バッファロー・スプリングフィールド。
もう名前だけで完璧。
このバンドは自他共によく言われるのが、初期なら初期ほどバンドの状態は最高、ということ。
たとえアルバムとしては1stより2ndの方が実際優れていて、世間の評価が高くても。
そしてこれまた評価の高い3rdは、個人個人の曲の寄せ集めに過ぎない。
リッチー・フューレイ曰く

「スタート当時が最高だったね。僕たちオリジナル・メンバー5人はマジックを持っていた。音楽的にとても強く結ばれていたし、レコードはエキサイティングだった」
スティーブン・スティルス曰く

「誰かに当時のコンサートを録っておいてほしかったよ。4回目、5回目くらいになるとコンサートはすごく良くなっていった。ウィスキーでの初めの1週間は、まったく信じられない凄さだったんだ。僕たちはまさに信じがたい集団だったね。あれが僕たちのピークだったんだ」
1stアルバムが出るまでの伝説をまとめてみました。
64年 夏ーーー●スティルスがフューレイと出逢う。
(@N.Y.・グリッチ・ヴィレッジ)
65年 春ーーー●スティルスがニール・ヤングと出逢い一緒にバンドを
組もうとラブコールを送るも、ヤングのよくある気まま
な気分=「俺はフォーク・シンガーになるのだ」と
アッサリ振られる。
(@カナダ・トロント)
65年 6月ーー●バーズ「ミスター・タンブリマン」をリリース。
興奮したスティルス、速攻L.A.に向かう。
●この頃スティルスはモンキーズのオーディションを
受け、歯並びの悪さと “頭頂部の今後予測される心配“
により見事落選する。
11月ーー●スティルスを探しに来たヤング、自作の“クランシー
は歌わない“をフューレイに聴かせる。
(@N.Y.・グリッチ・ヴィレッジ)
66年 1月ーー●ブルース・パーマーがヤングを見つける。
(@カナダ)
2月ーー●興奮し続けているスティルスがフューレイを無理
矢理N.YからL.A.に呼び寄せるも、他のメンバーが
見つからず2人で失意のバンド探しの日々。
フューレイに話が違うとスティルス怒られる。
●2人で “クランシーは歌わない“ を練ったりする。
●ヤングとパーマーは新しい仕事(バンド)を
探しにヤングの霊柩車でL.A.に向かう
4月6日ー●有名な渋滞の伝説。
つまりスティルスとフューレイがL.A.の路上で渋滞に
巻き込まれている所に、サンフランシスコに向かう
対向車線にヤングの一度見たら忘れられない、おんぼ
ろでバカでかい霊柩車を見つけ、劇的なタイミングと
シチュエーションで再会する、というもの。
(L.A.・サンセット・ブールヴァード)
●1週間経たないうちにドラマー、デューイ・マーティン
加入。オリジナル・メンバーが揃う。
4月中旬ー●The Troubadourで初ライブ。
5月~11月ー●Whisky A Go Goでの伝説的なライブを繰り広げ、
話題に。
レコード会社がこぞってバンドの獲得競争に走る。
7月ーーー●1stシングル「クランシーは歌わない/ゴー・アンド
・セイ・グッバイ」リリース。
67年 2月ーー●1stアルバム『Buffalo Springfield』リリース。
こうして見ると、スティルス興奮しすぎ。アチコチ移動しすぎ(笑)
でも彼のこうした情熱的で野心アリアリのヴァイタリティーがもしなかったとしたら、このバンドは成立していなかったことに気づく。
そして渋滞の伝説。こういうの大好き。
オンタリオ・ナンバーの霊柩車。53年型のポンティアック。
フューレイは世にも見事な初Uターンを決めて霊柩車の後ろにつけた。
このバンドの歴史は、こうしたいちいち細部が詩的でうさんくさくて、とても美しいと思う。
1966年の5月、ウエスト・ハリウッドのWhisky A Go Goで、バーズやママス&パパスなどの面々を、斬新なイメージと曲で驚かせるのに充分だったという伝説のライブ。
できたてのバッファロー達自身の興奮や喜びは、どれほど大きくて眩しかっただろう。
そしてその演奏は、どれほど強力で魅了されるものだったのだろう。
もう名前だけで完璧。
このバンドは自他共によく言われるのが、初期なら初期ほどバンドの状態は最高、ということ。
たとえアルバムとしては1stより2ndの方が実際優れていて、世間の評価が高くても。
そしてこれまた評価の高い3rdは、個人個人の曲の寄せ集めに過ぎない。
リッチー・フューレイ曰く

「スタート当時が最高だったね。僕たちオリジナル・メンバー5人はマジックを持っていた。音楽的にとても強く結ばれていたし、レコードはエキサイティングだった」
スティーブン・スティルス曰く

