京に戻るか?それとも一気に神戸まで行って避難しようかと、二者択一だったのですが、後者の神戸まで行こうというルートを取ったのです。
船は懸命に神戸をめざしたのですが、紀伊半島の先端にさしかかった所で、台風にもろにぶち当たってしまうのです。
紀伊半島の先端には大島という島がありました。
その島は周囲が岩礁だらけなのです。
その岩礁にエルトゥールル号は打ち付けられて船が木っ端微塵になってしまったそうです。
700人の使節団達はすべてが海へ放り出されて、即死する人、溺れる人、岩場に叩き付けられて亡くなってしまう人も多数でました。
時刻は夜の10時位でした。
遭難者に見えた唯一の光は、灯台の灯りでした。
その灯台めざして、みな一生懸命泳ぎ出し、やっと灯台のある岩場に着いたのですが、そこは60メートルの断崖絶壁だったのです。
トルコ人の20歳の青年が何とか最後の力を振り絞って、その断崖絶壁を登っていったのです。
登っていった所に灯台があるのですが、灯台には宿直の若者が一人で居ました。
「何かおかしい、ただならぬ気配がする」というので見回りに行ったところ、血だらけのトルコ人が草むらに倒れていたのです。
明治の半ば頃のことです。
普通であれば、外国人が血だらけで倒れていたら、びっくりし怯えて逃げてしまうことでしょう。
しかし彼はぴんときたのかすぐ村長さんの所に走ります。
夜中に村長さんを叩き起こして、村長さんもその話を聞いて、
「これは何処かの国の船が座礁したに違いない。まだ生きている人もいるかもしれない」と、島中の村民270名全員を起して、遭難者達を救おうと立ち向かっていくのです。
しかし60メートルの断崖絶壁をまず降りないといけない。
そこは周囲が明るい昼間でも降りるのが困難な断崖絶壁。
嵐の夜、何も見えないところを、何人かの若者達がどんどん降りていくのでした。
そして断崖絶壁の下でうずくまっていた沢山の怪我をしたトルコ人達の傷口を海水で洗い、ひどい傷は自分の帯を解いて止血し、また別の人の帯を結び、怪我人を背負って断崖絶壁を登ってということを何度も繰り返しながら助けたのです。
家の中に連れていって今度は治療に取りかからねばならない。
身体は冷えきってぶるぶる震えている。
明治の半ば頃に、すぐに暖をとる手段はないのです。
で、どうしたかというとトルコ人達の服をすべて脱がして自分達も裸になり、体を寄せ合って暖めたのです。
見ず知らずの外国人をです。
次の日、神戸に駐留していたイギリスやフランスの船が連絡を受け迎えに来てくれて、神戸の大きな病院に運んだのです。
大島の村人達が助けたトルコ人は69名。
その69名すべてが回復してトルコに戻ることができたのです。
この事件をトルコの国民は脈々と教育して受け継いできたのです。
いつか日本人に万分の1でもいいから恩返しがしたいという気持ちでずっといたのです。
その行動の一つが今から20数年前のイランに飛行機がやってきて助けてくれた、その行動だったのです。
イランの日本人を救ったのはトルコ人でもあるし、また120年前の日本人でもあったのです。
そういうお話を占部賢志先生という方がされました。
本年度の日本青年会議所の会頭の所信にも書いてあります「利他(りた)の精神」。
今から1200年前、最澄というお坊さんがいましたが、その最澄さんの言葉の中に「自利利他」という言葉があります。
「自利とは利他をいう」と読むのですが、その意味は、「他人に良いことをすれば、それが巡り巡って自分に返ってくるのだ」という解釈ではないのです。
何故なら仏教では見返りを求めることはないからです。
では正しくはどういう意味かと申しますと「利他の実践そのものが、自分の幸せなのですよ」ということなのです。
他人のためにすること、そのものが既に自分のためになっている。
これが「自利利他」の本当の意味なのです。
私達は命を与えられているのです。
この命を活かさないと生きている意味はありません。
この命を一生懸命活かして、それを社会や他人に還元することが人生の本質であり、本当の幸せではないかと思っております。
私達の血には、あの大島の270名の村民達のDNAが、同じ日本人ですから絶対に流れているはずなのです。
そういったことを再認識して、また今月も宗像青年会議所らしく行動していってほしいと思っております。
社団法人宗像青年会議所3月例会・理事長挨拶より
立部理事長:先日、アカデミーの開校式がありました。その時の印象に残った話がございますので、その話をさせていただきたいと思います。
アカデミーの開校式は2月24日、シーホークホテルであったのですが、その時の講演会の講師の先生が占部賢志先生という高校の先生をされている方でした。
各地で講演をされている方なのですが、その講演のほんの一部を今日は紹介させていただきます。
1、テヘランで孤立した日本人
1985年3月、今から20数年前、イランとイラクが戦争をしていた頃の話です。
イランとイラクは戦争を続けていましたが、その長い戦争の間、理由があってお互いの首都とか大都市には攻撃をしなかったのです。
何故かと言いますと首都とか大きな都市には外国からの技術者であるとかそういう優秀な人達が来ていましたので、そういう都市は暗黙の了解で攻撃をしなかったのです。
