紫式部は藤原道長の妾だった!?!
紫式部が源氏物語の時代設定を、自分の曽祖父中納言藤原兼輔の時代にしています。その時代は 醍醐天皇の御世で、物語に登場する桐壺帝は醍醐天皇がモデルだと推定されて居ます。その時は 政治の実権が天皇にあり、天皇をはじめとする皇族達の理想の時代で有ったわけです。
ところが 藤原一族が、自分の娘を天皇の后に入内させて皇太子を生ませ、その皇太子が天皇の座に着くや、自分は天皇の外祖父として政治の実権を握り天皇を只の飾り物にしてしまったのです。つまり 摂関政治と言われるもので、その最たる権力者が藤原道長(ふじわらのみちなが)でした。
この物語は 天皇を無力にしてしまったが故に起きた悲劇の女性「桐壺の更衣」の登場から始まります。
「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に・・・それ程に高貴な家柄の出身ではないのに、帝に華々しく寵愛されている更衣がいました。」この桐壺の更衣が生んだ男の子が光源氏です。それを嫉妬した女御更衣達に虐め貫かれて遂に病気になって死んでしまうのです。その時 帝に実権が無いばっかりに彼女を救ってあげられなかった・・・つまり この物語は藤原摂関政治を厳しく批判したものなんです。
その時の最高権力者は藤原道長でした。その権勢たるや並ぶ者なく、彼の有名な歌「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたる事も 無しと思えば」と我が世に敵なし、恐いもの無しの状態でした。
ところが不思議な事に、紫式部のパトロンは 藤原道長だと言われています。だから 自分を厳しく批判した物語を書いた紫式部を罰するどころか、紙や筆を用立ててやるなどと応援しているのです。当時 紙は貴重品で、特に身分の高い極一部の人しか手に入りませんでした。それで 藤原道長はその権力を利用して、紙をふんだんに手に入れて紫式部に与えるだけでなく、筆も供給したり、人を沢山派遣して作品の清書を手伝わせたりしてるのです。
それで 南北朝時代に出来た系譜集「尊卑文脈」に紫式部は藤原道長の妾だったと書かれているのです。何れの世の権力者も女の人には弱かったのですね。
平安時代の天才女性 紫式部がこの本を書いてから今年は千年になるそうです。凄いですねぇ 私も送ればせながら関連の本を読んでいます。
言うまでも無く この本は 光源氏と言う主人公が驚異的な精力で女性を次から次へとものにして行く恐るべき物語で、現代の我々の倫理観ではとても許容出来ない話です。然も 相手の女性はハッキリ解っているだけでも四十人に昇り、それも絶世の美人と言われた藤壺から、ブスの空蝉など、もう当るを幸いやりたい放題ってヤツですか
いくら天皇の皇子で、眉目秀麗な貴族と言えどもやっていい事の限度っちゅうものがあります。 第一 常人では その体力・精力が続きません。 紫式部と言う作者は何を考えていたのだろうと下司の勘繰りをしましたが、その謎が解けました。何冊かの解説書を読んでみましたら、光源氏のモデルが居て、それも一人や二人ではなくて、数人のエピソードを集めて一つの作品にしたらしいのです。だから出来たんですねぇ 恐れ入りました。
今朝 気持ちの良い事がありました。 この二・三日ドンヨリとした寒い雨の日が続いてましたが、今日は漸く晴れて薄日が差しました。 ゴミの収集日でしたので、指定場所へゴミを持って行く時に、今年中学に上がった女子生徒二人に出会いました。向うから大きな声で「お早う御座いまぁす」と明るい笑顔とともに挨拶をしてくれました。此方も負けない様に大きな声で返しましたが、たったそれだけの事ですけれども何とも爽やかで、明るいいい気持ちになりました。
ミャンマーのサイクロン、中国の大地震、韓国の鳥インフルエンザと不安な暗いニュースばかりです。こんな時 この子達の明るい笑顔の挨拶で気持ちがスーッと救われた思いです。
今日の朝日新聞の社説から
日本の製造業の殆どを担っているのは中小・零細企業です。 そこには 血の滲む様な努力で作り出した知恵の結晶が沢山あります。そして それらを特許申請していますが、それを大手企業に奪われてしまう事が珍しくないのです。それを何とか保護する必要がある。・・・と言う主旨です。
その大手企業の悪辣なやり口は、先ず 特許申請されている中小企業の技術をそのまんま使って商品を作り売り出します。勿論 特許侵害である事は百も承知です。当然 中小企業から訴えられますが、平然と無視して作り続け、売り続けます。裁判になりますが、大手企業の作戦は、「どうせ相手はチッポケな会社だ。裁判の資金が続かないから、息切れするのを待って、和解の提案をすれば此方の思惑通りになる」あわよくば、相手が倒産してしまえば、もっと有利に展開できる・・・イッヒッヒッヒ と言うものです。
