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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

米中の「戦略的握手」はあり得ない

2011-12-24 | 日記
リチャード・L・アーミテージ ジョセフ・S・ナイJr 春原剛 『日米同盟 vs. 中国・北朝鮮』 ( p.70 )

春原 二十世紀の冷戦時代には対ソ連ということで「チャイナ・カード」という概念もありました。つまり、「敵の敵は味方」ということで、ソ連をけん制するために中国との戦略的接近を米国は試みたわけです。ニクソン・キッシンジャーによる秘密対中外交を支えた考え方ですね。その冷戦も終わった二十一世紀の今日、全く別次元の発想で、「ネオ・チャイナ・カード」のような考え方は米国でこの先も生まれてはこないでしょうか?

アーミテージ 米国も中国もどの国も人口統計と切り離して考えることはできません。今、世界では様々なことが同時に起きていて、我々には弄ぶ「カード」などないのです。ロシアはもはや、ソ連ではなく、日本ほどではありませんが米国よりも古い国です。一方、米国はヒスパニック系の移民によって若返っています。中国も老化が激しく、BRICsと呼ばれる国々、ブラジルやインド、そしてトルコが新たな大国として台頭しています。新しいプレーヤーが生まれ、これまでとは違ったパワー・センターが生まれつつあります。EUももちろん、そこにはいります。彼らの経済規模は十六兆ドルにもなるのです。米国、中国、EU、そしてもちろん、日本。さらにブラジル、トルコ、インドなどがこれに加わってくるでしょう。

ナイ 「チャイナ・カード」という考え方はソ連に対してのみ、通用する論法です。ベトナム戦争後、ニクソンとキッシンジャーはソ連とどう向き合うべきかと考えました。その上で、対中関係を改善することが対ソ連で事実上の同盟関係を作りだすと考えたのです。
 ですから、今日、「チャイナ・カード」云々を論じる意味はありません。一体、誰に対して、そのカードを切るのですか。日本は我々の同盟相手です。ロシアももはや脅威ではなく、カードとして使う必要はありません。その論法は四十年前に通用したものなのです。

春原 それは頭ではわかっていても日本には一九七〇年代のニクソン政権による頭越しの米中和解がトラウマとなっていて、いつかまた、米中間で「戦略的握手」があるのではないかと警戒する空気も強いのです。

ナイ 米中による戦略的握手はあり得ないと思います。第一に、米国は日本を脅威とみなしていません。むしろ、中国を脅威と見ているのです。勢力均衡の観点から言って、中国にスイッチする意味は不明です。加えて、日本は民主国家であり、とても多くの接点もあります。中国は民主国家ではなく、近い将来、そうなる可能性もありません。

アーミテージ ちょっと待って下さい。起こりもしないことにコメントする気はありません(笑)。確かに「なんとかショック」の衝撃は理解します。しかし、もう四十年も前のことですよ。そして(米中接近の原因となった)冷戦が終結してから二十二年も過ぎている。もちろん、(米中間の戦略的接近にも)可能性は少しはあるかもしれません。しかし、そんなことが起こるはるか以前に、我々の関係(日米同盟)はダメになっていることでしょう。

春原 そういう国際情勢の中で、日本と米国、中国という三ヵ国が織りなす「三角形」はどのように進化していくでしょうか?

アーミテージ 日米中の三角関係というものは存在しますが、それは決して正三角形などではあり得ません。米国と日本からもっとも遠く、長い辺の先に中国があるのです。まあ、イメージとしては二等辺三角形でしょうか……。

春原 中国の戦略は米中間の一辺をより短く強固にし、日米間の一辺をより遠く、ぜい弱なものにすることでしょうね。

アーミテージ それは米中間で同盟関係を構築する、という意味ですか?

春原 いや、というよりもある種の「戦略的パートナーシップ」のようなものが米国内の専門家の間でも語られているのではないですか?

