受難とか、苦労とかはなんか適切ではない。
生きづらさという言葉が現代はしっくりくる。
明治時代の曽祖父母たちの生活を想像してみた。 農業なら商品作物を上手く作るか、商業なら時流にのった商売で成功するか、 そうでなければ、土木や荷運びか、次男以下なら軍隊に、女は製糸工場に。そんな時代だった。富国強兵の国策の時代。
何がどう過酷かはわからないが想像以上に過酷だったと思う。
ああ野麦峠の映画の中に、男は軍隊に女は生糸で外貨を稼ぎ国に尽くすのだ。というようなセリフがあった。
日本人は生真面目だ。国策ならばやらなければいけない風潮だろうし、日清日露戦争に勝利し、ますます富国強兵論は高まったに違いない。
私は不真面目な性格なので、上から命令されたら絶対嫌!ってなる。なので、明治に生まれていたらと思うとぞっとする。
そのような明治時代から大正、昭和と曽祖父母、祖父はなんとか豊かになろうと頑張り、子孫も残していった。立派だ。
そこから思うと令和の現代は 物質的には恵まれている。住むところに困ったこともない。食べ物は好きなものを食べたい時に食べれる。 頻繁に旅ができる。私などろくに働かなくても充分暮らせる身分。収入もないので税金も払っていない。消費税もなるべく払いたくないので、あまり消費しない。
私事では何も憂いは無い。
しかし、世の中全体はどうだろう。
労働時間が長い。通勤通学時間が長い。子供は小さいうちから塾に通わなければならない。
小さいうちから勉強を頑張り、進学校へ進み、有名大学へ行き、有名企業や公務員になり家畜のように働き、稼ぎ、税金を納める。
これはもしたしたら、現代の国策なのかもしれない。
このレールにロボットのように疑問も無く上手く乗っかれば良いが、何割かはわからないが疑問を持つだろう。 不登校が増えるのも当たり前。
親はお金はあるし、教育に充分お金をかけるのに、なぜか子供は潰れてしまう。明治時代は小学校すら通えないことも多かったのに。
不安を煽る情報が多すぎる。
備えないと将来不安と企業が自社の商品を売るのに煽ってくる。
常に こいつらモノを買わせようとしてるなと 注意していないとすぐ洗脳されてしまう。
日本人は生真面目なので洗脳されやすい。
不安を洗脳させるとは何と卑怯な手段だろう。これが令和の生きづらさかもしれない。
先見の明 という言葉があるが、もはや
先見の暗でしかない。