見てきました
森美術館
会期は2014年5月31日から2014年8月31日。
"こどもを通して見る世界"
とのことなので、森アーツミュージアムで開催されていた「子ども展」みたいな感じかな、と想像していました。
「子ども展」は画家が描いた子どもの絵を展示し、大人も子どもも絵画を楽しめる展示でした。
記事はこちら↓
「子ども展 (その1)」
「子ども展 (その2)」
「子ども展 (その3)」
「ゴー・ビトウィーンズ」とは
写真家ジェイコブ・A・リースの生み出した言葉。
19世紀後半のアメリカで、英語が不自由な両親に変わって、いろいろな用事をこなしていた移民のこどもたちのこと。
"媒介者"という意味なのだそう。
私が思っていた展示とはちょっと違ってきそうです。
移民が英語を取得するのはなかなか大変。
でもこどもはすぐに吸収していきます。
文化や言語など異なったものの境界線をひょいっと飛び越えられる、こどもらしい世界がありました。
なかなか説明するのが難しい展示でしたが、簡単に気になった作品を書いていきます。
《1.文化を超えて》
ジェイコブ・A・リース「街に眠る浮浪児たち(「我々以外のこの世のもう半分の人々はどう生きているか」シリーズより)」
ジェイコブ・A・リースは新聞記者として勤務しながら、スラム街の移民を撮影しました。
身を寄せ合うこどもたちなど、その生活がそのまま写されていました。
ほかにも児童労働をテーマにした写真などもありました。
こういった写真は社会的な注目を集めたそうです。
そして彼はフォトジャーナリズムの先駆者と呼ばれるように。
彼自身、デンマークからの移民でした。
宮武東洋「バトントワラーになるのを夢見て練習する少女たち。収容所の中であっても出来るかぎり、子供たちには普通の生活をおくらせる配慮がなされた。(「マンザナー収容所」シリーズより)」
宮武東洋はアメリカ移民の日系1世の写真家。
日米開戦により在米日系人が強制収容所送りとなります。
宮武もカリフォルニア州のロッキー山脈の山あいにあったマンザナー強制収容所に妻子とともに入れられます。
隠し持っていたレンズでカメラを自作し、撮影していたところ、写真に理解のある収容所所長のおかげで公認カメラマンとなりました。
この写真は3人の女の子がバトントワラーの恰好をしてポーズを決めている場面。
収容所内でも元気に過ごしているところを見るとほっとすると同時になんだか胸が痛みます。
他にも美容院で髪を切ったりパーマをかけたりしている写真。
こういったことは気分転換にもなったそう。
影山光洋「エリザベス・サンダース・ホーム 澤田美喜園長と最初に集められた子供たち」
景山光洋は、戦前から戦後にかけての日本の報道写真家。
この写真には一列に並んで座ったこどもとその後ろに笑顔の女性が写っています。
撮影された場所はエリザベス・サンダース・ホーム。
このホームには戦後、日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは自由恋愛の結果生まれたものの、両親はおろか周囲からも見捨てられた混血孤児たちのための施設でした。
戦後、岩崎本家が財産税として大磯駅前の別邸を政府に物納しましたが、1948年に三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘である澤田美喜がこれを募金を集めて400万円で買い戻します。
そして孤児院として設立しました。
写真に収められているこどもたちは第1期生。
ママちゃまと呼ばれ親しまれた澤田の笑顔がとても素敵です。
また、当時はそういったこどもたちに偏見があったため敷地内に小学校と中学校も設立。
聖ステパノ学園小学校・中学校です。
他の写真を見てもこどもの表情が明るく、とても素敵ですが、一番素敵なのはこの澤田美喜でしょう。
たくましい女性です。
ジャン・オー「パパとわたし」
ジャン・オーはニューヨークを拠点に活動する中国生まれの写真家。
ここに写っているのは中国人の少女とアメリカ人の養父。
美しい緑を背景に写っています。
とても幸せそう。
ですが、気になるのは女の子ばかり、ということ。
養子にしたいという要望は女児に多いそうですが。。
《2.自由と孤独の世界》
奈良美智「おたふく風邪」「ミッシング・イン・アクション」「最後のマッチ」
いつもの目のつりあがった女の子。
「ミッシング・イン・アクション」は軍隊用語で"作戦 行動中行方不明"、"戦闘中行方不明"という意味。
ここではこどもの行方不明として使われています。
「最後のマッチ」はマッチを1本手にした少女。
このマッチが燃え尽きてしまったら……と考えずにはいられない。
テリーサ・ハバード / アレクサンダー・ビルヒラー「エイト」
映像作品。
雨のなか、びしょ濡れになりながら自分のバースデーケーキを切る少女。
パーティーのための料理やジュースは雨が入り台無しです。
なんだか切なく、でもなんとなく分かる。
心の中ってきっとこんな感じなんでしょう。
《3.痛みと葛藤の記憶》
