6年前にこれから少しずつ不便な世の中になっていくだろうという記事を書いたが、
ついに30年近くお世話になっていた近くのコンビニが閉店した。 最初のオーナーから二代目のオーナーに変わっていたのだが、二代目も廃業したようだ。
多分高齢化。
たまに利用する個人の店は、経営者が高齢なところが多い。 もうすぐこの店無くなっちゃいそうと思っていると数年で閉店してしまう。
それでもまだ、近所には何軒かあるので、まだすごく不便になったとは実感がないが、
街道歩きで昔ながらの集落を訪ねる時、その凋落ぶりに最初は驚いていたが、今や当たり前の光景に映るようになるほど、ほとんどの街が寂れていっている。
意外と商店街が残っているところは東京、大阪、京都などの大都市。まだまだ活気のある賑わいになぜか安心する。
地方都市は大型商業施設に客は流れているが、しかし、大型商業施設があれば、まだまだその土地は持続可能である。
その大型商業施設が撤退し始めたら、そのときはかなりの危機だろう。
人口減少の影響は地方から始まる。
今回地震で壊滅的になった奥能登は非常に厳しいと思う。
例えば人口が100人の集落のインフラを一から構築するということは、残念ながらお金の無駄遣いと言わざるを得ないだろう。
壊れたまま放置で集落を全員離れる事も視野に入れるべきだろう。
老後の年金生活者ならともかく、そうでない世代は仕事がなければ生活できない。
その土地に先祖代々と言うが、せいぜい江戸以降だろう。長い歴史から見れば点のような物だ。
我々などは先祖は明治以降職を求めて土地を離れざるを得なかった者たちだし、その後の世代も仕事を求めて他県へ移動する。
もっと大昔で縄文時代なら天災でその土地が住めなくなったら、新しい土地を探して移動していたのだ。
まさに無常の理。いつまでも同じ暮らしをする事さえままならぬという事。