言語空間+備忘録

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彭麗媛からみた習近平の魅力

2011-12-08 | 日記
茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.119 )

 習近平にとって福建省厦門市副市長時代は権力闘争と基盤固めを繰り広げた大切な時期だったことに触れたが、同時にプライベートでも大きな転機を迎えていた。近平が結婚したのは1987年9月1日、相手は彭麗媛(ポン・リーユアン)という中国人民解放軍総政治部歌舞団の専属歌手だった。
「人民解放軍の専属歌手」というと、軍人慰問団の名もない歌い手のようなイメージだが、麗媛はもっと "大物" である。かつての日本の「紅白歌合戦」のような、視聴率が例年100%近い大晦日の大型歌謡番組でトリを務めるほどの国民的なスター歌手なのである。そして、当代の男たちを魅了した美貌の持ち主でもあった。
 近平が麗媛と初めて会ったのは厦門にある麗媛の友人宅で、86年末のこと。すぐに2人の愛の炎は燃え上がり、ほぼ半年後には麗媛の両親の反対を押し切って電撃結婚するほどの熱烈恋愛だった。今でも「恩愛夫婦」とか「おしどり夫婦」と呼ばれるアツアツぶりはつとに知られる。
 近平の名前が中国で知られるようになったのはここ数年のことだが、麗媛は当時すでに数々のヒットを飛ばし、中国で知らない者はいないほどの超有名人。今でこそ、近平は「次期中国指導部ナンバー1」と言われるようになり、麗媛は「習近平の妻」と呼ばれるようになったが、結婚して20年以上も、近平のほうが「あの彭麗媛の夫」と呼ばれる関係だった。

(中略)

 それにしても、近平には国民的スターのハートをつかんで離さないほどの男としての魅力があったのだろうか? 失礼ながら、その風貌を見る限りでは、名うてのプレイボーイにはとても見えない。
 麗媛が近平と会ったのは、友人から「素敵な人がいるのよ。絶対に会うべきよ」と熱心に勧められたからだという。人気絶頂とはいえ、麗媛は当時すでに25歳。そろそろ身を固めたいと思っていた頃だった。しかし、相手が「厦門市の副市長」と聞かされると、北京を拠点に活動している麗媛は、「この話は無理。結婚しても別々に住まなければならないもの」と、会うのさえ断わろうと思ったという。
 しかし、友人の熱心さから「会うだけなら」と考え直した。ただし、お見合いの当日、なんとカーキ色の軍装ズボンを穿いて出かけていった。近平がこんな格好の女にどんな反応をするか試してみようと思ったのだ。
 そして近平と「ご対面」したのだが、麗媛はすぐに、厦門くんだりまで来たことを後悔した。近平は見るからに「田舎モノ」で、実年齢の34歳よりもずっと老けて見えたからだ。
 ところが、近平の最初の一言が麗媛の心を捉えた。
「声楽には歌い方がいくつあるのですか?」
 スターと言っても、当時の中国のこと。客商売の歌手という職業に引け目を感じていた麗媛は、近平が麗媛を「プロの声楽家」として扱ったことがうれしかったのだ。
「あなたは今、どんな歌を歌っているの」
 近平の2番目の質問は、国民的スターに媚びていないことを示しており、かえって新鮮だった。
「『希望の田野で』という歌を歌っています」
 麗媛は、当時大流行していた自分の持ち歌の名を答えた。すると近平は、
「聴いたことがあります。すごくいい歌だね」
 と素直に応じた。
「その時、私はぐらついたの。彼こそ私の待っていた男性なのかしら。純粋だし、それに考えが深い、と」
 麗媛は後にそう回想している。一方の近平は、
「君と会って40分で、生涯の伴侶だと決めた」
 と、後に麗媛に語ったという。


 彭麗媛が習近平と結婚したのはなぜか、彭麗媛からみた習近平の魅力とはなにか、が書かれています。



 私は最初、これを読んだとき、習近平はなかなかいい男ではないか、と思いました。すくなくとも、私には彭麗媛の気持ちがわかるような気がします。

 しかし、じっくり考えてみれば、このお見合いは「ヘン」です。



 習近平の質問、「声楽には歌い方がいくつあるのですか?」は問題ありません。問題なのは、その次、
「あなたは今、どんな歌を歌っているの」

「『希望の田野で』という歌を歌っています」
 麗媛は、当時大流行していた自分の持ち歌の名を答えた。すると近平は、

「聴いたことがあります。すごくいい歌だね」
 と素直に応じた。
という部分です。



 これは「おかしい」と思いませんか? いかに習近平が公務で多忙を極めていたとはいえ、国民的大スターのヒット曲、しかも当時大流行していた歌を知らないはずがありません。もちろん習近平は、「聴いたことがあります。すごくいい歌だね」と言っており、「知らなかった」わけではありませんが、
「誰が歌っているか」を知らなかったとは考え難い
と思います。すくなくとも、
自分の「見合い相手」の「いま(=当時)のヒット曲」ぐらいは「知っているはず」、知らなくとも調べているはず
ではないでしょうか?