これでは中小企業は堪りません。 従って その防衛策として、敢えて特許申請をしないのです。申請すると、その内容を研究されて特許を掻い潜って真似した製品をわけなく作られてしまうからです。まるで 特許制度が逆作用してます。だから 大手企業の横暴から中小零細企業を保護する方策をしないと、特許制度が何の為にあるのかわかりません。
これは 私が言っているのではありません。東京都板橋区の中学生高橋賢多郎君が今日の朝日新聞の「声」欄に投稿してました。題は「新語で壊すな、正統な日本語」です。
主旨は 『本屋で「新語追加」の帯を付けた国語辞典を見かけた。新しい言葉を加える分には良いのではないかと思う。 然し 「KY」だとか「ブッチャケ」のような新語をあたかも正統な日本語として扱ったり、新語を加える代わりに正統な日本語が削除されたりするのなら、それは好ましい事ではないと思う。本来の日本語とかけ離れた無味乾燥な表現によって日本語が壊されていくことは、日本人として嬉しくない。千年以上の悠久の時をかけて培われてきた日本語と、五年もしないで広まった言葉を同等に扱う事にはとても抵抗がある。 日本語は日本の文化なのだから、もっと大切にすべきではないか。』
これを 中学生の高橋君が言って居るのです。何と嬉しい事でしょう。私の言いたい事そのものズバリです。本当に日本人はどうして言葉の文化を蔑ろ(ないがしろ)にするのでしょう。!?! べつに古い表現に拘泥するものではありませんが、折角我々の先祖が努力して遺してくれた、美しい表現や、言葉遣いは大切に次世代に遺すのが我々の責任ではないでしょうか?
特に酷いのが毎度の事ながらマスコミです。NHKの女子アナがフリップをだすのに「ジャーン」と言ったり、いったいアナウンス教育はしてないのかと言いたくなります。民放にいたってはもう無茶苦茶と言えるでしょう。矢鱈と「・・・けれども」「・・・けれども」の連発をしないと言葉が出てこないボキャ貧人間をテレビに平気で出してます。 もっと基礎訓練をしてから出せ
彼等が 正統な日本語を追い出してしまって居るのではないか!?!と思います。
今から37年前の群馬県で大久保清事件がありました。被害者は16歳から21歳の女性八人、殺害されて地中に埋められて居た、戦後最悪の事件と当時言われたものです。
犯人の大久保清(当時36)はベレー帽を被り、画家と自称して白のクーペを乗り回して、若い女性112人に「乗りませんか?」と声をかけ、乗って来た人を殺して埋めたその数がなんと8人と言う身の毛も弥立つ程の恐ろしい男でした。
然し 当時のマスコミの報道は犯人を非難するのは当然でしたが、一方で 被害者達の無防備さ、無用心さを責める論調もありました。死者を鞭打つ様なものですが、その当時の女性の純真で、他人を疑う事を知らない美点を悪用する犯罪が、予想もしない形で現実のものとなったので、マスコミも混乱していたのでしょう。!?! だけど その後の世の中を見ると、その時よりもっともっと悪くなって、他人を信じてはいけない様になってしまったと思います。まるで どんな些細な事も、本当は親切な話でも絶対に信じたら駄目だ、なんて何とも寂しく哀しい世の中になってしまったのです。
此の頃 女子高生が殺されると言う無残な事件が報じられています。被害者や、その家族の事を思えば可哀想で堪りません。 が然し こう言う事件の起きる要因が加害者側に有るのは言うまでも無い事ですが、残念ながら 被害者の方も もっと用心しなくては と 思わざるを得ないのです。
我が家は 静岡市の日本平と言う山の麓にありまして、住宅地とは言うものの夜間は真っ暗です。とくに夜の9時を過ぎると人通りも殆ど無く、男の私でさえ一人歩きは気味が悪いくらいです。以前 交番を設置して欲しいと嘆願しましたが、「そんな夜遅くにどうして外をウロツクのですか」と全く聞いてはもらえませんでした。 そんな道を 夜中の1時。2時に女性の一人歩きのハイヒールの音がします。まぁ色々なご事情がお有りになってこんな時間のご帰還でしょうが、危険を感じないのかと余計な心配をしてしまいます。もし 暗闇に潜んで居る何者かに襲われたら助かる道はありません。幸いにして 今の所はそんな事件は発生してませんが、起きてからでは大変です。
今の若い女性は もしかすると「自分だけは大丈夫」と自信過剰(特別意識)になっては居ないでしょうか 痴漢にしろ、強盗にしろ、最近は簡単に殺害してしまいます。その恐さはニュースで連日報道されている通りで、自分の身の回りでも起こり得るものとしての認識を持つべきではないでしょうか
