茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.119 )
彭麗媛が習近平と結婚したのはなぜか、彭麗媛からみた習近平の魅力とはなにか、が書かれています。
私は最初、これを読んだとき、習近平はなかなかいい男ではないか、と思いました。すくなくとも、私には彭麗媛の気持ちがわかるような気がします。
しかし、じっくり考えてみれば、このお見合いは「ヘン」です。
習近平の質問、「声楽には歌い方がいくつあるのですか?」は問題ありません。問題なのは、その次、
これは「おかしい」と思いませんか? いかに習近平が公務で多忙を極めていたとはいえ、国民的大スターのヒット曲、しかも当時大流行していた歌を知らないはずがありません。もちろん習近平は、「聴いたことがあります。すごくいい歌だね」と言っており、「知らなかった」わけではありませんが、
とすれば、習近平は「純粋」な「私の待っていた男性」ではなく、「口がうまいだけ」だった、ということになります。
私の見かたは「深読みのしすぎ」かもしれません。しかし、どう考えても、習近平が「知らなかったはずはない」と思います。
そもそも、習近平は「出世するために」共産党に入っています。習近平は「純粋」でしょうか? 「口がうまい」男、「交渉上手」な男だと考えるほうが、(私には)実態に合致していると思われてなりません。
なお、彭麗媛の「希望の田野で」は下記(↓)で聴けます。歌がうまいですね。彭麗媛は、日本でいえば美空ひばりかもしれません。
「在希望的田野上/彭丽媛」
http://www.youtube.com/watch?v=yggpysTk7jM
註:
■関連記事
「習近平の父、仲勲の教育方針」
「習近平の下放時代」
「習近平の秘書時代」
「習近平の正定県党委書記時代」
「習近平の福建省長時代」
「習近平の浙江省党委書記時代」
「習近平の上海市党委書記時代」
「習近平の上海市党委書記時代・その2」
習近平にとって福建省厦門市副市長時代は権力闘争と基盤固めを繰り広げた大切な時期だったことに触れたが、同時にプライベートでも大きな転機を迎えていた。近平が結婚したのは1987年9月1日、相手は彭麗媛(ポン・リーユアン)という中国人民解放軍総政治部歌舞団の専属歌手だった。
「人民解放軍の専属歌手」というと、軍人慰問団の名もない歌い手のようなイメージだが、麗媛はもっと "大物" である。かつての日本の「紅白歌合戦」のような、視聴率が例年100%近い大晦日の大型歌謡番組でトリを務めるほどの国民的なスター歌手なのである。そして、当代の男たちを魅了した美貌の持ち主でもあった。
近平が麗媛と初めて会ったのは厦門にある麗媛の友人宅で、86年末のこと。すぐに2人の愛の炎は燃え上がり、ほぼ半年後には麗媛の両親の反対を押し切って電撃結婚するほどの熱烈恋愛だった。今でも「恩愛夫婦」とか「おしどり夫婦」と呼ばれるアツアツぶりはつとに知られる。
近平の名前が中国で知られるようになったのはここ数年のことだが、麗媛は当時すでに数々のヒットを飛ばし、中国で知らない者はいないほどの超有名人。今でこそ、近平は「次期中国指導部ナンバー1」と言われるようになり、麗媛は「習近平の妻」と呼ばれるようになったが、結婚して20年以上も、近平のほうが「あの彭麗媛の夫」と呼ばれる関係だった。
(中略)
それにしても、近平には国民的スターのハートをつかんで離さないほどの男としての魅力があったのだろうか? 失礼ながら、その風貌を見る限りでは、名うてのプレイボーイにはとても見えない。
麗媛が近平と会ったのは、友人から「素敵な人がいるのよ。絶対に会うべきよ」と熱心に勧められたからだという。人気絶頂とはいえ、麗媛は当時すでに25歳。そろそろ身を固めたいと思っていた頃だった。しかし、相手が「厦門市の副市長」と聞かされると、北京を拠点に活動している麗媛は、「この話は無理。結婚しても別々に住まなければならないもの」と、会うのさえ断わろうと思ったという。