アーミテージ 「戦略的(Strategic)」ですか。それこそ、私が(米中関係において)もっとも使いたくない言葉です。

春原 そして、中国が米国との関係で使いたがる言葉ですね。

アーミテージ だから、私は(ブッシュ政権時代)米中対話を「ハイレベル対話」と名付けたのです。「戦略的」という言葉は我々の同盟国のためだけにあるのです。

春原 クリントン政権時代、ナイ教授は日米中による戦略対話の実現に奔走していましたが、結局、うまくは行きませんでしたね。

ナイ 我々が考えていたのは、日米中の三角関係が東アジアの安定度合いを大きく左右するということです。日米中のそれぞれの二国間関係が良好になることを望んでいました。それは結果的に地域の安定を増し、信頼を醸成し、より大きな経済成長をもたらすと思ったからです。
 ただ、この三角形は正三角形ではありえません。なぜなら、我々は日本と同盟関係にあるからです。一方で日米両国が中国と良好な二国間関係を築くことは良いことです。日中関係、あるいは米中関係が悪化することは好ましくありません。

(中略)

春原 日米中の三角関係については以前、ナイ教授が日米同盟を夫婦関係にたとえたことに倣って、男女間の三角関係に似ていると話したことがありましたね。

ナイ ええ、日本から見て、中国が「魅力的な女性」という、あれですね(笑)。

春原 日本からすれば、同盟関係にあるわけですから、我々が「正妻」の座にある。中国は米国を誘惑する魅惑的な女性です。一方、中国にしてみれば、「第二次世界大戦で共に大日本帝国と戦ったのは我々だ」となり、戦後、急速な経済成長で存在感を増した日本が「亭主を誘惑する若い女性」となります。男女同権時代に即して誤解を排せば、このたとえで男女を逆にしても同じです。いずれにせよ、ここでのポイントは米国との関係を巡る日本と中国の争いはともすると感情的、情緒的になりやすい部分があるということです。ちょうど、人間同士の三角関係のように。だから、その狭間に立つ米国には細心の注意を求めたいのです。

ナイ それはそうですね。実際、私が「ナイ・イニシアティブ」と呼ばれた、日米安保条約の再確認(Reaffirming)を協議していた時、ある日本の政府関係者が公式協議の後、深夜遅くになって「中国が(経済的に)今後も成長すれば、あなた方は日本から中国に乗り換えるのですか」と聞いてきました。私の返答はもちろん、「ノー」でした。そんなことが可能だとは思えません。理由はすでに述べた通りです。我々は今後も日本を脅威と見なすことはないでしょう。民主主義という絆でも結ばれていますしね。でも、中国はそうではない。

春原 先ほど触れた日米中の戦略対話ですが、まだ中国はそうした考えを受け入れる態勢にはなっていないと思いますか?

ナイ ええ、そうですね。将来、それが動き出すのを期待していますが。たとえば、環境保護の技術開発などから話し合いを始めれば良いのです。


 米国が日米同盟を破棄して、中国に乗り換えることはない。米中の「戦略的握手」はあり得ない。なぜなら米国は日本を脅威とは看做しておらず、中国を脅威と看做しているからである、と書かれています。



 今回の引用部分が示しているのは、田中宇さんなど、一部の人々のあいだで語られている可能性、すなわち、
米国は中国と対立するのを避けるために (中国から米国が攻撃されるのを防ぐために) 米国は中国と戦略的握手をする
という可能性が「まったくない」ことを示しています。

 米国が日本から中国に乗り換える可能性がない、というのは、本当だと思います。

 中国の軍事力が米国を凌駕しているか、少なくとも中国が米国と対等の軍事力を有しているのであれば、そのような可能性も考えられますが、「米中G2体制はあり得ない」などで(私が)書いているように、いま、そのような状況ではありません。米国の軍事力は、中国を圧倒しているのですから、米国にしてみれば「なにゆえに中国を恐れなければならないのか」ということになります。



 このような現状を前提とすれば、一時期、中国が米国に対し、「太平洋の東半分は米国が、西半分は中国が覇権を握る」話を持ち掛けたといわれていますが、米国にしてみれば、そんなものは「まともに考慮するに値しない」ということになります。米国からすれば、笑い話のようなものでしょう。

 もっとも、そこには中国の「(中国の力に対する)過信・自信」が現れてはいます。だからこそ、(おそらく)米国は中国に対し「米国国内の軍事施設の視察」を許しているのでしょう。つまり、「思い上がるな」「調子に乗るな」と中国に伝えようとしているということです。



 私の理解が「正しい」とすれば、

 春原さんが「米国は本当に、日本から中国に乗り換えないのか」と執拗に確認しているのは、なさけないという感じがしなくもありません。もちろん、その気持ちはわかります。そしてまた、米国の意図を確認することは重要だとは思います。

 しかし、現実問題として、
米国の立場に立ってみれば、そんなことは「あり得ない」
と考えられる以上、あまりに執拗な確認は不要だと思います。そもそも、米国が中国に乗り換えてもよいと思っているなら、確認したところで、「はい。われわれ米国は、日米同盟を破棄し、中国と同盟を結ぶことも考慮しています」などと答えるはずがありません。