「誰かに当時のコンサートを録っておいてほしかったよ。4回目、5回目くらいになるとコンサートはすごく良くなっていった。ウィスキーでの初めの1週間は、まったく信じられない凄さだったんだ。僕たちはまさに信じがたい集団だったね。あれが僕たちのピークだったんだ」
1stアルバムが出るまでの伝説をまとめてみました。
64年 夏ーーー●スティルスがフューレイと出逢う。
(@N.Y.・グリッチ・ヴィレッジ)
65年 春ーーー●スティルスがニール・ヤングと出逢い一緒にバンドを
組もうとラブコールを送るも、ヤングのよくある気まま
な気分=「俺はフォーク・シンガーになるのだ」と
アッサリ振られる。
(@カナダ・トロント)
65年 6月ーー●バーズ「ミスター・タンブリマン」をリリース。
興奮したスティルス、速攻L.A.に向かう。
●この頃スティルスはモンキーズのオーディションを
受け、歯並びの悪さと “頭頂部の今後予測される心配“
により見事落選する。
11月ーー●スティルスを探しに来たヤング、自作の“クランシー
は歌わない“をフューレイに聴かせる。
(@N.Y.・グリッチ・ヴィレッジ)
66年 1月ーー●ブルース・パーマーがヤングを見つける。
(@カナダ)
2月ーー●興奮し続けているスティルスがフューレイを無理
矢理N.YからL.A.に呼び寄せるも、他のメンバーが
見つからず2人で失意のバンド探しの日々。
フューレイに話が違うとスティルス怒られる。
●2人で “クランシーは歌わない“ を練ったりする。
●ヤングとパーマーは新しい仕事(バンド)を
探しにヤングの霊柩車でL.A.に向かう
4月6日ー●有名な渋滞の伝説。
つまりスティルスとフューレイがL.A.の路上で渋滞に
巻き込まれている所に、サンフランシスコに向かう
対向車線にヤングの一度見たら忘れられない、おんぼ
ろでバカでかい霊柩車を見つけ、劇的なタイミングと
シチュエーションで再会する、というもの。
(L.A.・サンセット・ブールヴァード)
●1週間経たないうちにドラマー、デューイ・マーティン
加入。オリジナル・メンバーが揃う。
4月中旬ー●The Troubadourで初ライブ。
5月~11月ー●Whisky A Go Goでの伝説的なライブを繰り広げ、
話題に。
レコード会社がこぞってバンドの獲得競争に走る。
7月ーーー●1stシングル「クランシーは歌わない/ゴー・アンド
・セイ・グッバイ」リリース。
67年 2月ーー●1stアルバム『Buffalo Springfield』リリース。
こうして見ると、スティルス興奮しすぎ。アチコチ移動しすぎ(笑)
でも彼のこうした情熱的で野心アリアリのヴァイタリティーがもしなかったとしたら、このバンドは成立していなかったことに気づく。
そして渋滞の伝説。こういうの大好き。
オンタリオ・ナンバーの霊柩車。53年型のポンティアック。
フューレイは世にも見事な初Uターンを決めて霊柩車の後ろにつけた。
このバンドの歴史は、こうしたいちいち細部が詩的でうさんくさくて、とても美しいと思う。
1966年の5月、ウエスト・ハリウッドのWhisky A Go Goで、バーズやママス&パパスなどの面々を、斬新なイメージと曲で驚かせるのに充分だったという伝説のライブ。
できたてのバッファロー達自身の興奮や喜びは、どれほど大きくて眩しかっただろう。
そしてその演奏は、どれほど強力で魅了されるものだったのだろう。
ファーストではニール・ヤングの作品である「Nowadays Clancy Can't Even Sing(クランシーは歌わない)」と「Do I Have To Come Right Out And Say It(いい娘になって)」をリッチー・フューレイが歌ってますが、どちらもいいですよね!
Whisky A Go Goでのライヴ音源、もし現存していれば聴いてみたいですよね~♪
ボックスのライナーやニールの伝記本など色々参照して書いたのですが、レココレの方がまとまってるし、詳しく書いてあって分かりやすい~(グスン)。
ホントにここら辺の話、面白くって大好きです。
そう、かっこ良すぎなんですよね~。60’sの底力ですね
リッチー、イイ声だし、歌うまいですもんね~♪
でもでも!例えば“Flying On The Ground Is Wrong“ (僕のそばに居ておくれ)のニール本人が弾き語りするデモがバッファローのボックスに入っていますが、それを聴くと、私やっぱりニール・ヴァージョンがたまらなくイイっ!と思っちゃうんですよ~。
緊張してて固い歌い方なんですけど、繊細過ぎる良さがあるっていうか・・・(*^^*)
ちなみに67年のライブ音源なら持ってます。5曲のみでヒドイ音ですが、パフォーマンスは最高です。かなりワイルド。しかもアルバム未収曲が3曲(ボックスで出ちゃいましたけど)
あぁ、完全版ライブ音源キボンヌ。
ビートルズと比べると、あんまりな展開&リリース状況に驚いてしまいますね。確かにスタジオでもライブでもベストな状況のものって録音されてませんもんね。
これがアメリカの闇というか荒廃ってやつなのかな~、なんて。
そういう不憫な分、こちらの想いもどうしても強くなってしまいますけどねw
うわ~、ライブ聴いてみたーいっ!!
あるんですね、やっぱり。うわわ~。
いいんですね、やっぱり。うわわわ~。
BYRDさんもおっしゃっている66年のウィスキーのテープなんか現存してて、もし出たら・・・もうどうしましょう
感謝です!!