すべては愛する宗像のため

福岡県宗像市在住、井上正文のブログです。

「沖ノ島と関連遺産群」暫定リスト決定!!

2008年09月26日 | 沖ノ島を世界遺産に!
「沖ノ島と関連遺産群」、世界遺産の国内暫定リストへの登載決定!!

9月26日、文化庁から世界文化遺産国内暫定リスト選考の結果が発表されました。
市が福岡県・福津市と世界文化遺産登録を目指している「宗像・沖ノ島と関連遺産群」が、世界文化遺産国内暫定リストへ記載されることが決定しました。
結果発表と同時に文化庁から、さまざまな課題が示されています。
今後は福岡県・福津市と合同で課題を解決し、世界文化遺産に登録されるよう取り組みを進めていきます。
みなさんのご支援とご協力をよろしくお願いいたします。

<宗像市公式WEBサイトより引用>

「世界遺産」推薦候補、佐渡など5件追加 文化庁

文化庁は26日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産への推薦に向けた国内暫定リストに、5件を追加すると発表した。これで暫定リストは自然遺産を含め14件となった。

追加されたのは三内丸山遺跡などの「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田各県)、薩摩藩の旧集成館や長州藩の萩反射炉などの「九州・山口の近代化産業遺産群」(福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島、山口各県)、4~10世紀に国家的な祭祀(さいし)が行われた「宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県)、平面積で世界最大とされる仁徳天皇陵を含む「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)、近世~近代の鉱山採掘・精錬技術の発展の拠点である「金と銀の島、佐渡」(新潟県)。宮内庁が管理する陵墓(皇族の墓)が候補になるのは初めて。佐渡は、07年に世界遺産になった石見銀山(島根県)の拡張として推薦すべきだとした。

ただし、今年世界遺産入りが見送られた平泉(岩手県)が「再挑戦」するのは3年後の11年。その後も、すでに暫定リストに入っている富士山や鎌倉が控えており、追加分の推薦はだいぶ後になりそうだ。

06~07年に自治体から公募で寄せられた32件から選んだ。平泉の落選にみられるユネスコの審査の厳格化を受け、それぞれ価値の証明や遺跡の厳選などの注文がついた。

今回、落選した27件は、引き続き暫定リスト入りを目指せるが、文化庁は「世界遺産への登録が進んだら追加を考える」としており、当面は難しそうだ。新たな公募も当分は行わないという。

<asahi.com記事(2008年9月26日19時1分)より引用>


以上のとおり、文化庁より発表がありました。

9月26日(金)18時、JR赤間駅で号外!「世界遺産暫定リスト掲載決定!」のビラを配布。



地元にとって大きなニュースですから、帰宅途中の皆さんの多くが足を止めてビラを受け取ってくれました。

今後は国内から世界へと、現地調査と評価そして最終審議へと進みます。

単なる観光目的ではなく、後世へと伝え保存していく日本文化の宝として、市民としてどう考え取り組んでいくか。

これからが本番です!!

沖ノ島清掃

2007年05月01日 | 沖ノ島を世界遺産に!
4月25日(水)、沖ノ島の清掃活動に参加。
沖ノ島(おきのしま)は、福岡県宗像市にある宗像大社の神領で、玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4kmの孤島である。島全体が御神体とされ、今でも女人禁制である。宗像大社沖津宮があり、現在の住人は沖津宮の神職1人である。また、吉村作治氏が提唱し、九州全土、特に宗像地方を中心に沖ノ島世界遺産化運動が行われている。(以上、フリー百科事典『ウィキペディア/Wikipedia』より引用)
朝8時に鐘崎から漁船・共栄丸で出航し、約2時間で島に到着。

 

