質素な毎日☆ひとりごと

主婦 斜め上からみる雑感いろいろ。

清洲城その2

2017-02-20 14:00:09 | 日記


本当の清洲城跡には 碑と信長を祀った小さなお社

ここで若き日と信長が過ごしたんだなぁ。とか 清洲会議が行われたんだとか、関ヶ原の戦いの前に家康軍がここに集結したんだとか 色々あったんですね。

信長は高いところがきっと好きだったで、この清洲城のあとは 小牧山の上に城を構え、さらに岐阜城もとても高い山の上、安土城も山の上。
高いところから下を見下ろして この世の支配者になりたかったんだなと思います。

信長の人物像が何となく感じられました。



そして、初めて知った言葉は清洲越し。

それは 家康の世になり、家康は尾張の城を清洲から今の名古屋城へ移すことを決めます。

清洲は水害に会いやすく、守りも弱い。
家康は まだまだ西軍がいつ何時も謀反を起こすと疑っていたようです。

そして、尾張に防衛の城を作るため、清洲城と清洲の町まるごと名古屋へ引っ越しさせてしまいます。これが清洲越しと言われます。

とても広くて石垣も大きく、堀もとても深い。
家康にとって脅威と感じてる加藤清正や福島正則らに普請をさせた名古屋城。

また、藩主には自らの息子をおいたことも 完璧な防衛地点として名古屋城をおいたのでしょう。
天下を取ったのちも、いつ敵が江戸に攻めてくるか用心していたことが伺えますね。 去年 姫路城に行った時も、たしか九州 中国地方から江戸に向かって敵がが攻めて来ることを想定して作った城であったし、姫路城城主の妻には秀頼と離縁した千姫を嫁がせているほど、家康は姫路城を大事な拠点としていました。

家康の執念深さ ここに見たり。

この清洲越しで空っぽになってしまった清洲の町は一時衰退しますが、これまた家康の命で 熱田から名古屋城を、経て 中山道の垂井に通じる美濃街道が作られ、その宿場としてまた発展するのです。


お昼はこんな空っ風の寒い日にはやっぱりこれだね♪



清洲城 その1

2017-02-19 21:24:11 | 日記
まだまだ寒いけど、日差しはもう春。
二月は光の春。

もう少し暖かくなったら、また街道歩きも再開するつもり。

それまでは 車でちょいちょいっと行けるところに行ってます。

今日は 予定のない日曜日だったので、前日から 何処に行こうかと、色々計画しているときが楽しいです。

今日は清洲城へ。新幹線乗ってるとほんのチラッと見てるんですよ。何だろう?とずっと思っていました。




天守閣の形はしてるけど、復元なので建物に歴史的な価値はありません。
入場料300円だけど、なかはシアターや展示、大河ドラマで信長が着た衣装など、なかなか楽しいです。清洲会議の紙芝居も面白かった。

そして、最上階の展望が素晴らしい!
360度 尾張国が全部見えます。




南 名古屋駅方面と新幹線 さらに南は伊勢湾

西 雲にかかって伊吹山は見えないけど、関ヶ原方面とさらにその先には琵琶湖があり、京はすぐそこに思える。この橋の向こうが本当の清洲城跡

北 御嶽山 中央アルプス 恵那山 南アルプスまで見える。

信長が居た頃の清洲城は平城らしいが、絶対物見櫓のようなものがあり、信長が高いところからこの風景を見たと確信します。
そして360度見渡せるこの土地の全てを手中に納めたいと野望を持ったはず。

私ですら、この土地全部が私のものなら…と思うほどです。そして この土地を手中にしたら 外にでていくでしょうね。

何故かそんなとても前向きな気持ちにさせる土地なんだなぁと改めて実感。


細雪

2017-02-17 23:20:51 | 日記
すこし前に なぜか急に 映画の細雪が見たいと思い、レンタルに行ったのですが、さすがに無くてがっかりしていましたが、先日 BSで放送しているのを偶然見つけ、録画しました。

何故見たくなったのかというと、妙齢の美しい四姉妹の着物姿 どんな風だったのかと思い返してみたかったのです。

映画の感想は とにかく美しい日本美を堪能できた、ということです。

1983年の作品で、私は10代後半。当時も 市川崑監督の渾身の作品とかでかなり宣伝していて、もしかしたら、自分も映画館まで観に行ったのかもしれません。

しかしながら10代の私には、なにも共感できるものはなかったでしょう。

物語の設定は昭和13年。場所は大阪船場 上本町 芦屋など。
出演は 岸恵子 佐久間良子 吉永小百合 古手川祐子 石坂浩二 伊丹十三 など

女優陣の美しいこと美しいこと。とくに 岸恵子と佐久間良子の2ショットが圧巻でした。物語の設定では30代後半くらい。実際の彼女達の当時の年齢は50歳前後です。
いわゆる熟女なのに いやらしさは微塵もなく、かえって吉永小百合や古手川祐子のほうが妙な色気を醸し出していました。

30年経った今のほうが この映画の素晴らしさを感じることができます。出演している俳優陣がこんなに凄かったのかと今になって思いますし、その俳優陣が未だに美しくあらせられる。

多分10代の頃に見てもこの物語は理解できなかったでしょう。三女のお見合いの展開で物語は進むのですが、80年代に お見合い?古臭い。しかも三女がぼーっとしていて芯はしっかりしているけど大人しすぎる。そして決めた結婚相手が15歳も年上。あり得ない。(当時としては30歳の女性の縁談はこのくらいだったのかもしれません)四女は奔放過ぎて好きになれない。

しかし、今となれば、この三女の姿が谷崎潤一郎や市川崑の理想の女性なのかも。自分の妻の妹である三女の結婚で 失恋してやけ酒飲んでる石坂浩二演じる男は 男性の中にもっている「女は全部俺のもの」的な独占欲。 男目線で描かれている。

奔放過ぎて好きになれなかった四女が最後は 自分は親が残してくれた結婚資金はいらない、夫婦2人でゼロから作っていくと姉に話すところなどは(多分原作とは違うと思う) 15歳年上の華族の庶子と結婚をきめた三女より、どれだけか好感が持てた。(今の時代なら 夫婦二人で財産を作っていくし、親から金も欲しいでしょうが)

他にも セットも素晴らしかったです。芦屋の家は谷崎潤一郎が住んでいた家がモデルらしいし、本家の上本町の家も、昔ながらの作り。じめとしたくらい日本家屋に浮かぶ着物姿がまた美しさを際立てている。

今この映画をまた作ろうとしても、もう この時代を知っている監督や演出家はいないだろうし、これだけの俳優も居ないと思います。

たくさんの心に残った台詞のうちのひとつ。

鶴子(一女)が夫と口論になり、夫が出ていくと言ってしまった時の一言。

「あんた出て行って何処行きますの?何処ぞにおなごはんでも居りますの?」

う〜ん( ・∇・)私も夫が出ていくとか言ったら、このセリフをさめざめと泣きながら使ってみたいと思いました。まぁ冗談です。

でも、この時代はこのように男性が外に女性をつくるのは当たり前のことで、それを妻はある程度黙認してたのかしら?
そういえば、私の祖母の父親というが、別の女のところへ行ってしまって勝手に所帯を持って居たというとんでも無い話を思い出しました。