言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

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中国・米国も地球温暖化防止に歩み寄り

2011-12-11 | 日記
REUTERS」の「COP17は京都議定書延長で合意、新枠組みは20年発効へ」( 2011年 12月 11日 16:02 JST )

 [ダーバン 11日 ロイター] 南アフリカのダーバンで開かれている第17回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP17)は11日、2012年末で期限の切れる京都議定書の延長と、新たな枠組みづくりを行うことなどで合意し、閉幕した。
新たな法的枠組みでは、中国やインドなどの新興国や京都議定書を批准していない米国などすべての主要排出国が参加することになり、2015年までに採択し、20年の発効を目指す。また、地球温暖化対策に取り組む途上国を支援するために「緑の気候基金」を設置することで合意した。

COP17は9日に閉幕する予定だったが、各国の主張が対立し会期が2日延びて2週間以上にわたり、過去最長の会議となった。


 第17回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP17)で、12年末で期限の切れる京都議定書の延長と、新たな枠組みづくりを行うことなどで合意した、と報じられています。



 地球温暖化は「ウソ」である、欧米の「陰謀」である、といった主張もなされているようですが、実際に北極の氷は減っている(=溶けている)と報じられているので、地球温暖化は「ウソ」や「陰謀」の類(たぐい)ではないと考えられます。

 とすれば、本当に効果のある対策を考えなければならない、ということになりますが、

 新たな枠組みでは、温暖化ガスを大量に排出している中国のほか、米国も参加するとのことなので、今度は(内容によっては)実効性のある枠組みになると期待されます。



 新たな法的枠組みの内容が決まっていないので、

 日本経済に対する影響はわかりませんが、「規制を用いた経済成長戦略」など、ここは考えどころだと思います。
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今年のノーベル平和賞と孔子平和賞

2011-12-11 | 日記
asahi.com」の「ノーベル賞に対抗の中国・孔子平和賞、プーチン氏に」( 2011年12月11日15時17分 )

 ノーベル平和賞に対抗して中国で創設された「孔子平和賞」の今年の受賞者がロシアのプーチン首相に決まり、北京で9日、本人不在の授賞式があった。インタファクス通信が伝えた。首相の代わりに、北京大学で学ぶロシア人女子学生2人が出席した。

 同通信によると、受賞理由は、北大西洋条約機構(NATO)によるリビア攻撃に強固に反対したことという。

 賞は昨年、中国の獄中の民主活動家、劉暁波(リウ・シアオポー)氏のノーベル平和賞受賞に反発した中国の団体が創設。この団体が違反行為をしたとして中国当局は今年の授賞式を中止にしたが、選考委員会のメンバーが香港に別の団体を設立、事業を継いだという。(モスクワ=関根和弘)


 ノーベル平和賞に対抗して創設された中国・孔子平和賞が、プーチン氏に贈られた。北京で9日、本人不在の授賞式があった、と報じられています。



 中国の孔子平和賞に対しては、中国人のあいだに「恥ずかしいのでやめてほしい」という声もあったためか、中国当局は孔子平和賞を創設した「団体が違反行為をした」ことを名目に「今年の授賞式を中止にした」のだと思われますが、

 「選考委員会のメンバーが香港に別の団体を設立、事業を継いだ」と報じられているので、中国人のなかには「愛国心にあふれた」人々もいることがわかります。

 もちろん、ここにいう「愛国心にあふれた」とは、
昨年の劉暁波氏に対するノーベル賞授与に政治的な「反中」メッセージを読み取り、対抗するために、意図的に「反欧米」メッセージを込めた孔子平和賞を創設しようとする態度
を指しています。これが「本当の」愛国心といえるのかは、議論の余地があります。



 ところで、「本物の」ノーベル平和賞は今年、中国とは無縁の人物に授与されたようです。これは暗に、昨年、中国の民主活動家・劉暁波氏にノーベル平和賞を授与したことには「反中」の意図はないと述べています。

 今年、孔子平和賞が「北大西洋条約機構(NATO)によるリビア攻撃に強固に反対した」プーチン首相に贈られ、「反欧米」の姿勢を堅持し、欧米への「対抗意識むきだし」であることを考えれば、

 孔子平和賞を推進しようとする人々にとっては、「恥ずかしい」状態になったともいえます。彼らは面子を潰された格好になったわけで、孔子平和賞推進メンバーがどういう反応をするのか、来年以降、孔子平和賞は廃止されるのか、その動向に注目したいと思います。



CNN.co.jp」の「ノーベル平和賞、リベリア大統領ら女性3氏が受賞スピーチ」( 2011.12.11 Sun posted at: 11:01 JST )

(CNN) 今年のノーベル平和賞の授賞式が10日、オスロで開催され、受賞した女性3人が、「平等を目指して闘う世界の女性たちのために」とそれぞれスピーチした。

今年の受賞者は、リベリア大統領のエレン・サーリーフ氏(73)、同国の平和活動家リーマ・ボウイー氏(39)、イエメンの人権活動家タワックル・カルマン氏(32)。女性への差別や性的暴力、抑圧に対し、非暴力で闘ったことなどが評価された。