ところが長い戦争にしびれをきらしたイラクのサダム・フセイン大統領が、「48時間後にイランの首都テヘランを攻撃する、そして上空を飛んでいる飛行機は民間機であろうが軍用機であろうが全てミサイルで撃ち落とす」という声明を発表したのです。
全世界はパニックに陥りました。
ただちに各国は自分達の同胞が待っているテヘランに飛行機を出して迎えに行ったのです。
そして自分達の国の仲間達すべてを連れて帰ったのです。
日本でももちろん、そういうことをしました。
まず自衛隊機を出そうということで自衛隊機を飛ばしてテヘランに残っている日本人を救おうとしたのですが、当時20数年前といいますと、そういったことをすれば、すぐに軍国主義だとか、戦争を始めるのではないかという議論が起こっていた時代です。
ですから自衛隊を出すのを断念しました。
そこで政府は日本航空に打診し、すぐに飛行機を2機スタンバイさせたのです。
そして政府で様々な調整を行い、さていよいよテヘランに行ってくださいという時には、時すでに遅し。
今、行きますとちょうどテヘランでミサイルの的になります。
だから涙を飲んで断念したのでした。
日本は同胞達を救うすべての手段を失ってしまったのです。
そしてタイムリミットの1時間20分前になろうという時にテヘランの飛行場には日本人だけが取り残されていたのです。
他の国の人達はみな自国の人に助けられ帰国していたのですが、取り残されていた日本人の多くは女性とか子ども達です。
総勢250名が肩を寄せ合って自分の国の飛行機が来るのを待っていたのです。
ところが日本からの救援機は一向に来ない。
そこへ2機の飛行機が助けに来て、テヘランの日本人全員を成田空港まで連れて帰って降ろし、その飛行機は再び自分の国に帰っていったのです。
その飛行機はトルコ航空の飛行機だったのです。
何故、トルコの航空機が日本人を助けたのだろうか?
当時の日本人は誰も解りませんでした。
新聞にもトルコはODA(政府開発援助:先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のこと)が欲しかったのではないかというような記事が出ていたそうです。
ところがこれの本当の理由は、実はさらにさかのぼること100年前に真実はあるのです(次回へつづく)。
1、まちづくり講演会の開催
<地方自治体も破綻する?夕張市の話題が新聞・テレビで大きく報道されています。夕張市の事例は対岸の火事と言えるのでしょうか?このような問題を考える第一歩として下記のとおり寺子屋スタイルで講演会を開催します。あなたも参加してみませんか?(実行委員会チラシより)>
日 時:平成19年3月20日(火)18時~20時
会 場:宗像大社斎館
講 師:桑原隆広氏(熊本県立大学教授)
演 題:地域づくりと自治体財政
参加費:1,000円(資料代含)
主 催:宗像市観光協会、講演会実行委員会「楢の葉会」
協 力:宗像大社、玄海未来塾、宗像市職員労働組合 他
問合せ・申込先:講演会実行委員会事務局
TEL 0940-36-5392
2、沖ノ島シンポジウムの開催
<継続審議となり、今回、世界遺産の国内暫定リスト候補となった「沖ノ島と関連遺産群」。市では暫定リスト掲載に向け、その内容と価値をみなさんに知ってもらうため、各界の専門家を招き講演会を開催します。沖ノ島を中心とする貴重な文化遺産の価値を一緒に学んでみませんか。市・RKB毎日放送・宗像ユリックス共催。入場整理券が必要。(市公式サイトより)>
日 時:平成19年3月18日(日)13時~15時半
会 場:宗像ユリックス・イベントホール
講 師:吉村作治氏(早稲田大学客員教授)他
演 題:「世界遺産からみた宗像大社」
定 員:抽選で1500人(*入場整理券必要)
3、鎮国寺花まつり・稚児行列について
日 程:平成19年4月8日(日)
場 所:鎮国寺
詳 細:次回
4、沖ノ島清掃奉仕の日程について
日 程:平成19年4月24日(火)/予備日25日・26日
詳 細:次回
5、筑前玄海魚まつりの日程について
日 程:平成19年5月26日(土)・27日(日)
詳 細:次回
6、次回定例会(花見例会)
日 時:平成19年4月3日(火)18時半~
会 場:鎮国寺
昨年の「沖ノ島清掃」の模様はこちらを。5の「筑前玄海魚まつり」、玄海未来塾は出店と魚つかみ取りを担当。
昨年の「筑前玄海魚まつり」の模様はこちら(初日・2日目)を。玄海未来塾出店の益金は宗像少年会議所の運営費に充てられますので、宗像青年会議所メンバーの協力と来場よろしくお願いします。
これで選考委員長としての職務も終え、商工会青年部も安心して卒業できそうです。正式には4月21日(土)19時から開催される青年部総会の承認を経て決定されます。
理事長の時は政治や政治家に関することは言及を避けていました。さて厄祓いの会ですが、茶園坂の柴藤栄子さんのお心遣いもあり、大盛会でした。
何故なら、組織の長の言動はその組織の総意とみなされるからです。
ちなみに、これは直前理事長としての公務ではありません。実は青年会議所の現役メンバーやOBには地方議員・首長・国会議員が結構いらっしゃいます。
青年会議所の組織として特定の政党や個人を支持または支援するということはありませんし、青年会議所は公正・中立であるべきだと私も考えます。
その他は以前このブログで紹介しましたのでこちらを参照してください。JCにとって政治活動はタブーとされていますが、JCと政治家は縁が強いと言えます。