質素な毎日☆ひとりごと

主婦 斜め上からみる雑感いろいろ。

私の宗教感

2020-12-23 09:55:00 | 日記
 実家は曹洞宗、婚家は浄土真宗
しかし、どちらの家も故郷を離れた場所に移り住んだため、菩提寺は遠く、夫は次男なので、さらに寺を継ぐ必要もない。

ふと、自分たちが死んだら葬式はどうしようか?と話すけど どうしましょう?で終わってしまう。

死んだ後のことなんてどうでもよいけど、残った人が苦労しないように考えておく必要はある。

私は現代日本仏教はあまり好きになれない。 なぜなら 今や葬式宗教になっていて、私達は職業を求めて転々としている種族なので いまさら菩提寺?っという感じてある。

実家などは 墓を寺に人質?にとられているので、 そこの墓に入るために 両親はそれぞれ25万円の戒名料を納めた。しかも、戒名に位があってさらに上の位は一人50万円。

そもそも戒名に区別があるのが気に入らない。

お経は有難いし、法要も素晴らしい。

寺の運営にはお金が必要なのはわかるけど、そこの住職がベンツに乗っているのも気に入らない。

この戒名料の高さが 現代日本仏教から人々が離れる要因だと思う。

葬式となると、戒名料のほかに20万円ほどのお布施をする。

25万円の戒名料とセットで 一人死ぬと50万円 寺に払う。

生まれた時から ちゃんと一万円ずつ積み立てておくなら まだしも、死んでいきなり知らされ、一度にそれだけを払う財力のある人ってそうはいない。

そのほか、寺への毎年のお布施もある。

とにかく、檀家になるとお金がかかるのである。現代の経済では、この金額と価値に乖離があるので、現代人には支持されない。

しかし、私は 日本の八百万の神様はなんとなくいるような気がするし、また、釈迦や 日本仏教の宗祖はそれぞれ尊敬できる人がだと思っている。

日本仏教の中では道元禅師が一番納得できる。

なので哲学的には 禅の哲学を持っている。禅といえば、必ず仏道を信じる人のものなので、そういう意味では釈迦の教えを信じている。

無宗教でもないし、他の宗教は全く信じられないので、仏教徒なのであろう。

しかし、それと葬式はちょっと別。

日々の生活の中に 禅を落とし込んでシンプルライフを実践するのが来年の目標。









今年一年を振り返って

2020-12-22 16:50:00 | 日記
誰しも言うと思うが、コロナコロナばかりの年だった。

一月の自分の記事でコロナの予測を書いていた。

必ずパンデミックになり、自分も感染するとあった。

多分、まだ感染していないかな。
でも三月ころに二回も風邪をひいたので(しかも東京から帰ってきたタイミングで)もしかしたら、軽く感染済みかも。

高齢者が罹患して死んでしまうのは ある意味仕方ない。それでも平均寿命は伸びると思う。

医療が逼迫逼迫というが、コロナ患者を受け入れる病院が少ないのだろう。お粗末な話。

コロナは来年におさまるかな?
私の予測では収まらないと思う。ワクチンがあっても 死ぬ人は一定数いるだろう。

オリンピックはやるだろうか?
何がなんでもやるんだろうなと思う。ただ参加国は少ない。 一部の先進国だけでこじんまりか、できるところはリモートオリンピック。

オリンピックで海外との交流が広がると また国内コロナの感染者は増えるだろう。

それも織り込み済みでの開催。

オリンピックなんてどうでも良いから、どうなろうと関係ない。

あと、父が肝臓がんが見つかったこと。 88歳でもまだまだ生きたいと思う父に複雑な感情だ。

長生きしてほしいが いつかは死ぬ。
もう88歳ならば十分だろうと思うが、本人は93歳くらいまで生きたいようだ。人間の強欲を見せつけられる。

完治させるような切除手術は予後が耐えられないと判断して ソフトな延命的な手術をしている。 それが思ったより、楽で効果もあるので やってみて良かったと思う。

しかし、自分的には80歳を過ぎたら検診などはやらずに、見つかった時には手遅れで良い。