クリスチャン・ボルタンスキー「シャス高校の祭壇」
1831年にシャス高校にいたユダヤ人高校生の写真です。
なんども撮影したためちょっとぼやけたようになっています。
この後の運命は、、と想像させるには十分です。
トレーシー・モファット「母の返事、1976年 (「一生の傷 II」シリーズより)」
トレイシー・モファットはアボリジニ出身のオーストラリアの写真家。
これまでの暴言やトラウマの経験を写真で表現したもの。
それには勇気がいたでしょう。
この作品に写っているのはちょっと太った着飾った女の子。
そこに母の返事がなかなか残酷。
こういった言葉、こどもなりに傷つき忘れないのでしょう。
《4.大人と子どものはざまで》
梅佳代「女子中学生」
うーん、文章にするのもちょっとな写真。
思春期特有の悪ふざけといったところ。
梅佳代自身も10代だから撮れたと言っていたようにその勢いを感じます。
フィオナ・タン「明日」
スウェーデンの高校生を1人1人映したもの。
笑ったり、澄ましたり、はにかんだり。
なんて大人っぽいんだ。。。
近藤聡乃「きやきや」
胸がむずむずするアニメ。
なんだか不思議で懐かしい気分になるような。。
少女が3つの時間を生きるようすなのですが、優しい絵と穏やかな流れがとても素敵な作品。
《5.異次元を往来する》
塩田千春「どうやってこの世にやってきたの?」
これはかなり興味深く面白い。
小さいこどもたちに生まれる前のことや生まれてきたときのことを聞いているのです。
そしてこどももたどたどしいながらにしっかりと答えているのです。
女の子が「生まれるのも大変なの」と。
なかなか衝撃的。
そして、あぁ、そうだよなぁ、と。
リネカ・ダイクストラ「女の人が泣いています(泣く女)」
これもおもしろかった。
映像作品。
リバプールの小学生たちが口々にしゃべっています。
"ひどい顔"
"怒っている"
"じつは幸せ"
これはピカソの「泣く女」を見ての感想なのです。
私たちが今この作品を見たらピカソということとタイトルから何が描いてあるのかわかってしまいます。
でも先入観なしでこどもの視点で見るとこう感じるのか、と。
新鮮でした。
以上になります。
なかなか興味深く面白いものでした。
そして人は大人になるにつれ、何かをどこかへ落としてきてしまうんですね。
いや、捨てているのかな。。
こどもを通して新しい発見のある展示でした。
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森美術館
会期は2014年5月31日から2014年8月31日。
"こどもを通して見る世界"
とのことなので、森アーツミュージアムで開催されていた「子ども展」みたいな感じかな、と想像していました。
「子ども展」は画家が描いた子どもの絵を展示し、大人も子どもも絵画を楽しめる展示でした。
記事はこちら↓
「子ども展 (その1)」
「子ども展 (その2)」
「子ども展 (その3)」
「ゴー・ビトウィーンズ」とは
写真家ジェイコブ・A・リースの生み出した言葉。
19世紀後半のアメリカで、英語が不自由な両親に変わって、いろいろな用事をこなしていた移民のこどもたちのこと。
"媒介者"という意味なのだそう。
私が思っていた展示とはちょっと違ってきそうです。
移民が英語を取得するのはなかなか大変。
でもこどもはすぐに吸収していきます。
文化や言語など異なったものの境界線をひょいっと飛び越えられる、こどもらしい世界がありました。
なかなか説明するのが難しい展示でしたが、簡単に気になった作品を書いていきます。
《1.文化を超えて》
ジェイコブ・A・リース「街に眠る浮浪児たち(「我々以外のこの世のもう半分の人々はどう生きているか」シリーズより)」
ジェイコブ・A・リースは新聞記者として勤務しながら、スラム街の移民を撮影しました。
身を寄せ合うこどもたちなど、その生活がそのまま写されていました。
ほかにも児童労働をテーマにした写真などもありました。
こういった写真は社会的な注目を集めたそうです。
そして彼はフォトジャーナリズムの先駆者と呼ばれるように。
彼自身、デンマークからの移民でした。
宮武東洋「バトントワラーになるのを夢見て練習する少女たち。収容所の中であっても出来るかぎり、子供たちには普通の生活をおくらせる配慮がなされた。(「マンザナー収容所」シリーズより)」
宮武東洋はアメリカ移民の日系1世の写真家。
日米開戦により在米日系人が強制収容所送りとなります。
宮武もカリフォルニア州のロッキー山脈の山あいにあったマンザナー強制収容所に妻子とともに入れられます。
隠し持っていたレンズでカメラを自作し、撮影していたところ、写真に理解のある収容所所長のおかげで公認カメラマンとなりました。
この写真は3人の女の子がバトントワラーの恰好をしてポーズを決めている場面。
収容所内でも元気に過ごしているところを見るとほっとすると同時になんだか胸が痛みます。
他にも美容院で髪を切ったりパーマをかけたりしている写真。