 とすれば、習近平は「純粋」な「私の待っていた男性」ではなく、「口がうまいだけ」だった、ということになります。



 私の見かたは「深読みのしすぎ」かもしれません。しかし、どう考えても、習近平が「知らなかったはずはない」と思います。

 そもそも、習近平は「出世するために」共産党に入っています。習近平は「純粋」でしょうか? 「口がうまい」男、「交渉上手」な男だと考えるほうが、(私には)実態に合致していると思われてなりません。



 なお、彭麗媛の「希望の田野で」は下記(↓)で聴けます。歌がうまいですね。彭麗媛は、日本でいえば美空ひばりかもしれません。

「在希望的田野上/彭丽媛」
http://www.youtube.com/watch?v=yggpysTk7jM



註:
  1. 上記はたんに、習近平の人物像を考察しているにすぎません。彭麗媛が習近平を「素敵な男性」だと思ったのであれば、それはそれでかまいませんし、他人の結婚にケチをつけるつもりは毛頭ありません。
  2. また、面倒なので引用を省略していますが、「お見合いのとき、近平はバツイチだった。まだ離婚していなかったとの説もある」ようです。




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習近平の上海市党委書記時代・その2

2011-12-08 | 日記
茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.23 )

 07年10月1日。中華人民共和国建国58周年の国慶節に、胡錦濤・国家主席は上海を訪問した。習近平・上海市党委書記と韓正・市長が胡を迎えた。胡は習らを随行させ市内の障害者施設や化工品メーカー、無線電子研究所などを視察し、報告を聴取した。
 通常、国慶節前後には中央での祝賀行事が集中し、国家主席が地方を視察することは極めて異例。2週間後の15日には中国共産党の第17回党大会が迫っており、時間がいくらあっても足りない時期の上海視察には重大な意味が含まれていた。
 第一は、巨額汚職事件で更迭された陳良宇・前党委書記らが進めた、経済成長一本槍で中央政府のマクロ経済調整政策に従わないやり方から、中央の方針を遵守するよう新指導部に誓わせることだ。
 上海市は江沢民・前主席ら上海閥の牙城であり、胡が02年秋の党総書記就任以来、上海を訪問したのは、これを含めて3回しかない。市党委が視察日程などを調整するのは初めてのこと。温家宝・首相にいたっては、陳ら旧指導部が温首相のマクロ経済調整政策に公然と反対していたことから、陳書記時代に上海を訪問したことは皆無だった。
 もう一つは、上海市が胡ら中央指導部の方針に従うことを条件に、2週間後の党大会で、習を胡の後継者含みの政治局常務委員に選出すると伝えることだった。
 習は胡が上海を離れるとすぐ市党委拡大会議を招集し、
①陳良宇事件を深刻に受け止め中央と軌を一にしていく。
②全局的な観点からマクロ経済調整政策との統一性を確保し、その有効性と中央の権威を認め、政策を実行する。
 の2点を強調した。上海市の中央政府に対する "全面降伏宣言" とも言えよう。同時に、習が胡の後継者となった決定的瞬間でもある。


 上海市党委書記に就任した習近平は、自分の出世(政治局常務委員への昇格)と引き換えに、(前任者の)経済成長路線を変更することを決定した、と書かれています。



 「出世したい」と強く望んでいる習近平にしてみれば、上海を「犠牲」にして中央の意向に従うことは、「当然の判断」でしょう。もともと、習近平は上海に縁もゆかりもありません。

 胡錦濤もそのあたりのことは承知しているからこそ、習と取引しようとしたのだと思います。



 しかし、これを上海閥の人々から見れば、「習近平は許せない」となるのではないでしょうか。もともと上海閥の人々からすれば、習近平は「よそ者」であり、胡錦濤や習近平に「(上海が)やり込められている」と思ったとしても不思議ではありません。

 おそらくこれが、(後の)習近平の次期中国最高指導者含みの人事(=政治局常務委員会入り)について、江沢民がなかなか承諾しなかった背景事情なのでしょう。



 なお、前回、「習近平の上海市党委書記時代」において、私は、
著者がなぜ、習の上海市党委書記就任「人事は、江が近平に白羽の矢を立てたことを意味した」と書いているのかわからない。
と書きましたが、

 著者がなぜ、江沢民が習近平に白羽の矢を立てたことを意味すると書いたのか、わかりました。



 上海市党委書記、すなわち陳良宇の後任を誰にするかを決定する際に、
  1. 最初、胡錦濤が上海市党委書記に李源潮・江蘇省党委書記(共青団閥のエース・胡の腹心)を推したところ、江らが反対したので、
  2. 次に、胡錦濤は劉延東・党中央統一戦線部長(共青団閥)を推したものの、江らが反対し、
  3. 次に、胡錦濤は李克強を推薦したが、江らが反対し、
  4. 江沢民らは胡錦濤に対抗して習近平を推したところ、習に決定した。
といった経緯をもとに、

 著者は「江沢民が習近平に白羽の矢を立てた」と考えたようです。



 しかし、胡錦濤が推薦したのは全員、共青団閥のメンバー、すなわち胡錦濤派の人々です。

 したがって、いかに「江沢民らが」習近平を上海市党委書記に推したとはいえ、それは江沢民ら上海閥が「しぶしぶ」ましな選択をしようとしたにすぎず、「積極的に」習近平を推したわけではありません。

 以上により、江沢民は習近平に「白羽の矢を立てた」といえないことはないものの、これを「白羽の矢を立てた」と捉えることは実態に即していないと考えられます。つまり、江沢民は習近平に「白羽の矢を立てた」りはしていない、と考えるべきだと思います。



 なお、陳良宇事件については、「「汚職追放」の裏の意味」に詳細な記載があります。よろしければご覧ください。



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