すべては愛する宗像のため

福岡県宗像市在住、井上正文のブログです。

生きとし生ける物へ

2007年12月31日 | 青年会議所の活動
今日は大晦日。

時が過ぎるのは早いものです。

一年前に青年会議所の理事長職を終え、平成19年はゆっくりとした正月を迎えることができました。

元々、家で読書をしたり、静かに音楽を聴いたりするのが好きな性格でしたので、そうした自分の時間が持てる幸せを久々に感じました。

しかし、何事もなく平穏に過ぎる人生が幸せなのかと言えば、そうでもないように思います。

自分や家族だけの幸せを願う「ささやか」な希望は、今の世界においては無力で「はかない」幻想のようなものなのかもしれません。

「良識と力」で社会をより良い方へと変えてゆこうという「熱き想い」を持って、人生の荒波を渡っていかねばと思います。


時間としてはあっという間の1年間でしたが、命の儚さと生の強さを実感した年でした。

最後のブログ記事のタイトルは、9月に帯広で聴いた森山直太朗さんの曲。

この「生きとし生ける物へ」という曲のフレーズ(歌詞はこちら)が何度となく心に響いた2007年でした。


お世話になったすべての方へ感謝します。

またいつか、どこかで会いましょう!!

12月卒業例会

2007年12月15日 | 青年会議所の活動
12月11日(火)、国民宿舎ひびき社団法人宗像青年会議所の12月卒業例会が開催されました。


(ご挨拶をされる立部理事長)

理事長が身にまとうプレジデンシャルリースとバッジは第33代の立部瑞真理事長から第34代の戸波真也理事長予定者へと引き継がれました。


(次年度理事長としての決意に満ちた素晴らしい挨拶でした)


(ご卒業の皆さんを代表し、松尾顧問が答辞を贈ります)

立部瑞真理事長、松尾幸主顧問、松島岩太監事、花田孝浩君、天野大志君、岡崎泉君、小島美也子君、田中広樹君、ご卒業おめでとうございます。


(全国会員大会に出席された卒業メンバー)

居残りで1年間も皆さんと一緒に過ごせたことは、私にとっては大変な幸せでした。


(もう、このバッジともお別れです)

現役の皆さんは、次年度の準備等で大変なことと思いますが、どうかお体を大事に頑張ってください。

来年1月の総会と新春祝賀会で、また皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。

歴代理事長会議

2007年12月09日 | 仲間たち・交遊録
12月6日(木)19時、宗像大社皐月寮で宗像青年会議所「歴代理事長会議」を開催しました。

この会合は毎年恒例の行事ですが、幹事はその年の直前理事長がやる決まりになっておりますので、今回は私がその役を務めさせていただきました。

ご来賓として宗像市の谷井市長と福津市の池浦市長にご出席いただき、元福岡県議の伊豆善也先輩や初代・第二代理事長の山田勝智先輩を始め、歴代の理事長が一堂に会しました。

1975年に日本青年会議所の認承を得て設立された宗像青年会議所の歴代理事長は以下の顔ぶれです(敬称略)。
初代・2代 山田勝智
第3代   片山一美
第4代   鍋島国弘
第5代   松尾喜久男
第6代   立部祐道
第7代   片山弘毅
第8代   古野 浩
第9代   井上征夫
第10代  大竹善雄
第11代  堤 宏
第12代  保井 亨
第13代  高向正秀
第14代  井上重信
第15代  今村春彦
第16代  森 正彦
第17代  中野和志
第18代  井上信隆
第19代  吉井英海
第20代  宮崎正敏
第21代  西山末廣
第22代  安永修二
第23代  天野龍二
第24代  本田 貢
第25代  永野泰秀
第26代  野田健次
第27代  小林栄二
第28代  沼田敏一
第29代  於保 誠
第30代  松尾幸主
第31代  田中郁三
第32代  井上正文
第33代  立部瑞真

こうして一覧にすると、あらためて時の重みを感じます。
その歴代理事長会議の懇親会の席で、谷井市長とは沖ノ島と世界遺産に関することを、池浦市長とは先日のマニフェスト検証大会のことなどをお話ししました。

また、伊豆先輩(亀の尾・伊豆本店十一代目当主)からは日本酒についての興味深いお話を伺うことができ、諸先輩方の皆様と楽しい時間を過ごしました。


(懇親会の席でご挨拶される立部理事長。左手前は戸波次年度理事長予定者)