 もっとも、上記「執拗な確認」の背景には、中国の核保有などがあると思われます。「核さえ持っていれば(米国と)対等になれる」というのは大きな勘違いだとは思いますが、それについては、今後、さらに考えます。



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米中G2体制はあり得ない

2011-12-23 | 日記
リチャード・L・アーミテージ ジョセフ・S・ナイJr 春原剛 『日米同盟 vs. 中国・北朝鮮』 ( p.68 )

春原 オバマ政権が発足する頃、米国内では中国の台頭を視野に入れて、「米中G2体制」なる言葉が盛んに取り沙汰されていました。今となってはそれも「幻想」に過ぎなかったと多くの人が認めていますが、改めて米中G2論についてご意見を聞かせて下さい。

ナイ G2体制というコンセプトについて、私は常にあまり良くない考えだと思っていました。というのも、その考え方には、あたかもどんな問題でも(米中の)二ヵ国で解決できるかのような響きがあったからです。つい最近まで世界第二位の経済大国だった日本や、実際には米経済よりも大きな欧州連合(EU)のことを視野に入れていないのです。

アーミテージ 私はその考え方が大嫌いでした。そして中国人も嫌っていたと思います。中国にとって、G2体制は過剰な圧力の素なのです。それに比べ、(インドやブラジルなどを入れた)G20体制は歓迎です。これが使える枠組みとなって満足しています。G2などという言葉は中国の虚栄心をくすぐりはするでしょうが、それは同時に彼らからしてみれば何かを強要されることになるため、実際には忌み嫌うのです。

春原 G2と同義語で「チャイナメリカ(Chinamerica)」というのもありました。そう言えば、かつては「アメリッポン(Amerippon)」などという造語もありましたね(笑)。

ナイ ここで考えなければならないのは中国と協力する方法を学び、中国の意見を聞きとるフォーマットを作ることが有益であるということです。たとえば、主要国首脳会議(G8)には中国が入っていないのですから、G8は中国を含まないがゆえ、かつてほど有効ではなくなりました。しかし、G2は日本もEUも含まないのですから有益とはとうてい思えないのです。
 一方、G20というコンセプトは中国を含め、より多くのアジア諸国が含まれていて、それは良いことだと思います。ただ、G20はとても大きいので、今後は何がしかのフォーマットというか、違う枠組みも考えなければならないとは思います。いずれにせよ、G2というのが進むべき正しい道筋だとは思いません。

春原 一番簡単な方法はG8に中国を加盟させて、G9にすることでしょうか? もちろん、中国はそれには消極的なわけですが……。

ナイ それは可能でしょう。中国が同意するかどうかはわかりませんが。加えて、インドやブラジル、南アフリカ共和国なども参加を望むのではないでしょうか。この枠組みはすでに「G8プラス5」ということで成立していますが。今後は新しい国際的な枠組みを時間をかけて考えていかなければなりません。(G8やG2といった)一つの枠組みだけで全ての物事を網羅することなどできはしないのです。

春原 いま言及された「G8プラス5」は実質的には国連安全保障理事会の「拡大版」のようでもありますね。

ナイ そういうことになりますね。


 アーミテージ氏もナイ氏も、G2には否定的であり、中国もG2には否定的である旨、書かれています。



 アーミテージ氏は米国共和党の、ナイ氏は米国民主党の安全保障問題の大御所です。したがって、米国では、共和党も民主党も、米中G2には否定的であることがわかります。

 中国もG2には否定的である、というところも興味深いですね。

 アメリカも中国も、G2には否定的である以上、現実問題として、田中宇さんが主張していた米中G2体制などは、「あり得ない」ということになります。



 一部では「米国の弱体化・覇権の喪失」が主張されています。しかし、かつてほど圧倒的ではなくなったとはいえ、他国に比べ、米国の力はまだまだ圧倒的ですし、かつてほど国力が弱くないとはいえ、中国の力は圧倒的ではありません。米中G2体制論は、米国の弱体化・中国の強大化という「傾向」のみを捉え、「現在のレベル」を無視した論説だと言ってよいと思います。

 実際、
  1. 米国は「ヒラリー・クリントン国務長官の外交問題評議会での講演」において、他国と協調・協力する姿勢を打ち出しつつも、アメリカが指導的立場をとることを明言していますし、
  2. 中国は「中国人民解放軍総参謀長の発言(台湾問題)」において、中国の軍備は米国に遥かに及ばない、20年は遅れている、とても悲しい、と語っています。
 米中G2体制など、「あり得ない」と考えてよいでしょう。