海水で禊ぎを済ませ、沖津宮参拝後に倒木の伐採や草刈りを行い、食事班は昼食の用意。
島への上陸
一般人の上陸が許されるのは、通常毎年5月27日に日本海海戦を記念して開かれる現地大祭に限られている。上陸できるのは事前に申し込みを行った中から抽選で選ばれた200人のみである(上記のとおり女人禁制であるため男性のみ)。この上陸はすべて神事の一環として行われるため、前日に筑前大島の中津宮に参拝して事前の手続きを受け、船で現地に着いたあとは裸で海に入って禊ぎをしなくてはならない。また、島内の「一草一木」たりとも持ち帰ってはならない(島全体が天然記念物でもある)。(以上、フリー百科事典『ウィキペディア/Wikipedia』より)
前述のとおり、5月27日の現地大祭に向けて宗像大社氏子青年会と玄海未来塾、そして(社)宗像青年会議所の有志が宗像大社奉仕活動の一環として沖ノ島清掃を毎年この時期(現地大祭の1ケ月前)行っているのです。

 

約2時間の清掃後、波止場で食事。

 

旅館の大将自らが腕を振るった豪快な料理です。
私もはなわらびの小林社長に手ほどきを受けてイカ刺しを作りました。

帰りはあまり揺れることもなく、16時過ぎに到着。

 

国民宿舎ひびきで直会(なおらい)が開催されました。

沖ノ島清掃は今年で2回目の参加。
天候の関係で日延べになりましたが、参加できて本当に良かったと思います。

直会後は(社)宗像青年会議所と(社)直方青年会議所それぞれの野球チーム合同の懇親会に合流。
野球大会に向けた練習試合が盛大に開かれていることを嬉しく思いました。

沖ノ島を世界遺産に(その2)

2007年04月05日 | 沖ノ島を世界遺産に!
3月18日(日)、宗像市主催の講演会「沖ノ島を世界遺産に」。

以下は吉村作治氏の講演「世界遺産から見た世界遺産」からの引用です。

世界遺産とは?

世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する世界遺産条約が1972年にユネスコ総会で採択された。
日本は1992年に世界で126番目に加盟。
現在全国50カ所以上が世界遺産の申請を望んでおり、沖ノ島はその中で暫定リスト候補の候補である。

4年前にゼロから始めた運動が、たった4年で候補の候補まできた。
次は候補になるしかない。
さらにその次は暫定リスト、そうしてまたその次に世界遺産になる。



世界遺産にはどんな種類があるか?

文化遺産・自然遺産・複合遺産。
自然と人間の融和というものが文明の最大のテーマ。
それを崩しているから環境問題が起こる。

日本は複合遺産がゼロ。
熊野古道なんて確実に複合遺産であるべきだが環境庁は厳しい。
富士山は今度暫定リストになったが文化遺産としてである。
富士山の富嶽信仰は文化ではあるけども、でもどう考えても富士山は自然遺産のはず。
実際、何回も富士山は自然遺産で登録申請しているが却下されている。
それはトイレの問題。
残念だがこれも日本人のモラルハザード。
だから皆が浄財を出してトイレを整備すればいいのです。
それができていないから富士山は文化遺産。

世界遺産、誰がどうやって決めるのか?

まず各国の政府がリストをユネスコに申請します。
その時に一番大事なのが市民のサポート。

今までどちらかというと宗像の市民は積極的ではなかった。
JCも今はかなり頑張ってくれているから成績表(優・良・可)でいうと「可」くらいです。
これを「良」くらいにはもっていかないといけない。

ユネスコの世界遺産センターでチェックし暫定リストに載ると現地調査が入ります。
そして、世界遺産委員会ビューロー会議というのがあって世界遺産委員会に諮る。

暫定リストも順番があり一年に申請は一件だけ。
発展途上国は年に2~3件で、日本のような先進国は1年に一件だけの申請。

暫定リストの決め方は?

