負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

「 コレデイイノダ 」 ・・・ あるがままで

2014-04-16 23:00:41 | 原発震災避難者






「 コレデハイケナイ 」 と心であせる癖のある人は

それと反対の 「 コレデイイノダ 」 という言葉を

ときどき声に出してみられるとよい。

・・・ 何度もくりかえし 呪文のように唱えてみるのです。


自分自身をふくむ すべての現実を

「 いま あるがままでよいのだ 」 とする ・・・ 大肯定の精神です。



「 コレデハイケナイ 」 は 現実を否定する想念です。

否定する精神は 何ものも創造しません。 だから

「 コレデイイノダ 」 とする肯定の精神から出発しなさい ・・・ というのです。



この言葉をくり返し唱えたあと ・・・

ヘソの下あたりに

なんとなく ・・・ 気が満ちてくるような感じがしませんか ?







小さくなった日本人 ・・・ 2.自覚と意志

2014-04-16 12:50:28 | 原発震災避難者






さて なぜこのように 人間が小さくなってきたのでしょうね?



人間の 日本人の素質に変わりのあるはずがないのだから

してみると 文明の過度の発達 社会機構の複雑化などが

・・・ その主たる因なのでしょうか?


そうであるなら ・・・ これはまことにクヤシイ話です。

自分がつくった文明で 人間としての自分を小さくするなんて

・・・ こんなバカな話はありません。


素質まで小さくなったのなら諦めもつきますが

そうではないのだから ・・・ クヤシイ話だというのです。



どうしたらいいのでしょう?

文明を捨てて 未開に戻ろうか?


そんなこと できはしないし ・・・ する必要もありません。

要は ひとりひとりの自覚と意志だ ・・・ と思います。


自覚と意志さえあるなら

こういうゴミゴミとした あわただしい世に生きながら

自分を大きく保つこともできると思うのです。



天から授かった素質は フルに生かさなければなりません。

十の器 ( うつわ ) を天分として授かっているのに

現実の自分は 五か 七でしかありえず

それで一生を終わったとしたら ・・・ まことにツマラヌこと

というより ・・・ モッタイナイこと

我を生かしめている天にたいして あいすまぬことというべきでしょうね。


授かった天分を生かしきることが

天意に添って ・・・ 自分を大きくすることです。

天分どおりに生ききった人は

きわめて少ないのであろうと ・・・ 私は思います。







小さくなった日本人 ・・・ 1.むかしの人は大きかった

2014-04-16 09:49:37 | 原発震災避難者






わが師は 明治45年生まれでしたから

たしかに よくもわるくも 明治人の特性を備えておられました。


その師が晩年 口ぐせのように

「 日本人は小さくなった 」 ・・・ と嘆いておられました。


「 小さい 」とは むろん 肉体の大きさのことではありません。

心が 腹が ・・・ つまり 精神的に小さくなってきた というのです。

人間が小粒化し スケールの大きい 「 大もの 」 が少なくなった

・・・ と嘆いたのです。


かれによれば 明治 → 大正 → 昭和 → と

時代が下 ( くだ ) るにつれて人間が小さくなり

とくに戦後 その傾斜が急激であるといわれたのです。


こういう現象は 私ども昭和生まれのものにさえ

ハッキリ看取できるように思われます。


いちがいに言えぬことですが 平均をとっていうなら

「 明治人 」には 「 自分たちにないものがある 」 ように感じられました。

「 とても及ばぬ 」 という 何かを感じさせられたのです。


大きい というか

太い というか

硬骨 というか ・・・

なにか一本 ・・・ たくましいシンが通っていることを感じられました。


市井の平凡な人たちのなかに ・・・ それを感じたのです。

やはり私たちより 人間が大きかったのでしょう。



さて なぜこのように 人間が小さくなってきたのでしょうね ?







万物の霊長といいますが ・・・ 霊短 ?

2014-04-16 06:48:23 | 原発震災避難者






チャールズ・ダーウィンの 「 進化論 」 の思想が正しいものかどうか

・・・ 私ごときにわかろうはずがありません。


ただひとつ ハッキリ言えるのは

人間があらゆる生物のなかで

いちばん後に登場した生きものであることです。


これはマチガイのないところでしょう。


人類の生命史なんて 長くみても何百万年でしょうが

たとえば 台所でチョロチョロ走りまわるゴキブリ様のごときは

何億年もの歴史をもっています。人間とはケタのちがう大先輩です。

ゴキブリ・ホイホイなんて 気やすくいってほしくないゾ

・・・ むこうサマは そう思っておられるかもしれません。



人間は 最後に登場した生物です。


それゆえに いちばん進化しており いちばん高等である

・・・ という面もあるでしょうね。

だが 同時に 最後輩ゆえにもっとも劣悪である

・・・ という面も たしかにあるにちがいないのです。



早い話 ・・・ 病気になるのは人間だけです。

野生の動物は ぜったいに病気にはなりません。


その 病む というマイナスを埋めるために

健康法や医学の進歩が必要でした。


マイナスを埋めるためのプラスにすぎないのだから

医学ごときを人智の勝利などといって誇ることはまちがっています。

「 病むことを知らぬ 」となって 動物なみになれるのに過ぎないからです。



野生の動物は 象から小鳥に至るまでみな

死骸を他者にはぜったいに見せません。

みずから死期を悟り 誰にも見られぬところでヒッソリと死んでゆきます。

崇高ともいいたい最後です。 ・・・ 人間にこのマネができますか ?


きわめて少数の人をのぞいて

人間には みずからの死期を悟ることができないし

自然死 ( 老衰死 大往生 ) という死にかたが またできません。

たいていは 病気になってまわりの者に世話をかけて死にます。



万物の霊長どころか ヒョッとしたら ・・・ 霊短なのかもしれませんゾ。