 田中宇さんのように、米国の弱体化・中国の強大化を主張する人々もいますが、「傾向」としてはともかく、「現在」の情勢判断としては、それらは誇張が過ぎるのではないかと思います。

オバマ大統領はビジネスライク

2011-12-22 | 日記
リチャード・L・アーミテージ ジョセフ・S・ナイJr 春原剛 『日米同盟 vs. 中国・北朝鮮』 ( p.54 )

アーミテージ 長年、この仕事をやっていて学んだことの一つは外交政策において、最も重要なのは人間関係だということです。たとえば、私と加藤良三氏(前駐米大使)の関係もそうです。もちろんそれぞれの国を背負っているわけですから、それぞれの国益を考えて行動するわけですが、それでもこうした人間関係が実際にはとても重要になります。
 この点において、私は実はオバマ大統領には非常に不安を覚えています。なぜなら、彼は一切の人間関係を拒むからです。

春原 日本人との、ですか?

アーミテージ すべての人とのです。

(中略)

春原 オバマ大統領は非常に「孤高の人」だという噂は聞いたことがありますが……。

アーミテージ 孤高とか孤立とかいうのとは違います。すべての関係がビジネスライク(It's all business)なのです。昨日、とある中東の国の大使と会った際、彼は「オバマ大統領には大変失望した」と漏らしていました。「なぜなら、彼は我が国の指導者たちと人間関係を築こうとしないからだ」とね。実はこの種のオバマ批判はそこら中で耳にしています。豪州、アジアのいたるところ、そして欧州でもです。

春原 どうしてでしょう?

アーミテージ いま言ったように「ビジネスライク」なのです、彼は。それが彼流なのでしょう。

春原 性格的な問題を言っているのですか?

アーミテージ さあ、その原因が何なのかはわかりません。彼の家族から来ているのか、育ちに関係があるのか、白人社会と黒人社会の双方に足場を築いていることに根ざすものなのか……。

春原 つまり、オバマ大統領は「人間として付き合うのが難しい人」だ、と?

アーミテージ いえ、「難しい(Difficult)」というよりは「少し違う(Different)」といった感じでしょうか。ブッシュ大統領について、人は今でも「イデオロギー色が強過ぎた」とか「付き合うのが難しかった」とか色々言いますが、少なくとも一対一で会う時のブッシュ大統領は違いました。つまり彼は人間が好きでした。そして、彼は個人的な人間関係を好んでいました。小泉純一郎首相、それに(国家元首として相対する時間が短かった)麻生太郎首相ともそうでした。

春原 ややイデオロギー色が強かったとしても、人間としての「可愛げ(Charm)」があったということですね。

アーミテージ そうです! 彼(ブッシュ大統領)はとてもチャーミングだった。もちろん、オバマ大統領は世界に対して、米国のより良い顔となり、それほどイデオロギー一色にも染まっていないと訴えています。ただ、彼自身の人間関係に対する姿勢は周囲の人間を困惑させているのです。

春原 同じ民主党の大統領でもビル・クリントン氏とは全く違う?

アーミテージ 一〇〇%違います。彼(クリントン)は(人間に好かれるという意味で)ベストでした。一方のオバマ大統領はと言えば、(周囲の人間を容易に信用しないことで有名だった)リチャード・ニクソンの方がまだましに思えるぐらいですよ。


 オバマ大統領は、すべての関係がビジネスライク(It's all business)であり、各国の要人には「オバマ大統領には大変失望した」「なぜなら、彼は我が国の指導者たちと人間関係を築こうとしないからだ」という声が多い。オバマ大統領には「可愛げ(Charm)」がない、と書かれています。



 周囲には、オバマ大統領が「個人的な人間関係を拒否している」ように映る。オバマ大統領は「(どちらかといえば)人に好かれない」タイプである――。

 これは重要な情報だと思います。



 この(オバマ大統領の)人物像は、習近平が「人に好かれる」タイプであることと、対照的です。

 外交において、「人に好かれる」かどうかは重要だと思います。とすれば、オバマ大統領が再選されれば、米中関係は中国に有利な流れになる可能性がありますね。もちろん、アジア情勢にも影響してきます。

 とすれば、日本にとってはオバマが再選されないほうがよいのかもしれません。



 それはともかく、

 オバマ大統領は選挙に勝つために、経済対策を積極的に打ってくると予想されます。大統領選がどうなるかはわかりませんが、アメリカ経済は復活してくるのではないかと思います。



