一燈照隅

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「志士は溝壑(こうがく)にあるを忘れず」

2006年01月21日 | 時事問題
第164回通常国会で首相の施政方針演説がおこなわれました。
その中でこのような発言がありました。

「幕末の時代、吉田松陰は、「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」、すなわち、志ある人は、その実現のためには、溝や谷に落ちて屍をさらしても構わないと常に覚悟している、という孔子の言葉で、志を遂げるためにはいかなる困難をも厭わない心構えを説きました。  
私は、「改革を止(と)めるな」との国民の声を真摯に受け止め、明日の発展のため、残された任期、一身を投げ出し、内閣総理大臣の職責を果たすべく全力を尽くす決意であります」


この演説の中で、孔子の言葉として紹介されている「志士は溝壑(こうがく)にあるを忘れず」があります。
これは、孟子の中に出てくる言葉で、吉田松陰が書いた「孔孟箚記」第十七場 八月二十一日 滕文公下 に出てきます。


「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず、勇士は其の元(かうべ)を喪うことを忘れず」

訳文:
志士は道議のためならば窮死してその屍を溝や谷に棄てられてもよいと覚悟しており、勇士は君国のためならば、いつ首をとられてもよいと思っている。
書物を読むに当たって肝要なことは、以上のような語を反復熟思して身につけることである。

志士とは、高い理想を持ちいかなる境遇になろうともその節操を変えない人物のことである。節操を守る人物は、困窮に陥ることはもちろん、覚悟の前であって、いつ飢えて溝や谷に転げこんで死んでもよいとの覚悟を忘れぬものであり、勇士は戦場で戦死することが、もちろん希望であるから、いつ首を取られても問題にせぬという一念を、常に忘れぬものである。 


「孔孟箚記」 講談社学術文庫より












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