負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

鎮魂 ・・・ 同室の避難仲間が亡くなりました

2011-04-18 19:14:16 | 原発震災避難者



昨夜 同室の避難仲間が亡くなりました。


還暦を過ぎた彼と老母二人の避難生活です。

歩行が不自由なわが子を献身的に介護する母は
腰が曲がり 小さく見えるほどです。

時折する激しい咳き込みのほかは 寡黙な毎日でした。


「 どうです? つらくありませんか。 お手伝いできますよ 」
「 よろしく ・・・ 」
何度か楽になるよう お手伝いすることもありました。


・・・ 驚くほど大量の吐血でした。
タタミに 着衣に 顔に ・・・

今野医師がかけつけ ・・・ てきぱきと診察をすすめます。


「 おねがいします 」老母は ・・・ 私にいいました。

広がる血を
かきあつめるように
おしかくすように およぐ手

「 まもなく救急車がきますからね、きれいにしておきましょうよ 」
濡れタオルで ていねいに 顔も のども 手も ・・・
ていねいにふきとりました。


走り去る救急車に 深々とおじぎをしました。

それが ・・・ 別れになりました。


ときおり 「 帰りたい 」ともらしていましたから

・・・ 無念だったと思います。


彼は 原発直近 南相馬市小高区 ・・・ 同郷の人です。





* 午後 鎮魂の写真を撮りたいと出かけてきました。