REUTERS」の「11月米住宅着工件数は2010年4月以降最大、予想上回る9.3%増」( 2011年 12月 21日 01:00 JST )

[ワシントン 20日 ロイター] 米商務省が20日発表した11月の住宅着工・許可統計によると、着工件数は季節調整済みの年率換算で68万5000戸となり、前月比9.3%増、前年比24.3%増となった。賃貸物件の需要増を追い風に着工件数は2010年4月以降最大となり、米住宅市場の回復が始まっている可能性が示された。
エコノミストは63万5000戸に増加すると予想していた。

4キャストのエコノミスト、ショーン・インクレモナ氏は「住宅市場は抑制された水準から徐々に上向いており、住宅市場にとって明るい内容」と指摘。「需要が低かった水準から上げてきていることは健全な動きだ」と述べた。

ただ着工件数は、2006年1月につけた227万3000戸のピークと比べると3分の1の水準にも満たない。住宅在庫の積み上がりや価格低迷に加え、米国では失業率は依然として高く信用基準も厳しいことから、2007─09年の景気後退の主因となった住宅市場が完全に回復するには、まだ時間がかかるとみられている。

11月の着工件数は、集合住宅が25.3%増の23万8000戸と、2008年9月以来の高水準となった。1戸建て住宅は2.3%増の44万7000戸。

着工件数の先行指標となる住宅着工許可件数は、前月比5.7%増の68万1000戸。エコノミストは63万5000戸に減少すると予想していた。

許可件数のうち、集合住宅は13.9%増加し、2008年10月以来の高水準となった。1戸建て住宅は1.6%増。

完成した住宅の数は5.6%増の54万2000戸となった。




■関連記事
 「イスラエルは追い込まれているが、当面は妥協しない
 「習近平の友人に対する態度



■追記
 タイトルを「オバマ大統領はビジネスライク」に変更しました。

「横暴に振る舞うな」というシグナル

2011-12-21 | 日記
リチャード・L・アーミテージ ジョセフ・S・ナイJr 春原剛 『日米同盟 vs. 中国・北朝鮮』 ( p.43 )

春原 尖閣諸島周辺で発生した中国漁船と日本の海上保安庁所属の巡視船による衝突事故は結局、日本の検察当局が異例の外交的配慮をもって、当該船長を釈放するという "政治決着" となりました。この間、中国はレア・アースの対日禁輸を匂わせたり、温家宝首相がニューヨークで「断固たる措置を取る」と発言するなど日本を陰に陽に脅す行動も見せました。
 こうした中国側の行動は日本にこれまでとは別種の、大きなインパクトをもたらしたと思います。かつて小泉純一郎首相が靖国神社への参拝を強行した際も日中関係は悪化しましたが、多くの日本人の対応は冷静でした。中国の "内政干渉" にも不快感はありましたが、同時に過去の戦争への贖罪感も手伝って全般的に感情的な対応は少なかった。しかし、今回の尖閣諸島の帰属を巡る強引な対応には多くの日本人が怒っています。事件後、中国を「悪しき隣人」と切り捨てた枝野幸男民主党幹事長代理の発言は多くの日本人の声を率直に代弁していると思います。ある意味、日本に自らの安全保障の脆弱さを見つめ直させるターニング・ポイントになっているかもしれません。

ナイ この事件について、日本はうまく対処したと思います。同時にクリントン国務長官が日本を支持する声明(尖閣諸島は日米安保条約の対象範囲という趣旨)を出したことにも満足しています。この事に関して、日本が謝罪や賠償などをする必要は一切ないと私は思います。中国は一連の行動を取ることによって、間違いを犯しました。結果的に中国の行動は周辺各国を「対中国」でまとめあげ、中国がアジア地域で強化しようとしてきたソフト・パワーを傷つけることにもなったからです。

(中略)

春原 アジア太平洋地域での海洋権益拡大を目指す中国は今や「第一列島線(九州を起点に沖縄、台湾、フィリピンを結ぶライン)」を越え、「第二列島線(小笠原諸島、グアム、インド洋を結ぶ西太平洋のライン)」も視野に入れているわけですが……。

アーミテージ それで日本はどうするのですか?