長生きは子に迷惑をかける。

高級おせち料理が売れてるそうだが

2020-12-22 16:18:00 | 日記



1980年頃に編集された日本各地の昔の料理の本を読むと、 冷蔵冷凍技術のない時代のおせち料理など実に質素だった。

煮しめ、田作り、芋きんとん、酢ごぼう、酢蓮根。煮豆、そしてお雑煮。

かまぼこなど海に近い場所のみ。海のある地方でやっと刺身。

餅だけはたくさんついたそうな。

それから、ほんの数十年。

我々は ご先祖が食べたことがないほど 贅沢な正月料理を食べるようになった。

我が家の質素なおせちでさえも、かまぼこ、栗、伊達巻、海老、数の子など






雑煮には 鶏肉も入る。

コロナ禍で、経済が回らないと困るらしい。
現代はすっかり経済教という宗教のようだ。
たくさんの物を買い、必要以上に食べ、使い捨てのゴミを、たくさん出してこその経済。そうしないと失業する人か出る。なんて変。

いつの頃から 私はそれがおかしな事だと思い出したのか?
豊かになるのは悪くないが限度というものがある。

私のような消費者の底辺にいるような人間には 魚なんて養殖物くらいしか食べられない。

例えば、牛肉は 昔は牧場に放牧されてのんびり草を食む牛を食べていると思ったら、最近は狭い牛舎に閉じ込めららて 動かずひたすら飼料をたべさせられ、乳牛などは 勝手に人工受精させられ、始終妊娠させられ。

そんな 生物達の犠牲の上での人間の享楽だ。

そりゃ、人間なんて新型コロナウィルスにやり込められめザマアミロも言った感じだろう。


現代版きちん宿

2020-12-14 11:09:00 | 日記
コロナ禍で出歩いちゃいけないと思いつつ、寒くなる前に 街道歩きを進めたい。

日帰りで行けるところが少なくなり、そろそろ前泊しないときつくなってきた。

そこで、中山道をついに京都から東へ進む事にした。

先月も京都へ行ったばかりだが、また京都へ。

コロナ禍のおかげというか、京都はかつての落ち着きを取り戻した。 インバウンド全盛期は外国人ばかりで 一体どの国へきているかわからなかったくらい。ここ10年くらいは 寄り付かなくなっていた。

京都は父の里であり、自分も子供の頃はよく祖父母のところへ行ったものだ。

洛中にはたまに出かける程度だったが、子供の頃はの記憶は鮮明である。

いつのまにか京阪電車が地下になっていたり、今更驚く。

昭和の時代は 今よりもっと雑然としていた。

今回は夕方に京入り。

外で夕飯を食べると 人との接触が多くなるので、キッチン付きの宿にした。




ご飯は家で炊いて、持って行った。
その他のおかずは現地調達。

旅行といえば、ご馳走が楽しみかもしれないが、歩く旅の食事は 出来るだけ普段食べ慣れたものにしているので、いつも食べているような鍋にした。朝食はいつもの通りお茶漬け。

歩いている時にお腹が痛くなると 実に大変🤭 

今回キッチン付きの宿だったので 人との接触は少なくなった。新幹線、電車、スーパー、昼食時と雨宿りに喫茶店くらい。

たしかにコロナは怖いけど、今まで泊まったホテルはどこもしっかり感染対策をしている。

唯一大浴場が危険かな。朝食もちょっと密なところもある。

今回はお風呂も各部屋に檜風呂だった。

しかし、京都に限らずだろうが、インバウンドを見込んで 相当なインバウンド用宿泊施設がここ近年できたように思う。

宿泊する側からみたら、出来たばかりの綺麗なホテルを格安で思い立った時に使える。

フロントは東南アジア系の人ばかりだった。ここも技能実習生だろうか。

さて、翌朝、三条大橋から東へ。

粟田口、蹴上を通り、日ノ岡峠へ。
峠は江戸時代刑場だったらしく、湿っぽい雰囲気。そこから山科へ下る。
途中天智天皇の御陵を参拝。





東山道、東海道、中山道を兼ねる道は三条通りというそうな。

楽しみにしていたのは山科地蔵。
850年街道を見守る地蔵菩薩は地蔵堂の中でちらとしか拝めなかった。