Auditory Phenomena 聴覚的現象 2008-06-06 | 用語解説A-D <ソルボーンの用語解説(A-19)> Auditory Phenomena 聴覚的現象 超常的な声や音が聞こえる現象。ポルターガイスト、憑依、 体脱体験、臨死体験、ESP体験などに現れる。 #超常現象 « Astral Body アストラル体 | トップ | Aura オーラ »
5 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 意識と心の違い (777) 2008-06-10 21:56:17 また質問です。 意識と心とは、異なるものなのでしょうか(こういう質問自体、間が抜けているのかもしれないですが)?どうも、以下のサイトの内容によると多くの科学者(人工知能研究者でさえ)たちが、意識と心を混同して用いているようですが。http://www5f.biglobe.ne.jp/~mcs/tetuwana.htmlhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~mcs/tetuwan2.html また、石川先生のメタ研究室にも、「意識」と「心」について、あえて区別して書かれてあるところがありました。どこの項目か忘れたんですが、確か東洋的な「心」とか、西洋的な「心」とか、そういうことが書いてあったページです。 しかし、上のサイトにあるように、「心は脳の機能であり、物質(というか、その物理的、化学的信号の結果と表現した方がいいのだろうが)だが、意識は脳の機能ではない」と断言されると、我々の科学も相当な思い違いの上に成り立っているのではと考えたくなります。 返信する Unknown (Matt Ishikawa) 2008-06-11 23:08:58 いろいろな人が様々な言葉遣いをしているようです。心理学では、たとえば「ヒルガードの心理学」では「意識」についての章があり、そこでは私たちが自覚している部分の心の働きを「意識」と、自覚しない部分の心の働きを「無意識」と、呼んでいるように読めます。ご参考までに。 返信する うーん (777) 2008-06-14 19:57:23 いろいろな方々がそれぞれの言葉で表現しているとなると、この分野に関しては科学者たちの間でもまるで統一性がない状態であるとしか思えません。 心や意識を持つ機械を作るとかいう前(私は実現不可能だと思うが)に、まずはそういった意識や心に関して、ある程度統一性のある定義をきちんと行うことから始めるべきではないでしょうか? これでは、超心理学あるいは唯物論が正しいとか、間違っているとか、それ以前の問題でしょう。 返信する Unknown (Matt Ishikawa) 2008-06-14 23:54:14 合意の取れた定義はないものねだりのように思います。たしかに、自分なりの定義も無く議論を始めるのはいただけません。しかし、定義(概念の構成)には、それに必要な近隣の概念や推測の方法などの合意が必要です。つまり、定義されてなければ理論化できない、というのは逆に、理論が固まってなければ厳密な定義ができないとも言えます。定義も理論と一緒に固まってくるくらいの気持ちで仕方がないのではと思います。考えてみれば、日常の心理学的用語はどれも(勇気・意欲・愛など・・・痛みでさえも)揺らいでいます。 返信する なるほど (777) 2008-06-15 09:31:59 なるほど、私の考えは多少凝り固まっていたようですね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
意識と心とは、異なるものなのでしょうか(こういう質問自体、間が抜けているのかもしれないですが)?どうも、以下のサイトの内容によると多くの科学者(人工知能研究者でさえ)たちが、意識と心を混同して用いているようですが。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mcs/tetuwana.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mcs/tetuwan2.html
また、石川先生のメタ研究室にも、「意識」と「心」について、あえて区別して書かれてあるところがありました。どこの項目か忘れたんですが、確か東洋的な「心」とか、西洋的な「心」とか、そういうことが書いてあったページです。
しかし、上のサイトにあるように、「心は脳の機能であり、物質(というか、その物理的、化学的信号の結果と表現した方がいいのだろうが)だが、意識は脳の機能ではない」と断言されると、我々の科学も相当な思い違いの上に成り立っているのではと考えたくなります。
心理学では、たとえば「ヒルガードの心理学」では
「意識」についての章があり、そこでは私たちが
自覚している部分の心の働きを「意識」と、自覚
しない部分の心の働きを「無意識」と、呼んでいる
ように読めます。ご参考までに。
心や意識を持つ機械を作るとかいう前(私は実現不可能だと思うが)に、まずはそういった意識や心に関して、ある程度統一性のある定義をきちんと行うことから始めるべきではないでしょうか?
これでは、超心理学あるいは唯物論が正しいとか、間違っているとか、それ以前の問題でしょう。
たしかに、自分なりの定義も無く議論を始めるのはいただけません。
しかし、定義(概念の構成)には、それに必要な近隣の概念や推測の方法などの合意が必要です。
つまり、定義されてなければ理論化できない、というのは逆に、理論が固まってなければ厳密な定義ができないとも言えます。定義も理論と一緒に固まってくるくらいの気持ちで仕方がないのではと思います。
考えてみれば、日常の心理学的用語はどれも(勇気・意欲・愛など・・・痛みでさえも)揺らいでいます。