春原 とりあえず、沖縄米軍・普天間基地の「能力」も含め、米軍の前方展開戦力を堅持してもらうしかないでしょうね(苦笑)。

アーミテージ もちろん、それも一つですね。ただ、日本はもう少し、防衛費にお金をかけることもできるでしょう? 中国が軍備拡張を続けているにもかかわらず、日本は過去十年間で実質五%も防衛費を削減しています。それはいただけませんね。たとえば、憲法第九条を破棄したらどうでしょう? そうした行動の一つ、一つが中国にシグナルを送ることになるのです。つまり、「けんか腰に振る舞えば、それなりのしっぺ返しに遭うぞ」ということを伝えるのです。
 逆に日本が「(防衛費増額などは)ムズカシイ(難しい)」などと反応すれば、中国は「けんか腰の態度でも大丈夫だ」と思ってしまう。そのような展開に私は本当に苛立つのです。憲法九条の問題があることは理解していますが、ではソマリアでの(自衛隊も参加している多国籍での)海賊対策は一体、何なのですか? 憲法九条に違反すること(日本周辺での軍事力の増強など)とソマリアでの行動の一体、何が違うというのでしょうか?


 尖閣諸島沖漁船衝突事件などで、中国は日本に「けんか腰」に振る舞っている。その背景には、日本が「結果的に」このような中国の態度を許容してきた経緯がある。その中国はいまや、アジア太平洋地域での海洋権益拡大を目指しつつある。日本は中国に対して、「横暴に振る舞うな」というシグナルを送るべきである、と書かれています。



 この主張はもっともです。

 中国が「けんか腰」に振る舞っても大丈夫だと思っているかぎり、いつまで経っても、中国の態度は変わりません。

 問題は、「どのようなシグナルを送るべきか」です。



 当時(尖閣諸島沖事件当時)、日本の国内には、中国に対して「大人の対応」をすべきである、といった意見がみられました。日本も「けんか腰」になれば、日本は中国と同じレベルになってしまう。したがって、日本は「大人の対応」をすべきである、という主張です。

 たしかにこの主張には一理あります。

 しかし問題は、日本が「大人の対応」を続けていれば、中国は「けんか腰」に振る舞っても大丈夫だと考え、どんどん横暴になることです。



 それでは、どうすべきでしょうか。

 そうです。あまり横暴な態度をとり続けていると、「あなたが」痛い目にあいますよ、というシグナルを送ればよいのです。



 しかし、ここで問題があります。どのようなシグナルを送るべきか、という問題です。

 「やられたらやり返す」というのも、ひとつの手です。しかし、それでは最初に述べた問題、すなわち「日本は中国と同じレベルになってしまう」という問題が生じます。

 この観点でみて、アーミテージ氏の述べる方法、「日本はもう少し、防衛費にお金をかける」「憲法第九条を破棄」などは、優れていると思います。この方法であれば、上記の問題は生じないからです。



 私はこのブログで防衛費の増額、9条破棄などを主張しています。

 私のような主張に対しては「軍拡競争になる」などの反対意見もありますが、こちら(日本)が丁寧な対応を続けるかぎり、相手(中国)の横暴な態度は変わりません。「軍拡競争になる」などと言っている場合ではないと思います。

 考えてもみてください。
  1. いま、こちら(日本)は丁寧な「大人の対応」を続けているにもかかわらず、相手(中国)は軍事力を強化しつつ、横暴な態度に出ている。
  2. もし、こちら(日本)が防衛費を増額し、9条を破棄すれば、相手(中国)はもっと軍事力を強化する。
 この状況は、こちら(日本)がどのような態度に出ようと、相手(中国)は軍事力を強化する、ということです。中国がどんどん軍事力を強化しているにもかかわらず、
「軍拡競争」を避けるために、日本は軍事力(=防衛力)を強化すべきではない
という主張は、どこか「おかしい」と思いませんか? これって、「けんか」を避けるために「殴られても抵抗するな。我慢しろ」と(ほぼ)同じだと思います。

 このままだと、あなたが(中国が)痛い目にあいますよ、あなたに(中国に)不利になりますよ、というシグナルを送ることも必要ではないでしょうか?



 私の場合も、

 「弁護士による「詭弁・とぼけ」かもしれない実例」や「改革が必要なのは検察庁だけではない」などで紹介した弁護士さんは、こちらが「大人の対応」をしているにもかかわらず、私のほか、他の弁護士さんにも「怒鳴りつける」など、横暴な態度に出ていましたが、

 ブログでときどき実名を挙げているにもかかわらず、(その弁護士さんから)まったく苦情等がありません。「なんだ~あ? それは?」といった、ヤクザまがいのコメントも、まったくありません。

 実名を挙げていることが、一種のシグナルになっているのかもしれません。



 なお、このところすこし疲れているためか、体調がすぐれません。(年内にこの本を終えるに越したことはないので)復活後は再び、可能なかぎり複数記事を投稿したいと思います。

対等な日米関係

2011-12-20 | 日記
リチャード・L・アーミテージ ジョセフ・S・ナイJr 春原剛 『日米同盟 vs. 中国・北朝鮮』 ( p.34 )

春原 冒頭から機微に触れる質問で行きますが、鳩山由紀夫前首相が掲げた「対等な日米関係」について、どう思われますか?