日本では文化庁と環境省が選定を行うが、今迄どうやって決めてたのか不明瞭だった。
今はとてもフェアになった。
去年、候補を受け付け、3~4ヶ月の議論の末、今年1月に暫定リストに載せる候補を4つ決めた。
その暫定リストの候補に沖ノ島は入れなかったけど、候補の候補になった。
だから状況としては「可のマイナス」くらい。
これを「可のプラス」に転じて「良」までもっていってもらいたい。

現在の暫定リストは鎌倉・彦根城・平泉・石見銀山。

先日、日本で最初に世界遺産になった姫路城で講演した時に言ったこと。
それは世界遺産になるのも大変だが、なった後で一番大切なのは市民の世界遺産への関心。
だから世界遺産になる前にみんなが一生懸命にならなければならない。

特に世界遺産になると観光客がたくさん来ます。
それで今、知床の人が困っています。
ゴミが3倍に増えてしまった。
観光客の人がゴミを捨てそうになったら、持って帰りなさいよと市民が言わなきゃいけない。

実際、観光客が来れば市の財政が潤うかってそんな甘くない。

それよりも市民の誇り・国民の誇りにすること。

世界遺産には負の遺産というのもあります。
日本にも原爆ドームがあります。
アメリカはこれにすごく反対した。
だけど人類で二度と原爆を許すまじということで、原爆ドームが世界遺産になった。

何故、宗像が世界遺産なのか?

世界文明に共通する太陽信仰の関連性。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の三人のお姫様がやってきた。
そして沖津宮・中津宮・辺津宮の三つに分かれて、その3人の姫神が10月1日に集まる。
それがみあれ祭。
つまり、これは太陽信仰なんですね。

日本は海に囲まれた島国ですが、これだけ壮大な海の祭りは他にない。
この祭りのために漁師さん達は操業をやめる。
これは何億円もの損失です。

しかし、神様のために殺生をせず、日頃の御礼を神様に申し上げる。
これが誇りでなくて何ですか。

お金じゃないんです。
心がちゃんとそれを示している。

沖ノ島を中心とした宗像の遺跡を世界遺産にしなくて、日本の誇りは取り戻せないというのが私の考えです。

以上、吉村作治氏の講演からの引用でした。

沖ノ島といえば、5月27日(日)に沖津宮現地大祭が斎行されます。

これに先立ち、(社)宗像青年会議所・宗像大社氏子青年会・むなかた観光協会・玄海未来塾の有志で、沖ノ島清掃奉仕を今年も行います。
清掃奉仕は4月24日(火)の予定です。

沖ノ島を世界遺産に(その1)

2007年04月05日 | 沖ノ島を世界遺産に!
3月18日(日)、早稲田大学客員教授でサイバー大学学長の吉村作治氏の講演が宗像ユリックスで開催されました。



その講演内容を紹介致します。

演題:世界遺産から見た宗像大社
講師:吉村作治氏
以下、吉村作治氏の講演からの引用です。
今日の会合は、沖ノ島を中心とした宗像の関連遺跡を世界遺産にする運動の事実上の旗揚げとなります。

日本の世界遺産というのは行政主導。
何故なら観光目的が一番多いからです。

しかし宗像の場合は観光ということよりも日本の誇り・日本の文化の発祥・日本文化の源泉とかそういうものなのです。

今年4月に開校するサイバー大学に日本初の世界遺産学部を作ったのも、本気で「沖ノ島と関連遺産群」を世界遺産にするためです。



今から4年前には沖ノ島については知りませんでした。

宗像は読めない漢字ということで知っていました(笑)。

北九州市に研究室を持った頃に沖ノ島のことを知り、宗像大社の行事に参加し、国宝展の応援をするようになり、沖ノ島にも行き、以来みあれ祭は毎年参加しています。

そういうことで4年前には宗像では誰も世界遺産なんて知らなかったのです。
最初にJC(宗像JC)に集まってもらった時も「何じゃそれは?」って言われ、当時の宗像大社宮司に世界遺産の話をしたら「今のままで結構です」と言われました(笑)。

