実際色々な相続問題を見てきた。
自分自身も歳をとるにつれ、相続問題について考察は変化してきた。
すごく若い時は貰えたらラッキーくらいしか思わなかった。
ある程度歳を重ねると自分自身の今後を見据えながら欲望がガッツリ顔を出す。
そして、人生の終わりが見えてくると、残りの人生暮らしていける分もあれば充分と思えてくる。
しかし、多分どの家庭でも親が亡くなると相続問題が必ず出てくる。なぜすんなり行かず問題化してしまうのか。
その原因を考察。
第一前提として法律で相続の分配は決められている。この法律通りで行えば良いのだ。
しかし、そうは簡単に行かない。
法律通りが不公平になる場合
例えば両親のうちのどちらかが亡くなった場合。配偶者半分子供達が半分なのだが、配偶者の今後の生活を考えると全てを配偶者に、あるいは大部分が配偶者に行くべきだろう。
ここで、法律通りに分けろと子供が親に訴えるのは浅ましい考えである。配偶者が亡くなったらその遺産は子供に行くのだ。残された親への親孝行だろう。実際私の両親たちはそうやってきたし、とても穏便に済んだ。
しかし、親が離婚して再婚してるとなるとちょっと話は別。血のつながらない配偶者に遺産を全部持っていかれたら子供は何もない。 ここはきっちり法律通りに分けるべきであろう。後添えと一緒に形成した財産があるならそこは吟味に加味すれば良い。
中には後添えのほうが遺産は全部自分にと主張するらしいがなんとも浅ましい事である。
さて、親が一人になって、その人が亡くなるとバランスは一気に崩れる。
例えば 二人きょうだいだった場合。
私は基本は法律通り二分の一ずつであるべきだと思う。それが一番スッキリする。
中には長男だから多くもらうと主張する男性がいるが時代錯誤も甚だしいと言ってやりたい。
ところが一緒に住んでいたらすると厄介。
一緒に住んでいたから、面倒みてたから、長男だから、という理由で多く取ろうという考えは浅ましい。
この法律通りが不公平と感じる場合
親の面倒を見た人から兄弟等分は不公平と感じる。あるいは子供時代に親に援助をしてもらった人がいるとそうでなかった兄弟は不愉快に感じるのだ。 親の面倒みたから遺産を多くよこせというのは利己的な考えだ、親の面倒を見るのは子として当たり前で本来無償の愛のはずだが、そこをお金で対価として考えるところが現代の資本主義というか、お金主義に人々の心が蝕まれている所以である。
続きはまた。
親の面倒を見たから自分が多くもらいたい欲
不公平な分配
もらえる遺産が少ないなら面倒見ない
遺言が不公平
得をしている人への妬み