アーミテージ 最初に感じたのは、鳩山氏は日米同盟というものをきちんと理解していないのだということです。米国が維持している国防費の規模や軍事力、そして世界最大の経済力ということを考えれば、日米関係は対等ではないのです。
 一方で、双方の考えに耳を傾け、相談するという観点に立てば、それは対等であるとも言えます。身近な例で言えば、私が国務副長官の時、外務省の竹内行夫次官とは日米戦略対話を重ね、竹内次官は当時、米国が何を考えているかを完全に理解していたはずです。もし、これを「対等」と呼ばないのであれば、我々は誰にも「対等な関係」など与えることはできない。もちろん、中国に対しても、です(笑)。だから、「対等な日米関係」という鳩山氏の言葉はとてもナイーブなものだと私は思います。

ナイ 真に対等な関係を築くためには、日本は核兵器を独自に開発し、独自の外交を実現するという決断をくださなければなりません。しかしながら、私は日本が独自の核を開発し、防衛政策において完全な自主・自立を求めているとは思いません。
 もちろん、そういった意味において、このパートナーシップにはある種の不平等があるというのは事実です。なぜなら、米国は核を保有する超大国であり、日本はそうならないことを決めたからです。
 一方、この関係は別の意味ではもちろん、平等なパートナーシップでもあります。たとえば、法的(国際法上)には、双方は完全に平等な立場にあります。仮に日本が明日にでも在日米軍兵力の国外退去を求めるのであれば、日本はそうできるのです。でも、実際には軍事的な不均衡、非対称性があり、不平等でもあります。それは単純に表現上の問題と言えるでしょう。

春原 それは二国間同盟という文脈においてですね。

ナイ そうです。言い換えるとすれば、日本は現在のようにGDPの一%ではなく、四%を防衛費に充てなければならないでしょう。そして、核兵器も開発する。そうすることで、事実上も「平等」を手に入れるわけです。しかし、実際にはすでに(日米が)平等であるとも言いました。つまるところ、それは一体、「平等」という言葉で何を意味しようとしているか、という点に尽きるわけです。

(中略)

春原 鳩山氏の祖父、鳩山一郎元首相は政治家としてはナショナリストのカテゴリーに分類されています。その孫である鳩山氏にもその血が流れているとすれば、一見するとリベラルなイメージを持たれますが、芯の部分ではナショナリストの側面も持っているのかもしれません。つまり、「対等な日米関係」の意味するところは、もっと自立した日本という国家を確立したい、ということなのではないかと思うのです。

アーミテージ 私は日本人ではないので、あなたほど深く理解はしていないのかもしれない。しかし、私から見て、鳩山氏は「ドリーマー(夢見る人)」のようです。もし、鳩山氏が独立・日本(Independent Japan)を目指しているのであれば、それが引き起こす結果も考えないといけません。独立・日本はそのまま(アジア太平洋地域における)主題となり、まず多大な圧力が中国によってかけられるでしょう。実際、米国と同盟関係にある日本に対しても中国は「いじめ」のような行為を続けているではないですか。沖縄の周辺海域に中国海軍の艦船が出没したり、ヘリコプターを飛ばして海上自衛隊を悩ませている。ああした迷惑行為に同盟国・日本が晒されている事実には不快感を禁じ得ません。

春原 中国は日米同盟の「質」を試しているのでしょう。そして、鳩山・民主党政権の登場によって、日米同盟は弱体化しつつあると踏んでいる……。

アーミテージ そう、まさしく、その通りです!