今は大社の宮司さんも一生懸命やってくださっていますが、市民の皆さんが運動を起していかねばならないのです。

私の講演をただ聴いているだけじゃだめなんですよ(笑)。

市民の皆さんが主役。
皆さんが市役所を突き上げ、皆さんと市役所が宗像大社を突き上げ、一丸となって学術調査とか資金とか政治的なこととか進めていかなくてはいけない。
私・吉村作治がやるのではなく、宗像の皆さんが走らないからしびれを切らしてやっているのです。

本当に価値があります。

日本一です。

皆さんは気が付いていない。
東京の人が東京タワーに上らないようなものです。

宗像の誇りではなく日本の誇りなんだから。

吉村作治氏は沖ノ島は日本の誇りであり、沖ノ島を世界遺産にするということが日本の誇りを取り戻すことなのだと力説されました。

そもそも世界遺産とはどういうものなのでしょうか?

次回は吉村作治氏の講演の中から「世界遺産とは何か」を紹介致します。

神宿る島「沖ノ島」

2006年04月27日 | 沖ノ島を世界遺産に!
25日、「沖ノ島」の清掃奉仕に行って参りました。宗像青年会議所からは松尾顧問・高田副理事長・戸波副理事長・中村好成室長・古賀室長・山下副委員長・小島雄大君・杉埜君が参加、福岡ブロック協議会アカデミー第1委員会の高橋良宗委員長(ひびきJC)も来られました。

沖ノ島(おきのしま)は、福岡県宗像市にある宗像大社の神領で、玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4kmの孤島である。島全体が御神体とされ、今でも女人禁制である。宗像大社沖津宮があり、現在の住人は沖津宮の神職1人である。また、九州全土、特に宗像地方を中心に沖ノ島世界遺産化運動が行われている。
ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

8時半に鐘崎漁港から漁船で出航、結構揺れましたので船酔いでダウンされる方もいらっしゃいましたが、波しぶきを被りながらも2時間後、無事に「沖ノ島」に到着しました。
 
冷たい海の水で禊(みそぎ)を済ませ、いよいよ島の中腹にある「沖津宮」を目指します。
古来より沖ノ島は神職しか上陸が許されず、一般の参拝が許されるのは沖津宮現地大祭の日(5/27)に限られているのですが、この日は現地大祭に先立って参道と境内の清掃奉仕を行うため特別に上陸が許されたのでした。
沖ノ島の歴史背景はこちらをご覧ください。
参道には見たこともない植物が生えています。
 
これらの植物は国の天然記念物に指定されております。
また古くからの決まりにより一木一草といえども島から持ち帰ることはできません。
「島のことを他の人にしゃべってはならない」「島の木や草であっても持ち出してはならない」という決まりがあり、大島や宗像の人からは「不言島(おいわずさま)」と呼ばれていました。
境内で参拝し清掃奉仕の後、波止場で昼食を頂きました。
 
外で食べるご飯の美味しいこと。海の幸・山の幸を堪能しビールを飲んで昼寝、15時過ぎに「沖ノ島」を後にしました。
島からは一木一草たりとも持ち帰ることはできませんが、「神水」だけは許されるということで頂きました。

17時、国民宿舎ひびきでお風呂に入り、直会(なおらい)に参加。
清掃奉仕に一緒に参加した、ボストン出身のポール・リンドバーグ先生や早稲田大学大学院生の米澤君らと楽しく語らい、大社の神官(禰宜)で宗像JCメンバーの葦津アドバイザーや豊前JCの比嘉俊一君らも加わり、2次会も盛り上がりました。

ポール氏が「何故、沖ノ島を秘密(上陸禁止という意味)にするのですか?」と聞くので「神様は我々の身近に存在しますが、人間と対等ではないからです」と答えました。

ポール氏はこうも言われました「私(ポール氏)は沖ノ島と宗像の歴史に興味があるというより、沖ノ島と日本人の関係に惹かれます。私は人のことに一番興味があるからです」と。

なるほどと感心しました。

「沖ノ島」を地域振興という視点ではなく、日本・世界との関わりという観点で捉えなければならない。
そのためには故郷や自国の歴史・伝統を学ぶことが大切なのだと気づかされました。