3人にはメダルと賞状、賞金1000万スウェーデンクローナ(約1億1500万円)が贈られた。

ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は式典で「この舞台で皆さんにお会いする時を、ノルウェーの全国民が待ち望んでいました」とあいさつし、「女性が天の半分を支える」という中国のことわざを引用。さらに「権力にしがみつくために国民を殺害しているイエメンやシリアの指導者は、自由と人権を求める人類の闘いが絶えることはないことを認識すべきだ」と話した。

サーリーフ氏は、世界の女性に「たとえ人数で負けていても恐れずに不正を非難し、たとえ小さな声でも恐れずに平和を求めよう」と呼び掛けた。「鉄の女」とも呼ばれる同氏は米ハーバード大学を卒業し、民主的選挙で選ばれたアフリカ初の女性大統領として2006年に就任した。

ボウイー氏はリベリアの女性たちが同国にもたらした「誇り」をたたえ、「これは皆さんの賞、私たちの賞です」と語った。

アラブ人女性として初めて平和賞を受賞したカルマン氏は「女性が不当に扱われ、人権を奪われると、結果的として男女を問わずその社会全体に問題が生じる」と訴えた。

昨年の平和賞は中国の民主活動家、劉暁波(リウ・シアオポー)氏が受賞したものの、同氏は服役中で授賞式に出席できず、中国に配慮したロシア、サウジアラビア、イランなども欠席した。




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 「ノーベル平和賞と、中国の立場
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「ウイグル暴動」への対応にみる習近平と李克強の相違

2011-12-11 | 日記
茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.175 )

 09年6月下旬、広東省の玩具工場で働いていたウイグル族の従業員が漢族の従業員から差別的な待遇を受けたとして対立が深まり、漢族とウイグル族との乱闘に発展して、ウイグル族の従業員2人が殺されるという事件が起きた。この事件の情報が新疆ウイグル自治区のウイグル族に伝わると、同自治区でも日頃の差別的な扱いに対する不満が爆発、7月5日にはウイグル族により漢族住民ら100人以上が殺害されるという、いわゆる「ウイグル暴動」が勃発した。
 それに対し、中国当局は事態を鎮静化させるために、暴動発生から1か月間に2000人以上の "ウイグル族テロリスト" を逮捕・投獄するなど、独立派を徹底的に弾圧した。その後も秘密裏に激しい「ウイグル狩り」が続いているとも言われる。亡命人組織「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル議長は、逮捕されて消息不明のウイグル族は「1万人に達する」と指摘しているが、その厳しい弾圧作戦を指揮している指令塔こそが習近平であることは、海外にはあまり知られていない。
 中国の治安機関の内情に詳しい在京の国際情報関係筋によると、近平は中国共産党政治局常務委員会のなかで、主要な任務である党務のほか治安維持も担当しており、実質的に治安維持の最高責任者になっている。党内における治安維持部門の最高機関の正式名称は「中国共産党中央安定維持工作小組(グループ)」で、別名「6521弁公室」と呼ばれる。これには党政法委員会書記の周永康・党政治局常務委員や孟建柱・国務委員兼公安部長ら党・政府の政法・公安関係部門の責任者がメンバーとして加わっている。
「6521」とは、09年10月1日の建国60周年の6、3月10日のチベット蜂起50周年の5、それに6月4日の天安門事件20周年の2、最後に宗教団体「法輪功」の信者が北京・中南海を包囲した99年4月25日から10周年の1を合わせた4つの数字だ。いずれも09年が節目の年であり、不測の事態に対処するために当局が弁公室を設けて厳重な警備態勢を敷いたのである。

(中略)

 折しも、ウイグル暴動が発生した7月5日、胡錦濤・主席は主要国首脳会議(イタリアのラクイラ・サミット)に参加するため北京を留守にしており、治安維持担当の最高責任者として、暴動への対応は近平に委ねられた。
 近平はただちに党序列ナンバー2の呉邦国・党政治局常務委員に常務委員会の招集を求め、暴動の拡大を防ぐために人民解放軍や武装警察部隊を投入して鎮圧する方針を決めた。会議の焦点は暴動鎮圧後の「ウイグル族テロリストグループ」への対応だった。近平の方針は、
「徹底的に弾圧すべき。草の根を分けてもテログループを摘発し、叩きつぶす。手段を選んではいられない」
 という厳しいものだった。
 それに反対したのが、近平のライバルである李克強・副首相だった。
「そんなことをしたら少数民族が反発し、漢族(中国人)の一般市民に危害が加えられる。あくまでも漢族と少数民族の融和を図るために寛大な措置をとるべきだ」
 温家宝・首相が李の意見に賛意を示した。温は国民から「国父」と慕われるだけあって、党指導部内でも穏健派とされ、安定を重視する政治信条の持ち主だ。
 これに対して、周永康や賀国強・党規律検査委員会書記が近平同様、「徹底弾圧」を主張。賀慶林と李長春の両常務委員も弾圧を支持した。オブザーバーとして会議に参加していた孟建柱・国務委員や、新疆ウイグル自治区党委書記の王楽泉・党政治局員も近平側に与し、会議の大勢を占めた。この場で採決すれば結果は明らかだった。
 しかし、議長役の呉邦国は、
「この場には胡主席がいない。私が至急、電話をして指示を仰ぐ。方針を決めるのは、それからでも遅くはない」
 として、会議をいったん散会にした。

