すべては愛する宗像のため

福岡県宗像市在住、井上正文のブログです。

災害発生時、JCの役割は

2006年05月16日 | 災害ボランティア
13日、浮羽青年会議所さんの例会に突然お邪魔しました。例会事業が「災害発生時、JCとしてなにができるのか?」という災害ボランティアに関する内容でしたし、講師は松藤直前ブロ長ということで、喜び勇んで参ったしだいです。
松藤直前からは「何で来とうと~!た・ま・が・っ・た!」と大笑いされました。
鑓水理事長には余計な気を遣わせてしまい、ちょっと反省しています。

昼過ぎに、福岡ブロック会員拡大支援委員長の戸波委員長宗像JCでは副理事長)から「浮羽JCさんの例会行きますけど、理事長どうですか?」とお誘いを受け、松井君・高野君と4名で向かいました。

浮羽JCさんの例会には私達だけでなく、福岡ブロック協議会渕上副会長向江委員長、佐賀ブロックの伊万里青年会議所からもお二方、そして松藤直前ブロ長のセクレタリー役で甘木・朝倉青年会議所の中野君もお見えでした。

せっかくですから松藤直前の講演内容を紹介します。


浮羽青年会議所5月例会「災害発生時、JCとしてなにができるのか?」(講師:松藤敏彦氏)

災害とは地震や風水害のことを指します。2005年度福岡ブロックの会長をさせていただいた時、福岡県災害ボランティア連絡会の会長を経験しました。福岡県の西方沖地震は2005年の3月20日に発生、実はこの日、日本JCの総会が東京であっていました。10時53分(地震発生時)は総会会場の六本木ヒルズにおりました。携帯に(奥様から)メールが入ってきました。「地震が発生したけど大丈夫」というメールで、東京で地震が起きたけど大丈夫?という意味かと思い、「大丈夫」と返事しましたが、そうじゃなくて「福岡で地震が起きたけど私(奥様)は大丈夫です」ということだったのです。そういう勘違いをするほど、まさか福岡で地震が起きるとは思いませんでした。地震に関して何も情報が入って来ませんので、運営専務(私、井上です)に電話しましたが、通じません(災害発生時、電話が通じなくなります)。それでパソコンを開いて情報収集しました。

玄界島の住民の方々約700名は福岡市の九電記念体育館に避難されました。県知事の要請で自衛隊が迅速に九電記念体育館まで島民の方を運ばれたそうです。

福岡JCの宮崎理事長(当時)は、東京からすぐに福岡に戻られました。私(松藤講師)は総会に出席された理事長さん方に地震についての情報をお伝えしました。夕方、福岡に戻り、翌21日に九電記念体育館(避難所)に行きました。そこで情報を集めながら自分の車でも実際に廻って調べました。

 

福岡県社会福祉協議会は九電記念体育館にいち早く災害ボランティアセンターを立ち上げました。福岡県の社会福祉協議会はセンターを立ち上げるノウハウを持っていました。新潟や福井の災害に行かれていましたし事前に研修もされていました。ですから非常に対応が早かったです。実は福岡市の災害ボランティアセンターがなかなか立ち上がらないので、県が勝手に立ち上げたそうです。福岡市は政令指定都市ですから、福岡県と福岡市は同じ力を持っているのです。

地震発生当日の内に玄界島の方々は九電記念体育館に避難されていましたが、福岡JCの宮崎理事長(当時)は、その日に九電記念体育館に行かれ、福岡市の災害本部の方に「何か足りないものはないですか?」と聞かれたそうです。すると福岡市の担当者からは「すべてあります。大丈夫です」と言われたそうです。そういうことなら大丈夫なのかなと思い、一応、帰る前に体育館の中を観られたそうです。すると避難所で休まれている方には毛布しか無かったのでした。ご老人や小さな子どもさんもおられましたが、体育館の板間で寝るのは大変だろうと、宮崎理事長は、その日の内に布団を差し入れされました。こういうことはJCだからできるのかなと思います。何故なら、先輩の布団屋さんに「とにかく布団を入れて!」という話がすぐにできる。それから2週間後には畳も入りました。

 

避難所の救援物資はとにかくいっぱい来ます。ガンガン来ます。ですから「何か足りないものはありますか?」と行政の方に聞いたら、足りていますと答えられます。ですけど避難所の住民の方に聞くと「あれが足りない。これが欲しい」という話が出るのです。例えば、インスタントのうどんが欲しいとか、そばが食べたいとか、爪楊枝が欲しいとか、読む本が欲しいとか、そういう情報を集めて物資を入れたりしていました。

JCの皆さんには、ボランティアスタッフの送迎をお願いしました。これも会議の中で「誰もする人がいない」というので、JCがやろう!となったのです。
被災者の中学生を学校に送迎したり、体調の悪い方を病院まで連れて行ったりもJCがしました。こういうことは、本当は行政がすべきことですが、目の前で困っている人がいたらやらないわけにはいかないです。被災者の送迎は市がタクシーチケットを配るようになりました。

