RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

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休日に全力で生きるOLの日記(笑)

医は仁術

2014-04-12 21:30:00 | 美術
見てきました

国立科学博物館

会期は2014年3月15日から2014年6月15日。

チラシに使われているのは江戸の町のような景色。
医は仁術、、どっかで聞いたことあるような感じですね。笑
音声ガイド、そしてタイムスリップシアターの案内役は俳優の大沢たかおさんです。

今回、チラシが数パターンあったのですが、なかなかおもしろい。

ちらっとめくると。

おぉ。
なんか不気味。笑

今回は江戸の医から未来を眺める展覧会。

"医は仁術"
「仁」は、儒教で重視された"他を想う心"
「仁」は身分の上下なく、誰もが持つべき思想として人々に受け入れます。
気配り、気遣い、おもてなし……その「仁」が育んだ日本の医。

STAP細胞が大変残念な方向で世を賑わせていますが、日本の医学・医療は世界でも最先端と言われています。
その始まりは江戸時代。
山脇東洋が日本初の人体解剖を行い、その情報により各地で解剖が行われるようになります。
また1774 年、杉田玄白らが翻訳した『解体新書』は、蘭学が急速に日本中に広まるきっかけとなりました。
人々を救うために。
人体がどのような構造であるかの解明が、漢方医らも含めて始まったのです。
今回は当時の解剖図など貴重な史料や江戸時代の医療道具、薬の看板。
中国から来た漢方と西洋から来た蘭方が、どのように日本で医療として展開していったのかを見ていく展示となります。

撮影可能でしたので写真を交えながら描いていきます。
ボリュームたっぷりです。
一部、刺激が強いと思われる写真もあります。
お気をつけてご覧ください。

《第1章:病はいつの時代も身分の貴賤なく人々を襲う》
日本がまだ医の知識も、医の技も未熟であった時代。
人々は病を恐れ、神に祈り、自然の成り行きに任せるほかに、その苦しみから逃れるすべはありませんでした。
健康と長寿を願い、季節の節目には祈り、子供の成長には感謝し……。
そういったことから祭りが始まったり、神社に奉納したりと、数えればきりがないほど病に対して救いを求めていました。
お金がいくらあろうと、身分が高かろうと、関係なしに病気は襲ってきます。


「錦絵 うさぎのはしか退治」
うさぎがはしかを擬人化したものを踏みつけています。


歌川国芳「相馬の古内裏」
これはどこでも有名で人気ですねー。
描かれている骸骨は解剖学的にもかなり正確だそう。
江戸時代にそういった知識を庶民が持っていたということが驚きです。

《第2章:東から西から医術の伝来》
日本における医とは東や西から伝えられた医術が江戸時代という平和な世の中で融合し、ほかの国には見られない日本独自の発展を遂げたもの。
平和であったがゆえに安定した社会が築かれ、治めるものはその体制を維持し人々が安心して暮らせるように努めることが使命。
医の知識も一部の人間が独占するのではなく、広く人々のために使われました。
「医は仁術」この言葉は理念・理想としてだけではなく、実際に医師らによって実践されました。


「松浦家漢蘭医書箱」
江戸時代以前から対外貿易に関わってきた松浦平戸藩。
藩主の松浦静山らが内外の情報に高い関心を示し、書を収集していました。
それには医学の書も含まれます。


「経絡人形」
不気味としか言えない人形。。
鍼灸における経絡や経穴(ツボ)の学習、診断用人形。
そう、とっても重要なものなのです。


「解剖図譜(五臓六腑図)」
なんだか突っ込みたいところがいっぱいですが。
うん……
肺のひらひらが気になります。


「解剖刀」
怖いです。
こんなものでやられるなんて……
想像しただけで………

《第3章:医は仁術 ~和魂漢才・和魂洋才の医~》
東西の才が「医は仁術」として実践された江戸時代。
他を思いやる「仁」は医の基本ですが、特に日本では「和」を尊び、気配り、気遣い、思いやりが社会文化の根幹としてあり、仁術としての医は、江戸時代において人々が安心して社会生活を営む基本的理念となりました。