自分だけは特別だと言う事は絶対にないのです。
この写真は いつもの公園で去年の秋に偶然出逢った外人さんの赤ちゃんです。あまり可愛いのでお母さんに了解を得て写真を撮らせて頂きました。
私には四人の孫が居ます。娘の子供が二人、息子の子供が二人・・・全部男の子です。そして 今年に入って息子の嫁に三人目が出来たと聞きました。つまり 私にとっては五人目の孫ですが、今度は女の子が欲しいと密かに願っていました。何しろ 四人全部が男の子ですから、全員集合したら家が壊れるのではないかと言うくらいの騒ぎになるでしょう。そして よその女のお子さんを見ると、もう例えようの無い可愛らしさで、妻といつも「女の子って可愛いねぇ 羨ましいねぇ」とため息をついていました。 でも 今度の孫は、周囲の予想では全員が男の子と言うもので、女の子と予想したのは私が只一人でした。(勿論 悲願を込めてです)
今朝 嫁から定期健診の時、医者に聞いたら「女の子らしい」と言われた と 電話がありました。バンザァーイです。 念ずれば通ず とは本当です。 先日 高野山金剛峰寺に行って弘法大師に御願いして来ましたので、そのご利益のお陰でしょう。
今日の夜明けの富士山です。爽やかな風に薄雲が流れて素晴しい夜明けでした。何かいい事がありそうな気がしました。 そんな いい気分で地元紙の投書欄を見ていましたら、静岡市の経営コンサルタントの伊藤さんと言う方の投書が載ってました。
プロ野球 日本ハムのダルビッシュ投手が、一勝する度に10万円を出身地の大阪・羽曳野市に寄付すると公表をして、今後それを続けて行くというのです。今時珍しい美談です。 自分が 生まれ育った羽曳野市の財政が苦しいのを知ったダルビッシュ君が、せめての恩返しに、自分が試合で一勝する度に10万円を寄付し続けると公(おおやけ)に約束するなんて簡単に出来る事じゃありません。然も 若干21歳の青年ですよ。
私は 彼を 御見それして居ました。 彼は東北高校時代、野球部の喫煙事件に連座した不祥事があったりして、私は彼の事を只の野球バカだと思っていました。此の頃 テレビでバカを売り物にした元高校球児も居ますし・・・
それなのに この投書を見るまで彼に対して、とんだ偏見をもっていたのです。恥かしい 我が身を振り返って見る時、自分が21歳の時いったい何を考え、何をしていたのでしょう。 女の子のケツを追いかける事ばかり・・しかしてませんでした。ハイ恥恥恥 女の子は追いかけてる内は楽しいのですが、ものにしてしまうと・・・コラコラコラ何を言うとるんじゃーッお前は
ダルビッシュ君は偉い
爽快な朝になりました。ウオーキングには最高の日和です。 今朝の新聞広告より、本の広告 幻冬舎「沈黙入門」がフト目に止まりました。意見あるところに欲あり、沈黙から道は開ける 余計な事は言わない生き方のすすめと副題があります。
著者は月読寺住職小池龍之介 東大卒 三十歳のお坊さんです。 その要旨は
1.まったく何かにケチをつけずに一日すごしてみる
2.天皇陛下のようにスロウに徹底的に自己を抑制して喋る
3.正義で相手を論破する事をやめる
4.「買いたい」「食べたい」欲望に駆られたら、「どうでもいい」と念ずる
5.身近で大切に思う人に対してこそ、つねに幻滅しておく
成る程 この通りにしていれば腹も立たず、問題も起さないでしょう。世の中は平和に穏やかになるでしょう。誠にケッコウなお考えで、反省しきりですが・・・然し こんな人生って楽しいでしょうか面白いでしょうか
雨の端午の節句になりました。行楽の予定のある方にはお気の毒ですが、わたくし的には雨もまたよろしいではありませんか今朝も 雨の降り出す前に山里を歩いてきました。
清少納言の枕草子に、五月ばかりなどに山里に歩く、いとをかし。の一節があります。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて、草生ひ茂りたるを、長々と縦ざまに行けば、下は、えならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むに走りあがりたる、いとをかし。・・・
わくしは、この一節が大好きです。五月(陰暦)に山里を歩くのは楽しい。草も川も緑一色で、表面は何の変哲もなく草が茂っているけど、一列縦隊で行くと美しい水が浅く貯まっていて、歩く度に跳ね上がって、とても素敵だ。・・・
いま 俗物のカタマリの私が、山道の草の根に貯まった雨水を踏みしめて歩くと、それでも清少納言の感慨の万分の一位を感ずる事が出来て、この季節は大好きです。
