徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

チャイルドシートとべビーカー奮闘記

2006年01月13日 | サバイバル in America
アメリカでは幼児を車に乗せる場合、助手席、又は後部座席でひざに抱っこなんて許されない。それなのに、当時2才の末娘はチャイルドシートが大嫌いだった。チャイルドシートに乗せると、わんわん大泣きだった。私が虐待してると思われやしいかと、ヒヤヒヤものだった。
おまけに、ちょっと知恵が付いてくると、自分で抜け出すと技まで編み出してしまったから、困ったものだった。

アメリカに来て初めて車で旅行したのが、自宅→ナイアガラ→トロント→オタワ→モントリオール→自宅とそれぞれ1泊という強靱的なスケジュール。一日の大部分を車の中で過ごした。
当時我が家は5人乗りのワゴン車で、助手席には子供を乗せてはいけない事になっていたので、後部座席はチャイルドシートの末っ子と、当時小学低学年の二人。必然的に、上の二人が末っ子の面倒を見ながらの道中。
初日のナイアガラまでの道のり、予想通り彼女は泣きっぱなし。泣くと、アメやお菓子で泣きやませると言う作戦しか手は無かった。ナイアガラの国境を越える時には、アメリカの着色料満載のキャンディーのおかけで、口の周りが真っ青になっていて、「たくさんキャンディーを食べたのね」係員の人が大爆笑していた。
こっちは笑ってる場合ではなかったんだけど・・・。上の二人は、よく彼女の面倒をみたなぁ~と、今更思う。

そんな彼女、べビーカーも大嫌い。B型のべビーカーはシートが低いので、足を伸ばすと地面につくようになってからは、ヤドカリかカタツムリのようにべビーカーをしょって自分の足でチョコチョコ方向をコントロールして歩いていた。遠めに見ると、ものすごく変な子供だった。
もちろん、抜け出すのもお手の物。いつの間にかずるっと抜け出して、私がそのまま彼女をべビーカーでひきそうになる事も何度もあった。

ベビーカーから降ろして自由にすると勝手に何処へでも行ってしまうので、彼女が眠っててくれれば超便利なべビーカーも自由の身の彼女を追いかけるのには邪魔。いつも私は、徒歩の移動の時には、眠ったら楽なようにべビーカーを持って行くか、追いかけるのに身軽なようにべビーカーを置いて行くかの二者択一を迫られていた。大概は、その選択が裏目に出てぐったりするのは、いつも私の方だった。

アメリカ人に子供の年齢を聞かれ2歳だと答えると、「ギャングエイジだね。」と良く言われた。まさにぴったりと思ったものだ。
そんなギャングな彼女を叱って泣かれようものなら、周りからどんな目で見られるか分からない。”虐待”と言う事に対して敏感な国なので、常にそんなアメリカ人の目を気にしていたように思う。それが初めてアメリカで生活した私にとって、一番のブレッシャーだった事は、間違いない
コメント (8)
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