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習近平の友人に対する態度

2011-12-02 | 日記
茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.61 )

 74年、近平は20歳で党員になった。ほどなく梁家河大隊支部書記に任命された。これは実質的な村長に当たる。北京から来た "はみ出し者" の知識青年が村のナンバー1になったのだ。これについて、近平は父・仲勲の影響があったことを率直に認めている。
「ここ(延安地区)は父親が以前活動していた根拠地だ。当時、父は19歳で『陜甘辺区ソビエト政府主席』だった。多くの人々が私を守ってくれたし、助けてもくれた。それに私自身も頑張ったから、こういう結果になったのだ」
 近平は父・仲勲の昔の仲間が助けてくれたように言っているが、実際は身近な友人がかなり奔走した。近平は育ちがよいせいか、自分のことは構わず、他人のために一生懸命尽くすことができる性格だった。また、鷹揚な性格が人々を安心させ、それが包容力につながっていった。
 そのような友人の1人に呂候生がいる。呂は梁家河の共青団支部書記で、近平と同年代だけに何でも話し合える間柄だった。2人で朝まで語り明かすこともしばしばあった。
 近平は入党できないことを気に病み、呂に「親父の問題があるから入党は無理だ」と泣き言をこぼしたこともある。呂は「そんなことはない。君なら必ず入党できる」と慰めた。呂は実際、村の党幹部に入党を頼み込むなど熱心に近平を支持した。
 近平が村を離れて20年近く経った94年、呂は右足に重い骨髄炎を患った。治療費は6000元。当時の北京市民の平均月収は500元程度であり、梁家河の村人には考えられない巨額な費用だ。
 呂は藁にもすがる思いで、当時、福建省の省都、福州市の党委書記だった近平に手紙を書いて援助を求めた。半月後、近平から500元が入った手紙が届いた。「これを旅費にして福州まで来い」と書かれていた。
 近平は福州に着いた呂をすぐに入院させ、仕事が終わってから毎晩、見舞いを欠かさなかった。やがて呂は退院。この間の治療費はすべて近平が出し、帰りの航空チケットと2000元の見舞金を持たせて呂を延安に帰した。その後も、近平は呂が山西省太原武警病院に入院する手はずを整え、右足切断手術を受けさせた。00年1月、呂は福州を再訪した。
 福建省長になっていた近平は、呂を見るなり「私の農民の友よ。大難は去ったか。記念撮影しよう」と言い、呂の右足の大腿部をさすった。さらに、近平は延川県の県長に頼み、呂を障害者登録させて生活を保障させるなど、20年以上も前に受けた恩を忘れず、旧友を気遣ったという。


 習近平が共産に入党する際には、友人の協力があった。とくに呂候生は村の党幹部に近平の入党を頼み込むなど奔走してくれた、と書かれています。



 習近平は「人に好かれるタイプ」なのでしょう。今回の引用部分は、習近平が「誰とでもうまくやれる」のみならず、人に「好かれる」人間であることを物語っています。



 ところで、上記引用のなかに、
近平は入党できないことを気に病み、呂に「親父の問題があるから入党は無理だ」と泣き言をこぼしたこともある。呂は「そんなことはない。君なら必ず入党できる」と慰めた。
という部分があります。

 ここで疑問があります。習近平はなぜ、共産党に入党したかったのでしょうか?



 ひとつの可能性として、近平が熱烈な共産主義者であり、したがって信念の故に共産党に入党したかった、という可能性があります。

 近平の父は共産革命に参加した党の幹部であり、息子の近平にも革命について話し続けていたことから、この可能性が浮上してきます。



 しかし、別の可能性もあります。上記引用には、
74年、近平は20歳で党員になった。ほどなく梁家河大隊支部書記に任命された。これは実質的な村長に当たる。北京から来た "はみ出し者" の知識青年が村のナンバー1になったのだ。
とあることからわかるように、

   共産党に入党すれば、社会的に有利

なわけです。中国で出世するには、共産党への入党が欠かせないわけで、近平にとって(共産主義という)主義主張はどうでもよかったが、出世の手段として共産党への入党に固執した、とも考えられます。

 (農民ではなく)「当時の北京市民の平均月収は500元程度であ」るところ、(のちに)出世した習近平は友人の旅費としてポンと500元を出し、友人の治療費「6000元」をすべて負担し、「帰りの航空チケットと2000元の見舞金を持たせて」帰したばかりか、友人を「障害者登録させて生活を保障させ」たことからわかるように、

 出世によるメリットは権力だけではありません。金銭的なメリットも大きいわけで、近平の目的は「カネと出世」だったとも考えられるのです。



 この問題が重要なのは、(1) 習近平はゴリゴリの共産主義者なのか、(2) 習近平は計算高い人間なのか、といったことを判断する材料になるからですが、

 今回の引用部分のみでは、この問題に対して答えは出せません。私なりの答えは用意しているのですが、それは後日、根拠となる資料を引用する際に記載します。

 とりあえず、今日は問題提起にとどめたいと思います。



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