RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

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ハイレッド・センター:直接行動の軌跡

2014-02-20 21:30:00 | 美術
見てきました

渋谷区立松濤美術館

会期は2014年2月11日から2014年3月23日。

「ハイレッド・センター」

高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之。
3人の若き芸術家は、「ハイレッド・センター」を結成しました。
三人の姓の頭文字の英訳
高松のHi
赤瀬川のRed
中西のCenter
これを並べた名称「ハイレッド・センター(Hi-Red Center)」
匿名の行動により平穏な日常のなかに「芸術」を持ち込むことで、退屈な日常を「撹拌」しようと試みたのです。
今回の展覧会は、ハイレッド・センター結成50周年を記念したもの。
その「直接行動」を記録した写真や資料を中心に、主要な構成員でもある高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之のオブジェや絵画などの作品群をプラス。
ハイレッド・センターの活動を多角的に紹介するものとなっています。 

ハイレッド・センターは先ほど書いたように、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の3人の名からきているものではありますが、メンバはけっこう流動的。
活動ごとに変化していました。
真っ赤な「!」マークが目印です。
(今回のチラシにも大きく使われています)

まず起こしたのは≪山手線フェスティバル(通称:山手線事件)≫
1962年10月18日。
これには赤瀬川は参加していません。
山手線の車内で顔にドーランを塗ったり、その不気味な姿のまま「コンパクト・オブジェ」と呼ばれるポリエステル製の卵形のものに懐中電灯で光を当てたり。
駅で縄をずるずる引きずったり。。
今ならSNSで拡散されるのでしょうか。。
Chim↑Pomあたりがやってくれそうな感じですね。笑
これの何が芸術なのか、そういったことを問いかけ、活動は始まります。
今回、こういった「直接行動」の記録が展示されています。
この山手線フェスティバルもそのときの写真やコンパクト・オブジェなどが会場に展示されています。

1963年9月7日に行われたものが、≪第5次ミキサー計画≫
新宿・第一画廊での「ハイレッド・センター」を名乗った最初のイベントです。
結成披露です。
岡本太郎がテープカットを行い、作品に座る写真が展示されています。
笑顔が多くて楽しそう。

1964年1月26-27日に行われたものが≪シェルタープラン≫
帝国ホテルの一室で行われたこの行動。
招待状を持った観客の、上下左右からの全身撮影や全身の採寸を行いました。
オノ・ヨーコ、足立正生、横尾忠則らの写真が展示されています。
なんだか、、驚き。

1964年10月16日≪首都圏清掃整理促進運動≫
メンバー全員が白衣にマスク姿。
腕には「!」の腕章。
通行人のなんだあれ、の視線の中で行われたのは銀座の清掃活動。
もうすぐ東京オリンピックだし。
その前にきれいな首都を作らねば、、、ということでしょうが。。
銀座の一部のマンホールやアスファルトなどを雑巾や薬品で不必要なまでに清潔に磨き上げました。
これ、2020年の東京オリンピックに向けてどうでしょう。
HRC、再び!
とかで。。
というより若手が、、Chim↑Pomあたりが。。。
(行動派はなんでもChim↑Pomという、乏しい知識。。泣)
腕の腕章は「↑」マークでお願いします。

さて、おまけでついてきたようなものですが。
1965年≪千円札裁判≫
1963年に印刷所で「千円札を印刷」して芸術作品を作ったことにともない、行われた裁判です。
赤瀬川が「オブジェとしての紙幣」に興味をいだき、千円札をルーペで詳細に観察し、自筆で丹念に、原寸の200倍の大きさに拡大模写した作品を制作。
1963年3月の読売アンデパンダン展で発表します。
が、ここからおもしろく(というのは失礼か。)なっていくのです。
当時起きていた"史上最高の芸術的ニセ札"という「チ-37号事件」(こちらは未解決事件)
これにつながる容疑者として警察の取り調べを受けます。
赤瀬川もその事件を創作のきっかけとし、また捜査当局も当初はそれとの関連を考え捜査を開始したというもの。
が、担当の警察官からは「不起訴になるだろう」といわれたそう。
というのも、赤瀬川が制作したのは「オモテ面だけの1色印刷」
「ニセ札」ではないことは捜査当局側でもすぐに明らかになったから。
しかし、ここで朝日新聞がやらかします。
1963年1月27日に、“自称・前衛芸術家、赤瀬川原平”が「チ-37号事件」につながる悪質な容疑者であると、誇大に報道するのです。
年が変わり翌1964年、検察庁の捜査が再開。
1965年11月に通貨及証券模造取締法違反に問われて起訴され裁判となりました。
これは「貨幣、政府発行紙幣、銀行紙幣、国債証券及び地方債券に紛らわしきものを製造し又は販売することを得ず」という内容であり、捜査当局は赤瀬川の作品が「紙幣に対する社会的信頼を損なうおそれがある」として、起訴しました。
ニセ札を作った場合は「通貨偽(変)造・同行使罪」だそう。
さて、ここから。
裁判所が美術館になるのです。
赤瀬川はあくまで、"千円札のニセモノ"ではなく、"千円札の模型"として作品を製造したことを主張。
また"千円札の模型"が芸術だという理解がない裁判官に向けてアピールするため、高松次郎、中西夏之らが弁護人として「ハイレッド・センター」の活動について法廷で説明。
関係者の前衛芸術作品も裁判所内で多数陳列されるという歴史に残る出来事に。
その時の資料も展示されています。
東京地方裁判所地下倉庫の押収品の写真に今回展示されている作品たちも見えるのです。
ハイレッド・センターの最後の大きな出来事。

資料や写真がメインの展示です。
しかたない。
ここで、直接行動はなかなかできないもの。
でも写真のなかでいきいきとしていた芸術作品たちは飾られていると光を失ったかのよう。
歴史の1ページを身近に感じられる、とても興味深い展示でした。



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