しかし、友人の熱心さから「会うだけなら」と考え直した。ただし、お見合いの当日、なんとカーキ色の軍装ズボンを穿いて出かけていった。近平がこんな格好の女にどんな反応をするか試してみようと思ったのだ。
そして近平と「ご対面」したのだが、麗媛はすぐに、厦門くんだりまで来たことを後悔した。近平は見るからに「田舎モノ」で、実年齢の34歳よりもずっと老けて見えたからだ。
ところが、近平の最初の一言が麗媛の心を捉えた。
「声楽には歌い方がいくつあるのですか?」
スターと言っても、当時の中国のこと。客商売の歌手という職業に引け目を感じていた麗媛は、近平が麗媛を「プロの声楽家」として扱ったことがうれしかったのだ。
「あなたは今、どんな歌を歌っているの」
近平の2番目の質問は、国民的スターに媚びていないことを示しており、かえって新鮮だった。
「『希望の田野で』という歌を歌っています」
麗媛は、当時大流行していた自分の持ち歌の名を答えた。すると近平は、
「聴いたことがあります。すごくいい歌だね」
と素直に応じた。
「その時、私はぐらついたの。彼こそ私の待っていた男性なのかしら。純粋だし、それに考えが深い、と」
麗媛は後にそう回想している。一方の近平は、
「君と会って40分で、生涯の伴侶だと決めた」
と、後に麗媛に語ったという。
彭麗媛が習近平と結婚したのはなぜか、彭麗媛からみた習近平の魅力とはなにか、が書かれています。
私は最初、これを読んだとき、習近平はなかなかいい男ではないか、と思いました。すくなくとも、私には彭麗媛の気持ちがわかるような気がします。
しかし、じっくり考えてみれば、このお見合いは「ヘン」です。
習近平の質問、「声楽には歌い方がいくつあるのですか?」は問題ありません。問題なのは、その次、
「あなたは今、どんな歌を歌っているの」という部分です。
「『希望の田野で』という歌を歌っています」
麗媛は、当時大流行していた自分の持ち歌の名を答えた。すると近平は、
「聴いたことがあります。すごくいい歌だね」
と素直に応じた。
これは「おかしい」と思いませんか? いかに習近平が公務で多忙を極めていたとはいえ、国民的大スターのヒット曲、しかも当時大流行していた歌を知らないはずがありません。もちろん習近平は、「聴いたことがあります。すごくいい歌だね」と言っており、「知らなかった」わけではありませんが、
「誰が歌っているか」を知らなかったとは考え難いと思います。すくなくとも、
自分の「見合い相手」の「いま(=当時)のヒット曲」ぐらいは「知っているはず」、知らなくとも調べているはずではないでしょうか?
とすれば、習近平は「純粋」な「私の待っていた男性」ではなく、「口がうまいだけ」だった、ということになります。
私の見かたは「深読みのしすぎ」かもしれません。しかし、どう考えても、習近平が「知らなかったはずはない」と思います。
そもそも、習近平は「出世するために」共産党に入っています。習近平は「純粋」でしょうか? 「口がうまい」男、「交渉上手」な男だと考えるほうが、(私には)実態に合致していると思われてなりません。
なお、彭麗媛の「希望の田野で」は下記(↓)で聴けます。歌がうまいですね。彭麗媛は、日本でいえば美空ひばりかもしれません。
「在希望的田野上/彭丽媛」
http://www.youtube.com/watch?v=yggpysTk7jM
註:
- 上記はたんに、習近平の人物像を考察しているにすぎません。彭麗媛が習近平を「素敵な男性」だと思ったのであれば、それはそれでかまいませんし、他人の結婚にケチをつけるつもりは毛頭ありません。
- また、面倒なので引用を省略していますが、「お見合いのとき、近平はバツイチだった。まだ離婚していなかったとの説もある」ようです。
■関連記事
「習近平の父、仲勲の教育方針」
「習近平の下放時代」
「習近平の秘書時代」
「習近平の正定県党委書記時代」
「習近平の福建省長時代」
「習近平の浙江省党委書記時代」
「習近平の上海市党委書記時代」
「習近平の上海市党委書記時代・その2」