(中略)

 胡はサミット首脳会談当日の7月8日午前、専用機でローマを発ち、同日午後には北京に到着。ただちに中南海のオフィスに入り、近平や周永康、孟建柱、さらに王楽泉ら担当者からウイグル情勢についてブリーフィングを受けた。夜には緊急の常務委員会を招集し、
「新疆ウイグル自治区社会の大局の安定を維持することが最重要の緊急任務であり、事件の背後で陰謀を操った者や組織した者、騒動の中心分子、暴力を用いた犯罪分子には、法に従って必ずや厳しい打撃を与えなければならない」
 などと決議した。これは、近平が主張していた内容とほぼ同じだった。
 決議を受けて近平の立場は極めて強くなった。会議には政治局メンバーもオブザーバーとして出席していたが、李克強と同じ共青団グループである李源潮・党組織部長や汪洋・広東省党委書記らも、近平の方針に同意したとされる。


 いわゆる「ウイグル暴動」をめぐって、習近平と李克強の意見が対立した。このとき、習近平は徹底弾圧、李克強は融和路線を主張している。しかし政治局常務委員のほぼ全員、および国家主席である胡錦濤も徹底弾圧を主張したために、最終的に習近平の立場は(李克強に比べ)極めて強くなった、と書かれています。



 「ウイグル暴動」の是非、すなわちウイグル族の立場・主張の是非は、ここでは考えません。

 ここでは、習近平と李克強の対応方針・態度に焦点を絞って考察します。



 「ウイグル暴動」への対応をめぐって、習近平と李克強との対立が生じているのですが、「おかしい」と思いませんか?

 李克強は北京大学時代、民主化運動を何回も弾圧し、潰しています。その李克強が、なぜ、徹底弾圧に反対し、融和路線を主張したのでしょうか? 李克強は、習近平に「対抗するために」融和路線を主張したのでしょうか? それとも、当時の李克強は大学時代とは異なり、思想が変わった、つまり民主主義的になったのでしょうか?

 ここで、胡錦濤が国家主席になれたのは、チベットで同様の暴動が発生したとき、胡錦濤が「ただちに」厳しい態度をとったからだということを忘れてはなりません。その対応が小平に評価され、胡錦濤は国家主席に引き上げられたわけです。とすれば、胡錦濤が徹底弾圧(習近平の主張)を支持したのは、「当然」だったといえるでしょう。

 つまり、李克強が習近平に「対抗するために」反対意見を提出したという考えかたは、そもそも成り立たないと考えられます。習近平に「対抗するために」、国家主席である胡錦濤に支持されない考えかたを「あえて」提出したとすれば、李克強は大馬鹿者だということになるからです。



 とすれば、当時の李克強は大学時代とは異なり、思想が変わり、民主主義的になっていたのでしょうか?

 ここで注目すべきは、李克強自身の言葉です。引用します。李克強は、
「そんなことをしたら少数民族が反発し、漢族(中国人)の一般市民に危害が加えられる。あくまでも漢族と少数民族の融和を図るために寛大な措置をとるべきだ」
と言っています。この言葉は、「漢族(中国人)の一般市民」を守るために、ここは融和路線をとるべきである、と受け取れます。とすれば、李克強は民主主義的になっていたのではありません。あくまでも「漢族(中国人)」を中心に考えており、中国の分裂を断固阻止する、と考えているわけです。

 つまり李克強は、
ここは「とりあえず」融和路線をとっておいて、「騒動が収まったあとで」関係者(=ウイグル族指導者)に厳しい処分を課せばよい
と考えていたのではないかと考えられます。



 したがって、李克強と習近平のちがいは、ただ一点、「ただちに」厳しい態度に出るか、「あとで」厳しい態度に出るか、の相違にすぎないと考えられます。

 ここで、この相違が何を意味するのかを考えてみれば、

 李克強の手法は、(1) 騒ぎ(暴動)の拡大を恐れ、(2) いったん懐柔するかに見せかけつつも、あとで厳しく処分するというもので、いわば「利口な手法」だといってよいでしょう。これは秀才タイプの李克強らしい、「利口な」対策だといえます。

 これに対して、習近平の手法は、(1) 人民解放軍や武装警察部隊の力を信頼し、(2) 「はじめから」厳しく対処・処分するというもので、いわば「強権的な手法」だといってよいでしょう。これは人民解放軍や武装警察部隊にも人脈を構築している習近平らしい対策だといえるでしょう。



 両者のちがいをまとめれば、
  • 李克強は、
    1. リスクを避けようとする傾向がある
    2. 切れ者
  • 習近平は、
    1. 強権的な手法をいとわない
    2. 素直な考えかたをする(=思考は比較的単純)
ということになるのではないかと思います。



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