質素な毎日☆ひとりごと

主婦 斜め上からみる雑感いろいろ。

こういう食生活を見習わなくては

2020-10-29 13:10:00 | 日記





引き続きこちらの本を読んでます。 
メモを取りながら読んでいるので なかなか全地域読み切れない。

しかし、良くわかったことは

自給自足
少なくとも 日本で自給できるものを食べる。

冷蔵庫か無い
冷蔵冷凍保存がないので 乾物 塩漬けにするしかない。

肉はほとんど食べない。畜産という産業がない。養殖魚も無い。

山の鳥獣をとって食べるか、自宅で飼っている鶏をつぶす時くらいだ。

なので、タニシとか昆虫を食べる。

これはどの地域も共通している。

それから、寿司文化

江戸前寿司なんかは よほど新鮮なところでないと無理なので、 酢締めにした魚を押し寿司にして食べる。

山なら鮎、海なら鯖
あとは 佃煮や甘露煮 これらはまぁまぁ日持ちする。

昼の弁当などは 本当にたくわんとおにぎりだけだった。

私が中学のころは 毎日お弁当だったが、 たくわんとおにぎりだけの弁当しか知らない母か作るので、8割ごはん、2割おかずだった。まぁまぁの田舎だったので、他の友達もそんな感じだった。毎回同じおかずの友人もいた。

そんな シンプルすぎるお弁当ばかりで、飽き飽きしてた。
自分がお弁当を作る番になり、それなりに栄養も考え、飽きないようにした。
私は自分作る弁当でも飽きてしまうのだが、 子供たちに 毎日お弁当で飽きない?と聞いた時、
全然飽きないと いつも一粒も残さず綺麗に食べてきて驚いた。






たしかに今は見ても美味しそう。誰か私に作ってくれないだろうか。

 昔は揚げ油もほとんどなかったので、こんなコロッケとか作れないだろう。
冷凍冷蔵技術がないので 鮭の塩焼きもアジフライもない。

マカロニもハムもマヨネーズもない。

便利さを享受して豊か過ぎる暮らしをしているわたしが 現代の便利さを批判するのはおかしな話だけど、

こういう暮らしをしていたら、ゴミも二酸化炭素排出も少ないだろうなと思う。

こういう生活に戻らないと ますますゴミを増やし、エネルギーを作るために二酸化炭素を排出するばかりだ。

ここまで戻らなくても良い、見習う所はたくさんある。





木曽街道を終えて

2020-10-12 17:42:00 | 日記



最初に街道を歩き始めて4年。

とうとう木曽街道を踏破!とまでは行かないがほぼ歩いた。

落合宿から 塩尻まで。

昨日は 最後に歩いて行かなかった宮ノ越から木曽福島まで歩いた。



木曽街道でも木曽山脈がよく見えるところは少ない。木曽谷が深くて狭いので 遠くの山が見えにくい。

この区間は木曽山脈がよく見える。といっても雲の中。

4年前は初めての街道歩きにワクワクして何をみても新鮮で、どんな視点で観たらいいのかわからなかった。 4年の間に私も成長したなと思う。

成長したのは精神。

歩きながら瞑想していると、様々な気付きがある。浮かんでは消えてしまうので 一言では語りつくせない。

最初は体力もあり あちこち見たい欲求があるのだが、大抵 10キロ近くになってくると歩く事だけに集中するようになる。

無の境地?

旅は私にとって冒険である。 野生動物との遭遇。道と言えども一歩踏み外せば死にかねない場所もある。野生の猿の如く国道を横断しなくちゃいけないこともあるし、トラックは本当に怖い。
自販機すら無い時もある。

現代なら移動は車でチャチャっと行けてしまうが、歩くことで真の距離感を体感できるし、見えないものが見えてくる。

テレビや写真では絶対伝わらない壮大感。歩きながら移り変わっていく山の形。 民家、廃屋も多い。100年前は400年代前は?全てがドキドキする。

今回は 木曽路を北から南に向かって歩いたが、太陽を正面に浴びると疲れることがよくわかった。

木曽路といえば木曽川だ。

藪原と奈良井の間の鳥居峠で木曽川とは違う谷に行ってしまう。

木曽川は 私の身体を作っている水だ。木曽川水系の水を飲んで生きている。
木曽川は花崗岩のせいか、白い川だ。白い石に薄い緑の水。 まるで白い竜のように思う。上流から下流までとても美しい川。

次は 3泊4日くらいで通しで歩いてみたい。