皇后さま、日赤慰霊祭にご出席
皇后さまは11日、日本赤十字社(東京都港区)で催された殉職救護員慰霊祭に出席し、戦争や災害で救護中に死亡した看護婦らの慰霊碑に供花された。
慰霊碑は昭和52年に同社創立100周年を記念して建てられ、第二次大戦や関東大震災などで死亡した看護婦ら1326人の名簿などが納められている。
【2006/08/12 東京朝刊から】
「従軍看護婦達の大東亜戦争」を読みました。
大東亜戦争における兵士の活躍などは、いろんな戦記物が出て知っていたのですが。看護婦さんの活躍や苦労などこの本を読んで始めて知りました。
南方での食糧もなく長距離に渡る異動、内地での空襲や原爆による患者への手当て、満州でのソ連によるシベリア抑留など、読んでいて涙が出てきました。
看護婦と言う仕事柄、兵士以上に人の死を見てきたのではないでしょうか。
薬も不足して傷口に蛆の湧いた患者、伝染病に自ら罹って亡くなる看護婦…
今だからこそ、読んでほしい一冊 櫻井よしこ
大東亜戦争は一体どんな戦争だったのか。私たち日本人は、戦後そのことについてほとんど語ってこなかった。家庭では戦争世代の大人たちが口をつぐみ、学校では日本を批判する歴史が教えられてきた。
その結果、戦争という国家の命運をかけた全国民挙げての戦いの場面で、一人一人の国民がどのように熱い想いで日々を過ごしたか、または、冷静な事実認識に基いてこの国の未来をどれほど深く憂えたか、それでもなお眼前の状況の中でどれほどの力を振りしぼって祖国のためにつくしたことか。こうした一人一人の深い心を私たちは聞かされることなく過ごしてきた。
本書にまとめられた従軍看護婦の方々の体験は、日本の足跡に関する戦後日本人の空白を埋めてくれるものである。彼女たちの体験と想いから、私たちは多くのことを知り、学ぶことが出来るはずである。
戦後六十年を過ぎた今だからこそ、どうしても読んでほしい一冊である。
聞いてはいけないことだったと思う。決して。
なぜなら、彼らの中で、戦争は終わっていないから。
あの苦難、地獄、耐えに耐えた思い出は、
六十年以上たった現在も、夢に出てくる。
そして苛んでいるのだ。
被害者として語るのはまだ楽なのだろう。
参加した者として、そして戦友を失いながら、
戦陣にあった者として語ることは非常な精神力を要する。
戦場の思い出を語られても実は、平和ボケの中で生きている私には、抱えきれないし、理解しきれるものではない。
>平和ボケの中で生きている私には、抱えきれないし、理解しきれるものではない。
確かに私も平和ボケの中で生きているから、理解しきれないでしょう。
しかし、戦争の現実を知ることも必要だと思います。
看護婦さんは本当に大変だったと思います。
兵士にとっても看護婦の力は大きかったと思います。