福岡市の中央区、大名のマンションの中とかはグチャグチャになっていました。マンションとか家の中には行政は入れません。家の中の掃除なんてできないのです。でも独り住まいのご老人とか、子どもが小さいとか、また、当時福岡ブロック協議会の副会長をされていた堀内恭彦副会長(福岡JC)の弁護士事務所とかも大変なことになっていました。部屋の中の片付けは男性の方がいればできるでしょうが、できない方もいらっしゃいました。そういう仕事を災害ボランティアでやりました。JCはそのボランティアの送迎をやったのです。

 

九電記念体育館に避難されていた玄界島の方々の仮設住宅への引っ越し作業もJCと行政職員でやりました。この仕事はJCに指名されました。何故かというと、引っ越しは「私物」を運ぶのです。その中には貴重品もありますし大切な物を運ぶのです。それを運ぶのは、やっぱりJCしかいないねということだったのです。

災害ボランティアの役割もいろいろありますが、特に期待されているのは「お金」です。実は日本JCで災害基金を持っております。災害が起きると会頭の権限でお金が降りてきます。それとJCは全国的なネットワークがありますので、全国からお金を集めることができるのです。これはヒモ付きのお金ではありません。センターの運営や被災者で一番困っている人に優先的に使うことのできるお金なのです。日本赤十字が集める「義援金」は配当委員会で被災者の皆様に均等に配分しないといけない。しかも配分されるのは、ずっと後になります。ですから「義援金」でなく、「支援金」を集められるJCに期待をされています。

物資にしてもそうです。先程の布団もそうですが、JCのネットワークでいろんな物資を調達したり、差し入れを頂きました。

ボランティアセンターの運営要員もJCはできます。何故ならJCは窮地にたった時に、判断し対応できる人材を抱えています。会社の経営者が多いということもありますし、JCの事業等でトラブった時に、いち早く対応するという経験を持っているのです。そういうことで災害ボランティア・コーディネートもできると思います。

情報収集もJCはいろんな所にネットワークを持っています。ホームページや掲示板などのベースも持っていますし、情報収集も得意なところです。

昨年、福岡JCでは震災対策組織を立ち上げました。JCは組織で動くのが得意です。福岡JCさんで、被災者の方をお風呂に送迎したり、子ども達の遊び場として、周辺の学校の運動場を開放させたりしました。また母の日にカーネーションをプレゼントされたり、「元気バイふくおか」キャンペーンを博多どんたく等でPRしたり、また仮設住宅にもマットレスや布団を贈られたりしました。

志賀島や西浦の方々も被災されていました。しかし志賀島や西浦地区は自主防災意識が高く、外部からのボランティアを必要とされなかったのです。それはそれで立派なことで、住民の方々が自分達で助け合って自律することが本当なのです。災害ボランティアは自律のお手伝いなわけです。それと日常生活を取り戻すまでの一定期間だけ、災害ボランティアは動くのだ。この二つのことが鉄則なのです。

災害ボランティア連絡会は2004年の10月29日に設立されました。福岡県で災害が発生したら、すぐに活動を開始します。そして連絡会の会長は、毎年、JCの福岡ブロック協議会会長がしております。日頃の活動としては研修会やシミュレーションなどを行っております。防災士の養成も500名を目標にやっていきます。県の防災訓練も昨年は飯塚市で、今年は福津市で実施します。

今後は福岡県の各地に社会福祉協議会を窓口に災害ボランティア連絡会が立ち上がってくると思いますが、JCの皆さんは是非、この連絡会に入ってください、っていうか連絡会を仕切ってください。

本日のお題目「災害発生時、JCとしてなにができるのか?」ですが、「全国ネットワークのJCは何でもできる!」というのが結論です。「何か、そんなオチかい!」って言われそうですが、「何をしなければいけないのか?」は発生してみないと分からないのです。

西方沖地震の時は、避難所を行政が仕切りました。炊き出しなんかも自衛隊がすべてやりました。私達は行政がやることはやりません。行政ができないことをやりましょうということです。

 

災害ボランティアコーディネートができるようなスキルも、JCで取り組んでくれればと思います。

災害発生前にできることがあります。

「自助」、自分のことは自分で守るということ。災害発生時には電話は通じなくなります。非常時の連絡手段に携帯メールやホームページの掲示板などを活用できるよう用意しておいてください。それと寝室にタンスがある人は、置く位置を考えてください。

「共助」、各地域の自主防災組織を確立してください。地域コミュニティ、特に隣近所のお付き合いは大切です。

「災害に強いまちづくり」が「明るい豊かなまちづくり」であるのです。

素晴らしい講演でした。さすがは松藤直前ブロ長、随所で笑いを取りながら、ご経験に基づいたリアルな災害ボランティアセンターの実情をお話しいただき、大変勉強になりました。
私は昨年、運営専務をやらせていただきましたが、ブロ長は本当に大変だったと思います。それと現場で采配をふるうブロ長を見て、すごい方だなとあらためて尊敬したものです。

松藤ブロ長から「JCの皆さん、東京に行く時は地震に備えておきましょう」とのことでした。

浮羽青年会議所の鑓水理事長、災害ボランティアへの取り組みを始めた理事長同士、これからも共に頑張りましょう!!