「救民妙薬」
水戸徳川家二代目藩主光圀が藩医穂積甫庵に命じて編纂・出版させたもの。
一般民衆の病気救済のために野草などの入手しやすい薬物を使い病気に対処する方法がわかりやすく書かれています。
これは当時の人々に医や健康への関心を促し、大正時代まで使用されたという画期的なものでした。


「薬籠」


「解体新書」
はい、あの教科書に絶対出てくるものです。
蘭学の始まりとなった翻訳書。
3年半の苦労の末に完成しました。


「解体人形」
田口村(長野県佐久市)の農民、小林文素が「解体新書」などを参考に製作したもの。
江戸にいなくても、医師でなくても、医学の情報を手に入れられるって素晴らしい。


「東門先生観臓図巻」
ずらーっと書いてあります。
かなりの情報量。
ですが、小腸と大腸の区別がついていないなど、まだまだこれからって感じがします。


「三之助解剖図」
寛政8(1796)年に行われた解剖の図。
三之助とは死刑人の名前。
せめて最後に役にたってよかったね。。
なかなか生々しいです。


「刑死者解体図」
解剖の一連の流れを描いている珍しいもの。
このあたりはそういった作品が多く、だんだん気が滅入ってきます。。。


「奥田木骨」
文政3(1820)年、大阪の医師奥田万里が池内某に製作させ尾張藩に献納したもの。
ちょっと欲しい。。


「生き人形」
怖い、怖すぎます。。。
人体内部の知識が「解体新書」によって広まり、人々も関心も高まりました。
その関心に応じて見世物として作られたものだそう。。。
あんまり見たくない。。


「大江家医測」
代々中津藩医を務めた大江家に伝わるもの。
"医は仁ならずの術 務めて仁をなさんと欲す"


歌川国貞「房事養生鑑」
女性の体部分、内臓が見える状態で描かれています。
こうやって人々は知る機会を得ていたんですね。

《第4章:近代医学と仁》
明治維新後、新政府はそれまでの漢方に変わって、西洋医学の採用を定め、明治2年に大学東高(東大医学部の前身)を設立してドイツの医学教育をモデルに新しい教育を始めました。


「X線写真」
ちょっとかっこいい。

《第5章:現代の医》
ここでは現在の医学について説明があります。
といっても理解しきれないのですが……
日々研究してくれる方がいるからこそ、こういった展示ができるんですね。


「ヒトiPS細胞の実物」
実際に実験室で培養していたものだそう。
長期保存用にホルマリンで処理して細胞を固定。
淡赤色は人工的に染色。
すごいです。

そして、映像シアターが。
ここでは鉄拳さん描き下ろしの「パラパラ漫画」が上映されています。
テーマは「受け継がれる仁」
うーん、、なんでも流行りに乗ればいいってもんじゃないんじゃない?
鉄拳のこと嫌いじゃないけど、鉄拳と医療ってつながりないじゃん、とか思いつつもちゃんと見てきましたよ!!
……………
前が、、前がよく見えないよ。。。
なんだろ、、目が霞んでいるんですけど。。。
「これ、やばいね」って声が聞こえたけど、やばいどころじゃない量の涙が。笑
私の涙腺がやばい!!!!!
まさかここで泣くとは思わなかった。
化粧ぼろぼろ、、というか、化粧どころじゃなく、ひどかった。。笑
鼻水とかね。。。
江戸時代から現代まで、「仁」をもって医療にあたる医師と、病気やけがに苦しむ患者たち、医療現場で生まれる喜びと悲しみなどが約8分の映像に込められていました。
素晴らしいよ、ぜひ見るべき!!

《終章:医は仁術》
涙が乾かぬうちに移動です。。
第2会場では3Dプリンターによる臓器模型が展示されています。
触ることも持ち上げることも可能。


私も脳や心臓を持ち上げてきましたが、思ったよりも重い。


どういった情報を脳のどこで処理しているのか、などの脳の仕組みもわかりやすく模型で展示です。
かなり大きい。

以上です。
ボリュームたっぷり、涙ありの楽しい展示でした。
過去を知り、未来の医療の形に触れ、とても勉強になります。
おすすめです。



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