大叔母が明治時代に善光寺まで片道9日間かけて歩いて旅をしたという記録があって、一体どの道でどのように行ったのだろうと興味をもってから早数年。
自分もいつか行ってみたいなぁと漠然と思っても想像すらできなかった。
ルートは大体把握していて車で何度かトレースしてみたが、明治時代は歩けても現代では無理!
多分大体1日30キロくらいだろうけど、何よりも車が怖い。熊やイノシシも恐ろしい。明治時代は人通りもそれなりにたくさん合ったのだろう。しかし今はひとは歩いていない。リタイアしたくても店もなければ交通手段がほぼない山の中が多い。
駒場まで行けば、そこから松本までは山の中ではないので、なんとか行けるかもと思っても、伊那谷の明治時代の三洲街道伊那街道はガイドブックもなくネットで資料を探したり。
でも、とりあえず行ってみよう!と思い立ち決行。
街道歩きを始めてから八年たっているからか意外と経験で道を探すことが出来るようになっていることに自分でも驚く。
伊那谷の景色は今まで行ったどの街道よりも素晴らしい。赤石山脈の山々がチラリチラリと見えるし、道祖神などの石仏群もたくさんある。
集落の植栽や花々は美しい。
雨が降っても緑が清々しい。
少しずつ形を変えていく赤石山脈を一日中な眺めているので記憶に鮮明に残る。
南信州の家屋が素晴らしい。本棟造りというらしく、その形を現代までも繋いでいる。新築の本棟造りの住宅もたくさんあった。
そして、天に登るような大きな黒松。街道松というらしい。しかも手入れも行き届いている。大変な手間とお金がかかっているのだろう。最近都会に住む人は庭や食材など手間とコストがかかることを嫌う。
本当の心の豊かさとはなんなのか思い知らされた。
街道として栄えた記憶を松が物語っている。
どんどん北に進んでいくと見えなかった木曽山脈が見えてくるし、赤石岳も姿を見せてくれる。