こういったことは気分転換にもなったそう。
影山光洋「エリザベス・サンダース・ホーム 澤田美喜園長と最初に集められた子供たち」
景山光洋は、戦前から戦後にかけての日本の報道写真家。
この写真には一列に並んで座ったこどもとその後ろに笑顔の女性が写っています。
撮影された場所はエリザベス・サンダース・ホーム。
このホームには戦後、日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは自由恋愛の結果生まれたものの、両親はおろか周囲からも見捨てられた混血孤児たちのための施設でした。
戦後、岩崎本家が財産税として大磯駅前の別邸を政府に物納しましたが、1948年に三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘である澤田美喜がこれを募金を集めて400万円で買い戻します。
そして孤児院として設立しました。
写真に収められているこどもたちは第1期生。
ママちゃまと呼ばれ親しまれた澤田の笑顔がとても素敵です。
また、当時はそういったこどもたちに偏見があったため敷地内に小学校と中学校も設立。
聖ステパノ学園小学校・中学校です。
他の写真を見てもこどもの表情が明るく、とても素敵ですが、一番素敵なのはこの澤田美喜でしょう。
たくましい女性です。
ジャン・オー「パパとわたし」
ジャン・オーはニューヨークを拠点に活動する中国生まれの写真家。
ここに写っているのは中国人の少女とアメリカ人の養父。
美しい緑を背景に写っています。
とても幸せそう。
ですが、気になるのは女の子ばかり、ということ。
養子にしたいという要望は女児に多いそうですが。。
《2.自由と孤独の世界》
奈良美智「おたふく風邪」「ミッシング・イン・アクション」「最後のマッチ」
いつもの目のつりあがった女の子。
「ミッシング・イン・アクション」は軍隊用語で"作戦 行動中行方不明"、"戦闘中行方不明"という意味。
ここではこどもの行方不明として使われています。
「最後のマッチ」はマッチを1本手にした少女。
このマッチが燃え尽きてしまったら……と考えずにはいられない。
テリーサ・ハバード / アレクサンダー・ビルヒラー「エイト」
映像作品。
雨のなか、びしょ濡れになりながら自分のバースデーケーキを切る少女。
パーティーのための料理やジュースは雨が入り台無しです。
なんだか切なく、でもなんとなく分かる。
心の中ってきっとこんな感じなんでしょう。
《3.痛みと葛藤の記憶》
クリスチャン・ボルタンスキー「シャス高校の祭壇」
1831年にシャス高校にいたユダヤ人高校生の写真です。
なんども撮影したためちょっとぼやけたようになっています。
この後の運命は、、と想像させるには十分です。
トレーシー・モファット「母の返事、1976年 (「一生の傷 II」シリーズより)」
トレイシー・モファットはアボリジニ出身のオーストラリアの写真家。
これまでの暴言やトラウマの経験を写真で表現したもの。
それには勇気がいたでしょう。
この作品に写っているのはちょっと太った着飾った女の子。
そこに母の返事がなかなか残酷。
こういった言葉、こどもなりに傷つき忘れないのでしょう。
《4.大人と子どものはざまで》
梅佳代「女子中学生」
うーん、文章にするのもちょっとな写真。
思春期特有の悪ふざけといったところ。
梅佳代自身も10代だから撮れたと言っていたようにその勢いを感じます。
フィオナ・タン「明日」
スウェーデンの高校生を1人1人映したもの。
笑ったり、澄ましたり、はにかんだり。
なんて大人っぽいんだ。。。
近藤聡乃「きやきや」
胸がむずむずするアニメ。
なんだか不思議で懐かしい気分になるような。。
少女が3つの時間を生きるようすなのですが、優しい絵と穏やかな流れがとても素敵な作品。
《5.異次元を往来する》
塩田千春「どうやってこの世にやってきたの?」
これはかなり興味深く面白い。
小さいこどもたちに生まれる前のことや生まれてきたときのことを聞いているのです。
そしてこどももたどたどしいながらにしっかりと答えているのです。
女の子が「生まれるのも大変なの」と。
なかなか衝撃的。
そして、あぁ、そうだよなぁ、と。
リネカ・ダイクストラ「女の人が泣いています(泣く女)」
これもおもしろかった。
映像作品。
リバプールの小学生たちが口々にしゃべっています。
"ひどい顔"
"怒っている"
"じつは幸せ"
これはピカソの「泣く女」を見ての感想なのです。
私たちが今この作品を見たらピカソということとタイトルから何が描いてあるのかわかってしまいます。
でも先入観なしでこどもの視点で見るとこう感じるのか、と。
新鮮でした。
以上になります。
なかなか興味深く面白いものでした。
そして人は大人になるにつれ、何かをどこかへ落としてきてしまうんですね。
いや、捨てているのかな。。
こどもを通して新しい発見のある展示でした。
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