昨夜 同室の避難仲間が亡くなりました。
還暦を過ぎた彼と老母二人の避難生活です。
歩行が不自由なわが子を献身的に介護する母は
腰が曲がり 小さく見えるほどです。
時折する激しい咳き込みのほかは 寡黙な毎日でした。
「 どうです? つらくありませんか。 お手伝いできますよ 」
「 よろしく ・・・ 」
何度か楽になるよう お手伝いすることもありました。
・・・ 驚くほど大量の吐血でした。
タタミに 着衣に 顔に ・・・
今野医師がかけつけ ・・・ てきぱきと診察をすすめます。
「 おねがいします 」老母は ・・・ 私にいいました。
広がる血を
かきあつめるように
おしかくすように およぐ手
「 まもなく救急車がきますからね、きれいにしておきましょうよ 」
濡れタオルで ていねいに 顔も のども 手も ・・・
ていねいにふきとりました。
走り去る救急車に 深々とおじぎをしました。
それが ・・・ 別れになりました。
ときおり 「 帰りたい 」ともらしていましたから
・・・ 無念だったと思います。
彼は 原発直近 南相馬市小高区 ・・・ 同郷の人です。
* 午後 鎮魂の写真を撮りたいと出かけてきました。