今、私がJCを振り返って思うのは、自分が如何に仲間達や運に恵まれ、どれほど沢山の方々のお支えやご縁をいただいたかということです。

そういう沢山の想いを、歴代理事長は背負っているのでしょう。

結婚式に出席して

2007年12月04日 | ビジネス・仕事・家庭
12月2日(日)、友人の結婚式で新潟県長岡市へ。

新郎の信藤哲也君・新婦の麻里子さんと私は十数年前に東京で知り合いました。



お二人の結婚披露宴では新郎側の友人としてスピーチもさせていただきました。
新郎の信藤君とは想い出がありすぎて何を話してよいか本当に迷いましたが、こんなことを述べました。
信藤君・麻里子さん、本日は誠におめでとうございます。
信藤君とは今から14年前に東京映像芸術学院という学校で出会いました。
私がその学校に勤務するようになった最初の年に、信藤君は入学してこられました。

当時から信藤君の行動力は突出していました。
特に、彼が在学中の三年間携わった「舞台公演」では、その力が最も発揮されたと言えます。

「舞台公演」とはプロの演出家や舞台監督と学生らによる役者や美術・照明・音響スタッフ併せて40名が4ヶ月間係りきりになる演劇の公演です。
信藤君は制作部チーフとして、その公演を取り仕切りスタッフを統括していました。



彼は人望もあり、多くの仲間達から信頼され慕われていました。

それは信藤君自身が仲間を大切にする男だったからです。

例えば、アルバイトで学費を稼ぎながら生活を切り詰めて舞台公演に参加していた仲間達を思いやって、信藤君はコンロや鍋・炊飯器・食材などを次々と教室に持込み、食事班を編成して手作りの料理をふるまっていました。

また、芝居の稽古や準備で毎晩遅くまで頑張っていた仲間達のために、どこから調達してきたのかトラックで畳を運んできて教室に敷き詰め、休憩や寝泊まりができるようにしました。

そうやって教室は少しずつリフォームされ、熱帯魚の大きな水槽なんかもいつの間にか設置されました。

こうした事を学校側には何の相談もなく、楽しげにやってのける信藤君に私は唖然とし、やがてはその中に引き込まれていきました。

彼の「舞台公演」への一所懸命さと仲間達を思いやる気持ちがそうさせたのでした。

そんなところへ、新潟から純朴で可愛い女の子が入学してきました。
それが新婦の麻里子さんです。
程なく、麻里子さんも舞台公演に参加し、信藤君の仲間の一員となるのですが、お二人がお付き合いを始めるのは、それからずっと後のこと。

信藤君はかつて私にこう言いました。「僕にとっての青春とは、あの時代にあの空間であの仲間達と過ごしたあの夢のような日々だ」と。

私も今日この披露宴に駆けつけた当時の仲間達もきっと同じ想いのはずです。

お二人が力を合わせ、あの時のような温かく楽しい家庭を築かれることを心から願います。

そして、新郎は自社の社員さんを大切にし、経営者としてその手腕を発揮されることと信じています。

このような素晴らしい結婚式と披露宴にお招きをいただいたことに感謝し、ご両家のさらなるご繁栄をお祈りします。

信藤君も麻里子さんも、私の大切な仲間です。
そのお二人が夫婦として結ばれたことは最大の喜びです。
どうか末永くお幸せに。

また披露宴のお陰で当時の仲間達とも再会することができました。

伊集大値君、白石幸恵さん、平塚法子さん。

今度はどうぞ福岡の宗像へも遊びにきてください。

また、これを機に新郎の信藤哲也君は青年会議所(JC)に入会されることも強くお勧めします!!

自治会役員の忘年会

2007年12月04日 | 地域の話題や出来事
12月1日(土)、地元田久区自治会役員の忘年会を開催。

区三役と評議員や組長さん方と会食し、地元の行事や課題などを語り合い懇親を深めました。



田久区は861世帯で人口は2153人、その内の470世帯が自治会に所属されています。

私が宗像に帰郷して十年、これまで仕事やJC活動等でなかなか自治会の行事には顔を出せませんでしたが、今年から区長代理の役をいただき、区内の皆さんとも親しくお付き合いさせてもらうようになりました。

まちづくりの原点は、隣近所が助け合う「困ったときはお互い様」という気持ちなのだとあらためて感じた有意義な夜でした。