昨日 午後三時半ごろ、御前崎の防波堤で非常に悲しい事故がありました。
小学校一年生の男の子が防波堤の上で遊んでいて海に転落しました。当時は満潮に近く、かなり波が高かった様です。男の子は、母親とヘルパーの大畑友美さん(32歳)の三人で来ていたのですが、この時 どう言う訳かこの場には母親は不在で、大畑さんと二人だけでした。大畑さんは無我夢中で男の子を助けようと海に飛び込んだのですが、哀れにも溺れて死亡、男の子は近くでサーフィンをしていたひとに救助されて無事でした。何とも大畑さんが哀れでなりません。きっと 大畑さんは子供を母親から預けられたと言う強い責任感が、彼女を海に飛び込ませたのでしょう。自らの命を懸けて・・・
この男の子の場合とは関係無く、一般論としてですが、小学校一年生くらいの男の子は 危険な事・大人が嫌がる事などをわざと面白がってやりたがる性癖が有ります。親が「止めて」とか 友達が「止してよ」と言うと益々喜んで嫌がらせをエスカレートさせるのです。所謂イジメもこの類です。男の子は極端に言えば猛獣と同じです。だから3歳から4歳位までに、してはいけない事をキチンと親が躾けておかないと小学校に上がる頃には手の付けられないヤンチャ坊主が出来上がります。もう その時にいくら声を枯らして叫んでも全然効きません。特に 母親のカナキリ声は余計に坊主の悪戯心に油を注ぐ結果になるでしょう。
私自身の幼年時代の経験から言えば、無論 罪の意識はチャンとあります。 でも 本能的に体内から湧き出る悪戯心はどうしても抑えきれないのです。あの 他人の泣き顔、困り顔、それに接した時の快感、また逆に悪い事をしたと言う自責の念、自己嫌悪との戦いが繰り返されて、恥ずべき事ながら、その精神的なネジレを楽しんで居たと思います。いやまったく恥かしい!!!
今回の事故を、私なりに勝手に想像しますと、男の子はヘルパーの大畑さんの制止を聞かず、イヤ制止されればされる程、面白がって危険な方へと行ってしまったのではないか!?!そして高波にさらわれて海に転落した・・・そして 代わりに可哀相な大畑さんが死んでしまったのではないか? 堪りません 合掌。
今日の朝日新聞の特集に載ってました。静岡空港が来年三月開港になるが、利用予定者108万人の全部が利用しても、毎年3億円の赤字になる・・・と。
そんな事は計画段階から判っていたのです。だから 当初 計画が発表された時、私も反対運動の署名活動に参加しました。そして 賛成か反対かの県民投票をする為の条例が県議会で成立しようとしてのですが、何故かポシャッてしまいました。今尚謎ですが、消滅してしまったのです。テッキリ条例の成立で、県民投票になるとばかり思ったのに・・・そうすれば 多分 空港建設反対に決定したでしょう。それなのに 静岡県議会は、石川知事を先頭に、建設賛成派の県議達でアッと言う間に建設を決定してしまったのです。その後も反対運動はありました。地元の地権者には未だ反対している人達も居ます。でも 全く無視です。噂では、知事や関係議員は建設業者と何かの取引が内密にあったのではないか!?!と囁かれています。兎に角 彼等の強引なやり方ではそう言われても仕方が無いでしょう。
静岡に空港は全く必要ありません。西にセントレアがあり、東に羽田があります。そして、東海道新幹線があり、東名高速もありますし、第2東名も建設中です。静岡の主力企業のホンダ・ヤマハ・スズキは全部浜松にあり、飛行機を利用するならセントレアの方が便利だし、路線も発着便数も断然多くて、前記の企業も「出張業務に静岡空港は使わない」と断言しています。
それでも 年間3億円もの赤字を垂れ流す空港を作ると言って強情を張る石川知事と一連の県議達は酷すぎます。開港は止めて貰いたいと声を大にして言いたいのです。毎年3億円もの血税負担させられる県民は堪りません
今日は八十八夜です。立春から数えて八十八日目で、新茶の摘み取りが始まります。この時期が私の一年中で一番好きな季節です。
静岡にお茶を中国から齎したのは、栄西禅師・聖一国師・大応国師の三人のお坊さんで、昨日静岡の臨済寺で「献茶式」が行われました。こんにちでは、お茶と言えば静岡の主力産物で、農家の年収の大部分をこれに頼っています。何しろ お茶の価格は新茶の場合100g=数万円と言うものもありまして、いくら香りが良くて、味がいいとは言っても腹の足しになる訳じゃなし、高過ぎます。お米の最高級の「魚沼産こしひかり」だって100g=¥500から¥700位でしょう。お米の10倍以上の値段をつけて商売をするなんて信じられません。 段々お茶の需要が減りつつあると言われるのも判ります。