 日米関係は「法的には」対等である。しかし、「事実上は」対等ではない。なぜなら米国の軍事力・経済力は圧倒的だからである。中国を含め、どんな国も米国と「事実上」対等ではあり得ない、と書かれています。



 これはまさにその通りでしょう。

 ( と、ここで話を打ち切ってもつまらないので、話をふくらませます。)



 米国と「事実上も」対等な関係になろうとすれば、米国と同様の軍事力・経済力が必要となります。現実には、米国と同規模の軍事力・経済力をもっている国など、ひとつもないのですから、中国を含め、どんな国も米国と「事実上」対等ではあり得ない、ということになります。

 とすれば、日本には2通りの道があります。
  1. 「法的に」対等な関係で満足し、「事実上」対等であることは放棄する道と、
  2. 「事実上も」対等な関係になろうとする道
です。

 ここでの問題は、日本はどちらの道を歩むべきか、です。



 現在、日本は前者の道を歩んでおり、(日本)政府には、後者の道に切り替える意図はないように見受けられます。これに対し、自称「愛国保守」の人々は、後者の道を歩むべきだと考えているように思われます。

 前者の道を歩む場合、「米国との関係が悪化するリスク」がつねに問題となります。米国は本当に日本を守ってくれるのか、米国は日本を裏切るのではないか、といった疑心暗鬼は、どうしても残ります。自称「愛国保守」の人々が後者の道を歩むべきだと考える理由も、十分に説得的です。

 しかしながら、後者の道を歩もうとする場合、その歩みそのものが、米国との関係を悪化させることになりかねません。とすれば、自称「愛国保守」の人々の主張は、「国を守ろうとして、かえって国を危険にさらす」主張だと考えざるを得ない、ということになります。

 ある意味、自称「愛国保守」の人々が主張する後者の道は、「自分たちで自分たちの国を守る」という「素直な考えかた」です。しかしそれは「単純=幼稚な考えかた」だということでもあります。現実には、世界一の軍事力・経済力をもつ米国と(日本が)同レベルになることは難しいと思います。それを承知で、あえてその道を突っ走れというなら、それは「なんでも一番でなければ気がすまない」幼児的思考だといえるでしょう。



 このように書くと、「それならお前は(日本は)米国に依存するのがよいというのか」などという批判が出かねないのですが、

 私としても、日本が自力で日本を守るに越したことはないと思います。日本は、もっと軍事力(=防衛力)を高めるべきだとは思います。しかしそれは、日本が米国と「事実上も」対等になるべきだということではありません。日本は(日本の)国力にふさわしい軍事力(=防衛力)をもつべきだ、という考えかたがベースになっています。

 わかりやすくいえば、お金持ちの家には防犯カメラやボディガードが必要かもしれないけれども、貧乏人ならそんなものは必要ない、ということです。それぞれの家がそれぞれの状況に合わせて、それ相応の防犯対策・安全対策を施すことが現実的です。

 それと同様に、「国を守る」国防についても、それぞれの国がそれぞれの経済力・技術力にあわせて、それ相応の軍事力(=防衛力)をもつべきだ、と私は考えるのです。国防を語る際の「自主自立・自主防衛」とは、このような意味ではないでしょうか? 「自主自立・自主防衛」とは、かならずしも「トップレベルになる」という意味ではないはずです。



 もっとも日本の場合、米国には及ばないものの、経済力・技術力は「ほぼトップレベル」だといってよいでしょう。したがって日本の軍事力(=防衛力)も、「ほぼトップレベル」でなければなりません。

 このように考えたとき、日本はもっと防衛費を増額し、防衛力を高めるべきだ、ということになると思います。日本は国力にふさわしい防衛力を手にしていないと思うからです。上述の譬え(たとえ)を用いれば、日本は「防犯設備のほとんどない、無防備に近いお金持ち」だと思うのです。

 上記引用には、次のような言葉があります。
ナイ そうです。言い換えるとすれば、日本は現在のようにGDPの一%ではなく、四%を防衛費に充てなければならないでしょう。そして、核兵器も開発する。そうすることで、事実上も「平等」を手に入れるわけです。しかし、実際にはすでに(日米が)平等であるとも言いました。つまるところ、それは一体、「平等」という言葉で何を意味しようとしているか、という点に尽きるわけです。
 この主張は、すこし間違っています。なぜなら、日本が「GDPの一%ではなく、四%を防衛費に充て」て、「核兵器も開発」したところで、米国と「事実上も対等」にはなれないからです。

 しかし、私は上記の理由から、日本はもっと防衛費を増額し、核も保有すべきだと思います。それはなにも、米国と「事実上も対等」になるためではなく、「国力にふさわしい防衛力」をもつべきだと考えるからです。そしてこれこそが、現実的な意味での「対等な日米関係」ではないでしょうか。

 そしてそのために、日本は米国と協調し、米国の理解・同意を得つつ、防衛費の増額・核保有への道を歩むべきだと思います。「米国との関係が悪化するリスク」を避けつつ、日本は「日本の国力にふさわしい防衛力」をもつべきだと考えるからです。