基幹システムに「061211」と日付を打ち込む度に
「061209」は過ぎてしまったのだ、と指先が告げる
「大阪三人会」が終わった
終わってしまったのだ
私の中にある細胞はあたかも海外旅行にでも行ったような疲労感を覚え
あれはホンマに大阪やったんやろか?などと
今さらながらに記憶を反芻してみたりして、更に一抹の寂しさを感じるのである
けれど、頭のどこかではもうすでに次の「なにか」に向けて
期待の種は芽を出していて、大変であれば大変であるほど、
そこから得られる充実感は計り知れないのだ、と実感しているのも事実なのだ
今回の「大阪三人会」はすばらしかった
一番後ろで会場全体を見渡しつつそれを体験させてもらったのだが
最後の方なんて、ちょっとゾクゾクっとしてウルウルくるくらい
感動する空気がたしかにあの場には流れていた
遊喬さんの「看板のピン」は<博打でサイコロを振る>という桃組的内容で、
それは江さんの「街的」というテーマにもピッタリはまっていて
最後の桃さん&江さんの織り成す「アジール」「パトリ」へと
まるでひとつのコースを食べているかのような流れのある構成であった
それはきっと計算されたものではなく、非常に偶発的な…
だからこそ伝わるものが強かったのではないかと思う
私は桃組というパトリや大阪というアジールに
これほどまでに愛情を感じたことはなかったかもしれないなぁ~
「061209」は過ぎてしまったのだ、と指先が告げる
「大阪三人会」が終わった
終わってしまったのだ

私の中にある細胞はあたかも海外旅行にでも行ったような疲労感を覚え
あれはホンマに大阪やったんやろか?などと
今さらながらに記憶を反芻してみたりして、更に一抹の寂しさを感じるのである

けれど、頭のどこかではもうすでに次の「なにか」に向けて
期待の種は芽を出していて、大変であれば大変であるほど、
そこから得られる充実感は計り知れないのだ、と実感しているのも事実なのだ
今回の「大阪三人会」はすばらしかった

一番後ろで会場全体を見渡しつつそれを体験させてもらったのだが
最後の方なんて、ちょっとゾクゾクっとしてウルウルくるくらい
感動する空気がたしかにあの場には流れていた

遊喬さんの「看板のピン」は<博打でサイコロを振る>という桃組的内容で、
それは江さんの「街的」というテーマにもピッタリはまっていて
最後の桃さん&江さんの織り成す「アジール」「パトリ」へと
まるでひとつのコースを食べているかのような流れのある構成であった
それはきっと計算されたものではなく、非常に偶発的な…
だからこそ伝わるものが強かったのではないかと思う

私は桃組というパトリや大阪というアジールに
これほどまでに愛情を感じたことはなかったかもしれないなぁ~
